日経新聞・MJ・日経ビジネス ・宣伝会議に学ぶ商品マーケテイング理論・・・篠原まーけブログ

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■ 0の饗宴(競演)、ビール業界の舞台裏の面白さ!

2010年09月29日 | Weblog
■ 0の饗宴(競演)、ビール業界の舞台裏の面白さ!

今、ビール業界は「0」が旬である。

A.「0ジャンル」のデビュー:

まず、キリンが09年に「キリンフリー」を出した。
アルコール成分0である。
発酵というプロセスを無くしてアルコール0%ビール?を実現した。

ついで、アサヒのクリア。
その後、「ダブル0」で、アルコール、カロリーの両者を0にして上市した。

サントリーは、さらに糖質を0にして「オール0」というネーミングで上市した。
売れすぎて1カ月で販売中止となってしまった。

ビール全体の売筋ランキングで、
5つほど「0ジャンル」ビールがランクインしている。
ビールを飲めない人に、飲めないオケージョンで、
大人気である。
妊娠している人、運転中の人、スポーツをしている人・・・・・

味が抜群という。
お酒がすきな人が飲んで十分耐えられ、
かつおいしいという。

単純ビール代替で、仕方なく飲んでいる、
ということではないところが凄い。

プロの香りの聞き手が苦味といい、甘みといい、バランスは半端でなくすごいらしい。
苦味、甘味のテーストでの苦労は半端ではなく超㊙の企業秘密という。
それなりのハイテク、ハイノウハウということらしい。

ここで忘れられてならないのは、「0ジャンル」も食品である。
原点はおいしいということがなければならない。

「0」の味付けは、
ビールが好きな人が、いつでもどんなときでも飲んでビールの味が味わえる、
さらに独特な味わいも感じられるという目標で開発されたという。
それを見事にクリアした。


B.ビール業界の凄さ:

ビール業界の過去を見ると、
古くは、ドライ戦争、パッケージ戦争、価格戦争、発泡酒戦争、
最近では、第三のビール戦争と、
キリン、アサヒ、サントリー、サッポロの4社は熾烈な争いを繰り返してきた。

ビール会社が凄いと思うのは、一社が何かすると他社がすぐ追随してくるその足腰の強さ、対応力、背景にある技術・ノウハウの蓄積の奥深さである。

ビール業界は、
日本の産業界でもっとも競合が激しく、
ダイナミックで見ていてわくわくする産業ジャンルである。

考えてみればビール会社は食品会社とはいいながらも、
半端でない装置産業で重厚長大産業である。
会社規模も日本有数のものである。
また、発酵という太古の昔から自然界にある、食の原点的な技術の宝庫でもある。
ビール会社というと、ビールを扱うので身近な存在だが、
冷静に産業視点で見ると、実は生活者からもっとも遠い、装置産業の雄であり、ハイテク企業である。


C.「0」に見るサブジャンル理論:

本論にもどる。
マーケット育成期では、協争原理(協争/競争ではなく)が重要である。
「0」ビールカテゴリー(サブジャンル)でも同様である。

一般的に、サブジャンルマーケットの争奪戦では、
各社がライバル意識をむき出しにして争う。
しかし、その各社のエネルギーの総量がそのサブジャンルを活性化し生活者へマーケット(商品)を認知させ定着させる。

しかし、その後が問題となる。、

そのサブジャンルで一位となって利益を謳歌するのは一社である。
・ビール分野(=ドライビール)ではアサヒの「スーパードライ」、
・プレミアム分野ではサンロトリー「ザ・プレミアムモルツ」、
・第三のビール分野では、キリンの「のどごし生」、
・ 発泡酒分野ではキリンの「淡麗」
となる。

今回の「0ジャンル」ではどうなるのか?

ここに面白いマーケティングの鉄則がある。
カテゴリー(今回で言えば0サブジャンル)ライフサイクルの中の、
参入時期(サイクルの開拓期)と成長前期、成長開始期、成長最盛期、・・・
という節目では、
マーケティング戦略のスタンスがまったく異なる、
という鉄則である。

「0」カテゴリーでも同じである。
つまり、キリンが最初にでて、プライオリティをとったとしても安穏とはしていられない。
すく到来する次の節目(成長初期)では、マーケティングのパラダイムは大きく変わる。
その変わったマーケティングのリンク(フレーム)での戦い方はまったく異なる。

いわゆる6Pが変わる。
プロダクト、プロモーション、プライス、プレース、
ポジショニング、パーソネル(ターゲット)が違ってくる。
商品に求められるニーズが変化するからである。

まず、マーケットに大量消費感がでてくる
ターゲットが拡大し、
様々な属性の人、様々な飲用機会がでてきて、
マーケットシーンが多様化し、きめ細かい施策が求められてくる。

例えば、広告宣伝、販促が俄然多くなる、
プライスの争いも厳しくなる(価格低下がおこる)
チャネル・売り場での陳列、場所、POPなどもガラッと変わる
競合(マルチプレーヤー)の出方も多様になり、
それに伴ってマーケティングの施策が多様になり、
かなりきめ細かいセンスも必要になる。
もちろんスピードも要求される。

当然ながら、商品の技術開発・進化への要求水準、スピードも俄然厳しくなる。

要するに、
いままで一番で、オンリーワンで上市したということ、シェアが一番だった、
ということには、
何の意味もなくなるということである。
(これが重要な点!!!)

