日経新聞・MJ・日経ビジネス ・宣伝会議に学ぶ商品マーケテイング理論・・・篠原まーけブログ

日経新聞、日経ビジネス、日経MJ、宣伝会議の商品記事をケーススタディ化!
事例研究でマーケティングスキルのUPを!

■ ananのマーケティング、丁寧さの積み上げでブレーク!AKB・こじはるの威力とは!

2013年06月26日 | Weblog
■ ananのマーケティング、丁寧さの積み上げでブレーク!!
こじはる(AKB小島陽菜)の表紙で65万部達成、その裏側は?

はじめに:ananの編集方針について

「新週間フジテレビ批評」(フジテレビ/土曜の朝、5:00の番組)
という番組がある。
フジテレビの放送済み番組をレヴューしながら、
社会トレンドに迫るという趣旨の番組である。

この番組にanan編集長・熊井昌広氏が出演し、
若い女性の感性について触れながら、
ananの女性読者を獲得するノウハウ、考え方について語っていた。

その話、
今のマーケティングパラダイムの変化を、
よく示す話だったので、本稿で紹介することとした。
(後段で紹介)

anan編集長の熊井氏は、雑誌のヒットメーカーである。
番組紹介欄では、熊井氏は以下のように紹介されていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『女性の心をつかむ情報発信術:
創刊から43年、雑誌界をリードする「anan」編集長が語る、
女性読者をひきつける企画術とは』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ananの成功は、
ズバリ「丁寧な作りこみ」に尽きるという。

A.丁寧さの秘訣/その1:特集のタイトルづくり、

特集はその号の売れ行きを左右する。
特にタイトルのつけ方はもろに影響する。
ananの特集タイトルでは、「女性を少しだけ手助けする」感覚を
さり気なく入れることに気配りするという。

■ 例えば、昨年の10月号
・タイトルは、
『自分史上最高の脚とお尻になる』
である。
超ハイなピンヒールの「脚のパーツ」だけのビジュアルが、
いやみなく処理されている。
・特集タイトルの上に、ハート型の吹き出しがある。
そのハートマークの中にさりげなく
「下半身デブ卒業します」、
という小さな文字がはいっている。
・表紙の上部には、「10日で脚とお尻を美しく!」と、
ゴール感、目標達成可能感を漂わす。
・表紙の右横には「美脚NO1、石原さとみ」という文字も入っており、
人気タレントの理想の実例の紹介も忘れない。

■ 長澤まさみの号
・タイトルは、
『美脚、美尻、パーフェクトガイド』
彼女のネームバリューで、
素の表情で、腰まで足を出している表紙は、
かなり女性の本気感に火をつけたようだ。
小さな文字で、「O脚やX脚、たれ尻は直せます!
という少しの脅かしビックリコピーがうまく配置されている。
「美脚と美尻を手に入れる、奇跡のメソッドと下着!」
というソリューションへの予兆感も入っている

■ こじはる(AKB小島陽菜)の号
タイトルは
「感じあう、SEX」
である。
女性が本音で知りたいことをさり気なく、
しかしはっきりと言い切る姿勢が受けたようだ。
表紙の上部には、
「高まる気持ち、深まる関係・・・最高のSEXとは?」
と言い切ったコピーも入っている。
こじはるの紹介で
「小嶋陽菜/無意識のエロティシズム」
という小さな文字も入っている。
AKBのこじはるは大人の女性になっている。
化粧品の広告にもでてAKBの中でも異色の存在である。
彼女を起用しての特集であり、話題を呼んだ。

