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 日経の大フライング?日立と三菱重工の統合「大発展時代の幕開け」?

2011年08月31日 | Weblog


■ 日経の大フライング?日立と三菱重工の統合「大発展時代の幕開け」?

はじめに:

日立、三菱重工の2社は統合へと向かう!
この記事が出たのは8月4日である。
これが間違いだったようだ。

日経朝刊としては、久しぶりに一面で大スペースを割いた記事だった・・・?

両者の提携・統合について、
火の無いところに煙は立たない・・・・・?
何かの兆候があったことは間違いない。
しかし取材がキチントできていたのかが問われる?
また、記事が先行して、
両者の提携・統合検討当事者がびびってしまい、
進み始めていた話を後戻りさせた、ということがあったのか?
それとも、もともと小火(ぼや)程度のものだったのか?

本当のところは分からない。

真偽はともかくとして、
このような大型の提携が待望されている、
社会的、経済的な背景は間違いなくある。

筆者のような上年代のものにとって、日立、三菱重工といえば、
日本のよき時代・高度成長時代を牽引した「重厚長大」産業の雄である。
その後、「軽薄短小」、「バーチュアル&リアル」といった、
時代を象徴する産業キーワードはいろいろと登場してきたが、
「重厚長大」は、特別な感傷を抱いてしまうキーワードである。

今回の話は、極めて重大な経営のTOP案件である。
日経の編集会議の中でも、
当該記事をあれほどの大きさで扱うことについては、
上年代の編集委員クラスと、若年代の現場記者との間で、
取材の真偽も含めて相当な議論があったことは想像に難くない。

今回の記事は、
それほど大きいネタであった。
日本経済の転換が叫ばれて久しいが、
そのパラダイム変化を象徴する、時代象徴的な案件であった。

A.日立、三菱重工、提携・統合の意味とは:

このところ大型の企業提携・統合の話が目につく。

このような大型提携・統合の話がでてくる背景とはなんだろうか?
今回の記事の真贋は別として、今回の記事の内容から考えてみる。

このところの大型提携・統合の動きには、
企業の経営・マーケティングを考える上で重要な
「3つのS」(スケール、スピード、スコープ)といわれる概念が
関わっている?

今やグローバルの時代である、といわれて久しい。

一つ目の事例:
昔、新日本製鉄は世界NO1の鉄鋼会社であったが、
今はビタルである。
世界中でM&Aを繰り返しあっという間に世界一になってしまった。

一見してスケールだけが優先されているように見える。
ビタルの場合は、
確かにスケールが大前提ということはある。

しかし、単純に大きいということではなく、
その大きさが、
スピードの速さ、スコープの柔軟さをもたらしている、
という側面は見逃してはならない。

グローバル経済の発展で世界中に需要が筍のように発生している。
コロンブス時代の「大航海時代」ならぬ、
「大発展時代」の幕開けともいえる状況にある。
ASEAN、BRICS、中東、アフリカと世界は発展途上国の勢いで、
世界の経済フレームがつくられている。

この旺盛な需要にこたえなければならない、となると・・・・、
世界に生産、物流、販売の拠点を設けなければならない。

それがあれば、世界の様々なオポチュニティの発生にスピーディに乗ることができ、
しかも局所的に生ずるリスクも他のエリアでヘッジすることもできる。
また、スコープの調整もスムーズに出来ることになる。

常に収益を最大化、最適化するというメカニズムが、
ビタルの中にビルトインされている。

二つ目の事例:
昔はドメスティク企業の典型であった小売業、食品会社は、
日本の厳しい消費者に鍛えられ、
過剰ともいえる製品品質を実現している。

超高品質を実現する製造・物流・販売のトータルシステムをもっている。
アジア・欧米で、その既存商品・既存技術を水平展開している。
最も分かりやすい規模中心のマーケティングの展開である。

その流れの中で、
現地ローカルの飲料会社、食品会社をM&Aする話は、
毎日のように記事となっている。


B.日立、三菱重工統合のグローバルな背景:

以下、日経の記事の骨子である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日立、三菱重工の2社は、
2013年の春に、ホールディングカンパニーを作って、
中核事業を統合する。
インフラ、環境・エネルギー分野での統合になる。
具体的には発電、鉄道等々が俎上に上がっている。
両者の統合で表面的な売り上げ高は12兆円規模になる。
しかし、世界にはGE・・・・・といった大きな同業会社がひしめき合う。
予定される利益率ROE(リターンオンエクイティ)は一桁台でかなり劣る。
10%を超える競合に比べると見劣りする。

世界のGDPの伸びはこれからもBRICS中心に高く維持される。
またバングラディシュも含めた第二の途上国もどんどん発展してくる。

世界のインフラ基盤整備、エネルギー開発分野はこれからが本番になる。
実は、これらの分野には、上記のような世界の大企業が、
昔からエントリーして実績を残している。
日本企業が単独で世界の雄と戦うビジネスモデルは、
もはや通用しない時代になってきた。

その象徴として両者の提携話があった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
といったところが記事の概要となる。

日本の企業が、単独で高品質を武器に挑戦しても、
コンペでは勝てない状況が続く。
韓国などは、インフラ整備事業に数十年ものアフターケアを政府主導でおこなう、
という大胆なフレームで受注増に励んでいる。
政府は民間企業の成約を徹底的にサポートする。

日本では、地方分権の流れの中で、
政府の役割は外交、防衛、国民福祉等々と狭く限定しようとの動きもある。
国民生活の安定と発展ということ、
外交の意味を広く貿易・交流の発展ということまで取り込めば、
経済外交、首脳先導の経済活動は政府の重要な仕事になる、
という意見もある。

アメリカは民間の自主性を尊ぶお国柄である。
民間活動の活性化で大衆の生活がよくなるなら、
自由主義を標榜しながら、時には輸入制限も辞さない国である。

世界を見渡すと、
・ 巨大プロジェクト
・ 超ハイリスク事業
・ 長期アフターサービス事業
・ 超複合システム事業
・ 超ハイテク事業
・ インフラ事業
といった特徴を持つ産業カテゴリーで、
グローバル経済の発展に伴う大型の引き合いが目白押しとなっている。

具体的には、
原子力発電、都市建設、鉄道事業、巨大プラント建設、コンビナート建設、資源開発事業・・・・・
等々である。

これらの受注は国際間の、グローバル企業との競合になる。
また政府を巻き込んだ政治的な競合にもなる。

世界の規模からみれば、
日本のひとつの企業の規模、ノウハウでの受注の確率は極めて小さくなる。
何社かの知恵、人材、ノウハウの集合体と政府の支援によるコンペ参画が不可欠である。

コンペで受注するために、
コスト競争力、アフターサービス力、収益力、コアコンピータンス
等を高めることが不可欠である。
その切り口はT,S、Hになる。

T/時間軸:スピード、アフターサービス、保証の期間
S/空間軸:インフラ全体にかかわる地理的な広さ、グローバルな資源、パーツの調達
H/人間軸:人財メンテナンス、人材の多様性確保、人のローカライゼーション

これらをマネジメントするノウハウ・テク、マネー、体制・組織は、
半端なく大きなものになる。
一社の単独マターではありえない。
日立、三菱重工の統合は間違いなく必然ということになるのだが・・・・・・??


C.日立、三菱重工提携・統合のKFS(KEY FACTOR FOR SUCSSESS)とは:

当該記事を読んで感ずるところがあった。
この提携・統合話がもし進んでいたとしたら、
最終的にはうまくいったのだろうか?

客観的にみると、
両者はいろいろと難儀なことが生じても、
それらをしのいで、統合を成功に導くことができた、
と筆者は考えている。

以下、その理由である。

・外国のインフラ整備等の大きな中核事業で、
お互いの強みを生かして、弱点を補って、
一緒にやりましょう、という話しはこれまでも何回もあり、
ジョイントベンチュアなどの体制を組んで十分に経験を積んでいる。
この種の提携・統合は、
大企業が過去の続けてきている、
企業間提携の範囲での話しであり、
とっくに経験済みであり、カルチャーショックをうけるような怖い話ではない。

