天台宗は、中国の天台大師を教えの源とし、伝教大師最澄によって開かれた宗派で、比叡山延暦寺を総本山とします。そして、法華経本門で開顕された久遠実成無作の釈尊を本尊としています。また、釈尊と大日如来は一体不二であるとして大日如来も本尊とします。さらに、その他の仏・菩薩・明王などは、衆生済度のために本仏が縁に随って身を変えて現れたものであるから、何を本尊としても良いとします。
しかし、本当にそれが正しい教えであり、天台・伝教の意に叶っているのでしょうか? 天台大師は、『法華経』をもって人々を救済し、伝教大師は天台大師の教えをもとに日本天台宗を開宗して、当時の人々に『法華経』の利益を与えました。しかし、この時代は像法時代であり、天台大師の教えは像法時代には衆生を救う功力がありましたが、末法の時代である現在にはその力が及ばないのであります。
日蓮大聖人は、
「設ひ天台・伝教の如く法のままありとも、今末法に至っては去年の暦の如し」
と説かれています。過ぎ去った昔の暦を用いるならば、日常生活にさまざまな支障をきたし安穏な生活が送れないのと同じように、利益を失った釈尊の仏法を末法の今、天台・伝教両大師の教え通りに信仰したとしても、利益を得ることはできないのであります。
「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし」ともお示しです。
末法の時代は、日蓮大聖人が説かれた寿量文底の南無妙法蓮華経の教えを信仰することが、成仏の唯一の道なのであります。
さらに、伝教大師は、天台大師の教義を用いて当時の南都六宗を破折し、像法時代に適した教えを弘めましたが、円仁・円珍・安然の時代に至り密教を取り入れ、法華円教のみを広めるべき本来の天台宗を汚濁してしまったのです。密教の経典である『大日経』『金剛頂経』『蘇悉地経』などは、天台大師の教えに依れば、小乗の教えに執着する二乗を弾訶するために説いた教えであり、ただちに真実の教えを説く『法華経』にははるかに及ばない低い教えであります。
『法華経』には、「我が所説の諸経而も此の経の中に於て 法華最も第一なり」
と示され、法華経こそ諸経の中で最第一の教えであると説かれております。ですから、円仁・円珍・安然が唱えた台密思想は、師である天台・伝教の両大師への背信行為に止まらず、仏説に違背した間違った教えであります。
密教導入後の天台宗は、教義や本尊も雑多となり、阿弥陀信仰や修験道まで取り入れるという乱れきった現実となっています。
日蓮大聖人様の法華経の教えこそ、天台や伝教も志したところの真実の宗教であります。是非、お近くの日蓮正宗寺院をお尋ね下さい。
真言宗は、高野山金剛峯寺を本山とし、弘法大師空海による真言秘密の教えを説く宗派であります。
そして、大日如来を根本仏として、『大日経』『金剛頂経』『蘇悉地経』の「真言三部秘経」を所依の経典とし、大日経に説かれる胎蔵界の曼陀羅と金剛頂経に説かれる金剛界の曼陀羅を礼拝の対象としています。
真言宗では「金剛界」と「胎蔵界」の二つの世界観を説いています。仏菩薩のなかで大日如来こそ最高の仏とし、世界は大日如来の智慧を表す金剛界と、大日如来の慈悲を表す胎蔵界によって成り立つとします。この世界観を図示したものが、金剛界曼陀羅と胎蔵界曼陀羅であります。そして、大日如来と身心ともに一体となって修行を行えば、この身このまま仏になるという「我即大日」の即身成仏を説くのであります。その修行は、手に印を結ぶ身密、真言陀羅尼を唱える口密、心で析る意密の三密加持の実践にあるとします。これが、おおまかな真言宗の教義概要です。