■ 男性問題を取り上げるときは、
女性誌では珍しく男性のタレント、俳優、アーティストをとりあげる。
福山雅治、長谷部誠、三浦春馬、綾野剛・・・・・・
イケメン、美形をそろえる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
anan のバックナンバーの特集タイトルは以下の通り。
下記のURLからアクセスできる。
http://magazineworld.jp/anan/back/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
No.1856 仕事ができるひと♥  草なぎ剛
No.1855 癒しものカタログ  三浦春馬
No.1854 自分史上最高の脚とお尻になる 
No.1853 手相のすべて  桜井翔
No.1852 漫画と映画と小説 ステキな恋だけ集めました 深田恭子
No.1851 未体験ソウル  CNBLUE
No.1850 新しい私へ!イメージチェンジ大作戦  山下智久
No.1849 こうすれば、ひとり暮らしはもっと楽しくなる!  二宮和也
No.1848 SEXYボディは即、できる!  奈々緒
No.1847 誌上カウンセリング  ローラ
No.1846 緊急!!アンチエイジング  長瀬智也
No.1845 どっちが幸せ??女の選択  ONE DIRECTION
No.1844 女の重大危機  綾野剛
No.1843 “真のモテ期”に気づいてますか?  玉森裕太
No.1842 女の色気  柏木由紀
No.1840 大人の片思い  相葉雅紀
No.1839 集中ダイエット!  優香
No.1838 あなたの運命、恋、転機
No.1837 復活愛のススメ 綾瀬はるか
No.1836 いい映画名鑑 生田斗真
No.1835 おそうじ&片付け
No.1834 私を救ってくれたのはこのコスメ!
No.1833 男のホンネ 斎藤工
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これらのタイトルと中身をみると、
ananは女性のプチ悩みを、
逃げずに正面から、しかしさり気なくとりあげ、そのプチソリューションを丁寧に説明する、
それも自分の出来る「範囲感」で説明する、
『現実的な女性の生活、仕事のガイド・ノウハウ誌』である。
「プチ」という何となくのキーワードがあるような気がする。

B.丁寧さの秘訣/その2:特集に潜む、女性のこころをグリップする仕掛け

番組の中で事例として紹介された、昨年の10月号の表紙・タイトル。
『自分史上最高の脚とお尻になる』
『下半身デブ卒業します』
には2つのメッセージがこもっている。

理想のタレント、モデルをのせ、
これが理想の脚、お尻だ!
という感覚は非現実的で自分向きのものではない。
自分が出来る範囲で最高の脚、お尻を獲得しようという等身大の支援に徹している
のがananである。

「下半身デブ卒業します」という台詞は、
さり気ない小さな文字表現だが、キチンと女性の痛いところをついている。
一種のブラフである。
自分が何かをきっかけとして動くには、きついことばではっと!させて欲しい、
というプチニーズを汲んでいる。

しかし奥歯をぐりぐりさせるまでの重さにはしない。
この当たりの微妙な差配が重要らしい。

ananを雑誌の売場から取りレジへ行っても、この人は下半身デブだからこの雑誌を買うんだという
ことがばれないように配慮している。

実際には、
レジの人はレジ打ちを淡々とこなしているので、
購入者の心の中、この人はこんなことをしたいんだ!
などと考えてはいないのだが?!

買う女性にしてみれば、
そのようなことを考えていることを人に悟られたくない、恥ずかしい?
と思い込んでいる?との配慮で、文字を小さくしているのである。

・そのような配慮をしてくれる雑誌ってわたしの味方!
と女性読者は考えてくれるのでは?
というところがみそである。

・そのような配慮ができる雑誌は中のつくり込みもきっと丁寧だ、
という感じを抱いてくれると考えているらしい。

実際にananの購入者はそんな小難しいことは考えていないようだ。

しかし、そのようなことを考えていなくても、
何か気配りのゆきとどいたやさしい配慮のある雑誌だ!
という匂いをかいでいるらしいのだ。
女性の独特の感性で、
そのような女性の味方である雑誌に何となく惹かれているようだ。

ここで本音の話がある。(ここが重要なポイント!)
実はananを読んで、ダイエットでも、恋愛でも・・・・・
ノウハウをいろいろ試してみてうまくいくことが、
本当はさほど重要ではない、ということである。
実際は読んだだけ、読んで少しチャレンジしてやめた、失敗した・・・・・・
ような女性がたくさんいてもよいのである。

問題は、友人の間で話題になればよい、
ちょっと試して体感できれば何となく十分!?
という余韻が残ればいいのである。

ananを読んで、
いろいろと考えることが出来た、お試し体験が出来た、
結果として雑誌が相談にのってくれたという感覚がもてれば十分らしいのだ。
実行してキチンと結果がでなければだめ!!
というような雰囲気が出てしまっては、とてもこのような販売部数にはならないと思う。

結果が出ないのは、
自分の努力が足りなかったからと、気軽に考える、
責任は誰にある訳ではない、
一瞬でも自分のプチ悩みのことをしっかり考えられた、
ということが重要なのである。
そのような「罪の無い読後感」がいい感じなのである。

