キャンディキャンディという作品に込められたメッセージを考えてみました。
現在、アンチテリィな心境になってしまったわたしですが…。
去年の夏、キャンディキャンディにはまった直後、わたしはテリィの為に涙を流していました。
キャンディとテリィの、あの別れは、胸が潰れるわ。
あれは、トラウマよ。
あの別れは、そうそう受け入れられないよね。
完全に相思相愛だったのに…。
あの、照明落下事故…。
テリィを庇ったスザナ。
そんなスザナをほっておけなかったテリィ。
テリィが選んだんです。
スザナじゃない。
テリィが選んだんですよ!!
やり場のない想いが、悪人探しをして、スザナをやり玉にあげて悪人にしたくなる気持ちはわかりますけれどね。
憎むべきはスザナじゃない。
そんな運命を与えた作者ですよ。
作者は、キャンディとテリィを、『誰も悪くない、どうにもならない理由』で、別れさせたかったんですから…。
話を元に戻すと…。
アンソニーとの死別…
テリィとの生きていても別れなければならない別れ…
この、大きく2つの別れを描く事で…、
(他には、マクレガーさん、ステアとの死別。)
胸の潰れるような
どうしようもない虚しさも
人は飲み込みながら
歩いていかなくちゃならない!
どうしようもない苦しみからも
どうしようもない嘆きからも、
立ち上がり
また、愛を紡いで生きていくのだ!
という、メッセージを伝えたかったのではないか…と、思いました。
また、
名木田恵子先生の他の作品を読んで、名木田先生のメッセージを紐解きすると…。
愛する事について…。
天使のはしごという作品で、
一生一人しか愛さない。って主人公は言っているのですが…。
『愛はそんなに貧しいものではない。』
と、他の登場人物に言わせています。
小説キャンディキャンディでも、愛は、対する人によって色を変えるみたいな表現があったような…。
ストーリー全体を総括して語りかけて来ることは…。
アンソニーとの別れも
テリィとの別れも
乗り越えて!
たくましく生きて行きましょう!
あなたを見守っていた
愛がそこにあるよ!
と、言うことではないでしょうか?
はい❤️
別れを受け入れて
アルバートさんと結ばれましょうね💕
テリィファンが読んだら、ゼッタイ納得しないね😅
素直に抵抗しないで読めば、こういうお話なんだと思いますよ、キャンディキャンディって💕
まあでも、抵抗するよね。
テリィカッコいいし。
相思相愛だったもんね。
王子様のバッジなんか投げ捨てて、テリィを求めるその後も、アリ…なんだと思います。
今のわたしには、有り得ませんが!!
ゼッタイ、アルバートさんよ!
お父様、お母様を順に失くした水木先生は、
別れを乗り越えて、逞しく生きるキャンディを描く事で、自らの思いを昇華したかったのではないでしょうか?また、読者に伝えたかったのではないでしょうか?
生きていくには、時には、どうしようもない事がある。受け入れ難い辛い現実がある。それを、受け入れなくちゃならないこともある…と…。
そうして、立ち上がり、再び前を向き、顔を上げて生きて行くのだ!
前回のブログ記事で、
むかつくとか、乱暴なことを言ってごめんなさい。
天使のはしごのキャラに感情移入しちゃって…。無念で…。
水木先生が、『捨てゴマ』なんて、そんなひどい感覚で作ってるわけないわ。侮辱するような発言ごめんなさい。訂正します。
二次小説は
リグレーで、かっ飛ばせ! 2
まで、アップしてます。
キャンディキャンディ(原作:水木杏子絵:いがらしゆみこ)の、その後を1ファンとして、勝手に想像して二次小説として書かせていただいています。
二次小説は、カテゴリで二次小説を選んで、パスワードを入力すると読めるようになります。
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二次小説は、個人の楽しみのために書かれています。原作からかけ離れている部分が多々あります。キャンディとアルバートの物語です。納得して頂ける方は、是非💕読んで行って下さいませ😍
私最近まで知らなかったんですけど、テリィとキャンディの別れってトラウマになってる方多いんですね🤔
私は漫画の時点で2人の別れは納得してて、どんなに好きでも仕方のないこともある。くらいにしか思ってなかったです。
だってスザナを幸せに出来なくて、どうしてあいつの幸せを願えるか!って言ってスザナの元に戻ったんですよ。その時点で2人は終わってるはずなんですけどね😅
漫画の終わり方は、アルバートさんと結ばれるような感じで、FSではあの人はテリィ?って思うような内容が散りばめられていて、まぁ混乱しますよね 笑
だからこそファンフィクが盛り上がって、楽しませてもらっているんですけどね💕
shushuさんのアルバートさん、可愛くて大好きです😊
いつも、ありがとうございます🎵
chicocoさん、大人!素直!
