基礎教学研鑚資料

教学資料 諸宗破折資料

③浄土宗・浄土真宗破折

2007-08-02 | 諸宗破折

 浄土宗とは、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』に拠るもので、阿弥陀仏の本願に基づき、観仏や念仏によって、穢土であるこの娑婆世界を去って、阿弥陀仏の極楽浄土に往生しようと願う教えであります。
 釈尊は『無量義経』に「四十余年には未だ真実を顕さず」と説き、『法華経』には「正直に方便を捨てて但無上道を説く」と説いて、四十余年の経教はすべて法華経に導くための方便の教えであり、法華経のみが真実の教えであると明かしています。
 浄土宗の所依の経典は、この四十余年の間に説かれた方便の教えであり、未顕真実の教えであります。しかも唯一真実教である法華経を「千中無一」「捨閉閣抛」といって誹謗する念仏宗は、釈尊の教えに背反しています。この念仏を信仰することは、まさに無間の業を積む所為にほかなりません。
 『無量寿経』には、西方浄土の阿弥陀仏が念仏を称える者を救うと説かれていますが、例外として「唯五逆と誹謗正法とを除く」と言っています。すなわち阿弥陀仏自身が、正法である法華経を謗る者は救えないと断言しているのでありますから、念仏宗の信仰者は、自分たちが本尊と仰ぐ阿弥陀仏の本願にも背いていることを知るべきであります。
 浄土宗で本尊とする阿弥陀仏は、釈尊の経典中に出てくる架空の仏であり、実際にこの世に出て、衆生を教化したことはありません。これに対し釈尊は、現実にインドに生まれ、法を説き、衆生を済度された仏であります。『法華経』に「今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生悉く是れ我が子なり 而も今此の処諸の患難 多し唯我一人のみ能く救護を為す」と説かれるように、釈尊こそ主師親の三徳を備えた仏であり、現実の娑婆世界で、一切の衆生を救っていく真実の仏であることが明かされています。したがって、法華経に説かれる真実の仏を捨て架空の仏をたのむ浄土宗の教えでは、成仏は出来ません。
 また、念仏を称えれば、阿弥陀仏の本願力によって臨終の後、西方極楽浄土に往生できると説きます。しかし、このような教えは、私たちが住んでいる現実の世界を穢土といって嫌う厭世思想や、今世では決して成仏できないというあきらめや現実逃避の思想を生み出すもととなります。しかも現実に、さまざまな苦悩にあえいでいる人々を今世で救えないのでは、真実の教えとは言えないのではないでしようか。
 このような念仏の邪義を物語る話として、念仏の祖である善導の臨終が挙げられます。善導は、西に向かって極楽往生を願い、柳の木から身投げをしたが固い土の上に落ち、腰の骨を折って七日七夜苦しみもだえて死んだといわれます。これはまさに地獄の様相であり、正法である法華経を誹謗した現実の証拠であります。日蓮大聖人はこの善導の死について「善導と申す愚癡の法師がひろめはじめて自害をして侯ゆへに、念仏をよくよく申せば自害の心 出来し侯ぞ」と仰せられ、現世を厭うことを教える念仏を唱えるならば、善導と同じように自殺願望の心が生まれると破折されています。『法華経』には「我常在此。娑婆世界」「我常住於此」「我此土安穏」と説かれており、真実の仏は常に娑婆世界に住して教えを示され、衆生を教化されるのであります。この真実の仏様である日蓮大聖人の教えを信じて、お題目を唱えていく時、私達の住むこの娑婆の世界も、そのまま寂光の極楽土へと転ぜられ、即身成仏を遂げることができるのであります。
 是非、宗教の正邪を真剣に考えられ、お近くの
日蓮正宗寺院をお尋ね下さい。

 


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