南オーストラリア州のドイツ協会です。 入り口を入ると、書籍や掲示板があり、その奥がカフェテリアになっています。 ドイツのワイン、ビール、料理がメニューに並んでいます。 2階はステージ付きの大ホールで、様々な催しに使われます。 フリンジ・フェスティバルのギグの会場にもなります。 223 Flinders Street
トレンズ川の噴水はいくつかありますが、これはElder Parkの近くのもの。 中央の高さが8メートルにもなる豪快な噴水です。 休日にはパドル・ボートを漕いで、噴水の近くまで行って下から見上げている人達もいます。
Miss Harriet Kevernの委託を受けてJ.H.Smeatonが1892年に設計した家。 葉形飾りのある頭柱がついたベイ・ウィンドーがあるビクトリア朝に、エドワード時代の破風をプラスした特徴のある建物です。 アデレード交響楽団の形成など様々な音楽業界に貢献したCharles Cawthorneがこの家に住んでいました。
1875年に建てられた店舗と住居が一緒になった建物。 現在は2階建てですが、もともとは平屋でした。 この家を建てたのはJames Thompsonで1881年まで住み、その後建築家のJ.H.Smeatonと同居しました。 Thompsonは1882年に近くのパブの井戸で死んでいるのを発見されました。
セント・ジョン教会の基本となる建物は1843年に建築が始まり、礼拝に出席する人が増えたため1879年に新しいホールを建設し、1883年に牧師館も作られました。 元の建物はその後荒廃が進み、1887年にBishop Kennionが現在の礼拝堂を献堂しました。 砂岩の割り石にレンガで飾り付けをした堅固な建物です。 373 Halifax Street
1891年に、Rundle StreetのYork Hotelを経営していたCharles Hornabrookのために建てられたゴシック調の豪邸で、Eothermと名づけられていました。 1928年にThe Advertiser社の社主で後にアデレードの市長になったSir John Lavington Bonythonが移り住み、St Corantynと名前を変えました。
1882年に建てられたサウス・テラスとイースト・テラスの角にある豪邸。 シティの南東に立ち並ぶ豪邸群の中でも最も豪奢な建物として知られています。 ビクトリア朝のイタリア・スタイルで、フランス式のマンサード屋根がユニークです。 G JoachimiがFlinders RangesのMoolooloo駅を購入したことで知られるJohn Rounsevellのために設計しました。
この家の前を通りかかって、外見に魅了されてしまいました。 Edmund William Wrightのために建てられたとも言われている家です。 Ayers Houseと同じデザインの回廊玄関を持つ家ですが、Ayers Houseの設計者であるSir George Kingstonが設計した家かどうかは、意見が分かれているということです。
St Andrew’s Hospitalの敷地内にあるネオ・ゴチック・スタイルの豪邸で、Waverlyと名づけられています。 シティの南東にできた最初の豪邸のひとつで、1838年に入植したWilliam Sandersのために1865年に建てられました。 SandersはHindley StreetのMiller Anderson店の経営者のひとりでした。 家の設計はJames MacGeorgeが担当しました。
ユナイティング・チャーチに属する私立病院で、1936年に設立されました。 シティの南パークランドの前という静かなところにあります。 救急棟もあり、シティの住人やシティに近い南の郊外に住む人に便利な病院です。