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■世界文化遺産登録、富士山の失敗と復活、今の富士山にマーケティングの縮図をみる?!

2013年07月30日 | Weblog
■世界文化遺産登録、富士山の失敗と復活、今の富士山にマーケティングの縮図をみる?!

はじめに:冨士とは何!?

♪♪冨~士~は、日~本一の山♪♪
という唱歌がある。
筆者は山梨(父方)、長野(母方)出身なので、
この度の富士山の世界遺産登録(信仰の対象と芸術の源泉)には感慨深いものがある。

ところで、富士山ってどんな山?
筆者の思いをランダムに述べると・・・・・・?!

・孤高の霊峰/周辺に高い山は無く、海抜0メートルから一気に立ち上がっている
・ゆるやかに聳え立った日本一の高い山
・美しい独特のなだらかな山塊、大きさ
・ご来光
・四季折々の変化に富んだ自然
・富士五湖に写る逆さ冨士の美しさ、
・生きた活火山(今は休火山と言う言葉はない)
・精進湖のクニマス(絶滅種の魚、再発見)
・樹海
・忍野八海
・天然水
・広重の東海道五十三次図の冨士の景色
・北斎の富岳三十六景
・富士山に雁が飛ぶ日本画の味わいのある構図
・横山大観の描く霊気漂う神々しい冨士
・石原裕次郎の映画、富士山頂物語、
・東京大学の夏の臨時診療所開設(高山病で運び込まれる)
・富士急ハイランド

といろいろなことが浮かんでくる。
多様な価値観を持った山である。

各地に富士見という感じの地名がたくさん残っている。
富士山を仰ぎ見て日々暮らしていた様子がうかがえる。
「OO冨士」という冨士の名前を冠した山もたくさんある。

富士山は日本人の心の中にある。
多様で豊穣な思いを育んできた。

海外では、
日本といえば「ふじやま」、「芸者」・・・・・といわれた古き良き時代があった。
フランスの後期印象派の画家たちは、
浮世絵を好み、キャンバスの背景に北斎を描き込んだりもした。

過去には噴火の生々しい記録が残っている。
古くは続日本紀や、在原業平の伊勢物語にも噴火の記述がある。
江戸時代には宝永大地震(南海トラフが動いた)の後の宝永大噴火が有名である。
冨士は美しいが、
怒ると怖い山である。
浅間神社はその冨士の怒りを静めるためにつくられたという。

冨士は、
良くも悪くも日本人のこころに刻まれた山である。
日本の象徴である。

A.富士山、世界遺産登録の遅れに見る日本の縮図:

富士山の世界遺産登録は日本では17番目。

前回の自然遺産登録では、国内の推薦段階で見送られた。
今回は、20年以上経っての県土従来であった。

今回はなぜ文化遺産(信仰の対象と芸術の源泉)なのか?
また、なぜ登録が遅れてしまったのだろうか。

以前、自然遺産でエントリーしようとした時は、
自然遺産としてはふさわしくない・・・・・?!
とされた。

ごみの汚さ、人の手による自然の破壊(ゴルフ場、スキー場、リゾート開発・・・)が
進んでいるからであった。

確かに白神山地、小笠原諸島、知床、屋久島の自然遺産と比べたら
はるかに人の手が入ってしまっている。

大都市東京から車で飛ばせば一時間強で到着する距離である。
しかも日本一の山で、もともと観光資源の宝庫である。
開発が進むのも当然である。
だから人の手が入って、
手付かずの自然ではないという理由は仕方が無いと思った。

しかし、ごみがひどいから、というのは恥ずべきことである。
日本人の高潔さはどうなっているのだろうか?
とも騒がれた。

しかし、日本人の高潔さをあまり美化しない方がよい。

かなり以前になるが、
高度成長時代の日本の環境は、半端なくひどい状態であった。
主要な工業地帯の汚染はひどかった。

民法で無過失責任などという賠償システムが登場して、
公害の被災者を救済する動きも出てきた。
また、国の公害認定も遅々として進まなかった。
日本人は、実はそんなに高潔な民族ではない???

