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2007-08-02 | 基礎教学研鑚資料

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①天台宗破折

2007-08-02 | 諸宗破折

 天台宗は、中国の天台大師を教えの源とし、伝教大師最澄によって開かれた宗派で、比叡山延暦寺を総本山とします。そして、法華経本門で開顕された久遠実成無作の釈尊を本尊としています。また、釈尊と大日如来は一体不二であるとして大日如来も本尊とします。さらに、その他の仏・菩薩・明王などは、衆生済度のために本仏が縁に随って身を変えて現れたものであるから、何を本尊としても良いとします。
 しかし、本当にそれが正しい教えであり、天台・伝教の意に叶っているのでしょうか? 天台大師は、『法華経』をもって人々を救済し、伝教大師は天台大師の教えをもとに日本天台宗を開宗して、当時の人々に『法華経』の利益を与えました。しかし、この時代は像法時代であり、天台大師の教えは像法時代には衆生を救う功力がありましたが、末法の時代である現在にはその力が及ばないのであります。
 日蓮大聖人は、
 「設ひ天台・伝教の如く法のままありとも、今末法に至っては去年の暦の如し」
と説かれています。過ぎ去った昔の暦を用いるならば、日常生活にさまざまな支障をきたし安穏な生活が送れないのと同じように、利益を失った釈尊の仏法を末法の今、天台・伝教両大師の教え通りに信仰したとしても、利益を得ることはできないのであります。
 「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし」ともお示しです。
末法の時代は、日蓮大聖人が説かれた寿量文底の南無妙法蓮華経の教えを信仰することが、成仏の唯一の道なのであります。
 さらに、伝教大師は、天台大師の教義を用いて当時の南都六宗を破折し、像法時代に適した教えを弘めましたが、円仁・円珍・安然の時代に至り密教を取り入れ、法華円教のみを広めるべき本来の天台宗を汚濁してしまったのです。密教の経典である『大日経』『金剛頂経』『蘇悉地経』などは、天台大師の教えに依れば、小乗の教えに執着する二乗を弾訶するために説いた教えであり、ただちに真実の教えを説く『法華経』にははるかに及ばない低い教えであります。
『法華経』には、「我が所説の諸経而も此の経の中に於て 法華最も第一なり」
と示され、法華経こそ諸経の中で最第一の教えであると説かれております。ですから、円仁・円珍・安然が唱えた台密思想は、師である天台・伝教の両大師への背信行為に止まらず、仏説に違背した間違った教えであります。
 密教導入後の天台宗は、教義や本尊も雑多となり、阿弥陀信仰や修験道まで取り入れるという乱れきった現実となっています。
 日蓮大聖人様の法華経の教えこそ、天台や伝教も志したところの真実の宗教であります。是非、お近くの
日蓮正宗寺院をお尋ね下さい。


 



②真言宗破折

2007-08-02 | 諸宗破折

 真言宗は、高野山金剛峯寺を本山とし、弘法大師空海による真言秘密の教えを説く宗派であります。
そして、大日如来を根本仏として、『大日経』『金剛頂経』『蘇悉地経』の「真言三部秘経」を所依の経典とし、大日経に説かれる胎蔵界の曼陀羅と金剛頂経に説かれる金剛界の曼陀羅を礼拝の対象としています。
 真言宗では「金剛界」と「胎蔵界」の二つの世界観を説いています。仏菩薩のなかで大日如来こそ最高の仏とし、世界は大日如来の智慧を表す金剛界と、大日如来の慈悲を表す胎蔵界によって成り立つとします。この世界観を図示したものが、金剛界曼陀羅と胎蔵界曼陀羅であります。そして、大日如来と身心ともに一体となって修行を行えば、この身このまま仏になるという「我即大日」の即身成仏を説くのであります。その修行は、手に印を結ぶ身密、真言陀羅尼を唱える口密、心で析る意密の三密加持の実践にあるとします。これが、おおまかな真言宗の教義概要です。
 結論から申せば、真言宗の教主大日如来は、真実の仏ではありません。空海は、『秘蔵宝鑰』のなかで、釈尊を大日如来に比べれば無明の辺域と貶めているが、大日如来は釈尊によって説かれた理論上の生国不明の架空の仏であります。これに対し釈尊はインドで生まれ、菩提樹の下で悟りを開いた実在の仏であります。したがって、実在(本体)の釈尊より理論上(影)の大日如来が勝れた仏であるとする教えは本末転倒の間違いであります。
 また、真言宗では釈尊が説いた教えは方便であり、これを顕教と下し、大日如来が説いた密教である大日経が真実の教えであると主張し、「第一大日経、第二華厳経、第三法華経」とし、法華経を第三の戯論と貶めています。しかし、大日経は釈尊五十年の説法中、第三時方等部に属する方便権教の経であります。釈尊は法華経の序分である『無量義経』において「四十余年には未だ真実を顕さず」と説き、『法華経』には「正直に方便を捨てて但無上道を説く」「此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て、最も其の上に在り」等と説かれ、法華経こそが最勝の経であり、真の秘密教であると自ら説かれています。
 さらに、大日経にも法華経に説かれる一念三千の義が存するので、法華経と大日経は「理同」と主張し、大日経に印と真言が詳しく説かれているから、法華経よりも勝れている「事勝」と主張しますが、『法華経』に「為に実相の印を説く」「我が此の法印は世間を利益せん」と説かれており、大日経だけの独説ではありません。たとえ、手に印を結び、口に真言を唱え、即身成仏を説こうとも、十界互具・一念三千の実義もない大日経は、空理空論の邪説であります。
 このような真言宗の教えは、道理文証のうえからも善無畏や空海の主張が欺瞞と誑惑に満ちた主客転倒であることがわかります。この教えを信ずると、一家にあっては柱が倒れ、一国にあっては亡国となってしまうのであります。日蓮大聖人の法華経の教えこそ、真実の即身成仏の教えであります。是非、お近くの
日蓮正宗寺院をお尋ね下さい。