・メリットのあることを共同でやる、
ということは、合併ではないのでうまくいく。
中核事業をホールディングカンパニーをつくって、
一部の事業から統合していくというのは、
形は違えど経験済みであり想定の範囲の話である。

・一社では取れない確率が極めて大きいということもあり、
互いに争っている場合ではない、
という切羽詰まった事情があり、これも提携・統合の成功への追い風になる。

・原発事故という背景がある。
原発事故で日本ブランドが傷み、
他の大型事業のマネジメントノウハウ、基本技術・ノウハウも、
雲がかかったような見方をされ、翳りが生じている。
両者、力を合わせて、
日本ブランド毀損の障害を少しでも和らげていこう、
という意味が働く。

いろいろな角度から見て、
両者の一部中核事業の提携・統合は、
問題なく進むということになる、のだが!?

しかし、評論家的には、正解のことでも、
人間のやることになると、なかなか簡単にはいかない、
ということになる。

また次のことも、
この提携・統合話が、フォローの風にのる材料ではあったのだが・・・。

もともと日立も三菱重工も巨大企業であり、
社員は日立、三菱という在籍証明はあるものの、
事業部が異なれば、会社生活の中で一度も会わすに退職する状況にある。

同じ会社とはいえ、異なる事業風土(一種の職場風土)で過ごして定年を迎える。
まったく異なる会社の従業員といってもいい。
日立、三菱重工は、
もともと違う会社の集合体という感覚の大組織である。

従って、
実際には、今回の提携・統合の話には大きな違和感はない!
というのが社員の本音だと思う。
ただ、あまりにも大きな話であり、
大会社がつながるということの心理な衝撃があったことは容易に想像される。
特に役員層で、
若い頃入社して定年近くまで慣れ親しんできた会社が、
異なる会社と一緒になる、ぶつかり合うというエネルギーは、
半端ではなく大きいもの、
と感じられたのは事実であろう。

兎にも角にも、両者の提携・統合という話は幻に終わった。


D.国内再編と世界進出の本質とは:

『大発展時代』の経営・マーケティングの有り様とは?!

日立、三菱重工の2社は、国内マーケットで、
自治体、国のインフラ企事業、電力会社、鉄道会社と安定的な絆で結ばれ成長してきたが、
この失われた20年間は、
そのまま両者の減速の20年間だったともいえる。

これからは海外で受注するという選択が不可避のものになる。
そこしか成長の目はない。

日本企業は消費者に育てられたとよく言われる。
厳しい消費者の目にかなうように、品質の向上に努めてきた。
それが『日本品質』である。
しかし国内は過当競争がつづく。
不毛な小さいことの差別性にエネルギーを使うより、
国内再編に尽力して、
世界に進出して大型案件を受注し、
世界の『大発展時代』に貢献することが重要である。

国内再編は不可避である。
韓国と比べてGDPに対する企業数が多すぎる、
という指摘はよくある。
乗用車、総合電気しかりである。

『大発展時代』というメガトレンドの中で、
この日立、三菱重工の統合は国内企業の再編の呼び水になれば
との期待が高まっていたことは事実である。

最後に、
スケール、スピード、スコープの「3つのS」について、
マーケティング的な観点で簡単に整理すると、
以下のようになる。

・ スケール:
規模が大きくならなければ収益の絶対額、率もあがらない。
マーケティング投資もままならない。
規模が小さければ、シェアが下がりいいポジションがとれない。
やがて事業終了・市場からの退場ということになる。

・ スピード:
社会、マーケットの成長・衰退のスピードは極めて速い。
ニースの変化・進化・深化も半端なく早い。
それに追いつかなければ、競合に負けサステナブルな事業にはならない。

・ スコープ:
「選択と集中」が、マーケティング投資の効率を高め、収益性を改善させる。
事業領域とそれに対応するマーケティングノウハウの範囲はどんどん変わる。
それを的確に見極め経営・マーケティング資源をシフトさせていくことが重要である。

「3つのS」は、
企業の単純な経営・マーケティング手段(ツール/ノウハウ)ではなく、
「大航海時代」ならぬ
『大発展時代』の経営・マーケティングのクリティカルポイント、クリティカルパス
である。

この稿おわり

追記:
この両者に限らず、
重厚長大の大型提携・統合・合併案件は、
今後も紙上をにぎわすことは間違いない。
もしかすると、
日立、三菱重工が復縁か?、
という記事が大スクープされる日が来るかも!
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■ アラフォー世代!元気な団塊ジュニア、40歳前後のマーケティング!