日本には恥の文化があるし、日本人は高潔な魂をもっているという側面もあるが、
一方で、環境汚染のような負の近代産業史をつくってしまったという側面もある。

高潔な冨士山、一方でごみで汚れた富士山、
これは日本人の縮図と捉えて戒めることが重要である。

20年前は、冨士山を厳しく診断して世界遺産登録を辞退した。
まだまだ日本人の矜持、美意識が残されていたといえる。

日本の象徴である富士山が、
自然遺産では落選したが、それは結果としてよかったのかも知れない。
富士山は単なる大きな『自然』という対象ではないからである。

今回、広い意味での『文化遺産』ということで世界遺産登録に成功したが、
結果としてはよかったと思う。
富士山はこころの山である。
ハードな物理的な山、自然物ではない。

問題は今後である。

いろいろな制約が課せられる。

それはわずらわしいものであるが、
逆に冨士という世界資産を保ち育てるエンジンでもある。

日本人皆でその制約を守るということではなく、
その制約を逆手にとって、
そこから世界遺産、冨士の価値をより高めるメソッドを考えて、
遵守、活用していくという前向きの姿勢が求められる。

富士山をいつまでも世界に誇る遺産とするための試行錯誤が始まる。
国民の我慢の量が、遺産の価値に転化され、
富士山はますます世界に誇れるものとして成長してゆく。

B.富士の世界遺産登録とマーケティング:

冨士の世界遺産登録のマーケティングとは?
そこから学べることは?

1.NO1マーケティングからの示唆:

富士山はNO1である。

マーケティングで、
NO1という価値は最も重要な価値といってよい。
NO1とは・・・・・?!
機能、品質、デザイン、使い勝手のよさ、アフターサービス・・・
そしてコスト・コストパフォーマンス、
あらゆるものが総合的に勘案、評価されて、
そのポジションが獲得されるわけである。

ただし留意しなくてはならないことがある。
NO1になるためには、大衆の志向を大きく取り入れることが必要である。
従って、平凡さ・無難さがあり、面白くない商品・サービスであることが多い
しかし、裏側から見ると「間違いのない消費ができる」という保証を、
生活者へ与えているということでもある。

革新性、エンタメ性、こだわりという尖がった価値からは遠くなる。
そのようなハイエンドのものを扱うときは、
通常は、別ブランドを立ち上げたり、チャネルを分けたりという工夫することになる。
また、ある商品領域を決めて、
その領域の中でNO1になる、という集中的な戦略を取ったりする。

NO1という価値は、
マーケティングマネジメントが長い月日の中で精緻に運用され、
消費者のグッドウィルを獲得してゆく中で、結果として生じてくる価値である。
逆にマーケティングがマンネリになったり、
もともとのマーケティングミッションが忘れられて義務的、形式的になったりすると・・・・・・、
必ず「事故」(ミス、人災・・・)が起き、
NO1のポジションは毀損される事態になってゆく。
マンネリは、仕事に魂が入らない状態でありそれがミスに繋がる。

最近では、トヨタの例が記憶に新しい。
世界車生産量NO1達成直後の、
アメリカトヨタのつまずき(セクハラ問題とリコール問題)とその後の数年間の低迷である。
ある年月の経過の中で、ある確率で、
必ずといっていいぐらい、大きさはともかく事故は起きる。
NO1価値は、
そのような前提でマネジメントしなくてはならない価値である。

NO1の富士。
東京近郊にあり、交通が便利で、リゾートとして早くから開発されてきた。
日本の高速道路は「名神」が一番早かった。
次いで、中央高速道路で甲府へゆくのではなく大月から冨士吉田方面に向かうルートが
できた。