 



③浄土宗・浄土真宗破折

2007-08-02 | 諸宗破折

 浄土宗とは、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』に拠るもので、阿弥陀仏の本願に基づき、観仏や念仏によって、穢土であるこの娑婆世界を去って、阿弥陀仏の極楽浄土に往生しようと願う教えであります。
 釈尊は『無量義経』に「四十余年には未だ真実を顕さず」と説き、『法華経』には「正直に方便を捨てて但無上道を説く」と説いて、四十余年の経教はすべて法華経に導くための方便の教えであり、法華経のみが真実の教えであると明かしています。
 浄土宗の所依の経典は、この四十余年の間に説かれた方便の教えであり、未顕真実の教えであります。しかも唯一真実教である法華経を「千中無一」「捨閉閣抛」といって誹謗する念仏宗は、釈尊の教えに背反しています。この念仏を信仰することは、まさに無間の業を積む所為にほかなりません。
 『無量寿経』には、西方浄土の阿弥陀仏が念仏を称える者を救うと説かれていますが、例外として「唯五逆と誹謗正法とを除く」と言っています。すなわち阿弥陀仏自身が、正法である法華経を謗る者は救えないと断言しているのでありますから、念仏宗の信仰者は、自分たちが本尊と仰ぐ阿弥陀仏の本願にも背いていることを知るべきであります。
 浄土宗で本尊とする阿弥陀仏は、釈尊の経典中に出てくる架空の仏であり、実際にこの世に出て、衆生を教化したことはありません。これに対し釈尊は、現実にインドに生まれ、法を説き、衆生を済度された仏であります。『法華経』に「今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生悉く是れ我が子なり 而も今此の処諸の患難 多し唯我一人のみ能く救護を為す」と説かれるように、釈尊こそ主師親の三徳を備えた仏であり、現実の娑婆世界で、一切の衆生を救っていく真実の仏であることが明かされています。したがって、法華経に説かれる真実の仏を捨て架空の仏をたのむ浄土宗の教えでは、成仏は出来ません。
 また、念仏を称えれば、阿弥陀仏の本願力によって臨終の後、西方極楽浄土に往生できると説きます。しかし、このような教えは、私たちが住んでいる現実の世界を穢土といって嫌う厭世思想や、今世では決して成仏できないというあきらめや現実逃避の思想を生み出すもととなります。しかも現実に、さまざまな苦悩にあえいでいる人々を今世で救えないのでは、真実の教えとは言えないのではないでしようか。
 このような念仏の邪義を物語る話として、念仏の祖である善導の臨終が挙げられます。善導は、西に向かって極楽往生を願い、柳の木から身投げをしたが固い土の上に落ち、腰の骨を折って七日七夜苦しみもだえて死んだといわれます。これはまさに地獄の様相であり、正法である法華経を誹謗した現実の証拠であります。日蓮大聖人はこの善導の死について「善導と申す愚癡の法師がひろめはじめて自害をして侯ゆへに、念仏をよくよく申せば自害の心 出来し侯ぞ」と仰せられ、現世を厭うことを教える念仏を唱えるならば、善導と同じように自殺願望の心が生まれると破折されています。『法華経』には「我常在此。娑婆世界」「我常住於此」「我此土安穏」と説かれており、真実の仏は常に娑婆世界に住して教えを示され、衆生を教化されるのであります。この真実の仏様である日蓮大聖人の教えを信じて、お題目を唱えていく時、私達の住むこの娑婆の世界も、そのまま寂光の極楽土へと転ぜられ、即身成仏を遂げることができるのであります。
 是非、宗教の正邪を真剣に考えられ、お近くの
日蓮正宗寺院をお尋ね下さい。

 



④禅宗破折(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗)

