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⑬天理教破折

2007-08-02 | 諸宗破折

 天理教は、中山みきによって幕末に創立された新興宗教の草分けともいうべき教団です。
他の新興宗教の成立過程と同じように、天理教も教祖の異常心理による神懸かり現象が開教の起因となります。中山みきは四一歳の時、神懸かりにあったとされています。
 その昔、釈尊が生老病死を救わんと志しての出家、また、世の乱れ、苦しみへの疑問解決のため出家された日蓮大聖人とは、もともとの出発点が違うことを、まず初めに知っておかなければなりません。
 教団では、信仰の対象として、「ぢば・親神天理王命・教祖中山みき」の三つを挙げています。「ぢば」は、親神が人間創造の際に最初に人間を宿した親里だとしています。
 「親神天理王命」は、人間をはじめ世界を創造した根元の神として、教祖中山みきの体を借りてこの世に現れ、世界中の人間を一切の苦から解放して喜びづくめの生活(陽気ぐらし)へと導き、守護すると説いています。親神は、キリスト教における神とよく似ており、この世を創造した創造主という概念になってます。
 また「教祖中山みき」は、死後もその命を「ぢば」にとどめて永遠に存在しているとし、親神による人類救済はこの「ぢば」を中心として行われるとされています。
 しかし、この万物創造の親神は、教祖みきに神懸かるまで一体何をしていたのでしょうか。親神の教えによってはじめて人類が救われるとするならば、それ以前の人類は救われないことになります。所詮、万物創造の親神は、中山みきが神がかりという精神医学でいう妄想の産物であり、因果を説かれる仏教には程遠い因行の無い外道神なのです。
 また、天理教では、親神が「どろ海中のどぢよを皆食べて、その心根を味い、これを人間のたねとされた」と述べています。しかし、「どじょうが人間のたね」などというのはあまりにも非科学的な教えであり、このような話が元となった宗教は人間を不幸に導く邪教です。
 また天理教には「貧に落ちきれ」という人生教訓があり、「人の幸せは物や金ではなく、心の安住が大事」と説き、教祖が全財産を貧しい人に施した事を、陽気暮らしの手本であるとし、信者は欲の原因となる金銭を親神に供え、教会に行き、人のために奉仕する事を実践の徳目としていますが、このような集金手法も新興宗教の特徴です。
 親神は、人間を助けたいとの親心で天理教を開いたとし、子である人間は親神の心を心として生きることが重要で、親神の思いにひたすら添うことが道であるとしています。そして、踊りや歌によって、陽気ぐらしの世界をこの地上に実現するといいます。
 天理教では、人間の肉体は親神から借りたもので、心だけが人間所有のものとして、親神の心を知ればどのような境遇でも心の持ち方一つで″陽気ぐらし″ができると主張しています。しかし、心の持ち方一つで真の幸福など得られるはずもなく、陽気暮らしにうつつをぬかし、全国万民が貧に落ちきる運動を続けていて、社会の安寧、また個々の将来は安泰でしょうか。それらを考えるとき、厳正な宗教教義でないことが判ります。
 日蓮大聖大の教えは「神懸かり」「どじょう」と違い、道理に基づいた因果が説かれています。また「陽気暮らし」と正反対の、人間の苦悩を正面から見つめ、苦難を乗り越えて人生を全うし、社会の安寧「立正安国」を説かれた真実の教えです。是非、お近くの
日蓮正宗寺院をお尋ね下さい。

 


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