そうなるのは、ananが、
表現、コンテンツともに、丁寧なつくりで女性の琴線に触れているからである。
女性としては、「十分にわたしの気持ちに近づいてきてくれたわ!」
と思ってくれる丁寧さがあるからである。

やってみてうまくいかないから怒る、クレームをつけるという感情になっては、
編集者も読者もしんどくなる。
そうならないような何となくの、さり気なオーラがこの雑誌にはある、
ということが重要である

ananは、実はターゲットを選んでいる。
本気で何かを遂げようと考えている切迫感のある、
コアの人だけがターゲットではだめで、
成功するも、失敗するも、軽い気持ちでそれを迎え入れてくれる人がターゲットでなくてはいけない。
自分のプチ悩み、プチ願望に触れてくれた、
それも丁寧に触れてくれたという感覚がきわめて大切なのである。

女性は雑誌にソリューションを求めているわけではなく、
相談にのって、いやもっと軽く触れてもらいたいのである、

これは普段でも何か悩みはあれば、話を聞いて欲しいのであって、
なにか解決策を言って欲しいのではないという女性の特有の心理があるが、
その当たりの機微をananはうまく突いたといえる。

特に男は、女性からの相談を、
勘違いして、論理的に解決しようと策を述べ始めるが、
それは大きな勘違い!と言うことが往々にしてある。

従って、ananの特集に対する
『解決のコンテンツ(記事・文章・イラスト・・)』は、
「ライト、カジュアルだが、しかし何となくさり気に相談にのっている感の微妙なバランスが重要」
ということになる。

C.丁寧さの秘訣/その3:撮影の妙

話は飛ぶ。

ananでは
カット写真に影をいれるという。
その題材が目に入る本来の置かれた状態(光と影がある状態)にもどす。
但し、相当手間のかかる撮影になる。
平たくペシャッ!とおいて影をカットしてとると、
どんどん撮影でき、生産性があがる、時間が節約できる。

しかし、それでは自然に見えないし写真の中身も映えない。
倍も三倍も時間をかけてリアルに丁寧に撮影する。
このようなつくりこみの丁寧さが、女性には何となく分かるらしい。
ananは何かが違う?と分かるらしい。

このような丁寧さがあるからこそ、
プチ悩みを解決する記事の実質的な中身より、
記事の雰囲気としてのいい感じ(相談感のあるイメージ)が大切よ!
という気持ちで収まってくれる。

実行して見て、実際に目標の、
例えばウエスト55CM(例えばダイエット成功術という特集があったとして・・・)に
到達したかどうかということより、
そのようなダイエット気分にさせてくれてありがとう!
という落としどころが重要というわけだ。
記事がわたしに近づいてきてくれて、それで十分よ!
という気分が重要ということである。

いろいろな要因が重なり合って、
女性は何と無くananを手にとってレジへ向かう!
ことになる。

D.anan のターゲッティング:ananは誰に読んで欲しいのか?

ananのターゲットは20代30代の女性・OLという、
何となく漠然としたデモグラフィックターゲットである。

しかし,よく聞いてみると、
20、30代の『女子』だという。
女子感覚をもった女性、
主婦とか、OLとか、キャリアとかいうことではない。

かわいいものがすき、恋をし、占いが大好きで、
洋服が大好き、トレンディドラマに興味があり、
井戸端会議でキャピキャピしながら話を楽しみ、どんどん脈絡無く?話が展開してゆく、
気がつけば何時間もその店にいて、声も笑い声も大きくなって、
店の人から注意されている感じ?

『元気で、かわいい「女子」の感性を持ち続けている女性』
がターゲットということである、
「自主性をもった、それでいて、背伸びをしない等身大の元気印女子」
といったところがターゲット像のようだ。

そのようなターゲットの感性に近いテーマを選び、
そのようなターゲットの感性に近いタイトルをつけ、
そのようなターゲットの感性に近いコンテンツ、ビジュアルの品質感を大切に、
雑誌をつくっているという。

ananは、『女子のプチ願望』の手助けをする雑誌である。
理想を掲げて、皆をその方向へ引っ張ってゆくのではなく、
読者の自分の手の届く状況へ、すこしだけ手を差し伸べる、
読者目線の雑誌である。

ananは、450円である。
450円を払ってまで読んでくれる女性は大切なお客様である。
情報はSNSで十分取れる時代に,
450円を払ってくれる女性に対して丁寧に紙面をつくる義務がある、
と編集長は述べている。