2007-08-02 | 諸宗破折

 現在日本では、禅系の宗派として「臨済宗」「曹洞宗」「黄檗宗」の三宗があり、これらを総称して「禅宗」と呼んでいます。
 禅宗では、仏の悟りを「月」に、経典を「月を差す指」に譬え、仏の悟り(月)を得た後は、経典(月を指す指)は必要ないとし、その教義は達磨の「教外別伝・不立文字」「直指人心・見性成仏」に代表されます。「教外別伝・不立文字」とは、釈尊の教えの真意は文字などで表現できるものではなく、以心伝心といって、経典とは別に心より心へと伝えられるというものです。直指人心・見性成仏とは、教経を用いずに坐禅の修行によって自分の心を見つめ、自己の本性が仏そのものであると知ることをいいます。
 禅宗では「教外別伝・不立文字」と主張しているにもかかわらず、本尊と所依の経典を定めています。本尊は、釈迦牟尼仏・大日如来・薬師如来・観世音菩薩を中心として、宗派によってそれぞれ異なったものを立て、一定していません。また、所依の経典も『金剛般若経』『楞厳呪』『観音経』等で、宗派によって様々であります。
 禅宗では、釈尊の一代聖教には真実を顕さず、真実の法は釈尊が迦葉一人に、一代の教えのほかに別に伝えたといいます。しかし、釈尊の涅槃のときには、迦葉はその場にいなかったのであります。ゆえに、釈尊が華を拈んで迦葉尊者一人が笑みを浮かべたという事実はなく、禅宗でよく言う「拈華微笑」とは、まったく根拠のない作り話であります。
 また「教外別伝・不立文字」と説き、仏の真意は文字を立てず心から心へ伝わるというが、「教外別伝・不立文字」と仏が説いたこと自体が教えであり、言葉であり、文字として残っているではないでしょうか。不立文字とは文字を立てないことでありますから、当然、経典等は用いないことになりますのに、その根拠を『大梵天王問仏決疑経』の経文に依るとは自語相違でありましょう。
 しかも依経としている『大梵天王問仏決疑経』は、大蔵経の古録である『貞元釈教録』『開元釈教録』にもその存在はなく、古来より偽経として扱われているのであります。
 また、達磨は『楞伽経』を註釈した書物を作り、第二祖慧可に禅の法を伝えたとしていますが、これもまた「不立文字・以心伝心」の禅宗の教えに自語相違しています。
  一代聖教を誹謗し、経典を捨て去り、教外別伝・不立文字を立てる禅宗は、『涅槃経』の、「若し仏の所説に随わざる者あらば、是れ魔の眷属なり」と説かれるように天魔の所業といわざるをえません。
 さらに「直指人心・見性成仏」といい、教経を用いず、坐禅によって見る自己の本性が仏性であり、仏そのものとします。たしかに衆生はすべて仏ともいえますが、それは単なる理論上の仏であって実際の仏ではありません。三毒強盛の凡夫の心は所詮、迷いの心であって、その心をいかに見つめても仏心を観ずることはできません。だからこそ釈尊は『涅槃経』に、「願って心の師と作るとも心を師とせざれ」と説かれ、人の心は迷いの心であって、その心を師匠とすべきでない、と誡められているのであります。完全無欠の仏を蔑ろにし、「是心即仏・即身是仏」などと凡夫の愚癡無慚の心をもって、「我が心を観じることによって仏となる」という禅宗の教えは、随分と増上慢な教えと言えましょう。
 是非、宗教の正邪を真剣に考えられ、お近くの
日蓮正宗寺院をお尋ね下さい。

 



⑤日蓮宗破折

2007-08-02 | 諸宗破折

 日蓮宗では、釈尊の仏像を本尊とし、大聖人の示された大曼荼羅は、久成の釈尊の広大な慈悲の世界を紙幅に書き現したものであるとしています。
 具体的な本尊形態については、最も多いのが一尊四士であり、所謂、仏像の本尊であります。しかし、何故大聖人様は曼荼羅を顕したのでしょうか。当然、根本尊崇の対象としてでありましょう。故に大聖人が御図顕の曼荼羅本尊を蔑ろにして釈尊の仏像を崇めることは、宗祖の意に背く師敵対大謗法の極みといわざるを得ません。
 また日蓮宗では、僧職に在る者が誰でも曼荼羅を書き、その曼荼羅中に「日蓮大菩薩」と書いたり、首題の南無妙法蓮華経の下の「日蓮」の御名を削除し、代わりに自分の名を書き加えるという大きな過ちを犯しています。
 これらの原因は、日蓮宗ではあくまでも仏は久成の釈尊であり、大聖人は釈尊から末法の弘通を託された上行菩薩の再誕であるとしか見ることができないことにあります。
 大聖人が説き明かされた南無妙法蓮華経は無始無終の法であり、久遠元初に一人の聖人があって即座開悟されたのが、その法の実体であります。またその聖人とは、我が身即妙法と悟った一迷先達の仏であります。ゆえに証悟の人はこの妙法のほかになく、また妙法はこの証悟の人の他にはありえず、人即法、法即人、人法体一なのであります。そして、末法にその久遠の法を顕す日蓮こそ、そのまま久遠元初の仏であり所弘の法は久遠の本法であります。
 したがって、実に根本の仏こそ日蓮大聖人であり、曼荼羅本尊の中央に、「南無妙法蓮華経 日蓮判」と認められているのは、日蓮即南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経即日蓮という人法一箇の本尊の深義を顕しているのです。
 日蓮宗は、相伝なきがゆえに、大聖人の法門を勝手に解釈し、大聖人が御本尊に認められたこともなかった「日蓮大菩薩」などと書いているのであります。
 富士大石寺においては、日興上人以来、血脈相伝を承けた代々の法主上人によってのみ御本尊が書写され、宗内僧俗に授与されてきました。日蓮正宗の何処の寺院、何処の信徒宅へ行っても、御本尊はすべて法主上人書写の曼荼羅御本尊であります。
 この事実こそ、大聖人から日興上人以来七百年、現在に至るまで本尊の深義が代々の法主上人のみに相伝されてきた何よりの証左であります。
 これとは逆に、身延を中心とした日蓮宗各派の本尊雑乱の実態と曼荼羅御本尊の軽視こそ、信仰の根幹に迷う不相伝の輩であることを、自ら証明するものであります。
 日蓮宗の寺院には、現在も鬼子母神、稲荷、七面大明神、清正公など、三十番神をはじめ雑多なものを信仰の対象として祀っています。しかし、これらの雑乱勧請は、すべて大聖人滅後、宗祖の教えに迷乱した弟子檀那によって作り出されたものであります。
 現在、身延の門前では、大聖人の曼荼羅本尊の複製がおみやげとして不特定の参拝客に売られています。このような実態こそ、宗祖が「諸宗は本尊に迷えり」と仰せられた邪宗の姿であり、謗法を誡め、他宗の者に本尊を授与されなかった宗祖の教えに背く非法宗団そのものなのであります。
 日蓮大聖人の真実の教えは、富士大石寺を総本山と仰ぐ日蓮正宗にのみ存します。是非、お近くの
日蓮正宗寺院をお尋ね下さい。