そう!
その通りなんです!
スザナをしあわせに出来なくてどうしてアイツの幸せを祈れるんだ!?
で、そこで、終わってますよね!?
それを、納得出来ない方々が、それはもう大勢いらして!!
その方々は、アルバートさんが、キャンディに恋心持ったらキモいだの、あの別れには納得できないだの、あの別れを受け入れられないと、あの手この手でテリィとキャンディの愛を復活させようとしているわけなんです!
そんな意見に惑わされたわたしは、そんな事無い!キャンディはアルバートさんとむすばれるんじゃ!!と思い!この二次で、そのへんの路線(テリィはキャンディに未練があって、スザナを愛せない)を拾いつつ、キャンディとアルバートさんをくっつけて、テリィとスザナを丸く収める話を、自分を納得させるためにも書いている訳なのです🎵
ここの、バート、可愛いですか?気に入って貰えて、嬉しいです🥰
あー!
でも、わたしも、キャンディとテリィの愛が復活する二次小説を血眼になって探した時がありました!
確かに!キャンディとテリィの別れはテリィが選んだ、いやキャンディが選ばせた、と色々言われてるけど、確かなのはスザナはその件に関しては口を挟んで無いですよね!スザナとしては無我夢中でテリィを助けたらこうなった‥。TinNYでの終着点がどうなるのか、そちらも目が離せないです!
T in NY楽しみにしてくれてありがとう!もうしばらくキャンディ側を描いたら、テリィ側に移ります。頑張ります😊
アルバートさんお気の毒😓
ずっと影からキャンディを見守り、助けてきたのに
そんな言われよう😭
キャンディは大人になってアルバートさんの
よさに気づいたんですよー
私もだいぶ大人になってから、
アルバートさんの良さに気づきましたけど 笑
アルバートさん推しなのに
私の頭の中ではFSからの
アルバートさんへの着地が思い描けなくて😓
テリィの心情も拾いつつ、アルバートさんと
幸せになっていく物語は大変かと思いますが
頑張って下さい!!
その結末みたいです!!✨
私のためにも(何で?笑)よろしくお願いします😌
バートにキャンディに対する恋愛感情は無い!という意見も多数😭
分かります。
キャンディとアルバートさんが恋愛関係に落ちているところ…や、アードレー家で暮らしている様子は、なかなか想像できないですよね!