その節目々々で最適、最高のマーケティング戦略を組んだメーカーが、
次のステージでは勝つという鉄則である。
(それ以前にたとえ負け犬だったとしてもチャンスはある!)

過去には、
日産サニーに勝ったトヨタカローラの例、
キリンラガービール、各社のドライビールに勝ったアサヒスーパードライの例
いろいろな教訓がある。

この稿おわり


追記:予断として!

ノンアルコールビールの20歳未満の人への訴求をどうするか?
大手4社ではなかなか出来ないかもしれない?

10代に飲酒への習慣をつけてしまうことの是非が問われかねない?
等の背景もありそうだ。
自主的規制も働くように思われる。

マイナーな地ビール会社がゲリラ的に出すということはあるかも知れない。
パッケージを完全に変えて、見た目はビールのような雰囲気をなくし、
清涼印象のような風情をかもしだして販売するという、
グレーゾーンでの上市は時間の問題かもしれない。

実際には、ワイン(お酒)と果汁飲料(通常飲料)で雰囲気の似ているものは多い。
お酒と普通のドリンクの際を微妙になくしている。
清涼飲料としての、ビール風ソフトドリンクの可能性は、
論理的にはかなりあることになる。
恐らく時間の問題で出てくるように思う。
どこが先に出してくるのだろうか?

今は、「ビ-ルからいろいろな成分を抜いた/0にした」、
という技術・ノウハウを訴えるマーケティングが主流である。
あくまでもビールジャンル・お酒ジャンルというパラダイムの中で語られている。
従ってビールが飲めない状況、状態の人への訴求マーケティングとなる。

もしかすると、この「0ビールジャンル」の味の技術・ノウハウを使えば、
麦を核としたおいしいソフトドリンクを、たくさんつくれるのではないだろうか。

ビールと気づかれないように!
といった人目を避けるような、隠れ飲料のような存在から、
世間の目にきちんと晒すようなマーケティングスタンスが必要なステージに入ってきているのでは??

「大麦からできたソフトドリンク」というアプローチで考えれば、
清涼飲料としての商品開発はもっと面白く、花開くように思う。

マーケティングライフサイクルで見ると、
「0」サブジャンルのマーケティングステージは、
第二次段階に入ったといえそうだ。



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■ マクドナルドの挫折と挑戦、NEO業態創造の意味?

2010年09月22日 | Weblog
■ マクドナルドの挫折と挑戦、NEO業態創造の意味?

はじめに:

MACが頑張っている。

1971年創業から40年になる。

MACは、三世代業態である。
その昔、東京銀座にMACが、
アメリカの先進FF(ファーストフード)業態として進出した時に、
そのハンバーガーを初めて食べて感動したのが、団塊の世代である。

その第一世代(団塊の世代)は、
その後結婚して子供が生まれ、その子供をつれて入店した。
今、その子供(第二世代)が、結婚してその子供(第三世代)をつれて入店する。
祖父・祖母(第一世代・団塊世代)とその孫(第三世代)という組み合わせでの入店もある。

ジャンクフードと揶揄されつつも、
日本でここまで愛され成長し、日本に新たな外食文化を根付かせた功績は大きい。

A.MACの挫折:

MACのイメージとは何か?

あの赤色の地と黄色のMのマークであり、
いかにもアメリカという感じの人工感のあるテーブル、内装である。
その良し悪しは別にして日本の従来の外食店にはない、
ハンバーガーというネタ、その安さ、アメリカンイメージで日本を席巻した。

しばらくの間は繁栄を謳歌していた。

60円ハンバーガーのコストパフォーマンスで、
生活者の関心を集め、収益力も抜群だった。

しかし、落とし穴が待ち受けていた・・・?
好事摩多し!?

アメリカで起きた狂牛病事件が発端となり、
吉野家をはじめとする牛肉関連飲食業態が苦戦する中で、
MACも同じように打撃を受け業績は急激に落ち込んだ。
この狂牛病事件をきっかけにMACは奈落のそこに陥っていくことになる。

しかし、当時のMACの業績低迷の本質は違うところにあった。

ことの本質は・・・、
もともとMACに代表されるFF業態が日本で飽きられはじめ、
いわゆるFFビジネスのライフサイクルが成熟期に差し掛かり、
何かのきっかけで業績が落ち込む土壌は着々と整えられていた?
というのが真相である。

つまり、MACが苦しくなったのは、狂牛病のせいではなく、
もともと内在していたMACの業態のイメージ、オペレーション、マネジメントの陳腐化が主たる原因ということである。