ananって、
最近何だかいいよね!
という評価が、
編集者冥利につきるという。

ananは、「丁寧さ」という磁力を発して、女性のグッドウィルを獲得している。

E.マーケティングのパラダイム変化とanan

1.まず、ターゲットのパラダイム変化について述べる。

「3つのLS」という概念がある。

「3つのLS」とは、
ライフステージ、ライフスタイルそしてライフスキルである。
今までは、
ライフスキルはライススタイルの一部として処理をされてきたが、
このところ、これがクローズアップされている。
スキルが巧みだと、
どんなライススタイルであっても、どんなライフステージ(家族構成、家族環境)であっても、
生活がよりハッピーになれるという考え方である。
自分のちょっとした努力で生活の満足があがる、
その方法論を語る領域である。

ananはこのライフスキル視点を、
見事にさり気なくついている。

もともと、
女性誌、化粧品の分野はこのライフスキルというマーケ概念を重視してきた業界である。
しかし、今までは、
西洋に追いつけ追い越せという背伸びした考え方・ノウハウのスキル発信が多かった。

ananのライフスキル発信は、
自分の等身大のスキルが大切で、ちょっと努力して、ちょっと幸せになりましょう、
という感覚ものである。

日本の女性のプチしあわせを応援す、初めての女性誌が登場した、
という感じである。
女性の生活プチ願望をつく本音感が、
ananの受けている理由である。

2.情報の獲得、処理のパラダイム変化:

anan制作での情報収集は、ブログ、ツイッターからのものが多いという。
女性の本音が、かなり垣間見れるという。

女性たちが自分の自由意志で井戸端会議的に本音で語ったものは、
女性のインタレストドメインを探る上でかなり参考になるという。
また各号への評価も、
ストラクチュアなアンケートをするよりもよくわかるという。
かゆいところに手が届く、さり気ない雑誌をつくる、
という意識でアンテナを張っていると、
正に女性のかゆいところに手が届くようなポイントに自然と目が留まり、
有機的な情報として蓄積してくるという。

つまり、
女性のかゆいところを丁寧にサポートする、
という『雑誌づくりのマーケティングミッション』を立てていることになる。
そのミッションが共有された瞬間に、
雑誌制作は、それを基点としてまわり始めることになる。

3.マーケティングミッションの意味:

上記のミッションという概念は昔からある。
ここに来て、マーケティングミッションを戦略的に打ち立てることで、
マーケティングがスムーズに回りはじめるケースが増えているように感じる。
ミッションが明確に立つことで、
商品・サービス開発、上市後のブランディングがぶれずに進み、
皆の賞賛を得ることができるということになる。

現代の女性のひとつの典型は、
素の自分を持ち、その個性を大切にしたい人、
そして、かわいく女子的に行きたい人である。
この女子感覚は、
日本の成熟した社会・時代の中の女性の生き方の典型である。
そのような現代の女性に、
欧米のファッション、ライフスタイルを、これが理想です!と
啓蒙するようなバーズアイ的な視点の雑誌は、もう古くなっている。
女性の生活目線にあったインセクトアイ的な視点の雑誌が
よく似合う、受ける時代である。

ananはそこに居場所を得た。

この稿おわり

追記:

MOOK本、
「恋愛できない女たち」も、月9ドラマと連動させて視聴率もよく売れたという。
香里奈、吉高由里子、大島優子のドラマである。

今、女性にアンケートをとると半数近くが恋人がいないという。

以下サイトの紹介文。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
20代~30代の未婚女性において、約半数に恋人がいないというアンケート結果がでる今の時代。
恋愛するにも、簡単には踏み出せない女性が増えています。
でも、女性にとってココロにもカラダにも恋愛は必要なんです! 
月9ドラマ『私たちが恋愛できない理由』に主演で話題の香里奈さん、吉高由里子さん、大島優子さんら旬の女優が恋愛について語るほか、
恋愛が出来ない理由をテストや恋愛傾向テストで導き増し、対処法へと導きます。
Ananで超話題だった恋愛特集をピックアップ。この一冊を読み込めば、恋愛力アップ確実です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■商店街に置かれた、ただのお米、誰が持ってゆく?

2013年06月08日 | Weblog


■商店街に置かれた、ただのお米、誰が持ってゆく?
生活者の反応にマーケティングの本質を見る!