 

 



⑥顕正会破折

2007-08-02 | 諸宗破折

 顕正会は、かつては「妙信講」といい、日蓮正宗法華講の一講中として活動していましたが、正本堂の意義付けを巡って創価学会と激しく対立し、やがて第六六世日達上人の御指南に背いたため、昭和四九年に日蓮正宗より講中解散の処分に付された団体です。今は「冨士大石寺顕正会」と自称し、正系門下の「日蓮正宗大石寺」と紛らわしい名称を使い、会員を惑わしています。顕正会の主な主張を三つ挙げますと、

一、事の戒壇は、国立戒壇である。

 「国立戒壇」という名称は御書になく、この名称をはじめて使用したのは、明治時代の国粋主義者、田中智学です。本宗においても法論等のなかで便宜上使ったこともありましたが、伝統教義、宗門の公式見解として使用したのではありません。
 ここで最も大切なことは、宗祖大聖人の血脈を継承される時の御法主上人がその時代性を鑑みて、どのように御指南されるかということであって、この御指南に従うことが日蓮正宗の信仰の在り方です。日達上人は、
 「明治時代には、国立戒壇という名称が一般の人に理解しやすかったので本宗でも使用したが、もとより明治以前には、そういう名称はなかったのである。よって、いらぬ誤解を招いて布教の妨げとならぬよう、今後は国立戒壇という名称は使用しないことにする」と明確に御指南されました。こうした経緯を弁えずに、顕正会が「近代の御法主上人の仰せに国立戒壇の語があるのに、現在の大石寺は国立戒壇を捨てた」などと喚くのは、まったくの戯言に過ぎないのです。

二、事の戒壇は、天皇の発願により、天母山に建立する。

 顕正会では、事の戒壇建立は、天皇をはじめとする上下万民が三大秘法を信じた日本国の広宜流布の時とし、国権の最高機関である国会の議決、内閣の決定が手続きで、建立の場所は天母山(天母原)であるなどと勝手な主張をしていますが、将来、国情がどのように変化していくのかわからない現時において、未来の戒壇建立の形態を云々することは、不毛の論です。それは時の御法主上人が血脈所持のうえから御指南されるもので、大聖人の御遺命を、血脈不相伝の輩が勝手な解釈を加えて論ずることは、大謗法となります。また天母山戒壇説は、大石寺にはもともとなかったものであり、京都要法寺の方から入ってきた説を利用した偏見と我見の邪説です。

三、広宣流布以前は、本門戒壇の大御本尊安置の場所は義の戒壇である。

 日蓮正宗おいては、古来、本門戒壇の大御本尊在すところがそのまま本門の事の戒壇とし、その上で、広宣流布達成の暁に、信仰の根源の霊場として戒壇堂が建立されるのが、御遺命の「本門寺の戒壇」です。顕正会の基本的な誤りは、大聖人の御書の解釈を自分勝手に判断するところにあるのであり、師弟子の道を違える謗法です。時の御法主上人が血脈所持の上から御指南・裁定された事に信順していくのが日蓮正宗の信仰です。
 以上の三点以外にも、地方の会館それぞれに安置されている本尊の出所が不明な事、会員の危機感を煽る地震や戦争などの予言、特に若年層を中心とした暴力的勧誘が社会問題となっている事など、顕正会には多くの矛盾や問題があります。
 根本たる総本山大石寺から離れた所に真実の教えはありません。是非、お近くの
日蓮正宗寺院をお尋ね下さい。