狂牛病は単なることのきっかけにしか過ぎなかったのである。

業者の藤田田氏が引退し、その後、MACは試行錯誤しながら改革を行っていったが、
本格的な改革は、異業種出身の、現在の原田CEOのリーダーシップのもとで行われた。
MACは、見かけは従来型のMACイメージのままだが、中身は以前とは異なる、
事実上の新業態(新ビジネスモデル)として蘇り、今に至っている。
(この間の経緯はいろいろな紙誌に詳しい)

B-1.MACの新しい挑戦:

MACは、
今、さらに挑戦を続けている。

小売業態は生き物である。
周囲の飲食業態と熾烈な戦いをしている。
周辺の環境変化で、競合店のリニューアルで、
またたくまに来客数、売り上げが減少する。

従って、自らが先手を打って仕掛けなければならない。
業態のイメチェンはそのひとつの手段である。
MACサイトにある新タイプのMAC店は、
サステナブルなMACビジネスモデルづくりへの挑戦的な試みである。

MACは確実に、しかも野心的に動き始めている。

B-2.MACの空間プレゼンの妙:

それでは、MACの新イメージづくりへの挑戦とは!

マックは、今、業績好調で、
このタイミングで。更なるリストラ(閉店)とリニューアル(改装・新規出店)に取り組む。

MACサイトによると複数の新イメージ店が紹介されている。
このなかで注目したいのは、

「QUORITE」、「EDGE」である。

この2つの新業態店の意図を生活者、利用者、マーケッターとして観察した。

表参道店(QUOLITE)、渋谷南口店(EDGE)のセンスはかなりいい。
従来のFFの「食事場」から、
くつろぎの、会話する空間(「会話場」)になっている。
単純FF業態から「空間業態」へ変身し時代へ一石を投じようという、
MACの野心がうかがえる。

改めて、2つの店を見て、
飲食サービス業は動いているということを痛感した。
周辺の飲食の競合は激しく、環境も変われば、人の往来の数・客層もかわる。
動かなければ座して死を待つ事態になる

日本全体の成熟の中で、飲食サービスの盛衰は激しい、
少し油断すればあっという間に店は陳腐化し、存立が危うくなる。
MACはそれを本能的に回避するために、打って出ることを自らに課しているように見える。

今回の観察のポイントは以下の通り。

「QUORITE」表参道店では、

・メニューは少なめで大人向け。
コーヒー主体の上品なものが多い。

・中にいる人もなぜか、上品に見える。
空間がそうだから上品にみえるのか?
空間が上品な人を呼び、実際に上品なのか?
議論は分かれるが、マーケティングは知覚品質(イメージ)でおこなわれるものなので、
どちらでも構わない。
上品な人が居そうな感じ、
で十分マーケティング的な目的は達している。
見学に行った時間帯にもよるのだろうが、以前いた高校生がいないのには驚いた。
以前のマックとは違う雰囲気で入店に臆したのか、
それとも自分の水とは違う感じなので拒否したのか、
それはわからない。
MAC層ではない感じの人が、居心地よくたたずまいできる感じになっている。

・空間は、
上下、水平方向へと立体的に、複合的に設計されている。
集合テーブルの高さと升席の高さのバランスがいい。
集合テーブルと隠れ家的な個人ブース・少人数ブースのバランスもよい。
集合テーブルにも超長四角、丸型といろいろなバリエーションがあり飽きない。
オブジェによる間仕切り、アド画面ボードによる間仕切り、片付けブースの間仕切り感、
等の「仕切り」が小気味よく並ぶ。
ビジュアルでは、
オブジェがあり、什器も透明プラスティックで都会型の雰囲気を醸しだしている、
壁面の写真も都会的な硬質な感じで、しかし冷たい感じはなく、暖かい感じだ。
壁面には手書きの英文字がMACのエコについての考え方等を示している。

・ ライティングは、
空間全体をやさしい光で照らし、テーブルを照らす照明とうまく融合して、
空間全体が締まって見える

・空間の色はダークブラウン、ホワイトで洗練されている。
ソフトなパステルカラーを配することで、
落ち着いた雰囲気を醸しだし、暗くならない配慮をしている。

・スタッフのユニフォームもなかなか品がよく、機能的に見え、
イメチェンに成功しているように見えた。
以前のMACのコスプレのように、
いかにもFFの制服です!!
といった感じではなく好感がもてる。

・電子掲示板(横にテロップのように流れている/動的で目をひく感じである)
によるメニューのコンセプト、内容の紹介も斬新な感じで、さりげない感覚のアピールと映った。

・アドテレビジョンもあった。
マックのコーヒー、牛肉の品質管理(素材管理、製法管理/独自の機器によるコーヒー抽出/無添加100%ビーフ/ポテト厳選素材まるごと使用)についてしっかりアピールしている。
商品原料・成分、製法のトレーサビリティにも、しっかりと言及している。