結論から申せば、真言宗の教主大日如来は、真実の仏ではありません。空海は、『秘蔵宝鑰』のなかで、釈尊を大日如来に比べれば無明の辺域と貶めているが、大日如来は釈尊によって説かれた理論上の生国不明の架空の仏であります。これに対し釈尊はインドで生まれ、菩提樹の下で悟りを開いた実在の仏であります。したがって、実在(本体)の釈尊より理論上(影)の大日如来が勝れた仏であるとする教えは本末転倒の間違いであります。
また、真言宗では釈尊が説いた教えは方便であり、これを顕教と下し、大日如来が説いた密教である大日経が真実の教えであると主張し、「第一大日経、第二華厳経、第三法華経」とし、法華経を第三の戯論と貶めています。しかし、大日経は釈尊五十年の説法中、第三時方等部に属する方便権教の経であります。釈尊は法華経の序分である『無量義経』において「四十余年には未だ真実を顕さず」と説き、『法華経』には「正直に方便を捨てて但無上道を説く」「此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て、最も其の上に在り」等と説かれ、法華経こそが最勝の経であり、真の秘密教であると自ら説かれています。
さらに、大日経にも法華経に説かれる一念三千の義が存するので、法華経と大日経は「理同」と主張し、大日経に印と真言が詳しく説かれているから、法華経よりも勝れている「事勝」と主張しますが、『法華経』に「為に実相の印を説く」「我が此の法印は世間を利益せん」と説かれており、大日経だけの独説ではありません。たとえ、手に印を結び、口に真言を唱え、即身成仏を説こうとも、十界互具・一念三千の実義もない大日経は、空理空論の邪説であります。
このような真言宗の教えは、道理文証のうえからも善無畏や空海の主張が欺瞞と誑惑に満ちた主客転倒であることがわかります。この教えを信ずると、一家にあっては柱が倒れ、一国にあっては亡国となってしまうのであります。日蓮大聖人の法華経の教えこそ、真実の即身成仏の教えであります。是非、お近くの日蓮正宗寺院をお尋ね下さい。
浄土宗とは、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』に拠るもので、阿弥陀仏の本願に基づき、観仏や念仏によって、穢土であるこの娑婆世界を去って、阿弥陀仏の極楽浄土に往生しようと願う教えであります。
釈尊は『無量義経』に「四十余年には未だ真実を顕さず」と説き、『法華経』には「正直に方便を捨てて但無上道を説く」と説いて、四十余年の経教はすべて法華経に導くための方便の教えであり、法華経のみが真実の教えであると明かしています。
浄土宗の所依の経典は、この四十余年の間に説かれた方便の教えであり、未顕真実の教えであります。しかも唯一真実教である法華経を「千中無一」「捨閉閣抛」といって誹謗する念仏宗は、釈尊の教えに背反しています。この念仏を信仰することは、まさに無間の業を積む所為にほかなりません。
『無量寿経』には、西方浄土の阿弥陀仏が念仏を称える者を救うと説かれていますが、例外として「唯五逆と誹謗正法とを除く」と言っています。すなわち阿弥陀仏自身が、正法である法華経を謗る者は救えないと断言しているのでありますから、念仏宗の信仰者は、自分たちが本尊と仰ぐ阿弥陀仏の本願にも背いていることを知るべきであります。
浄土宗で本尊とする阿弥陀仏は、釈尊の経典中に出てくる架空の仏であり、実際にこの世に出て、衆生を教化したことはありません。これに対し釈尊は、現実にインドに生まれ、法を説き、衆生を済度された仏であります。『法華経』に「今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生悉く是れ我が子なり 而も今此の処諸の患難 多し唯我一人のみ能く救護を為す」と説かれるように、釈尊こそ主師親の三徳を備えた仏であり、現実の娑婆世界で、一切の衆生を救っていく真実の仏であることが明かされています。したがって、法華経に説かれる真実の仏を捨て架空の仏をたのむ浄土宗の教えでは、成仏は出来ません。