 

顕正会の皆さんへ ※さらに詳しい顕正会について

 



⑦正信会破折

2007-08-02 | 諸宗破折

 正信会は、日蓮正宗に従わない僧侶らが、形成している集団です。
 正信会の発端は、昭和五十二年の創価学会謗法問題にあります。創価学会の謗法が明らかになって、各地で学会を脱会する信徒が相次ぎ、寺院はこれを直属信徒(檀徒)として受け入れました。
 こうした中、日達上人は、学会の過ちを改めさせ、僧俗和合して広宣流布に前進するよう教導されました。昭和五十三年六月、宗門は学会に対し、三十四ヵ条にわたる教義上の誤りを指摘して回答を求めました。学会はその回答として、聖教新聞紙上に「教義上の基本問題について」と題する記事を掲載しました。しかし学会員に徹底されず、新たに発覚した御本尊模刻事件等によって、学会の謗法行為がさらに明らかになりました。そこで池田大作は、同年十一月七日、総本山において「創価学会創立四十八周年代表幹部会」(お詫び登山)を開催し、謝罪の意を表明しました。その経過後、池田大作は、法華講総講頭及び創価学会会長の職を辞し、今後、創価学会は二度と教義上の誤りを犯さないことを宗門に誓いました。これに対して日達上人は、「今後は信徒団体としての基本は忠実に守り、宗門を外護して頂きたいのであります」と述べられ、学会問題を収束されました。
 昭和五十四年七月二十二日、日達上人が遷化され、日顕上人が第六十七世の法主として登座されました。日顕上人は、日達上人の示された僧俗和合・協調の基本路線を継承しましたが、一部の僧侶らは、日顕上人の指南及び宗務院の命令に反して学会攻撃を続け、ついには日顕上人や宗務院を批判するようになりました。日顕上人は一年有余にわたり、指南に従うよう説得をされましたが、彼らは一向に反省しませんでした。
 そして昭和五十五年七月四日、一部僧侶等は自称「正信会」を結成し、正信覚醒運動と称して学会批判を続け、同年八月二十四日の第五回檀徒大会の開催を企画しました。これに対し宗務院は、主催者に大会の中止命令、及び宗内僧俗に対して大会への参加を禁止する旨を再三にわたり通達したが、正信会は、一切を無視し大会を強行しました。そこで宗務院はやむを得ず、宗制宗規に則り、大会主催者・出席者・関与者をその情状に応じて懲戒処分に付しました。正信会は、この懲戒処分への対抗手段として同年十二月十二日、突如日顕上人に対して、血脈相承に疑義があるとの質問状を提出し、続いて翌年一月二十一日、静岡地裁に対し、「日顕上人への血脈相承はなかった」との理由を作り上げて、管長地位不存在の確認並びに職務執行停止を求めて提訴しました。これに対し宗門は、この裁判を起こした正信会僧侶を、宗制宗規に則って擯斥処分に付しました。
 正信会は、日顕上人は「日達上人の方針を変えた」と言っていますが、学会五十二年路線の問題の収束に当たって、再び協調路線をとられたのは日達上人御自身です。実は当時から正信会は、日達上人の御指南に違背していたのです。こうした事実を覆い隠し、「日顕上人が日達上人の方針を変えた」というのは、あまりにも手前勝手ないい分です。結局、自分たちの主張に反対する者は誰であれ否定し、自分たちの考えだけが正しいとの我見を通そうとしています。正信会のいい分はすべてが御都合主義であり、終始一貫していないことは明白です。日蓮正宗の信仰の根源である本門戒壇の大御本尊と血脈相伝の仏法から離れてしまった正信会員は、もはや創価学会員と同じく、堕地獄の因を積んでいるのです。
 元の正しい信心に戻る為にも、是非、お近くの
日蓮正宗寺院をお尋ね下さい。

 



正信会の概要

2007-08-02 | 正信会の概要

【創 立】昭和55年7月4日
【創始者】かつて日蓮正宗に在籍していた一部の僧侶
(代表:正信会議長・坂井進道/平成14年現在)
【本 尊】宗祖日蓮大聖人の御魂(目には見えないもの)
【経 典】大聖人御書及び法華経等
【信者数】不明

 

【沿革】
 正信会とは、日蓮正宗の方針に従わない僧侶たちが、宗門の正しい信仰から離反していき、形成している集団である。 正信会の発端は、昭和52年の創価学会謗法問題である。創価学会の謗法が明らかになるにしたがって、各地で学会を脱会する信徒が相次ぎ、寺院はこれを直属信徒(檀徒)として受け入れた。こうした状況のなか、時の法主であった第66世日達上人は、学会の過ちを改めさせ、僧俗和合して広宣流布に前進するよう教導された。