・マクドナルドハウスのPRもさりげなく行われている。
フィラデルフィアで始まった、病院の近くに家族の宿泊できるハウスをつくる試みである。
/30カ国296箇所で展開という。

・南アのワールドカップのエスコートキッズのスポンサードもしており各国のサッカー少年達の夢をサポートしている。

全体を通して、
空間全体が「カンパニープレゼン」のような仕組みになっている。
それでいて嫌味はなく、センスは非常に良い。

最後に、MACの象徴である、袖カンバンのMACのサインは、
「黒字に黄の文字」
で従来のMACイメージとは決別している。

C.MACの業態転換の意味:

MACの新業態店にはいろいろなマーケティング的な意味が籠められている。

・MAC卒業の大人世代の再取り込み、
・従来MACの非適合立地での再アピール、
・客数減少MACでの再集客装置としての機能、
・進化するMACイメージのアピール装置、
・入店客のCSの向上への仕掛け装置
等々

しかし、企業である以上、自働的・自立的な組織体としての意味が重要である。
MAC新業態への挑戦の中には、
以下のような自己進化へのメカニズムが埋め込まれている。

・社内での危機感の共有化、
・変化することで環境に適合・対応できるというダーウィン的な自律志向化
・スタッフの働き心地の向上
(ES/エンプロイヤーサティスファクションがなければお客様へのサービスはおぼつかない)
・MACビジネスモデルを支える人財確保へのイメージインフラづくり
(アルバイト採用のためのリクルートイメージづくり)
等々である。

最後に、看過されてならないのは、

・ MACは、サステナブルカンパニーとして時代の先端を行く、時代を切り開く!、
・ MACは、常に「何か」を仕掛けている!、
という動的な、ダイナミックな企業メッセージ感の醸成効果である。

強いメッセージをもった凄みのある企業というアピール力が、
益々MACのパワーとなり、存在感を高める。

いまのところMACは業績好調である。
しかし、今後どうなるかわからないという、
非情な、冷徹な経営認識がMACにはある。
MACは、かっこいい、クール&スマートな企業でもある。

D.最後に:

C.S.(顧客満足度)NO1はディズニーリゾートである。
飲食部門では、NO1はスシローである。

MACはどうするのか、順位も当然だが、
どのようなサービス空間で、
社会へ、マーケットへ、生活者へ貢献しようとしているのか?

また、連結ベースの売上高ではゼンショーグループ(すき家、なか卯・・・)が一位である。

MACは、スケールではどのようなポジションを狙おうとしているのだろうか?
因みにスシローの筆頭株主は ゼンショーである。

この稿おわり

追記1:
MACの凄さの例として
MACは、
購買力平価決定の参考とされている。
マックが各国でいくらで買えるか、
それがそのまま為替レートの参考になる。
簡単に言えば、
アメリカで1ドル、日本で70円なら為替レートは1ドル70円ということになる。
なぜ、マックが購買力平価の対象になるのか?
・典型的な消費財、世界どこでもあるので比較できる、
・世界的な調達システムで最終的な価格が決まるので、
そのまま比較しても齟齬が生じにくい。

等々で非常に便利な為替算定の商材ということになる。

追記2:
今、日本のデフレが進行している。
デフレが進行すれば連動して、円高になる。
購買力平価でみれば、物価が安くなれば安い通貨の国での購買が得なのでその通貨のへの換金が進み通貨高になる。
MACも紆余曲折があるが、価格を上げたり、下げたりと波はあるが、基本的には卵と同じで物価の優等生である。
易くてボリュームがあってうまい、とくれば繁栄しない訳が無い。
MACは、実は、今の「物価低下(デフレ)&円高」の流れに大きく関わっていた?
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■ 販促施策・ポケットテッシュは語る!マーケティング環境、変化の兆候!

2010年09月14日 | Weblog
■ 販促施策・ポケットテッシュは語る!マーケティング環境、変化の兆候!

日経本誌の日曜版・エコノ探偵団の
「ティッシュ配り、なぜ減った?」
という記事は、
今の経済、マーケティングの実情を反映した内容で面白かった。

今回は、その記事にマーケティング的な意味を味付けして見る。

A.ポケットティッシュ配布の現状:

ポケットティッシュの配布数は、
統計によると数年前に比べて半分ぐらいに減っているという。
全体生産量をみると、6-7年前は30億袋ぐらい、
今では10-15億袋ぐらいまで落ち込んでいるという。

なぜ配布数が激減しているのか?

