医師との会話の中で、患者からの視点と医師からのそれが違うことを知った。
私は、手術が難しい、開けて閉じるだけかもと言われて、手術はできないものと思っていたので、そのことを受け入れ、感謝していた。
このまま、抗がん剤治療になるのかと思ったら、外科の診察にまわされ、手術となった。
気持ちを再度整えて、手術できることを感謝した。
でも、開けてみたら、やっぱり切除はできなかった(この時のどん底の苦しみは、過去の日記をご覧ください)。
患者の私からすれば、翻弄されてるわけで。
でも、医師達は、カンファレンスで描いていた計画通りなのだそうだ。(でも聞かされていなかった。病状とかは、本人にズバズバ言うのに)
違ったのは、私が医師の提案する再手術を受け入れなかったこと。
ネットでみても、癌治療は、初期の手術でないと完治できないように書いてあるし、外科医にもそう言われて手術を受けた。
でも、入院して色んな患者の話を聞くと、何度も手術している人や手術したのに再発してる人がいることがわかった。
それなら、臓器が残っているほうがいいと主(しゅ)に感謝した。
癌告知からずっと、牧師先生がたやクリスチャンの友人達、教会の皆さんに祈り続けてもらってるから、示された道を感謝しているから。
医師にとっては、癌との闘いなのかなと思うけど、本人にとっては、自分の生死のこと。
迷いに迷ったけれど、再手術を選択しないことにした。
皆んなにも祈ってもらっているから、外科医が、再手術の結果の良し悪しについて、率直にわからないと話してくれた。
だから、治療法として確立されていない、このまま延命で投薬を続けるのか、チャレンジするのかということになるということが分かった。
どう転ぶかわからない再手術に賭けるのか、神様に懸けるのかと考えたら、迷うべくもない。
私の神様(God. Jesus Christ)に、これまでと変わることなく、いやこれまで以上に、主(しゅ)に自分の人生を、命を懸ける。
そう決意を新たにして、この日記を書いた後、
彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。
新訳聖書 ペテロ第二の手紙 2章
の御言葉(みことば)が再び与えられた。
続く
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