荒井由美(旧姓)が当時「中央フリーウェイ」をリリースし、
若者は中央高速をドライブしながら口ずさんだのもこの頃の話である。
自然破壊ではないが、
ゴルフ場ができ、
ごみは樹海の中へ廃棄され、
自衛隊の演習場があり・・・、
と、冨士はいわゆるいじくられた状態にどんどんなっていった。
もちろん戦前からの旧国立公園であり、
それなりの制約はあったのだが、
その魅力に惹かれる人たちのレジャー享受の便益を考慮して、
どんどん開発が進んでいった。

NO1の価値を食い尽くす時代が続いたのである。

これが、20年前の世界遺産登録の落選(辞退)という思わぬ事態で、
日本全体が目覚めた、
というわけだ。

富士山は今も昔も変わらない。
今回はコンセプトを変えて文化遺産ということで県土従来を期した。
同じ素材でもコンセプトを変えれば全く異なる商品になる、
製品は同じでも商品は全く異なるというマーケティングをそのまま実践した。
もともとのNO1の素材を、趣向を変えて違う見方をしたら、
全く別の冨士の姿が見えてきた。

冨士山。
文化遺産(信仰の対象と芸術の源泉)を大切にしてゆくことはもちろんであるが、
やはり、冨士のすべてのおおもとである自然についても
毀損された部分は修復し、復興する、
今残された自然の遺産(資源)はそのまま丁寧に保存されてゆくことが
求められる。

2.エンタメマーケティングからの示唆:

富士山はエンタメである。

今回、文化遺産(信仰の対象と芸術の源泉)として登録された富士山は、
マーケティング的に言えば、
自然に畏敬の念を抱く人、敬虔な宗教心をもった人、スポーツ・レジャーを楽しむ人、
芸術を楽しむ人・・・
等、精神的な価値を尊ぶ人へ向けた『商品』ということになる。
いわゆる広義のエンタメマーケティングの対象となる商品である。

富士山のような商品(精神財)、即ち人の心に深く関係した価値を持つ商品では、
全く別のマーケティングが求められる。
目に見えない無形の価値の商品は、
その周辺から醸し出される雰囲気、
即ちバーチュアルな情報発信がすべてといってよい。

世界文化遺産の富士山の精神性をどのように伝えてゆくか?

冨士山を見ることで何が起こる?
エンタメである以上、
冨士山と接した人が、
癒し、リフレッシュ、リラックス、安心感、抱擁感、非日常感、幸福感、・・・・・・
を感じ精神的なカタルシスを得られるような資産として、
皆から愛されることが求められている。

単純な機能価値、情緒価値だけではない第三の価値、「結果価値」、
即ち富士山から最終的に何かを感じてどのような状況になりたいのか?
が重要である。

次ぎにテーマとなるのは、富士山との接触の仕方である。
文化遺産である以上、ただ富士の自然に振れるだけではなく、
その富士を取り巻く芸術、信仰などの情報を常に発信する情報環境の整備が不可欠である。
リアルな富士山に抱かれる、富士で信仰、芸術の現場に振れる、
というだけでなく、ITを活用した枠組みが外せない。

例えばスマホを活用した文化情報の提供が、
どこにいてもITでいろいろな富士の文化を感じる手法が不可欠である。
今後、どんな富士の文化アプリが登場するのであろうか。
楽しみである。

3.ブランドマーケティングからの示唆:

富士山は、
日本が世界に誇れるNO1ブランドである。

ただの日本で一番有名な、日本一高い山
という価値だけに矮小化してはならない。

富士山を世界遺産としてNO1に恥じないように維持し、発展させてゆくには、
ブランドマーケティングで言うところの「ロングセラーマーケティング」のセオリーを
運用することが求められる。

一般論として、
ロングセラーとなるためのノウハウはいろいろとある。
商品には、それをロングセラーにさせまいとする様々な力が働く。
ロングセラーマーケティングとは、
そのネガティブポイントをひとつひとつ丁寧に摘んでゆくことでもある。

ネガティブポイントとは、例えば以下のようなことである。

強い競合の存在(差別性のある競合の登場でそれにシェアを奪われる)

新制度・法律等々の環境変化、

新技術の台頭(既存技術の陳腐化、無意味化)