2011年08月23日 | Weblog
■ アラフォー世代!元気な団塊ジュニア、40歳前後のマーケティング!


はじめに:

本稿のモティーフは「アラフォー」である。

アラフォーが元気だ。
スピードスケート岡崎朋美選手、39歳が、
6回目のオリンピックに挑戦するという。
長野オリンピック女子500Mスピードスケートでは、
銅メダルを獲得している。
赤ちゃんはまだ6ヶ月という子育て真最中での決断である。

筋肉は覚醒している感じだという。
筋肉は、
まだうずくよ!頑張れ!と岡崎選手に訴えたのだろうか。

アラフォーの岡崎選手。
39歳というのに若々しい容姿である。
記者会見も溌溂としていた。


A.アラフォー・団塊ジュニアとは:

団塊ジュニアとは、団塊世代の子供達である。

・ 団塊世代とは、
1947年~1949年生まれの
第一次ベビーブーム世代で世界最大の人口ボリュームゾーン
・ 団塊ジュニとは、
1970年~1974年生まれで団塊世代の子供達で、
毎年200万人以上生まれた世代であり、世代人口は960万人に達する。

団塊ジュニアは、
いま流行の言葉でいえば40歳前後の「アラフォー」である。

どんな人がいる?
竹之内豊、木村拓哉、貴乃花、イチロー、松井秀樹、
藤原紀香、宮沢りえ、松雪泰子、松嶋奈々子、森高千里・・・・・
心身ともに充実したタレントが目白押しである。

団塊ジュニアの生活の価値観とはなんだろうか?
10代の頃にバブルを経験し、思春期に豊かな時代を刷り込まれている。
人生に対してアグレッシブで楽観的である。
気持ちはかなり若々しい世代である。
少年ジャンプなど少年誌のブームをつくり、
コンピューターゲームなど若者文化の発信者でもあった。

一方、バブル崩壊後の就職氷河期を経験し人生の挫折も味わう。
(貧乏くじ世代とも呼ばれる)
天国と地獄?を味わっている複雑な世代で、消費は案外堅実と言われている。
MUJIのような実質的な機能ブランドを好む傾向もある。


B.元気印な人・アラフォー女性:

お叱りを覚悟で言うと、
一般的には、
40歳といえば、
おばさんの後半に突入と揶揄される?!
らしい。

この認識は改めなければならない、
と思う。

森高千里は、
「わたーしがー、おばさーんに、なーあっーてもー♪」
とうたって大ヒットとなった。
彼女は、今、「おばさん」ではなく、
若々しい雰囲気でテレビにも出演している。

いまのアラフォーは、どんどん綺麗になっている。
魔女と呼ばれることもある。

昔とちがって、
女性が家庭に入り込み、奥様・母親になり良妻賢母として生きる
というライフスタイルはない。
奥様という言葉はほとんど死語同然である。

今や奥様は、
外様(外で活躍)になっている。

集様(集まってパーティ)、味様(グルメの追及)、幸様(ハレの追及)、巧様(便利グッズ活用)・・・・・・、
と「しんか」(進化、新化、深化)している。
女性は「娑婆の空気」を吸って生き生きと生きている。

社会で、職場でストレスもたまるが、逆に磨かれ綺麗になっている。

世間でよくいわれる、いわゆる「ぬかみそ臭さ」がない。
洗練された女性として君臨?している。

サプリメント、食事の栄養価、化粧品の品質の向上、エステの進化、
もてたいという女性心理の増幅等々、
社会の成熟化により整ってくる諸条件が今出揃い、
女性をフルにサポートしている。
アラフォー女性は、
ますます綺麗になっていくという社会構図になっている。