理由の1:
企業や店が不景気で販促費を減らしている。

例えばティッシュと言えば消費者金融である。
消費者金融会社は過剰金利問題で業績が苦しく、
制度改正で貸し出し残高が伸びず、
大幅な経費削減に迫られティッシュ配布の数を減らしている。
メガネスーパー、KDDIもやめたという。

理由の2:
受け取る消費者側の反応が今ひとつよくない。

今はお店にいっても
箱型ティッシュや濡れティッシュが準備されており、
ポケットティッシュを使わなくなっているという。

冷静に考えて見ると、ポケットティッシュが頻繁に配られていた時でも、
家の隅っこには、もらった手配りティッシュがたくさんあまっているという感じだった。
実際に、今は10人の3人ぐらいしか受けとらなくなっているという。

理由の3:
差し出されるポケットティッシュを受け取るときにストレスが生じる

微妙な心理だが、
道でポケットティッシュを差し出されて、それを受けとるときに気恥ずかしくて嫌、
という人も多いようだ。

理由の4:
配布ポケットティッシュを使うのが恥ずかしい:

実際に配布されたポケットティッシュを使うときに、
店や企業名がついていると人前では使いにくい、恥ずかしいという心理がある。
また、デザインが安く、チープな感じで人前にだせるものではないともいわれる。
実際に、女性が人前でそれを使うシーンはちょっと想像しにくい感じである。

理由の5:
販促の手法ミクスに異変が起きている

電子クーポンのようなIT的な仕組みの方が経費も掛からず、即効性があり、
集客効果が高いようだ。
この5番目の話はかなり本質的な話であり、要注意である。
販促の世界にITが導入されて久しいが、
今本格的に試行・応用が進んでいる。

理由の6:
ポケットティッシュとは違う配布(もらいたい)ニーズが出てきている。

配布というと「ポケットティッシュ」だけが主流ではない。
季節的な要因だが、
今年のような猛暑だと「うちわ」配布の方が喜ばれるらしい。
最近は「化粧落とし」や「めがね拭き」、「携帯電話画面拭き」も増えているという。
夏場だと「ウェットティッシュ」も増えているらしい。
冬場だと「カイロ」も人気だという。

配布は、機械的に「ポケットティッシュ」で!
という単純な図式はもう成立しない。
プレミアムの世界にも、多様化が進んでいるということらしい。

理由の7:
はっきり言ってポケットティッシュがあきられた

実はこれが一番大きい要因と考えられる。
ズバリ、飽きられたということである。

マーケティングで最も気をつけなければいけない状況、
「ユーザーの飽き」という、
マーケティング地盤(マーケインフラ/ユーザーの信任)の熔解現象が起きているということだ。

何だまたティッシュか??!!というイメージのものに、
人は大袈裟に言えば感動はしない。
感動しなければそれを配布しているスポンサーの店・企業に対して
親しみ、好意という感情は湧いてこない。
従ってマインドシェアは生じてこない。
マインドシェアが生じなければ実際の行動(購入)シェアは発生しない、
ということになる。

ポケットティッシュはもらって損するものではないが、
嬉しくて仕方が無いというものではなくなってきている。
費用対効果で疑問符をつける企業が増えてきている。

たかが販促物とはいっても、
人の手に渡る、目にさらされるものである。
日々の改善、革新がなければ飽きられて陳腐化して通用しなくなるのは当然である。
今のままのポケットティッシュでは現状を打破するのは難しい。
また、IT販促?という異次元の競合販促施策への対応は、
一種の情報戦であり、
「ただでもらえるテッシュ」という持ち味だけで対抗できるものではない。

配布ポケットティッシュ数の減少には、
マーケティングの様々な背景・環境が横たわっている。
実に奥が深い、つくづく実感する。

B. 配布ポケットティッシュの効果:

しかし、何だかんだといっても、
今までポケットティッシュが配られそれなりの成果が上がっていたのは、
なぜだろうか?
一時期、一斉を風靡した手配りティッシュの効果とは何か。

効果1:看板効果
もらったポケットティッシュがいつも身近にあり、店名、企業名が目に飛び込み記憶に残る。
その店や企業の商品を利用しようと思うと、
それが「検討企業群のエボークトセット」に入り、購入・利用対象の店・企業のひとつになる

効果2:感謝効果
ポケットティッシュを使う機会があると、そのちょっとした便利さで感謝の気持ちが生じ、
何かがあればその店・企業の商品を使って見ようと思うきっかけになる。

効果3:単純プレミアム効果
どんなものでも、ただでもらえれば人は嬉しいもの。
頻繁にもらえれば何となく記憶にも残る。
配布の効果が生じたことになる。

但し、上記のような効果が生じるには、
閾値を越える配布数の確保が必要になる。

閾値の考え方で一番わかりやすいのは薬の服用量である。
薬は、ある程度の量を服用しないと効果を発揮しない、
それまでに服用したことに意味がなくなるような最低必要量(閾値)というものがある、
という概念である。
少ないまき方では、渡らない人が大半、たまたま1回だけ渡っただけということで終わってしまう。
ティッシュをもらったことが、
本当に単純なただの落し物を拾ったような感覚の些細な経験でしかなくなる。
ある程度の数をもらえて、初めて閾値を越えてそれが記憶に定着していく。

また、実際にポケットティッシュをもらわなくとも、
あちらこちらで配布しているシーンを見ていると、
擬似的な配布効果をもたらし、店・企業名が記憶に残っていくという効果が生じる。

