少子化で行こう

世の中、少子化対策音頭が鳴り響く。人口減少もあると、恐怖心を駆り立てる。でも、何かそれって変じゃない? ままで行こうよ。

休みが取れたら家族の時間か自分の時間か

2006-01-30 06:08:16 | Weblog
(2)仕事と家庭の両立支援と働き方の見直し

今日、つっかかりたいのは次の箇所です。

「職場優先の風土を是正する働き方の見直しを課題とし、家族の時間や私的活動の時間を大切にできる職場風土をつくることが求められている。」

育児休業を取る人が少ないのは、職場優先の意識があることもさることながら、育児をやっているよりは働いているほうが楽、という意識もあるからではないでしょうか?

それから「家族の時間」って何でしょう? 夫婦だけで暮らしている人は、2人がめんと向かいあうことでしょう。夫婦と小さな子どもの場合は、みんなで同じ時間を共有することでしょう。では、ニートやフリーターやヤパラサイトの30代の人は親と一緒に過ごそうというのでしょうか? 

ここで言う「家族」というのは小さな子どもと一緒に過ごしましょう、ということですね、きっと。

老親からみて、結婚しない息子が働くのがたいへんだから家にいて私たちと一緒に話をしましょう、というわけではないですよね。

でも、少子化白書にも、進んだ視点があると思います。それは「家族の時間」の次に「私的活動の時間」が書いてあることです。今は夫婦でさえ、個人個人の契約で、個人の時間を侵さない生活をよしとしているのですから、当然の視点です。

でもでも、もしも労働時間の短縮があったら「家族の時間」に向かうのでしょうか?
それとも「私的活動の時間」の方に行くのでしょうか?



(参考)
http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2005/17WebHonpen/html/h1220232.html

ニートやフリーター対策は少子化対策の本質ではない

2006-01-29 05:50:48 | Weblog
(1)若者の自立とたくましい子どもの育ち についてです。

白書は説明しています。

「全年齢平均値よりも高い若者の失業率(2004(平成16)年では、15~24歳9.5%、25~34歳5.7%)や、フリーターの増大(2004年では推計213万人)、ニートの増大(2004年では推計64万人)といった若者の就労問題からくる経済的不安定が、「結婚できない」という未婚化現象を通じて、出生率の低下につながっているおそれがある。」

まず、どうでもいいことからです。「若者」として25~34歳をあげています。
30代の若者というのはやはり違和感があります。せめて「若年層」と表現してもらいたかったです。

次が重要と思うことです。それは、ニートやフリーター対策は少子化対策の本質ではないということです。


思えば1960年代の安保闘争から1970年代の学園紛争、80年代のしらけ、90年代のニヒリズムを超えて「若者」文化は現在に至ります。80年代から90年代には校内病力やいじめが広まっていました。

価値観の流れは自由化、既成の価値の破壊でした。それが、個人の幸せにつながると考えられたのでしょう。でも、多様化の尊重は個人の孤立化に、自由の偏重は平等破壊につながり、個人の幸せは減少しました。

個人主義の普及の中、結婚や出産が選択肢になりました。堂々たる選択肢になりました。

問題はここにあります。結婚や出産という生物学的義務を果たしてこそ人は「個人」となることができるのに、個人が生物学的枠組みを超えることはできないと思うのです。

未婚化は、徹底した個人主義、利己主義の肯定によってもたらされているのです。そこのところを変えないでは、症状のみに対応してもむずかしいと思うのです。

http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2005/17WebHonpen/html/h1220231.html

支援しているという自己満足

2006-01-28 05:41:08 | Weblog
(幅広い総合的な計画)についてです。

白書は説明します。

「今後、夢と希望にあふれる若者がはぐくまれ、家庭を築き、安心と喜びを持って子育てにあたっていくことを社会全体で応援する環境が整ってきたという実感のもてるよう、政府をあげて子ども・子育て応援プランの着実な実施に努めていくこととしている。」


若者だけが夢を持てる社会を果たして作ることができるのでしょうか?

まずは、若者を支援する大人が夢と希望をもって、経済的条件を整えて、自殺が年間3万人にならないような体制作りをしなければならないと思います。

若者が夢と希望をもつことができるようになっても、そのあとの現実に敗れるようでは、仕方がないではありませんか? 夢と希望は逃避だったのね、ということです。

ま、「せめて若いときくらいはいい思いをさせたい」というのならわかりますが。

現在は、何事も個人の権利を尊重する時代のなので、人の行動を変えようとするときには、欺瞞的、偽善的に「支援」とか「応援」という言葉をとるしかないようです。

そんなもんでうまくいくのでしょうか? 真摯な大人が、ひとり自分に向かい合ってくれるということの効果の方が大きいと思うのですが。

万事環境設定だけを整えて、相手の出方を見る、というのは実は、中高年が若者とは真剣に直接的にかかわりたくない、という無意識を表しているようにも思えるのです。

http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2005/17WebHonpen/html/h1220220.html



「不十分」とは大した自信だ

2006-01-27 06:23:09 | Weblog
1 子ども・子育て応援プラン策定の背景 (少子化の進展に歯止めがかからない背景)について

この節の中では、

「エンゼルプランや新エンゼルプラン等によりこれまでとられた対策では、少子化の流れを変えるには不十分であったことを意味している。」

とまず述べています。「不十分」というのは、私がとった対策は正しかったが、量が足りなかったということです。「間違っていた」とか「無関係であった」という反省や評価が必要なのではないでしょうか?

そして、なぜうまくいかなかったとかいう背景に、理由を3つあげています。

1つめは男性の過剰労働と女性の子育て負担の継続です。でも、よーく考えてみてください。子どもを今よりたくさん産んでいたときは、今に劣らない労働、子育て状態であったはずです。今は余裕があるので、子育てなんて、という気持ちが働くのです。
2つめは、保育所待機児童がいまもって存在している、ということです。しかし、この実現は、母親の労働時間を増やし、子どもとの接触を減らし、母親が子どもへの関心を減らすだけになると思います。
3つめは、若者の社会的孤立性が強まって、家族を形成することが難しくなっているというものです。しかし、私が注目したいデータは10代の結婚や出産が年々増えていることです。白書の見方は決め付けが多すぎます。

いずれにせよ、対策にある見方が、本当にそうなのか? という疑問が大事です。そして、対策の効果を検証するという態度がかけたまま政策を実行するというのは、国の無駄遣い以外の何物でもありません。

(参考)
http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2005/17WebHonpen/html/h1220110.html

現状を伝えるめまぐるしく変わる少子化対策

2006-01-26 06:23:58 | Weblog

(少子化社会対策大綱)では、
「3つの視点」と「4つの重点課題」、「28の具体的行動」
が示されています。

特に、4つの重点課題とは
「若者の自立とたくましい子どもの育ち」、
「仕事と家庭の両立支援と働き方の見直し」、
「生命の大切さ、家庭の役割等についての理解」、
「子育ての新たな支え合いと連帯」

を示します。これらのことは実に現実の裏返しであると思われます。
つまり、若者は自立したがっていないし、子どもは弱いし、仕事と家庭の両立を支援してはいないし、生命は大切に扱われていないし、家庭が顧みられていないし、子育ての連帯はないし、という認識です。

むずかしいと感じるのは、これらの認識が事実だとして、この4つの重点課題を推進することは高齢化対策とは矛盾する側面があることです。

高齢者の職を確保するほどに若者の職を奪う、高齢者の自立を勧めると高齢者による子育て支援を期待できなくなる。高齢者が家庭から出て行ってしまう。高齢者の健康や延命を第一にすると子どもの生命の大切さが損なわれる。

少子化対策は、
エンゼルプラン→新エンゼルプラン→次世代育成支援対策推進法
と、短期間にめまぐるしく変化してきましたが、危機意識が進むにつれ、高齢化対策との矛盾が鮮明化してくると思われます。

ユニバーサルプランはむずかしいでしょう。




http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2005/17WebHonpen/html/h1210320.html

決め手にかけるので総花的になる対策

2006-01-25 08:30:29 | Weblog
(エンゼルプランと新エンゼルプラン)
政府は次から次と少子化対策を立てています。次の部分を読むとその様子がよくわかります。

「新エンゼルプランは、従来のエンゼルプランと緊急保育対策等5か年事業を見直したもので、2000(平成12)年度を初年度として2004(平成16)年度までの計画であった。最終年度に達成すべき目標値の項目には、これまでの保育サービス関係ばかりでなく、雇用、母子保健・相談、教育等の事業も加えた幅広い内容となった。」

ここで、私が連想するのは、県や市町村の様々な施策です。たとえば、男女共同参画に関してもそうですが、いろいろな部門の施策が入っています。当然「風が吹けば桶屋」式の迂遠なものも入っています。そして、それは本気では効果を信じて行われません。もともと別の目的で予算組みされているものを、こっちも関係があるよと、いわば「目的外使用」されているわけです。

少子化対策もどうようになってきているなあ、という感慨が否めません。むしろ、少子化対策というあまり人に反対されない対策を利用しようという姿勢が感じられるようになりました。

これではだめでしょう。はずれてもいいではないでしょうか、1点で突破しようとするほうがましでしょう。















http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2005/17WebHonpen/html/h1210120.html

社会の年齢構造と個人の人生のあやしい関係

2006-01-16 08:05:12 | Weblog
今日は、「第3節 今後どのように人口は推移するのか」の(急激な人口減少と「人口半減社会」の到来)。

2050年の人口は1966年頃の人口と同じく約1億人に達するが、その年齢構造は非常に違い、2050年は生産年齢人口が減少し、高齢人口が増加している、と言う。

確かに間違いない。問題は、やはりそれをどうとらえるかでしょう。高齢者がいるということは、それまで元気に(昔よりは元気に働いていると思われる)働く期間が長くなっているということだ。個人の蓄積期間が長くなっていると思われるのだ。もちろん、人により異なるとは言え、前期高齢者(65~74歳)もかなり労働力として期待できる。

ということは、自分の人生中心に考えてみても、労働期間は長くなっていると考えられる。つまり、自分の人生に関して、労働時間VS非労働時間の比率を考えてみるとどのように変化しているのかと考えてみると、単に、時代を断面的に切って、高齢者が多くなってたいへんだ、ということだけでない姿が見えてくるはずだ。

少子化の議論も、合計特殊出生率という時代の断面だけではなく、生涯生む子ども数という発想があるのと同じく、生涯の労働時間、自分で自分を支えられる時間という概念をもってくる必要がないでしょうか。

そうすると、また、別の姿が見えてくるはずだ。

少子化による、後の世代の豊な継承物というものも考えられるからだ。





参考
http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2005/17WebHonpen/html/h1130010.html

東京都内の出生率の話

2006-01-14 05:50:16 | Weblog
今回は(東京都における地域差)の話。


ここでも、論調は「合計特殊出生率」が「未婚・少子化」の双方を示す指標なのに、「少子化」という生む行動の指標のみのように行われます。

「しかし、同じ特別区でも、江戸川区のように1.3を超えるような区もあれば、渋谷区のように0.7台とわが国で最低の区もある。また、市部を見ても、福生市のように1.4前後の市と武蔵野市のように0.8台の市と大きな開きが見られる。
 このような違いは、若い子育て世代が集まる地域であるかどうか、子どもを生み育てやすい地域であるかどうかなどの特性も反映しているものと考えられる。」

確かに子どもを生み育てやすい地域かどうかということが影響を与える可能性はあると考えられます。問題はどの程度かということです。恐らく非常に小さいと考えられるでしょう。

私の解釈は、都内の階層分化が進んでいて、リッチとプアの住み分けが進んでいる方の影響が大きいというものです。

私はかつて、東京都の市区町村別の未婚男女の比率を調べたことがありましたが、東横線、井の頭線の女性の人気を感じられる比率でした。

東京大学の教授の住所分析というのもありました。確か、ほとんど下町に住んでいないということだったと思います。

また、江戸川区には、姉歯さんやヒューザーさんが設計したような格安分譲マンションが多いのではないでしょうか。

このようなデータから考えると、都内の出生率を考える際にはまず、未婚率を調べて、既婚者の出生率に関して検討した方がいいでしょう。

まあ、どの地域に関してもそうですが・・・
女性の

http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2005/17WebHonpen/html/h1120240.html


違いの説明が欲しい

2006-01-13 05:09:07 | Weblog
「2 市区町村別にみた子どもの数と合計特殊出生率」の(市区町村別にみた人口と子どもの数)では、

。「年少人口に関しては、地域の差はなく、ほとんどの自治体(約97%)で、年少人口割合が減少しており、少子高齢化が進行していることがわかる。」
と述べている。

他方、そのしばらくあとに「合計特殊出生率」の市区町村差については、

「このように、合計特殊出生率は、全国一律ではなく、地域差があって、最も高い自治体と最も低い自治体を比べると、4倍近い差となっている。」

と述べている。

これだけを読むと、地域の子どもの割合は変わらないのに、生む率は4倍も違っている。なぜ? と疑問をもつことになるでしょう? でも、その説明はなく、子どもの数が多い沖縄の島の状況をコラムで持ってきて「子どもを生み、育てやすい」環境にあるからと述べています。

ここには飛躍があります。合計特殊出生率の大きな差は、少なくとも1人の既婚女性が出産する子どもの数の差ではなく、未婚率の大きな違いを反映しているということです。市区町村別の既婚女性限定の「合計特殊出生率」を算出すると、多分、地域差は4倍もあるということはないでしょう。

子どもを生み育てる環境に違いがあるというところにとらわれた見解であると言えるでしょう。

逆に言えば、現時点で、合計特殊出生率が低い地域は、女性が結婚しなくても、働き、自立して生活できる地域であると言うことになります。その評価もきちんとすべきでしょう。

反省

2006-01-12 06:02:52 | Weblog
昨日、人口規模は出生率には全く関係がないと書きました。

大人数のベビーブームが出生しても、その率が変化していないならば、合計特殊出生率は変わらないはず、と考えたからです。

でも、こんな風に考えました。男からみた「出生率」です。ベビーブームの男性が出生期になります。彼らの出生行動は、ベビーブーム前に生まれた世代と同じだとします。でも、人数が多いので、ベビーブーム世代の男性は、他の世代の女性をそれ以前の世代よりもたくさん出生させることになる。ベビーブーム世代の男性の出生率は以前の世代の出生率と同じであっても、他の世代の女性の出生数を増やすことになり、結果として、女性で計測される合計特殊出生率が上昇することになる、という考え方はどうでしょうか?

知っている人がいたら教えてください。