A.はじめに:

少し前のTBSテレビの番組
『ニンゲン観察バラエティ モニタリングSP』
が面白かった。

どんな内容かと言うと、
商店街に、
「無料です。自由にお持ち帰りください!」と看板を立てて、
通行者がどのような反応を示すかを、
観察しようという番組である。

東京と大阪で実施した。
果たしてどんな差が出るだろうか?

隠しカメラで撮影している。
一種の覗き見的な面白さがある、
どっきりTV的なサプライズも期待できる、
番組である。

B.当番組にみるエンタメの本質:

理屈っぽくいうと、
人間のエンターテイメントに求める本質的な価値を、
この番組は提供している。
面白い。

エンタメに求める価値(=期待、効用)は、以下の6つの感情になる。

・本質感(こころの奥に眠っている、潜んでいるポジ・ネガな感情を呼び起こされたい/素の自分を知りたい)

・セカンドライフ感(別の人生を、架空の人生を疑似体験したい/ヒーロー・ヒロイン体験をしたい)、

・非日常感(現実から離れた遠い世界へゆきたい/現実から自己逃避したい)、

・理想郷感(自分の周囲には無い本当の理想的な状況を味わいたい/至高の幸福感を味わいたい)

・極限状態感(自分では到達できない人間の極限状態を見たい、知りたい/好奇心を満足させたい)

・退行状態感(人は進化して心が発達した、その結果生まれてからずーっと心に背負い、蓄積してきたものは大きい/その重荷をおろしたい)

等の感情を得て、精神浄化を達成したいと願っている。
そこに、人は高い対価を支払う。

表現形態は
ミュージカル、演劇、音楽演奏、スポーツイベント、TVドラマ、小説、旅行・・・・なんでもよい。
人はS席が楽に一万円を超えるような金額を払ってまでも、
エンタメを観にゆく。
なぜか?

人は何かしらの心の高揚感を求めて生きている。
人間はホモサピエンス(=感情をもった知的な存在)だからである。
人はパンのみにて生きるにあらず、である。

この番組を通して、
人の反応(行動)には、
本質的なマーケティングの原理・原則が現れることが、改めて分かった。
とくに『PLC』(プロダクトライフサイクル)や『群集心理』がよくあらわれていたことには驚いた。

また、『エリア』の差もこれほど出るとは思わなかった。
何となく予想はされてはいたものの、筋書き以上になった感じである。

C.通行者の反応の事実確認から:

■ まず、お米から!

8キロのお米がおかれた。
熱帯魚の水槽のような大きな透明の容器にはいっている。
しかしお米をとるマスのようなものはない。
日常に大胆かつ無造作な置き方である。
何となく事件のにおいを感じさせる?演出である!

まず東京の様子から。

大半の人が見ぬ振りをして通り過ぎてゆく。
欲しがる人も、もらうには、手ですくうの?どうしよう?
という感じである。

このような思考・行動がそもそも「東京」のものである。
「大阪」では、そんなことはお構いなしに手でさっさとすくい始める。
自分にとって興味があること、得なことへは、
とにかく行動を起こす!
という素朴さ、率直さ、ガメツサがある。
映像を見ていて清清しささえ感じてしまう、のが大阪の人の反応である。

東京では40分でお米がなくなった。

最初は、皆知らんふりをしたり、ちょっと見て通り過ごしたり、
やや様子をうかがう微妙な感じがあった。
少し時間がたって、やっと最初の持ち帰りの女性がやってきた。
少し年配の女性が男性をつれて、袋をもって引き返してきて、男性にお米を袋につめさせた。

後からインタヴューすると、
近くに会社があり、そこの男性社員を連れてきて、その男性に袋つめさせたとのこと。
自分でやるのは恥ずかしいから、という。

そうこうしているうちに、
だんだん人が集まってきてお米は、無事に?40分でなくなった。
東京らしく、かっこをつけつつ、周囲の様子をうかがいながら、
お米を持ってゆくという感じが、映像からよくわかった。

一方、大阪では様相が異なる。

まず、皆が皆バッグのなかに袋をもっている、のが新鮮に写った。
それは飲食したときに献立が余ると、
その中に入れて持って帰るという、
きわめて実務的な行動をとる習慣があるという。