 昭和53年6月、宗門は学会に対し、34カ条にわたる教義上の誤りを指摘して回答を求めた。学会はその回答として、同月30日の聖教新聞紙上に「教義上の基本問題について」と題する記事を掲載した。しかしそれは学会員に徹底されず、新たに発覚した御本尊模刻事件等によって、学会の謗法行為がさらに明らかになった。窮地に追い込まれた創価学会3代会長池田大作は、同年11月7日、総本山において「創価学会創立48周年代表幹部会」(お詫び登山)を開催し、謝罪の意を表明した。 その経過のなかで昭和54年4月24日、池田はこれまでに起こった問題の責任をとらざるを得ない状況に追い込まれ、法華講総講頭及び創価学会会長の職を辞し、今後、創価学会は二度と教義上の誤りを犯さないことを宗門に誓った。

 これに対して日達上人は、昭和54年5月3日、創価学会第40回本部総会の砌、「今後は信徒団体としての基本は忠実に守り、宗門を外護して頂きたいのであります。そのうえで自主的な指導と運営で伸び伸びと御活躍を願いたいのであります」(聖教新聞昭和54年5月4日付)と述べられ、創価学会問題を収束された。そして宗門僧侶に対しては、「学会にいまだに間違ったことがあるならば、宗務院、内事部(大石寺)のどちらにでも言ってきて下されば、それを向こうに注意して改めさせていくつもりでおります。ですから皆様が相変わらず今年の5月3日以前のような態度であっては、宗門としてはまことに困るのであります」(大日蓮401-60)と御指南され、創価学会についての問題は、宗務院・内事部レベルで解決していくという方針を打ち出された。それとともに宗務院は、御講における創価学会攻撃や、「檀徒作り」を禁止し、違反する者は処分も辞さない旨の通達を出した。 昭和54年7月22日、日達上人が遷化され、日顕上人が第67世の法主として登座された。日顕上人は、日達上人の示された僧俗和合・協調の基本路線を継承してその徹底を図られた。しかし一部の僧侶らは、日顕上人の指南及び宗務院の命令に反して創価学会攻撃を続け、ついには日顕上人や宗務院を批判するようになった。

 日顕上人は一年有余にわたり、指南に従うよう説得をされたが、彼らは一向に反省することはなかった。 そして昭和55年7月4日、一部僧侶等は自称「正信会」を結成し、正信覚醒(かくせい)運動と称して学会批判を続け、同年8月24日の第5回檀徒大会の開催を企画した。 これに対し宗務院は、主催者に大会の中止命令、及び宗内僧俗に対して大会への参加を禁止する旨を再三にわたり通達したが、正信会は、一切を無視し大会を強行した。そこで宗務院はやむを得ず、宗制宗規に則り、大会主催者・出席者・関与者をその情状に応じて懲戒処分に付した。 正信会は、この懲戒処分への対抗手段として昭和55年12月13日、突如日顕上人に対して、血脈相承に疑義があるとの質問状を提出し、続いて昭和56年1月21日、静岡地裁に対し、「日顕上人への血脈相承はなかった」との理由を作り上げて、管長地位不存在の確認並びに職務執行停止を求めて提訴した。これに対し宗門は、血脈相承の否定は信仰の根幹に関わることであるから、この裁判を起こした正信会僧侶を順次、宗制宗規に則って擯斥(ひんせき)処分に付した。これによって正信会僧侶は、まったく日蓮正宗と無関係となった。しかし一部の日蓮正宗寺院は、現在でも正信会の者たちによって不法に占拠されている。

【教義の概要】
 正信会では、その会の派生経過上、日蓮正宗の教義を踏襲せざるを得ない。しかし、団体の存続と保身を図るために正義を曲解し、以下のようなことを主張している。

一、 「血脈」とは、宗開両祖の法門、富士の立義そのものをいい、「法水写瓶」とは、御本仏の慈悲が永遠に閻浮提に流れ、一切衆生を潤すことを示す法門上の比喩である。(継命471)

二、「戒壇の大御本尊」は、肉眼で拝し得るものではないために古来御宝蔵に奉安され、遙拝されてきた。板の上にお文字をもって示された御本仏の内証を拝し、己心に頂戴してこそ、御本尊の実義がある。宗祖の御魂こそが信仰上、永遠性を有する本尊であり、墨に染め流して図顕された曼荼羅は、無常を免れない。つまり、本門戒壇の大御本尊をそのまま本尊と見るのではなく、その奥に存在する御本仏の内証本尊(心法)を拝するのである。(継命472)

三、「本仏」とは、鎌倉時代に生まれた日蓮ではなく、時空の制約を受けることのない信仰上の存在としての日蓮大聖人である。(継命471)



【破折の要点】

◆血脈相承否定論
 正信会は、日顕上人が日達上人から血脈相承されていないとして、唯授一人の血脈相承の断絶を主張している。この主張をいい始めたのは、日顕上人が登座されてより実に一年半を経過した後のことであり、それまで積極的に肯定していた血脈の大事を、なぜ、一年半もたってから否定してきたのか。その理由は明白である。それは彼らの擯斥処分を無効とするための窮余の一策として、日顕上人への血脈を否定することが最も効果的であると考えたからである。正信会はさも純粋な宗教論争を行っているかのように吹聴しているが、その実、極めて政治的・謀略的な行動に終始しているのである。