商品購入における女性の決定権限の強さも半端なく強い。

一見男性中心の商品と思われがちな車、住宅(マンション含む)でさえも、
女性が主導権を握る。

お金は男性が出すにしても、
普段車を使うのは女性、家の中で主体的に過ごすのも女性である。
デザインの嗜好から、ソフト(使い勝手性)まで女性が、
自分で使いやすいように、気持ちよく使えるようにどんどん決めていく。

最近では女性専用の耐久消費財もたくさん出てきている。

パナソニックの女性商品開発にチームの話。
女性ターゲット向けのデジカメから、
ついに黒というカラーがなくなってしまった。
女性商品開発チームが黒はいらないといったら、
それが社内の稟議で通ってしまう状況にある。
保護ケースのふたの裏の生地にもこだわり、
女性が好きそうなかわいい模様をいれたりする。

折りたたみのボタン式のスマートフォンがでた。
(長い爪の女性でもボタンタイプなので使いやすい)
女性専用アプリも登場している。

消費者の半分は女性なのだから、
男性優位の商品開発の量は半分になっても、
まったくおかしくはないのである。

そういえば、
欧米では、大きな企業の役員の3-4割は女性で、
という法律が通るという。
現状もそのような感じになっている。
日本では、上場企業の女性役員の構成比率は、
全役員の1%にも満たない。

日本の女性の活躍は、
まだまだ、家庭内、会社の下部・中間組織層に限られているが、
今後は、上層部への社会進出がより顕著になってくるように思う。


C.消費世代という概念:

40台は消費世代とよばれる。
この世代には大きな特徴がある。

40代の標準世帯(夫婦と子供世帯)は、
成長して消費量が最大化する年代である。
家族が皆大きくなり、
食、教育、レジャー、住宅、ハウスキーピング、車、家電の購入・使用が
最大化する。
要するにお金がかかる年代・世帯ということである。

実はそこに人口のボリュームゾーンが突入するとバブルが生じる、
というのが消費世代論の本質である。

80年代のバブルは、
団塊世代という人口ボリュームゾーンが、
40代に突入したことで起きたものである。

超金融緩和で金余りになり、
不動産、株を買い漁り価格を高騰させた
ということだけが喧伝されているが、それは本質ではない。

本質は消費世代論で語られなければならない。
消費というGDPの根底が、バブルであればこそ、
金融商品・不動産もそれにつられてバブルになる
といえる。

団塊ジュニアというボリュームゾーンも、
一部はこの40代に突入している。

前回のバブルを起こした40代の団塊世代は、
標準世帯(夫婦と子供世帯)が中心である。
その標準世帯が、消費を牽引し急激に消費を膨らました、
という前回の超バブルのようなことはない。

団塊ジュニアの40代には、
ひとり暮らし、夫婦二人も多い。
団塊世代の超バブルのような激しいインフレーションは、
起こらないかもしれない。

しかし、人口のふくらみは前後の世代よりはるかに大きく、
ミドルなバブル?を起こし、
消費・社会を牽引していくことは間違いない。

日本でも久しぶりのバブルが生じるということは、
記憶に留めて置いてよい。

因みにジュニアのジュニア、第三世代はどうだろうか、

人口構成曲線をみるとそこの人口はわずかにしかふくらんでこない。
団塊ジュニアには、
未婚が多い、DINKSが多い、子供を産む年齢が分散して「かたまり」になりにくい、
などの理由があるからである。

団塊という言葉は、
アラフォー・団塊ジュニアを最後に死語になる可能性がある。

ただし、人口曲線上では見かけ上膨らんでいないだけであり、
実際のジュニアの子供は、
その周辺の世代の子どもに比べれば一番多く、
そのような団塊ジュニアのジュニアという属性でみれば、
充分に面白いマーケティングが可能である。

団塊ジュニアの消費行動で、
もうひとつ見ておきたいことがある。
団塊世代と違って、
逆にいろいろなタイプのライフステージ、ライフスタイル、タイフスキルの人が存在し、個性豊かな消費文化を作り出す可能性がある、
面白い消費社会が現出してくる可能性がある、
ということである。