また、念仏を称えれば、阿弥陀仏の本願力によって臨終の後、西方極楽浄土に往生できると説きます。しかし、このような教えは、私たちが住んでいる現実の世界を穢土といって嫌う厭世思想や、今世では決して成仏できないというあきらめや現実逃避の思想を生み出すもととなります。しかも現実に、さまざまな苦悩にあえいでいる人々を今世で救えないのでは、真実の教えとは言えないのではないでしようか。
このような念仏の邪義を物語る話として、念仏の祖である善導の臨終が挙げられます。善導は、西に向かって極楽往生を願い、柳の木から身投げをしたが固い土の上に落ち、腰の骨を折って七日七夜苦しみもだえて死んだといわれます。これはまさに地獄の様相であり、正法である法華経を誹謗した現実の証拠であります。日蓮大聖人はこの善導の死について「善導と申す愚癡の法師がひろめはじめて自害をして侯ゆへに、念仏をよくよく申せば自害の心 出来し侯ぞ」と仰せられ、現世を厭うことを教える念仏を唱えるならば、善導と同じように自殺願望の心が生まれると破折されています。『法華経』には「我常在此。娑婆世界」「我常住於此」「我此土安穏」と説かれており、真実の仏は常に娑婆世界に住して教えを示され、衆生を教化されるのであります。この真実の仏様である日蓮大聖人の教えを信じて、お題目を唱えていく時、私達の住むこの娑婆の世界も、そのまま寂光の極楽土へと転ぜられ、即身成仏を遂げることができるのであります。
是非、宗教の正邪を真剣に考えられ、お近くの日蓮正宗寺院をお尋ね下さい。
現在日本では、禅系の宗派として「臨済宗」「曹洞宗」「黄檗宗」の三宗があり、これらを総称して「禅宗」と呼んでいます。
禅宗では、仏の悟りを「月」に、経典を「月を差す指」に譬え、仏の悟り(月)を得た後は、経典(月を指す指)は必要ないとし、その教義は達磨の「教外別伝・不立文字」「直指人心・見性成仏」に代表されます。「教外別伝・不立文字」とは、釈尊の教えの真意は文字などで表現できるものではなく、以心伝心といって、経典とは別に心より心へと伝えられるというものです。直指人心・見性成仏とは、教経を用いずに坐禅の修行によって自分の心を見つめ、自己の本性が仏そのものであると知ることをいいます。
禅宗では「教外別伝・不立文字」と主張しているにもかかわらず、本尊と所依の経典を定めています。本尊は、釈迦牟尼仏・大日如来・薬師如来・観世音菩薩を中心として、宗派によってそれぞれ異なったものを立て、一定していません。また、所依の経典も『金剛般若経』『楞厳呪』『観音経』等で、宗派によって様々であります。
禅宗では、釈尊の一代聖教には真実を顕さず、真実の法は釈尊が迦葉一人に、一代の教えのほかに別に伝えたといいます。しかし、釈尊の涅槃のときには、迦葉はその場にいなかったのであります。ゆえに、釈尊が華を拈んで迦葉尊者一人が笑みを浮かべたという事実はなく、禅宗でよく言う「拈華微笑」とは、まったく根拠のない作り話であります。
また「教外別伝・不立文字」と説き、仏の真意は文字を立てず心から心へ伝わるというが、「教外別伝・不立文字」と仏が説いたこと自体が教えであり、言葉であり、文字として残っているではないでしょうか。不立文字とは文字を立てないことでありますから、当然、経典等は用いないことになりますのに、その根拠を『大梵天王問仏決疑経』の経文に依るとは自語相違でありましょう。
しかも依経としている『大梵天王問仏決疑経』は、大蔵経の古録である『貞元釈教録』『開元釈教録』にもその存在はなく、古来より偽経として扱われているのであります。
また、達磨は『楞伽経』を註釈した書物を作り、第二祖慧可に禅の法を伝えたとしていますが、これもまた「不立文字・以心伝心」の禅宗の教えに自語相違しています。