以前は消費者金融業界各社があちこちで配布していたので、
実際に小額の資金が必要となったときには、
消費者金融の利用という選択肢もあるのかな、
というマインドシェアが生じ、
業界全体がポケットティッシュ配布の利益を受けていた。

今のように配布数が少なくなってくると、上記のような効果がますます生じにくくなり、
ジリ貧状態になってくる。

一般的に、配布メディアの効果を有効たらしめるには、
・成長業界があちらこちらでじゅうたん爆撃のように蒔く/スケールの追求、
・ターゲットを決めてそこに集中的に配布しその人たちには喜ばれる/CSの追求、
のどちらかの要件がいる。

前者のケースは、今ではなかなかなさそうだ。
少し昔の話だが、ソフトバンクが赤袋(接続キット入り)であちらこちらで無料インターネット接続の販促をしていたのは記憶に新しい。(あんな技は孫さんでなければ到底できないこと)

今後は、後者のような蒔き方を戦略的にできるかがポイントになる。
例えば、ゲーム業界が携帯電話画面拭きをゲームイベントで配布するなどの方法である。
その場合、チープなものではなくターゲットにふさわしいテッシュの外側(パッケージ)、内部の携帯等々のデザイン感覚も求められてくる。

C.たかがポケットティッシュ、されどポケットティッシュ:

以前、エステ・消費者金融・かつら・健康食品等々の
広告・宣伝活動の効果測定を行ったことがある。

これらの業種は、広告・宣伝が「営業行為」そのもので、
その広告・宣伝表現から問い合せを促し、
資料請求から購入・利用まで導くような特殊な業種である。

これらの業種の販促効果測定の結果を見ると、
利用者一人当たりの獲得費用では、ポケットティッシュはそれなりの上位にいた。
今はそれが通用しなくなっている。

これは何を意味しているのか?

別の効率の良い販促手段が、
単純にポケットティッシュにトレードオフした(取って代わった)ということではない、
というところに悩ましさがある。

要するに、その業種を「見える化」している、
その業種を代表するようなシンボリックな販促施策の減少という「現象」は、
実はその業種の衰退を意味しているのだ。
例えば、消費者金融におけるポケットティッシュのような例である。

たかが販促、されど販促である。

販促施策の中でも、その業種を象徴的に示すものは、
単なる販促の手段ではなく、
その業種そのものものマーケティングのエネルギーを示している、
と考えるべきである。
配布ポケットティッシュは、
上記のような業種の栄華盛衰を示す「インデックス」となっている。
その業種の「今」を的確に物語っている。

ある業種の消長は、氷山の一角的にいろいろなところに現れる。

販促は販売現場そのものである。
そこにはマーケットの状況が刻々反映されてくる。
ポケットティッシュの減少という「現象」は、
決して瑣末的な話ではなく、マーケットの声を代弁した大きな意味を持つものである。

単に販促物と侮ってはならない。

たかが販促物、されど販促物である。
販売・販促現場に秘められたマーケットの兆候を見逃してはならない。

ポケットティッシュは、何かを語っている!!

まとめ:

マーケティングの現象には「ことの本質」が現れる。
ポケットティッシュ配布数が大激減した。
ここから何を読み取るか?!

1.まず、配布方のプレミアムにはメリットを感じなくなってきている???
例えばテッシュという現物が、
いま欲しいわけではない、無いと困るわけではない。
だから配布されていても、気にも留めない。

2.ITによるポイント・クーポンの方が、
直裁的で、マニュアル的で、短絡的で、
ノウハウ本がはやる時代には受ける(仮説)。

・今、目の前にあるメディア(携帯電話)による販促の方が、
時間消費的にも、手間消費的にもスムーズだ?
・自分が関心の有る店、企業から直接的にメリットをもらう方が得だ?
・店、企業にとっては商売直結型の販促の方が効果が見えやすい、管理しやすい、儲かる?
と皆が考え始めている、

もう少し生活者心理に立ち入った仮説を立てるなら、
即物的、機能的な販促志向がマーケット、生活の底流に流れている!
そういう時代なんだ!
と考えてみる必要性がある。

ポケットティッシュの語りは、なかなかの味わいがある!!

この稿おわり


追記:

別の例として/以下も最近よく聞く話である。

営業主体の訪問販売業種で、
「営業」というコミュニケーション&リレーション方式による業績、効率が極端に悪くなったときは、
それはその他の販売手段を探せばいい、営業方法を改善すればいい、
という単純な話ではなく、

そのビジネスモデルそのものを陳腐化させる、廃止するくらいの
重い意味があると考えなくてはいけない。

廃止というのは極端かもしれないが、
本気でビジネスモデルの革新を断行しなさい、
というマーケットからのサイン・シグナルと考えるべきである。

「営業行為」は、訪問販売のシンボリックな販売・販促手段である。
訪問販売という業種・業態を象徴する行為である「営業」に何かおかしいな?
と感じるようなことがあれば、
真剣にその原因を考え、手を打つべきである、という話である。

今回のブログは、
現場の現象が、実は本質的は問題提起をしてくれている、
そのような研ぎ澄まされた感覚を持てるように、
マーケティングセンスを磨くことが大切である、という説教染みたお話でもある。

販促効果もそうだが、現場の小さな現象は、
意外と本質を突いた兆候を示している可能性がある?、
という感覚で現場を見るように日頃から訓練をしておく必要があるように思う。




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■「ものの言い方の奥深さ」とマーケティング戦略&表現クリエイティブへの応用!!

2010年09月07日 | Weblog
■「ものの言い方の奥深さ」とマーケティング戦略&表現クリエイティブへの応用!!

今週はすこしアカデミックな話になる。
学士会の会員誌(U7)に、東北大学小林教授の面白い論文があったのでご紹介する。

ものの言い方の背景には地域社会の生活習慣・風習が影響しており、
エリア差もかなり大きいという。
ものの言い方を、その人の性格的(DNA的)なことだけで説明するのは正しくないと言う。
その人の発する言葉は、
その地域社会で、後天的に訓練された、ひとつの文化的な環境で紡がれてきたものである、
という趣旨である。

小林教授の論文は、
マーケティングの戦略・戦術、表現等の、
あらゆる局面でつかえる面白い視点(概念)だと思うのでご紹介する。

A.はじめに:

人間の営みは、すべてことばで出来ている。
言葉は、生身の人間が紡ぎだすが故に生きている。
人に影響も与えるし、感動をもたらす。

マーケティングも最後は言葉で見える化して、
社会に、マーケットに訴えていく。

マーケティングは最終的には人との対話・コミュニケーションそのものである、
と言っても過言ではない。

これは広告が重要という意味ではなく、
言語化されたミッション・コンセプトというものが、まず起点にあって、
次にマーケティングの戦略、戦術が決まっていく。
その意味において、マーケティングには、
言葉(対話・コミュニケーション)が重要であるという意味である。

話をわかりやすくするために、
クリエイティブの作業に限定して見ていくことにする。

クリエイティブ作業の裏側では、いくつも議論、アイデアが飛び交い、
徐々に消化・純化され最終形(表現案)がきまってくる。

その最終クリエイティブがどんな経緯、プロセスでターゲットにつたわるのか?
そのヒントとなる視点が小林教授の論文に掲載されている。

B. 言葉の地域差という視点:

小林教授の論文を読んでみて感じたことがある。

マーケティング分野に携わる担当者が、
コンセプト、コミュニケーションのターゲットを考える時に、
ターゲットとなる人・エリアはどのような言語習慣を持っているかを、
異なる角度からみるようにすると、
いろいろと透けて見えてくることが多いと感じた。

マーケティングを、「エリアによって異なる7つの言語習慣」で捕らえなおすと、
クリエイティブ作業はより精緻で納得的なものになる、
という予感を持った。

以下、小林教授の論文の骨子である。

1. 「口に出す、出さない」という視点
「おはよう」、「ただいま」と口に出していうかどうか
寡黙な地域と必ず言葉に出す地域がある。

2. 「決まった言い方をする、しない」という視点
例えば、
・朝のあいさつで、「おはよう」という決まった言葉で言う地域か?
あるいは、その都度違うことばを発して、何かのニュアンスを籠めて言うことに意味を見出す地域か?
・例えば、失敗した時に、「しまった」という決まり文句だけで表現する地域か?

3.「細かくいいわけるか?いいわけないか?」という視点
・いろいろな場面の中で、東北のように「どうも」というひとつの言葉で会話を成立させてしまう地域か?
・ 買い物の時に店に入った時に「どうも」で済ませるか?
あるいは、「ごめんください」、「いらっしゃい」・・・等と言葉を言い分けるか?

4. 「直接的に言う、言わない」という視点
買い物の時、東北では「買う」という、家に入るときは「居たか」という、という。
直接的な目的を、直裁的に意思表示する地域かどうかという視点。

5. 「主観的に話すか、話さないか」という視点
大阪では、
「ほんで」という相手を促す表現、自分のことを「堪忍したって」、「よういわんわ」、
というように他人的に表現する習慣がある。
仙台では、逆に、「ほら」、「やっぱり」というように自分をわからせようとする言葉をつかう。東北は主観的に言語概念を組む地域らしい。

6. 「言葉で相手を気遣う、気遣わない」という視点
「ありがとう」、「お世話様」と言い相手に感謝するか?
東北のように、「どうも」で済ませてしまうか?
西では、人の持物を「持たせてもらいます」と気を使って言い、
関東ではでは「持ちましょう」と言う。

7. 「話を盛り上げる、盛り上げない」という視点
大阪では、
「突っ込み」という盛り上げ方に代表されるように楽しく話すことが重要となる。
逆に東京は正しく話すことが重要となる。
大阪では「突っ込み」ができないようでは気の利かない人ということになる。