漫画原作の、元気で勇敢で、優しいキャンディのキャラクターのまま、アルバートさんととっぷり、あまーい恋愛関係に落ちて…、アードレー家で幸せに暮らしている様を、chicocoさんの為にお届けしましょう!わたしの、読みたいものと同じですのでね☺️
雪のNYを駅まで歩くキャンディの後ろ姿は小学生の私にとてつもなく理不尽だという思いと喪失感を刻みました。トラウマという言葉が大袈裟じゃないくらい世界中の読者が傷ついたことでしょう。
で、でもでもテリィ派自認の私ですら、正直なところキャンディ初キス後の平手打ちへの応酬と無理やり馬に乗せてアンソニーを追い出す力ずくのやり方には性暴力を感じ「これは本来ダメだよなぁ。いくらカッコよくてもなぁ」という後味が残りました。一番萌えたのは別荘でのデコチュウシーン。キャンディは恋を自覚していたものね。タイミングバッチリの合意。それからシカゴの汽車の束の間の再会とかもう映画のようでした。
一方、アルバートさんとの同居では、記憶喪失はあれど家事する姿もセクシーな素敵な男性であることは認めざるを得ず、急にイケメンになって、位置が変わってずるい!こっちは切り替えが追いつかん!って感じていました。しかも実は富豪とか優良物件過ぎて。ロックスタウンのズタボロなテリィの描きっぷりに「は?そういうこと?テリィは弱いと片付けたい?」と反発を覚えました。再起をスザナのもとでってのは理解を超えてた。
大人になって何度か読み返して思ったのは、キャンディキャンディはジェットコースターのように展開がめまぐるしい漫画ということ。描かれていない行間やら明らかにされていない余白がたっぷりある。だからちょっと共感しきれないところがあって、中高生の頃にコミックを捨ててしまいました。イラスト集とかも捨てて今となっては大後悔。
アルバートさんの孤独感とか背負っている苦悩とかキャンディといる時にえられる温もりとか恋愛感情への発展とか多少描かれていましたが、ディティールがもっと描かれていればキャンディがアルバートさんを愛するようになることの説得力が増したと思います。
さまざまな名作二次テリィエンドに慰められてきましたが、「長い物語」にはAパターンBパターンとか幾通りもありえると思っていて、私も何周回して「マジでテリィエンドもアルバートエンドも両方アリだな」と思っています。日和見と後ろ指ささないで。
テリィのパーソナリティが成熟すれば再会と人生の軌道修正が可能って思います。それも幸せな図。
アルバートさんの「キャンディの幸せを見極める」っていうスタンスは深い深い愛ですよね。でも見守るだけじゃないアルバートさんが見たいって思います。ちゃんと心の動きが描かれたアルキャンエンドは肯定してます。テリィのことを思うといつまでもヒリヒリしますが。人生は続く。新たに誰かを愛するようになる、というメッセージは勇気をくれますね。
ああ長文ごめんなさい!
テリィとキャンディの恋愛にどれだけ共感したかで、トラウマ具合は変わりそうですね。
テリィのスザナの側での再起は…確かに理解を越えたモノがありますね。
本当、書かれていない部分が大きい。
ロックスタウンは、やっぱり、テリィを読者に嫌いにさせるために描かれたのかな?そういう指摘をしていた人がいました。
わたしが、天使のはしごを読んで感じたのは、水木先生は、そういう、「どうしようも無いほどの理不尽を飲み込んで乗り越える場面」が、描きたかったんじゃないかな?って事なんです。
「どうしようも無いほどの理不尽を、嘆くところ」かもしれません。
キャンディが、愛する人と、どちらが悪いわけでは無く、理不尽にも別れなければならない!
それが、描きたかったのかな?
作者の意図を外して、丘の上の王子様のエピソードなど、物語の修辞的な見方など取っ払って、キャラクターがどのように行動するのか?…そんな観点だけからみれば、どんなエンドも可能性があると思います。
だけど、やっぱり、アルバートさんが強いかな。知り合ってから長いし、一緒に暮らしていましたからね。詳しく書かれなかったけれど、パジャマはお揃いだし。「今すぐ会いたいの」って言ってるし。
本当、描かれなかった、行間の空白多すぎ。
アルバートさんの魅力や与えてくれる安心感やアルキャンカップリングの相性の良さ、幸せを求めればアルバートさんと結ばれることこそが素敵な伏線回収だってことも承知。しかも年の差とか関係の変化っていうモチーフは。ゆっくり花が開花するような萌えで蜜の味だわと思います。部屋だの馬だの診療所だの過剰なプレゼントは溺愛萌え。(11歳差ってガラかめとどっちが先だったんだ?)
.....とにかく。どっちかがキャンディからあぶれる。あぶれた方もキャンディへの思いはずっと心に点っていくのでしょう。
キャンテリカップルは、雪の病院屋上で目を見開いて無言ですれ違った時に全てを理解し合ったかのごとくでした。テリィがスザナ抱っこの耐え難いシーンでした。きっと似てるんですね。熟慮より直感で選択。
キャンディキャンディは人生について考える上でテキスト。
NYの別れは死にたくなる状況、一回死んだようなもんでしょうね。アルバートさんがキャンディを温めたこと、アルバートさんの前ではキャンディが泣けたことは動かしがたい事実ですね。