 また、本宗信仰の命脈である血脈相承を否定する正信会の主張は、大聖人の相伝仏法を否定することと同一である。『日蓮一期弘法付嘱書』に示された、「血脈の次第日蓮日興」(新編1675)との御文は、未来永遠にわたる唯授一人・血脈相承の方規を示す金言である。

 日達上人は、昭和53年4月15日に日顕上人へ血脈相承され、翌年7月22日に遷化された。その後、お座替り式および御盃の儀が厳粛に執り行われ、宗内僧俗は、日顕上人との師弟の契りを固めたのである。このとき、異議を唱える者は誰一人としていなかったのは衆知のことである。

 日顕上人への血脈相承を否定し、「血脈は正しく法を護る者に流れる」という正信会の説は、信心の血脈さえあればよいという創価学会と同じ理論である。

 かつて彼らは、日顕上人への血脈相承に疑義をはさむ檀徒に対して、「最近、某週刊誌に某檀徒の発言といたしまして、血脈相承の問題、また恐れ多くも御法主上人猊下に及び奉ることがらを、得意になって云々している記事が目につきました。私共指導教師といたしまして、顔から火が出るほど恥ずかしく、また、大変情けない想いをいたしました。これは、もはや檀徒でもなければ、信徒でもありません。(中略)御戒壇様、大聖人の人法一箇の御法体を血脈相承遊ばす御法主、代々の上人を悉く大聖人と拝し奉り、その御内証・御法体を御書写遊ばされたる御本尊に南無し奉るのでございます」(昭和54年8月25日・第3回全国檀徒総会紀要)と厳しく注意をしていた。そしてこれは同時に、52年路線の創価学会の血脈観を破折していたものでもある。

 唯授一人の血脈相承は、日蓮正宗と他の日蓮門下との正邪を決する最重要義であり、宗開両祖以来終始一貫した宗門の根本義である。もし日顕上人が当時、正信会の言い分をすべて認めていたら、彼らも血脈に疑義有りなどと馬鹿げた主張はしなかったであろう。正信会の血脈相承否定は所詮、自分たちの主張が通らないからという程度のものなのである。

 彼らは逃げ口上として、血脈相承といっても今の宗門の考えているようなものではないと反論するかもしれない。しかし、大聖人の時代より今日までの700年間の血脈厳護の歴史を見れば、それがまったくの戯論(けろん)であることは火を見るよりも明らかである。 正信会は、本宗の「血脈」を「宗開両祖の法門、富士の立義そのもの」といい、「法水写瓶」を「御本仏の慈悲が永遠に閻浮提に流れ、一切衆生を潤すことを示す法門上の比喩である」などといっているが、唯一人から一人へ付される血脈相承の大事を忘れ、血脈を受けたことのない人間が血脈を云々すること自体、浅識の極みなのである。

◆本門戒壇の大御本尊を唯物・偶像と捉える謬見(びゅうけん)
 
正信会では、「『日蓮がたましひ』とは、宗祖証得の事の一念三千、己心内証の本尊である。『すみにそめながして・かきて候』とは、その内証の本尊を一幅の曼荼羅として図顕されることである。宗祖の御魂こそが信仰上、永遠性を有する本尊であり、墨に染め流して図顕された曼荼羅は、無常を免れない。ましてや墨そのもの、板や紙そのものが宗祖の御魂であるはずがない」(継命472)、「宗祖所顕の曼荼羅をもって本尊とするが、ただ偶像的対象として本尊を拝するものではない」(継命472)、「我々は大御本尊を唯物呼ばわりしたことはない。大御本尊が板の上に顕されているのは事実であり、我々はそこに示されている御本仏の魂(心法)を大御本尊と拝すべきであるといっているのである」(継命472)、「ダイナマイト1本で吹っ飛ぶような物が、大聖人の究極の本尊であるわけがない。それは唯物の次元に堕した本尊観である。我々は、色法の御本尊の奥に眼には見えない御本仏の心法を拝するのであり、その仏の心法こそが常住不滅の真実の大御本尊である」(正道2-8-4)と主張している。これらを整理してみると、

一、正信会でも、本尊は大聖人所顕の曼荼羅とする。
二、「日蓮がたましひ」(経王殿御返事)とは、大聖人の己心に建立されている本尊(内証本尊)である。
三、己心内証の本尊とは、色法の御本尊の奥にある目に見えない御本仏の心法である。
四、 「墨に染め流して書きて候」とは、その目に見えない内証本尊を形の上に顕わした本尊であり、無常を免れないものである。 というものである。

 彼らは、大聖人所顕の曼荼羅を本尊としながらも、その本尊には、2種あると主張していることになる。一つは、大聖人の己心に建立される、目に見えない内証本尊であり、もう一つは、その内証本尊を形に顕わした、いわゆる外相本尊というものである。 大聖人の本尊に、内・外の2種があるという正信会の考え方が、そもそも根本的な間違いである。「目に見えない己心内証の本尊」などは、御書のどこにも示されていないし、歴代上人の御指南にもまったく存在しない。大聖人が御図顕された御本尊以外に、日蓮大聖人の本尊はありえないのである。