実は筆者の郷里の長野にも、
そのようなもったいないを実践する習慣があった!ので親しみを感じた。

さて、
大阪では20分で見事にお米がなくなった。
PLC(このイベントのプロダクトライフサイクル)は東京の半分である。

最初は手ですくい、
次は、いったん帰宅して家からマスをもってきて、
最後は洗面器のようなプラ容器でがばがばとすくって持って帰るという状況だ。

大盛況であった。
ただでもらえるなんて!ありがとう!という感じで話す女性もいた。
何の悪びれることなく、堂々と、ごく自然に
「持って帰らしてもらうわ!」という雰囲気である。

■続いて、いすを10脚!もちろん無料でどうぞ!と表示した。

さすがに、大阪でも、

これだけ大きく、運びにくいものはやや敬遠ぎみであった。
遠くに帰る人は持ってゆけず、
持ち帰りの出足はやや鈍い感じであったが、最終的には8脚が持ち帰られた。
東京では、たったの1脚だけであった。

大阪のおばちゃん?曰く、
この歳になれば、
そのまま、がたがたと地面の上を動かして家までもって帰っても
はずかしくもなんともない!

地で、素で勝負している感じが、
いかにも大坂のおばちゃんらしい。

■ 最後は、生きているたこ10匹!もちろん無料でどうぞ!

大阪では、5分で10匹が持ち帰られた。

東京では一時間で0匹である。
東京ではどのように持ち帰るか?その手段が講じられないとか嘆いている。
また、「たこ」を持って行くことが恥ずかしくて、とてもとても?!
羞恥心が行動を阻害している。

大阪では
たこを素手で持ちそのまま立ち去る猛者もいた。

ぐにゃぐにゃした「たこ」なんて気持ち悪くて!
という感覚は東京、大阪の人とももつが、
大阪ではその気持ち悪さを「お得」というインセンティブが凌駕して、
どんどん持ち去った、という感じである。

大阪では写真を撮ったり、触って遊ぶなど、
たこコーナーがイベント化して大騒ぎという雰囲気もあった。
要するにノリがいいのである。
もしかして、大阪にはたこ焼きという食文化があるが、
たこへも思い入れも相当なもの、ということなのか?


D.マーケティング的な意味:

この無料持ち帰り番組での生活者の反応には、
3つ位のマーケティング的な原則、法則が見られる

1.エリアマーケティング的な意味:

東京と大阪では、これだけ反応が違う。
明らかに、無料サンプルをもって帰る意識・行動への反応が違う。

商品そのものへの受容性ではなく、
そのプロモーション、お得という「コト」への受容性が大きい。
極端にいえば、
商品は何でもいいのである。
ただで持ち持ち帰れるというイベントが大事だといえる。

東京と大阪では、

・心理的なプロセスが違う
(大阪には、その場を受け入れて、その状況にのってゆく吉本興業的なノリの良さがある)

・金銭感覚が違う
(大阪の人は、金銭感覚に敏感で商売っ気があり、お得なものには素直に反応する)

・行動への本音感が違う
(大阪では、意識(欲しい)と行動(持ち帰る)に矛盾がなく、欲しいと思えば素直に行動をおこす)

とにかくノリの良さが違う。

大阪では、この番組は完全におちゃらけイベントとなってしまった。
関東の筆者からすれば、うらやましいぐらいののりである。

人生を素直にたのしまなければ意味ないじゃないか!という感じに見える。
それが無理して楽しんでいる訳ではなく、
素でやっているので、余計に感心してしまう。

2.PLC(プロダクトライフスタイル)的な意味:

プロダクトライフサイクルとは、ものごとの一生の時間である。

人でも商品でもイベントでも何でも良い。
はじまっておわるまでを数学的に処理すると、
ある曲線が描ける。

横に時間軸(t)、縦に行動結果(この場合は持って帰る累積量)を設定して、
時間経過と行動量をプロットする。

誕生してから消滅するまでのカーブが描ける。
いわゆるロジステック曲線である。

今回の無料持ち帰りイベントでは、
最初は遠慮しながら様子を見ているひとが多く、
立ち上がりの悪い横にはったようなカーブが描かれる。

だんだんと持ち帰る人が増えカーブが急激に上昇しはじめる、
そして最後にカーブは寝てお米(椅子、たこ)がすべてなくなる、
という需要カーブを描く。

東京と大阪の違いは?
まずPLCの時間である。
お米では、それが無くなる時間が20分:40分と倍も違った。

今回の番組では、
最初は何となく周囲の様子をみている。

そうこうする内に、
一部の人は、新らしもの好きで、即飛びつき持ち帰る(イノベータ)