一代聖教を誹謗し、経典を捨て去り、教外別伝・不立文字を立てる禅宗は、『涅槃経』の、「若し仏の所説に随わざる者あらば、是れ魔の眷属なり」と説かれるように天魔の所業といわざるをえません。
さらに「直指人心・見性成仏」といい、教経を用いず、坐禅によって見る自己の本性が仏性であり、仏そのものとします。たしかに衆生はすべて仏ともいえますが、それは単なる理論上の仏であって実際の仏ではありません。三毒強盛の凡夫の心は所詮、迷いの心であって、その心をいかに見つめても仏心を観ずることはできません。だからこそ釈尊は『涅槃経』に、「願って心の師と作るとも心を師とせざれ」と説かれ、人の心は迷いの心であって、その心を師匠とすべきでない、と誡められているのであります。完全無欠の仏を蔑ろにし、「是心即仏・即身是仏」などと凡夫の愚癡無慚の心をもって、「我が心を観じることによって仏となる」という禅宗の教えは、随分と増上慢な教えと言えましょう。
是非、宗教の正邪を真剣に考えられ、お近くの日蓮正宗寺院をお尋ね下さい。
日蓮宗では、釈尊の仏像を本尊とし、大聖人の示された大曼荼羅は、久成の釈尊の広大な慈悲の世界を紙幅に書き現したものであるとしています。
具体的な本尊形態については、最も多いのが一尊四士であり、所謂、仏像の本尊であります。しかし、何故大聖人様は曼荼羅を顕したのでしょうか。当然、根本尊崇の対象としてでありましょう。故に大聖人が御図顕の曼荼羅本尊を蔑ろにして釈尊の仏像を崇めることは、宗祖の意に背く師敵対大謗法の極みといわざるを得ません。
また日蓮宗では、僧職に在る者が誰でも曼荼羅を書き、その曼荼羅中に「日蓮大菩薩」と書いたり、首題の南無妙法蓮華経の下の「日蓮」の御名を削除し、代わりに自分の名を書き加えるという大きな過ちを犯しています。
これらの原因は、日蓮宗ではあくまでも仏は久成の釈尊であり、大聖人は釈尊から末法の弘通を託された上行菩薩の再誕であるとしか見ることができないことにあります。
大聖人が説き明かされた南無妙法蓮華経は無始無終の法であり、久遠元初に一人の聖人があって即座開悟されたのが、その法の実体であります。またその聖人とは、我が身即妙法と悟った一迷先達の仏であります。ゆえに証悟の人はこの妙法のほかになく、また妙法はこの証悟の人の他にはありえず、人即法、法即人、人法体一なのであります。そして、末法にその久遠の法を顕す日蓮こそ、そのまま久遠元初の仏であり所弘の法は久遠の本法であります。
したがって、実に根本の仏こそ日蓮大聖人であり、曼荼羅本尊の中央に、「南無妙法蓮華経 日蓮判」と認められているのは、日蓮即南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経即日蓮という人法一箇の本尊の深義を顕しているのです。
日蓮宗は、相伝なきがゆえに、大聖人の法門を勝手に解釈し、大聖人が御本尊に認められたこともなかった「日蓮大菩薩」などと書いているのであります。
富士大石寺においては、日興上人以来、血脈相伝を承けた代々の法主上人によってのみ御本尊が書写され、宗内僧俗に授与されてきました。日蓮正宗の何処の寺院、何処の信徒宅へ行っても、御本尊はすべて法主上人書写の曼荼羅御本尊であります。
この事実こそ、大聖人から日興上人以来七百年、現在に至るまで本尊の深義が代々の法主上人のみに相伝されてきた何よりの証左であります。
これとは逆に、身延を中心とした日蓮宗各派の本尊雑乱の実態と曼荼羅御本尊の軽視こそ、信仰の根幹に迷う不相伝の輩であることを、自ら証明するものであります。
日蓮宗の寺院には、現在も鬼子母神、稲荷、七面大明神、清正公など、三十番神をはじめ雑多なものを信仰の対象として祀っています。しかし、これらの雑乱勧請は、すべて大聖人滅後、宗祖の教えに迷乱した弟子檀那によって作り出されたものであります。
現在、身延の門前では、大聖人の曼荼羅本尊の複製がおみやげとして不特定の参拝客に売られています。このような実態こそ、宗祖が「諸宗は本尊に迷えり」と仰せられた邪宗の姿であり、謗法を誡め、他宗の者に本尊を授与されなかった宗祖の教えに背く非法宗団そのものなのであります。
日蓮大聖人の真実の教えは、富士大石寺を総本山と仰ぐ日蓮正宗にのみ存します。是非、お近くの日蓮正宗寺院をお尋ね下さい。
顕正会は、かつては「妙信講」といい、日蓮正宗法華講の一講中として活動していましたが、正本堂の意義付けを巡って創価学会と激しく対立し、やがて第六六世日達上人の御指南に背いたため、昭和四九年に日蓮正宗より講中解散の処分に付された団体です。今は「冨士大石寺顕正会」と自称し、正系門下の「日蓮正宗大石寺」と紛らわしい名称を使い、会員を惑わしています。顕正会の主な主張を三つ挙げますと、
一、事の戒壇は、国立戒壇である。
「国立戒壇」という名称は御書になく、この名称をはじめて使用したのは、明治時代の国粋主義者、田中智学です。本宗においても法論等のなかで便宜上使ったこともありましたが、伝統教義、宗門の公式見解として使用したのではありません。
ここで最も大切なことは、宗祖大聖人の血脈を継承される時の御法主上人がその時代性を鑑みて、どのように御指南されるかということであって、この御指南に従うことが日蓮正宗の信仰の在り方です。日達上人は、
「明治時代には、国立戒壇という名称が一般の人に理解しやすかったので本宗でも使用したが、もとより明治以前には、そういう名称はなかったのである。よって、いらぬ誤解を招いて布教の妨げとならぬよう、今後は国立戒壇という名称は使用しないことにする」と明確に御指南されました。こうした経緯を弁えずに、顕正会が「近代の御法主上人の仰せに国立戒壇の語があるのに、現在の大石寺は国立戒壇を捨てた」などと喚くのは、まったくの戯言に過ぎないのです。
二、事の戒壇は、天皇の発願により、天母山に建立する。
顕正会では、事の戒壇建立は、天皇をはじめとする上下万民が三大秘法を信じた日本国の広宜流布の時とし、国権の最高機関である国会の議決、内閣の決定が手続きで、建立の場所は天母山(天母原)であるなどと勝手な主張をしていますが、将来、国情がどのように変化していくのかわからない現時において、未来の戒壇建立の形態を云々することは、不毛の論です。それは時の御法主上人が血脈所持のうえから御指南されるもので、大聖人の御遺命を、血脈不相伝の輩が勝手な解釈を加えて論ずることは、大謗法となります。また天母山戒壇説は、大石寺にはもともとなかったものであり、京都要法寺の方から入ってきた説を利用した偏見と我見の邪説です。
三、広宣流布以前は、本門戒壇の大御本尊安置の場所は義の戒壇である。
日蓮正宗おいては、古来、本門戒壇の大御本尊在すところがそのまま本門の事の戒壇とし、その上で、広宣流布達成の暁に、信仰の根源の霊場として戒壇堂が建立されるのが、御遺命の「本門寺の戒壇」です。顕正会の基本的な誤りは、大聖人の御書の解釈を自分勝手に判断するところにあるのであり、師弟子の道を違える謗法です。時の御法主上人が血脈所持の上から御指南・裁定された事に信順していくのが日蓮正宗の信仰です。
以上の三点以外にも、地方の会館それぞれに安置されている本尊の出所が不明な事、会員の危機感を煽る地震や戦争などの予言、特に若年層を中心とした暴力的勧誘が社会問題となっている事など、顕正会には多くの矛盾や問題があります。
根本たる総本山大石寺から離れた所に真実の教えはありません。是非、お近くの日蓮正宗寺院をお尋ね下さい。
顕正会の皆さんへ ※さらに詳しい顕正会について
正信会は、日蓮正宗に従わない僧侶らが、形成している集団です。
正信会の発端は、昭和五十二年の創価学会謗法問題にあります。創価学会の謗法が明らかになって、各地で学会を脱会する信徒が相次ぎ、寺院はこれを直属信徒(檀徒)として受け入れました。
こうした中、日達上人は、学会の過ちを改めさせ、僧俗和合して広宣流布に前進するよう教導されました。昭和五十三年六月、宗門は学会に対し、三十四ヵ条にわたる教義上の誤りを指摘して回答を求めました。学会はその回答として、聖教新聞紙上に「教義上の基本問題について」と題する記事を掲載しました。しかし学会員に徹底されず、新たに発覚した御本尊模刻事件等によって、学会の謗法行為がさらに明らかになりました。そこで池田大作は、同年十一月七日、総本山において「創価学会創立四十八周年代表幹部会」(お詫び登山)を開催し、謝罪の意を表明しました。その経過後、池田大作は、法華講総講頭及び創価学会会長の職を辞し、今後、創価学会は二度と教義上の誤りを犯さないことを宗門に誓いました。これに対して日達上人は、「今後は信徒団体としての基本は忠実に守り、宗門を外護して頂きたいのであります」と述べられ、学会問題を収束されました。
昭和五十四年七月二十二日、日達上人が遷化され、日顕上人が第六十七世の法主として登座されました。日顕上人は、日達上人の示された僧俗和合・協調の基本路線を継承しましたが、一部の僧侶らは、日顕上人の指南及び宗務院の命令に反して学会攻撃を続け、ついには日顕上人や宗務院を批判するようになりました。日顕上人は一年有余にわたり、指南に従うよう説得をされましたが、彼らは一向に反省しませんでした。
そして昭和五十五年七月四日、一部僧侶等は自称「正信会」を結成し、正信覚醒運動と称して学会批判を続け、同年八月二十四日の第五回檀徒大会の開催を企画しました。これに対し宗務院は、主催者に大会の中止命令、及び宗内僧俗に対して大会への参加を禁止する旨を再三にわたり通達したが、正信会は、一切を無視し大会を強行しました。そこで宗務院はやむを得ず、宗制宗規に則り、大会主催者・出席者・関与者をその情状に応じて懲戒処分に付しました。正信会は、この懲戒処分への対抗手段として同年十二月十二日、突如日顕上人に対して、血脈相承に疑義があるとの質問状を提出し、続いて翌年一月二十一日、静岡地裁に対し、「日顕上人への血脈相承はなかった」との理由を作り上げて、管長地位不存在の確認並びに職務執行停止を求めて提訴しました。これに対し宗門は、この裁判を起こした正信会僧侶を、宗制宗規に則って擯斥処分に付しました。
正信会は、日顕上人は「日達上人の方針を変えた」と言っていますが、学会五十二年路線の問題の収束に当たって、再び協調路線をとられたのは日達上人御自身です。実は当時から正信会は、日達上人の御指南に違背していたのです。こうした事実を覆い隠し、「日顕上人が日達上人の方針を変えた」というのは、あまりにも手前勝手ないい分です。結局、自分たちの主張に反対する者は誰であれ否定し、自分たちの考えだけが正しいとの我見を通そうとしています。正信会のいい分はすべてが御都合主義であり、終始一貫していないことは明白です。日蓮正宗の信仰の根源である本門戒壇の大御本尊と血脈相伝の仏法から離れてしまった正信会員は、もはや創価学会員と同じく、堕地獄の因を積んでいるのです。
元の正しい信心に戻る為にも、是非、お近くの日蓮正宗寺院をお尋ね下さい。
【創 立】昭和55年7月4日
【創始者】かつて日蓮正宗に在籍していた一部の僧侶
(代表:正信会議長・坂井進道/平成14年現在)
【本 尊】宗祖日蓮大聖人の御魂(目には見えないもの)
【経 典】大聖人御書及び法華経等
【信者数】不明
【沿革】 ◆血脈相承否定論 大日蓮・昭和58年6月(第448号) ~大日蓮・昭和60年9月(第475号)
(妙観講HP)
|