 大石寺歴代上人は、御本尊について、次のように御指南されている。 第26世日寛上人『観心本尊抄文段』:「今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画(もくえ)と謂うこと勿(なか)れ」(御書文段214) 第25世日宥上人『本尊抄記』:「本尊とは自受用蓮祖の色心全体南無妙法蓮華経なるが故に事なり。是を事に行じ事に顕わすが故に事なり」(歴全3-384) 第29世日東上人『観心本尊抄聴聞荒増』:「事行と云うは、久遠元初の自受用報身宗祖の色心全体を事と云うなり。此を本尊と顕わして此の事を行ずる故に事行と云うなり。是れ法体も事なり、行も事なり。故に事行と云うなり」(研教12-558) 以上の指南にも明らかなとおり、久遠元初の御本仏たる日蓮大聖人が末法に出現され、その己心に具えられた事の一念三千の当体たる南無妙法蓮華経を、事相のうえに本門戒壇の大御本尊として御図顕されたのである。その御本尊以外に、正信会の主張するような「内証の本尊」などあり得ないのである。

 正信会は「我々は大御本尊を唯物呼ばわりしたことはない」などといい訳をしているが、「墨に染め流して図顕された曼荼羅は、無常を免れない。ましてや墨そのもの、板や紙そのものが宗祖の御魂であるはずがない」といい、我々が拝する目に見える御本尊は「唯物の次元に堕した本尊観である」との正信会の論理こそ、大聖人御図顕の御本尊を唯物的に捉え、偶像と見なしている何よりの証拠である。

 また、本門戒壇の大御本尊を御本仏大聖人の色心全体と拝せず、「色法の御本尊の奥に眼には見えない御本仏の心法を拝するのであり、その仏の心法こそが常住不滅の真実の大御本尊である」というのであれば、これほど難しい観念観法はない。 末法の衆生は底下の凡夫なるが故に、大聖人は御本尊を御図顕されたのであるから、この御本尊を信心の対境と拝し、受持唱題の一行に徹すべきである。

◆「末法出現の凡身日蓮は本仏に非ず」について
 正信会では、「『本仏』とは、鎌倉時代に生まれた日蓮ではなく、時空の制約を受けることのない信仰上の存在としての日蓮大聖人である」(継命471)といって、末法出現の凡身日蓮大聖人は御本仏ではないと主張している。

 しかし『御義口伝』には、「末法の仏とは、凡夫なり、凡夫僧なり」(新編1779)と示されており、また、日寛上人は『末法相応抄』に、「蓮祖一身の当体全く是れ十界互具の大曼茶羅なり」(六巻抄146)、「本地自行の自受用身は即ち是れ本因妙の教主釈尊なり。本因妙の教主釈尊は即ち是れ末法出現の蓮祖聖人の御事なり」(六巻抄148)、「久遠元初の自受用身とは本因名字の報身にして色相荘厳の仏身に非ず、但名字凡身の当体なり」(六巻抄149)と仰せである。

 これらの御文は、鎌倉時代に出現した凡夫日蓮大聖人が直ちに久遠元初の自受用報身如来であり、末法の御本仏であることを明確に示されたものである。末法出現の名字凡夫・日蓮大聖人を離れて、久遠元初の御本仏はない。末法出現の日蓮大聖人を、凡身であるとか、肉身であるといって「本仏」と区別し、「時空の制約を受けることのない信仰上の存在としての日蓮大聖人」こそ本仏であるなどという説は、当家の法門にはないまったくの謬論である。

◆法主上人の御指南への背反
 
正信会の中心者たちは、日顕上人は「日達上人の方針を変えた」などと批判しているが、創価学会52年路線の問題の収束に当たって、再び学会との協調路線をとられたのは日達上人御自身である。その日達上人を彼らが陰で批判していたのは、自分たちが一番よく知っていることであろう。当時から彼らは、日達上人の御指南に従っているようで、その実、御指南に違背していたのである。

 こうした事実を覆い隠し、「日顕上人が日達上人の方針を変えた」などというのは、あまりにも手前勝手ないい分である。結局、彼らは自分たちの主張に反対する者は誰であれ否定し、自分たちの考えだけが正しいとの我見を通そうとしているだけである。 これらのことから、正信会のいい分はすべてが御都合主義であり、終始一貫していないことは明白である。

 一部の中心者によって、その時々に作り出された珍説を教え込まれ、日蓮正宗の信仰の根源である本門戒壇の大御本尊と血脈相伝の仏法から離れてしまった正信会員の行く末は哀れというほかはない。
●宗旨建立750年慶祝記念出版委員会編●(諸宗破折ガイド178~184)

 青年僧侶邪義破折班


「自称正信会」に関連した事項を
大日蓮より

大日蓮・昭和58年6月(第448号)

~大日蓮・昭和60年9月(第475号)

 


 

異流義正信会を折伏しよう

(妙観講HP)