次に、人生に前向きな感じの人が、お得ということで積極的に持ち帰る(オピニオン)

ついで、皆がするなら、私も!とわれもわれもと持ち帰る(アーリーマジョリティ)

という一般的な需要表出構造がそのままTV映像にあらわれていた。

「無料持ち帰りイベント」という「コト」の一生が、
短い時間ではあるが、PLC理論の原則どおりの結果となっている。

一般的に、PLCの中のカーブが急に立つ成長期では、
商品・サービスのニーズが個性化・多様化するが、
この無料の持ち帰りイベントでも、多様な個性的なスタイルが出てくる。

すくう入れ物が、手、そしてます、コップ、洗面器と工夫が凝らされる。

・取る量が多い人少ない人、
・大胆にがばがばと持ってゆく人、申し訳なさそうに少し持ってゆく人、
・180CMの大きな食べ盛りの息子がいるという実務的な理由の人、
・単に得したというシンプルな理由の人、
・女性のためにたこをとってあげる男性が出現したり、
・人を連れてきてその男性にお米を入れさせたり・・・・・

じつに多種多彩である。

個性化・多様化という現象が、数十分の間に見事に起こっている。

持ち帰るときの人の気分!

大阪では当たり前、至極当然のように悪びれずに行動する。
漫才コンビ中川家の弟が演ずる、
いわゆる典型的な「大阪のおばちゃん」の雰囲気がある。

東京はなんとなく恥ずかしそうに、
でも嬉しそうに、人目を避けるようかの雰囲気で持ってゆく。
かっこつけてはいても、本当は嬉しい、という感じがよくでている。

イベントでも、商品でも、もちろん人の一生でもPLCは生じる。
その長さはまちまちである。
そしてその中の状況も悲喜こもごもである。

3.本年と建前のマーケティング

リップサービスという言葉がある。

本音はなかなか出てこない。
あたりさわりのない言葉で、
その場を取り繕う、やり過ごすと言うのは、全国標準の東京の知恵である。

全国から人が集まり、人数も多くいろいろな調整をおこない、
全体解(最小公倍数、最大公約数)をもとめてゆく、
大行政都市ならではの知恵である。

東京では『建前のマーケティング』が重要である。

一方、大阪ではかなり様相が異なる。

本音のマーケティングをどう展開してゆくか?が重要である。
かっこつけても、「何かっこつけてんの?!」の言われるのが落ちである。

大阪は『本音のマーケティング』を求めている街である。

大阪・電通のつくるTVCM。
あの人をおちょくったような本音感、アンチ東京感?は、
独特のテーストのものである。
同じ日本人なのに「何であんなおもろい?ユニークな?」CMができるのだろうか、
と考えてしまう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

E.エピローグ:

ところで、大阪って、どんな町?!
大阪は、もともと瀬戸内海の再東端にあり古代から交通の要衝であった。

戦国時代には、
蓮如が石山本願寺をつくり、
浄土真宗の総本山として全国の一向宗徒を纏め上げ独特の存在感を示した。

織田信長による石山戦争の後、ときを経て、
秀吉が大阪城をつくり豊臣の居城とした。
関が原の戦い、そして大阪冬・夏の陣での豊臣の滅亡以降は
江戸が名実ともに大政治・消費都市となり発展した。

大阪は、一時は荒廃したが、江戸幕府が天領として直轄統治して再生させ、
大経済都市となり、天下の台所と呼ばれるようになった。

ここで重要なのは、
大阪は、政治都市ではなく、商売を基点とするビジネス都市という点である。
政治の介入から自由となり、おもむくままに商売に精を出し富を蓄積していった。

当然市民文化も熟成し、元禄文化も大阪を中心に大きく花開いた。

全国から人、情報、物資があつまり、
本音でやり取りをして富を産んでゆく都市となった。
本音で商売をする、利益を上げる合理性を身に付けた町となった。

考えてみれば、同じ関西の堺という町は、
東洋のベニスと呼ばれ、自由都市として独立した自治をおこなっていた。
かくのごとき、大阪はもともと、行政の調整利害の調整をもとめる風土とは遠い、
そのまま、おもむくままの自由な文化が醸成される土壌があった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大阪では、
商売の駆け引きとしての建前・本音の使い分けはあるにしても、
自分の自由と利益を守るために基本は本音で動く町である。