メーカー・小売はそれにどのように乗っていくか。
乗りそびれは収益のチャンスを逸することになる。

団塊ジュニアは、
団塊世代のように線形でカローラから終わりはクラウンで
というようなクラス感だけで消費を決めることはない。

よくマーケティングのテクニックで使われる「クラスター分析」が、
団塊ジュニア世代ではかなり実務的に有効となり、
面白いマーケティング、ブランデングができる可能性がある。
団塊ジュニアの価値観は多様化しているので、
クラスター分析が機能しやすい状況にあるといえる。

団塊ジュニアをどう取り込んでいくかは、
向こう5年間の最大のマーケティングテーマである。


D.アラフォーとはどんな女性?:

広くは35歳から45歳までの女性層を指す。

アラウンドフォーティー(40歳前後)の略。
流行語にもなった。
この層を狙った女性雑誌がたくさん創刊されており、
いまや、マーケティングの旬である。
今、消費の多様化・個人化がすすんでいるといわれているが、
恐らくアラフォーが最後のマスでものを売りさばくことが出来る層になる。

思春期にバブルの先例を受け、豊かな消費を素朴におおらかに許容する気持ちがある。
今ここを雑誌各誌が狙っている。
GLOW,STORYなどが、
大人なのにかわゆくてきれいな女性像をイメージして雑誌をつくっている。

女性は、
どんどんきれいにかわゆくなっている。

男性はそれに比べてどんどん疲れてくる。
家族を養う責任感、社会的な競争で勝ち抜く競争感の中で消耗していく。

総合職で活躍する女性の大変さは男と同様のものがあるが、
一般的に女性はのびのびと生活を楽しんで、
プライベートも充実させて女を磨いているのである。

この稿おわり

追記:

「人口ボーナス」期とは、(15~64歳人口)/(~15歳+65歳~)の値が2以上で経済・労働の主体が多く、非生産人口を支えやすい期間のことをいう。
日本を見ると、高度成長期は人口ボーナス期であり、

今は人口オーナス期である。
BRICSなどの新興途上国はこれから人口ボーナス期を迎える。
団塊ジュニアは、親である団塊世代の老後をみなければならない。

ミクロレベルで各家庭をみると団塊ジュニアは憂鬱な世代でもある??
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■ NO1の凄さ、スパコン・京、トヨタのマーケティング的な意味!

2011年08月10日 | Weblog
■ NO1の凄さ、スパコン・京、トヨタのマーケティング的な意味!

はじめに:日本の世界NO1いついて

ここ数年の、日本の世界NO1をみると・・・・・!

・トヨタは車の生産台数でGMを抜いて世界一に
・惑星探査機はやぶさが、世界で最初に小惑星に着陸し岩石の標本をかかえて帰還
・東京スカイツリーが世界NO1の電波塔に
・ スーパーコンピューター「京」が計算速度で世界1に

中々のものである。

実は世界一の学問的功績を競う理系分野のノーベル賞では、
日本人はかなり頑張っている。

キーデバイスでも、
日本の大中企業の世界シェアNO1のものはたくさんある。
その部品がなければ世界中が困るという状況は枚挙に暇がない。
今回の大震災でも車のキーデバイスの生産がストップして、
世界の車アセンブリーメーカーが立ち往生した
という話を聞く。

日本には世界一が結構ある!!

A.NO1であることのマーケティング的効用:

NOIそれも世界NO1というのは、
どの位の価値・意味があるものだろうか。

これはマーケティングの基本の基本のテーマである。
以下、NO1の効用である。

1.インナーモラル/インナーリソースの向上:
・ 社内や協力企業のモラルが上がる、自信がついてくる。
自信は創造性、生産性の向上に繋がる。
・ 優秀な人材、スタッフ、協力会社が集まってくる。

2.ブランドイメージの向上:
・ 社内外で企業イメージがアップしてくる。
・ 周囲(世界)の日本を見る目が違ってくる。良い意味での過大評価が生じてくる。
(日本ってすごい国なんだ!日本のものは間違いがない、創造性に富んでいる!!)

3.コミュニケーション効果の向上:
・ だまっていてもマスコミがPRしてくれる。
・ 広告表現が正のハレーションを生じさせる。
(内容がいい方向へ解釈される)

4.選好性の向上:
・ 同一品質ならNO1ブランドが選ばれる。
/同じ価格なら高品質に見てもらえる。
・ 価格が多少高くても購入してもらえる。
・ 目の前に2つのブランドが並んだ状況では、
価格差が2割ぐらいあっても、高いNO1ブランドが選ばれる。

5.ネゴ力の向上:
・ 企業間取引で有利な条件が引き出せる、有利に商談が進められる。
・ 初期の検討セットブランドに必ずエントリーされる。
人はNO1のものをます検討商品群のセットの中に必ず入れて検討に入る。
(初期の段階であらゆる商談でエントリーされる)
・いいブランドは品質も良いという評価が定まるので、
人の人格、セールステク、その他ヒューマン系資源のばらつきがあっても有利な商談が展開出来る。
・同様に、商品以外のマーケティング品質が多少弱くても、
販売実績を出すことができる。
(但し、これが高じると技術偏重、ブランド偏重的な土壌を生むことにもなり要注意である)

等々である。

NO1は最高・最大・最強の経営・マーケティング資産である。
一歩ぬきんでた、有利なハンディキャップを持った状態から
競争をスタートさせることができる。


B.NO1の義務(リスク):

NO1にはCSR的な義務が生じてくる。
それはリスクと言い換えても良い。

NO1には、責任が重くのしかかる。
世間からの風当たり、競合の圧力も強くなる。

例えば、トヨタ。

トヨタが生産台数で世界NO1になるか、ならないか、
という微妙な時期に、
トヨタアメリカの副社長クラスの幹部がセクハラ問題で告発された、

またレクサスのブレーキ問題、IT機器周りの不具合問題で、
激しく攻め立てられた!?

これは米国がトヨタを標的にして陰謀を巡らしたということではなく、
そのような悪材料がでてくると、
それに便乗する形でマスコミ、国をあげてのキャンペーン的なムーブメントが
作り上げられることを意味する。

トヨタの場合は、
実際にそのような渦中に見事に置かれてしまった。

トヨタは販売実績で後塵を拝する場面が、当然の如く増えてきた。

この間GMが政府の支援をうけながら回復していった。

オバマ大統領の主導により、
民主党支持の大票田である車系組合への配慮がなされたとの解釈は当たっている。
また、アメリカは世界最強の国であり、
その象徴である世界一の製造業GMが痛んでいくことは、
アメリカの心情として耐え難いという側面もあった。

一方で議会を中心にGMの放漫経営を追求し、
健全な自由主義、市場主義の伝統を守ろうとする勢力もあった。
しかし、現実はGMを、政府の関与によって見事に立ち直らせることになった。
民主主義の権化のアメリカで社会主義的対応がとられた!
ということは重要なことである。

アメリカは、
自国の都合でいろいろなスタンダードをたくみに使い分ける、
したたかな国である。
国益、大衆益ということを露骨に具現化する国である。
Wスタンダードの国といっていい。

話はトヨタに戻る。

今ごろになってトヨタのレクサスのITには不具合は無かったという結論になった。
トヨタは無罪放免になった。
しかし散々言われたい放題いわれて、
事実上のビジネスは踏んだりけったりであった。
大損害である。
いまさら何をいわれてもというのが当事者の気持ちであろう。

米国は典型的な民主主義の国である。
大衆が関心を呼ぶことに傾斜した態度を示さないと、
次の選挙では戦えない、危ないという議員心理が働く。

GMがつぶれて、ますます経済が劣化する、将来に希望が持てない、
という感覚を大衆が抱く、
また、世界一の製造業だったGMがつぶれるということは、
耐え難いものとして捉える、
という空気の時に、
最終的にはGMを救済しなければ国がもたない、
という結論になつたといえる。

一種のスケープゴートである、
という感覚も間違いではない。
一位になったトヨタは、ひどい目にあった。
一連の試練は、トヨタが一位にならなくても訪れたものなのだろうか。
もしかすると様相はやや違ったものになっていたかも知れない。

このトヨタの話は、
NO1という地位の重さは、
経済的、経営的な重さもさることながら、
社会的な責任の重さを背負うという自覚を企業に求めている、
ことを示している。