ユーザーのマンネリ・飽き
(長い間、使っていると、またコミュニケーションをされていると
 その商品が当たり前化する、心理的な飽きが生じてくる)

ユーザーニーズの変化
(興味の所在が別のカテゴリーに移ってしまい、商品の価値が無意味化する)

インナー(社内)の飽き
 (担当商品への感度が鈍くなり、社内でのポジションがなくなる
  /予算が付かなくなる)
等々である。

富士山も同様である。

富士山もひとつの商品と考えれば、

・競合/観光資源としての周辺の競合はたくさんある。
観光資源だけではなく、
個人のレジャーの多様性で別の時間の使い方が最競合ということが起きてくる。

・環境変化/これは世界遺産としての制約が大きい。但しこれは制約ではなく世界遺産富士を守るエンジンでもある。
例えば、五合目までの車通行制限、冨士入山料徴収等々便利性を阻害する法的規制は
富士観光にとって不利なようで実は長期的には有利にもなる。

・新技術の台頭/ITによる超リアルな映像化等々。
直接富士山へこなくても、行った気になれる。しかしこれもネガな側面だけではない。
ITとリアルな融合で、より一層富士へ行きたいという気持ちを高めることが出来る。

・ユーザーの飽き/今は登録で騒がれているが、人のうわさも75日、
 やがて関心は別のところに移る。
従って、ユーザーに富士の文化的な、芸術的な、又、大元である自然的な価値を
絶えず訴えてゆくことが求められる。
時間、手間、お金をしっかり投じて価値を高めてゆく努力が不可欠である。
お金は費用ではなく投資と考えて中長期的に価値向上に努めなければならない。

・インナーの飽き/富士を取り巻くステークホルダーの、また富士を愛して尋ねる人の
富士に対する慣れが生じてくる。
富士山をもっと応援しよう、その資産価値を高めてゆこう、
という日本人の心を持ち続けることが大切である。

富士山を真のロングセラーにするためには、
日本人のこころの持ち方と時間・金銭コストの、物心両面の関与が不可欠である。

NO1の商品が、ブランディングという技を怠るとどのようなことになるか?

歴史やことわざには戒めのことばもある。
・実る程に頭をたれる稲穂かな、
・おごる平家久しからず、
・勝って兜との緒をしめよ、

NO1の価値は、NO1と認識されてからが大変となる。

そのメンテをさぼるとあっという間に減耗する。
NO1の称号をいつまでも維持し誇れるようにするには、
弛まぬ努力が必要である。

4.最後に/観光マーケティングからの示唆:

富士山は観光の対象である。

観光とは、
自然、歴史、文化等の観光資源の価値を、自分の五官で感動体験することである。
そしてその体験を人に口コミして情報を拡散してもらうことでもある。

観光資源は自然であったり、生活・文化、風習・祭り、建物だったりといろいろある。

ここで忘れてはならないのは、そのエリアのヒト・コミュニティが作り上げてきた
観光資源の背景にある精神的・情緒的な雰囲気である。
例えばそこに数日、数週間滞在したときに感じられる何かである。

表面的とはいっても典型的な観光資源をしっかり堪能できたかは、もちろん重要である。

祭りが人ごみが凄くて全然見えなかった。
雨模様で自然が見えなかった、散策もできなかった、
ということでは、その観光資源の伝達価値は半減である。

しかし、観光の本質は、ヒト・コミュニティである。

観光もサービス業である以上、
エリアで受けるヒト・コミュニティが醸し出すオーラが何より大切である。
富士の文化遺産という価値は、正にヒト・コミュニティのオーラの価値でもある。

C.遅れてきた真打ち:

いいもの、本物は遅れてやってくる。
今回の冨士山もそれに当てはまる。

富士山の持つ価値は多様で深い。

ただ自然の凄さという価値だけではない。
日本人こころの拠り所になっている。
日本人のDNAにビルトインされている。
国民が崇拝してきた対象、芸術家が描き続けてきた対象、写真家が撮り続けてきた対象、
という象徴性を考えれば、
自然遺産と言うより、日本人のこころの文化遺産といった方が冨士にはよく似合う。