この「7つの言葉の使い方の視点」は、
西ではよく発達しているという。
東京も比較的よく発達しているが、
東北方面は発達していないといわれる。

その原因としては、
社会のあり方や、その地域のコミュニケーションのあり方が大きいと言う。
例えば、東は同属社会で、本家、分家の序列があり、相続も東では長子相続が当たり前で、
決まった秩序で社会が動く。
兄弟間、親族間での言葉によるプレゼン、説得で、自分を売り込むことが必要ない。
東では、西のように言葉を磨き上げて、自己をアピールするような必要性がない、
ということらしい。

西では、分割相続で、村の代表、檀家は選挙で選ぶということで、
民主主義的で話術には工夫が不可欠ということらしい
宮座も発達していた。
商工業が発達していてコミュニケーションの機会も増え、磨かれていく。
西では言語依存症が強くなるというわけだ。

結論は何かというと、
あの人は、
ぶっきらぼうで、まわりくどい、
と評価する時に、
なんであんな性格なんだ!と
という風に評価しがちである。

しかし、その話し方、しいては仕草、クセは、
実は、性格・DNAによるのではなく、社会制度、風土からくる社会的な産物だということである。
エリアによって異なる社会・文化の構造の差が、
色濃く言葉の表現に表れる。

その人の性格からくるものは無いとはいわないが、
別の社会的、文化的な要因がかなり大きいと言う事実が重要である。
これはエリア差だけではなく、世代差、年代差、性差、職業差、ライフスタイル差・・・・にもいえることである。

広告的に言うと、表現コピーは、
例えばエリアによって変えたほうがよさそうと言うことになる。
これをどう克服するかは、かなり検討に値するテーマといえる。

更に、重要なことを指摘したい。
外形である、言葉(ワード)そのものをどうするかだけではなく、
これらの7つの言い方の社会的なクセ(習慣・文化)について知っておかないと
コピーはもちろん、ビジュアル表現も、さらにその背景にあるシーン設定についても、
そのエリアの人にはぴんとこない可能性があると言うことでもある。

そもそも方言ひとつとっても、その言葉の言い回しが表面的に違う、
と言うことだけを取り上げても意味が無いということを示している。
その言い回しの奥にある社会・文化的な背景こそが重要と言うことである。

小林教授の論文は、
極めて本質的な問題提起をしてくれているように思う。

C. 最終的なクリエイティブ表現の決定:

昔のサッポロビールの有名な、
「男は黙ってサッポロビール」という、
キャッチフレーズ案が目の前にあったとして、
どのように評価すべきか考えてみる。

最終的な表現案として、
どういう表現を採用しようか、
というマーケティングマネジメントのあり方が問われているとしよう。

このサッポロビールの例で言えば、
昔、三船敏郎さんがキャラクターとして、
「主張した、直裁的な、自暴自棄的なキャッチフレーズ」は、
事前調査では、自己主張を好むエリアでは大いに受けたとしよう。
一方、受身的なエリアでは、鬱陶しくうつる可能性が高いが、
逆に、それが印象に残る可能性もあるという評価がでたとする。

結局、当該表現が採用になっていく過程の検討で、
キャッチフレーズへの評価の背景が、
実はエリアの社会・文化によるものだと言うことが、
わかって判断するのと、しないのでは、
最終的に紡がれる表現案のマーケティング効果に雲泥の差がつくということである。

一般論的にいえば、
ある言葉を考える時には、
「言葉の7つの評価視点」から見て、
どのようなインパクト、ハレーションを、市場・ターゲットに与えるのだろうか?
と、
多様な視点で考えるみることが重要ではないかと思う。

いい印象か?/よくない印象か?、
微妙なニュアンスで伝わるか?/明快につたわるか?・・・・・・

等々

いろいろな視点から判断することで、
深い表現にブラッシュアップされていくように思う。

例えば、良くない印象を与える表現が、決して悪いと言うことではなく、
それが良くないと言うことで逆説的にコミュニケーションとしてインパクトがあると判断されると言うことがあっても良い。

正負の多様性、意味の多様性・・・・・
いろいろな判断軸が総動員されて最終表現が決定されていくというダイナミズムが求められていると思う。

小林教授の論文はその足がかりを与えてくれているように思う。

この稿で言いたいことは、
言葉はいろいろな影響を与える、と言うことを前提にたって、
最終表現は、
多様な解釈の空間の中でつむぎだされることが重要だということである。

TVCMでいえば、15秒で勝負しようとしている。
成功へのパスは極めてナローである。
もっと、言葉とその背景にある15秒のシーン設定について、吟味し、熟慮をしなければ
極めてリスクの多い買い物をすることになるだろう。

広告コピーだけでなく、
商品のネーミングでも同様である。
販促のコピー、カタログでのコピー、WEBでの表現等々
でも同様である。

小林教授の論文はエリア差について論及しているが、
マーケティング的には、
エリア差だけでなく、ライフスタイル別、コーホート別(世代別)、社会ステータス別・・・、
などの視点でも応用が利くものである。

この稿終わり

コメント
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