会社はNO1になった瞬間に社会の公器になる。
その業界の代表選手であり皆のあこがれの的になる。
嫉妬の的にもなる。
目立つがゆえに社会の監視の対象になる。

単純に、売り上げで、利益で、シェアで世界一になったからといわれて、
喜んではいられない。
すぐ後ろから追われる立場になる。
NO1を維持するためには、
技術、マーケティングの不断の革新がいる。

同時に、
社会の中で生かされているという市民感覚が求められる。
トヨタの事例は、
このソフト的な市民感覚が、
もっとも大切という教訓を残した。

NO1を維持するには、
世界一になる以上の、多様な努力・苦労が求められる

C.スーパーコンピューター「京」の話:

2011.6.11、あの大震災の3ヶ月後に
スーパーコンピューター「京」が計算スピードで世界一を達成した。
2012の完成時には、1京(1兆の一万倍)の計算を一秒の間にするという。
人智では理解できない領域である。

民主党蓮舫議員の、
“NO2ではダメですか?!”
というあの有名な台詞が思い出される。
民主党の目玉政策、事業仕分けの議論の中で、
スーパーコンピューターへの予算配分が俎上に上がった時の話である。

あの時の屈辱?を胸に秘め、
それを発奮材料にして、理化学研究所、富士通のプロジェクトメンバーは頑張ったという。
今回の計算速度NO1は二位の中国に断トツの差をつけてのNO1である。
スパコンはどんどん進化している。
何と、今のパソコンは20-30年前のスパコンと同じ性能を持っているという。

素朴な話として、
スーパーコンピューターの意味とは?
どのような位置づけの科学領域になるのだろうか?

「理論」を構築し、それを「実験」で証明ということを繰り返して科学は発達してきた。
コンピューターの進化で、
新たに、「シミュレーション」という科学領域が誕生した。
コンピューターの計算能力を使って、
実際にものをつくって実験をしなくても、
かなりのものが創造できる時代になった。

「シミュレーション」は、
理論、実験という伝統的な方法論に加えて、
今や、「第三の科学分野」と呼ばれるようになっているらしい。

スーパーコンピューターの進化で、
シミュレーション分野が大きく華開いた。
創薬、気象・環境予測、安全性技術(車、航空機)、新素材開発、宇宙の解明
等々、
超複雑な変数が関与している分野、不確定な変数が絡む将来予測の分野での
貢献は計り知れない。

因みに「京」は、一定の条件を満たせば、
誰でもほぼ無料?で使うことができるという。
これを中小企業にも使えるようにして、
日本のインフラを形成している中小企業群の研究開発に寄与しようとの動きもある。

スパコンの開発には半端でないお金、知恵、手間が掛かる。
国を上げてのサポートが不可欠である。
今後の「京」の後の話になるが、
予算を潤沢にとって、人材を投入して、
いけいけどんどんで、その品質・性能を向上させるという状況にはないという。
予算上は、難儀な話になっていると聞く。

昔の面白い話。

大学の予算をつかさどる経理の人の話がある。
物理部門はでかい実験装置、検査装置などお金が掛かりすぎる、
数学部門を見習え!
といったという。
物理部門はやたらと、高い大人のおもちゃを欲しがる、
数学部門は紙と鉛筆と消しゴムがあれば、それでOKなのに、
ということらしい。

しかし、今やコンピューターという半端ではない道具ができて、
数学屋もすっかり味を占めてしまったようだ。
スパコンという道具で、
超大量、超スピードの計算が出来るようになり、
数学の難問にトライすることの魅力に取り付かれるようなったといわれる。

D.最後に:

NO1という響きは妙に心地よい。

上り詰めたという感覚が、
ある種の麻薬的な達成感、快感をいだかせる。

勝ったという単純な高揚感だけではない、
社会に対して何らかの関与ができる、
そのような市民感覚的な貢献感の味わいも大きい。

NO1は、
それを目標にした時から、
異常なエネルギーの高揚が生じ、
皆のこころを鼓舞する。
一番になりたい、
という素朴な感情はだれも止めることができない。

一番じゃなければダメなんです!!??
蓮舫さん

この稿おわり

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