利は合理性に連なるといえる。
表現も当然ざっくばらんな直截的ものになってゆく。

私のような関東人が、
大阪の人のことば聴いていると、
なぜかしら、こころを開き、建前の衣を脱ぎさる感覚になるのは、
そのような文化の匂いを嗅ぎとっているからではないかと思う。

話しは変わるが、
昔、堺屋太一さんとご一緒に仕事をさせていただいた時にいわれたことがある。

淀川沿いの堺屋さんの自社ビルで打合せをしていたときに、
ある学者の論文の話になって、
「大阪にきて仕事をしなさい」、
さもないとこのように視野が狭い話しかできなくなるよ!
といわれたことを思い出した。

東京という首都からだけの発想では、
日本は語れないよ!と言われたが、
今改めてその通りだな!
とその言葉の含蓄をかみしめている。

この稿おわり


追記1:ターゲットの特定と個人の関係

無料持ち帰りイベントを見ていると、
人の個性はそれぞれ、
いろいろな人がいると感じる。

人の意識、行動を群でまとめクラスター化(類型化)すると、
そこには統計的なシンボリックな像を描くことが出来る。
「ターゲッティング」というノウハウである。
集団をあたかも個人のように人格化してマーケティング出来るようになった。

これによって全体的・効率的なマーケティング戦略が組めるようになった。

今までのマーケティングパラダイムでは、
そのようなマス・ターゲッティング(マーケティング)が功を奏して、うまく消費がまわってきた。

しかし、この番組を見ていると、
ひとりひとりの生身の人間が、いろいろなことを考えて、
自分のこだわりや周囲を気にして複雑に動く、
ということを改めて痛感させられる。

複雑だから、まとめて平均化してある典型的な像にくくってマーケティングをしてゆく、
これはかなり、「優れもののビジネスツール」であった。

しかし、本当はもっとよいツールがあるのではないか、
という思いを再確認させられた。

追記2:個人と集団のインサイト

コンシューマーインサイトというマーケティング言語が、
今はやっている。
消費者のインサイトをつかむことは、マーケティングの永遠のテーマである。
インサイトには「個人のインサイト」と群集になったときの「集団のインサイト」の両方がある。

商品別、業態別でどちらを重視するかは異なる。
また、マーケティング機能別でも同様である。

・機能別で見ると、例えば営業現場では、
1:1で個人を説得する場合は「個人のインサイト」が、
大衆にマスで売る場合は「集団のインサイト」が重要となる。

大衆に向けて広告、例えばTVCM制作するとなると、
大衆の心理を大きく括って大ナタを振るうような表現で
大衆の心を鷲づかみにすることを考えなくてはいけない。
それはTVが良い良くないに関わらずマス広告だからである。
同じ車でも、

対象者のこだわりを重視する外車のマーケティングは個別対応、
大衆の広いニーズを重視する軽のマーケティングはマス対応である。

・業態別で見ると、
1:1の業態/BtoB,PtoPは,WEBでものを売る健康食品業態では個人の殺し文句が効く。
小売業態でも売り場では、1:1の対比的な文言、ビジュアルの訴求が必要である。
IYの鈴木会長がいうようにマーケティングは心理学である、
が正解となる。
売り場と言う土俵では、
売りたい側と買いたい側(買いたくないものは買いたくない側)
の心理的なやりとりがおこなわれる。(POP,売り場つくり、店内案内、チラシでの誘客等の掲げ方、表現により)

個人ベースの営業では、
例えば訪問販売では、説得相手のインサイトが多わかっていれば、
個人別トーク等表現の対象者への刺さり方は、かなりピンポイント的に鋭くなる。
即ち歩留まりがよくなってくる。(購入・契約の可能性が高ってくる。)

追記3:インサイトの効用

インサイトの本質、個人の本音が分かったからといって、
どのよう良いことがおこるのだろうか。

・わからないよりは、わかったほうがいい、
という素朴な話がある。
・わかれば少なくともずっこけた、はずれのマーケ施策の立案は排除される、
という最低保証・保険的な効用がある。

ポジな味方をすれば、インサイトが分かれば、
相手の立場、状況の一端はわかるので、
マーケティング戦略・戦術仮説づくりでの基点ができ、
その後の手間はかなり軽減される。

その基点をもとに考えれば、
戦略ベクトルが一貫性をもち、思い切り想像力・創造力をはたらかせることができる。
そのベクトルの中でリッチで自由な発想をめぐらすことができる。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする