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⑦正信会破折

2007-08-02 | 諸宗破折

 正信会は、日蓮正宗に従わない僧侶らが、形成している集団です。
 正信会の発端は、昭和五十二年の創価学会謗法問題にあります。創価学会の謗法が明らかになって、各地で学会を脱会する信徒が相次ぎ、寺院はこれを直属信徒(檀徒)として受け入れました。
 こうした中、日達上人は、学会の過ちを改めさせ、僧俗和合して広宣流布に前進するよう教導されました。昭和五十三年六月、宗門は学会に対し、三十四ヵ条にわたる教義上の誤りを指摘して回答を求めました。学会はその回答として、聖教新聞紙上に「教義上の基本問題について」と題する記事を掲載しました。しかし学会員に徹底されず、新たに発覚した御本尊模刻事件等によって、学会の謗法行為がさらに明らかになりました。そこで池田大作は、同年十一月七日、総本山において「創価学会創立四十八周年代表幹部会」(お詫び登山)を開催し、謝罪の意を表明しました。その経過後、池田大作は、法華講総講頭及び創価学会会長の職を辞し、今後、創価学会は二度と教義上の誤りを犯さないことを宗門に誓いました。これに対して日達上人は、「今後は信徒団体としての基本は忠実に守り、宗門を外護して頂きたいのであります」と述べられ、学会問題を収束されました。
 昭和五十四年七月二十二日、日達上人が遷化され、日顕上人が第六十七世の法主として登座されました。日顕上人は、日達上人の示された僧俗和合・協調の基本路線を継承しましたが、一部の僧侶らは、日顕上人の指南及び宗務院の命令に反して学会攻撃を続け、ついには日顕上人や宗務院を批判するようになりました。日顕上人は一年有余にわたり、指南に従うよう説得をされましたが、彼らは一向に反省しませんでした。
 そして昭和五十五年七月四日、一部僧侶等は自称「正信会」を結成し、正信覚醒運動と称して学会批判を続け、同年八月二十四日の第五回檀徒大会の開催を企画しました。これに対し宗務院は、主催者に大会の中止命令、及び宗内僧俗に対して大会への参加を禁止する旨を再三にわたり通達したが、正信会は、一切を無視し大会を強行しました。そこで宗務院はやむを得ず、宗制宗規に則り、大会主催者・出席者・関与者をその情状に応じて懲戒処分に付しました。正信会は、この懲戒処分への対抗手段として同年十二月十二日、突如日顕上人に対して、血脈相承に疑義があるとの質問状を提出し、続いて翌年一月二十一日、静岡地裁に対し、「日顕上人への血脈相承はなかった」との理由を作り上げて、管長地位不存在の確認並びに職務執行停止を求めて提訴しました。これに対し宗門は、この裁判を起こした正信会僧侶を、宗制宗規に則って擯斥処分に付しました。
 正信会は、日顕上人は「日達上人の方針を変えた」と言っていますが、学会五十二年路線の問題の収束に当たって、再び協調路線をとられたのは日達上人御自身です。実は当時から正信会は、日達上人の御指南に違背していたのです。こうした事実を覆い隠し、「日顕上人が日達上人の方針を変えた」というのは、あまりにも手前勝手ないい分です。結局、自分たちの主張に反対する者は誰であれ否定し、自分たちの考えだけが正しいとの我見を通そうとしています。正信会のいい分はすべてが御都合主義であり、終始一貫していないことは明白です。日蓮正宗の信仰の根源である本門戒壇の大御本尊と血脈相伝の仏法から離れてしまった正信会員は、もはや創価学会員と同じく、堕地獄の因を積んでいるのです。
 元の正しい信心に戻る為にも、是非、お近くの
日蓮正宗寺院をお尋ね下さい。

 


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