今回はその文化遺産としてエントリーし、見事に登録に漕ぎ着けた。
苦節20年ということも出来るが、
真に価値のあるものはゆっくりと堂々と登場するということである。
『遅れてきた真打ち』という感じである。

20年前へ遡る。
もし仮に、日本といえば「冨士山、
という単純な、また当然な理由で簡単に世界遺産登録があれていたら、
今回のような有り難みは無かったかもしれない。

今回の登録のプロセスで、
冨士の、日本の精神性を改めて確認できたというのは、
本当に良かったと思いたい。

三保の松原を含めるかどうか、最後までもめたという。
日本の世界遺産登録審査へのロビー活動が功を奏して、
冨士山から45KM離れているにもかかわらず、
「含まれる」という決定になった。

三保の松原からの富士の姿は昔から尊ばれた。
絵にも数多く描かれた。
冨士山を文化遺産と考えれば含まれて当然だ思う。

この稿終わり

■追記1:
フジテレビに『ほことたて』という番組がある。
ライバル対決番組である。
「何にでも穴を開けるドリル」と「外部の力を受け付けない硬い金属」の対決・・・
といろいろな対決が用意されている。
私鉄の知識を競うような知恵比べ対決もある。

先週、富士山対決第二回目が放映された。
山梨、静岡どちらから見る冨士山がいいか?!という対決である。
全部で八つのテーマが設定され、
それにふさわしい写真を競うというものである。
一年がかりで時間、季節を追う壮大なテーマである。
テレビ東京にしては大掛かりな設定である。

両県が用意した写真は秀逸なものばかりであった。
感動した。
結局僅差で静岡に軍配が上がった。
第一回目は山梨が勝ったのでこれで痛み訳となった。

戦国時代の逸話。
武田信玄が、甲斐、駿河、相模の三国同盟を目論んで、
駿府(今の静岡市)で、今川義元、北条氏康と会談を行った。
武田は北方の謙信と戦い、北条は関東を狙い、今川は上洛を目指す、
この状況の中で三者の利害が一致し、
三国の戦いを休戦にしようという会談である。
このときに、信玄は、裾野まで見えてしまう富士を見て、情緒が無いといい、
義元は上半分しか見えない富士山とは何とさびしいものか?
と言ったとか言わないとか?
要は戦国時代から冨士を巡って甲斐(山梨)と駿河(静岡)は
張り合っていたというわけだ。

■追記2:
冨士は見る角度、高さ、遠さ、
そして季節、時間帯(光に具合が全く違う)、天候によって異なる姿を示す。
七変化の山である。
それは冨士特有のものである。
ある程度の大きさが必要で、
(これは見栄えの良さ、距離があっても存在感のあるサイズが必要)で、
よい景色となるには、周囲に邪魔なものがあってはならない。
また、遠見の姿がよく、前景が映える必要がある。
いろいろな条件が、冨士には備わっているからこそ、
鑑賞に耐えうる、七変化の山になることが出来たのである。

■追記3:
富士山は噴火のデパートと言われている。
過去、様々なタイプの噴火を繰り返してきた。
今、冨士山には宝永大噴火以来の300年間のマグマがたまっている。
東海大地震が起きると、
マグマを押さえつけている岩盤に隙間ができて、
マグマはその中を伝わって噴き出してくるという。
どのような大地震が起こると噴火に繋がるか、はまだ不明という。
宝永大噴火では120万人が被害を蒙った。
もし、新たに大噴火が起きれば、それ以上の大災害になるという。

■追記4:
最新のニュース。
富士山頂でやせ細った犬が発見された。
飼い主と一緒に登り、はぐれたのか、捨てられたのか?
かわいそうなことである。

冨士にはいろいろなことが起きる。
NO1は、話題に事欠かない、とはよく言ったものである。
(いいこともよくないことも)
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