大宇宙・・・について
想いを、めぐらせていました。
地球上に存在する、私が
等身大の私が、夜空を見上げています。
近いところでは、中秋の名月
宇宙の入り口、満月が煌煌と
円かに明るく、光り、輝いています。
離れたところには、他の星・星たちも
そこ、ここにと、有りとし、有らゆる
大・小さまざまな、光りと
光りの点の集合体。
目に映る限りの、数限りの無い
星・星の存在がある。
ひとつ、ひとつの星は
どれくらい先の宇宙空間に
有るのだろうか。
どれくらいの時間を経て
どれくらいの距離を経て
星・星の姿が届くのであろうか。
恒星の光りを受けて
惑星は光りを放っています。
私と共に、宇宙は、今、ここにあります。
太陽系と共に有る、我れであり、
天の川銀河と共に有る、我れであり
あまたの銀河群と共にある、我れである。
大宇宙は、自・他と共に有る。
我々の目で確認できるのは
現象の宇宙であり
我々の目では認識できない
実在の宇宙がある。
生・住・異・滅を輪廻する、宇宙と
生じたものでも、滅することのない
本より有り、常に住している、宇宙とが
一体と成って有るだけである。
永遠・無限・絶対の宇宙大の宇宙が
一切の私たちと共に有る。
始まりの無い、終わることの無い
無限大の宇宙が
一切の私たちと共に有る。
星・星が生まれ、成長期を経て
やがて壊れ、滅する。
滅する星の影響を受け、新たに
新しい星・星が産声を上げる。
ひとつ、ひとつの星が、住・壊・滅を
それぞれ、繰り返し、繰り返し
輪廻を続けている。
そして、永遠を生きている。
私たち人間も、
ありとしあらゆるもの、
生きとし生けるものも、
同じく、生・住・異・滅を
継続している。
差別相と共に有る、自己。
宇宙も、自己も
彼、生ずるが故に、我れ、生ず。
彼、滅するが故に、我れ、滅する。
まったくと言っていいほどに
姿・形が同じ星
姿・形が同じ銀河も存在しない。
恒星である太陽も、全宇宙の中には
大・小さまざまな、太陽の存在がある。
惑星も、衛星も、小惑星も、彗星も
また、然りである。
星・星の性質も、実にさまざまである。
人間の存在も、また、然りである。
が、実在の宇宙は平等である。
差別の相、そのままが、平等の相であり
業・因縁を異にしているからである。
個・個の星、個・個の銀河
それぞれに、心と意識が宿っている。
宇宙大の意識があり
その中に、個・個の意識がある。
宇宙大の心があり
その中に、個・個の心がある。
大宇宙が個・個人の存在を支えており
個・個人が大宇宙の存在を支えているのである。
等身大の我れが、宇宙大の我れである。
一切衆生と共に有る、我れであり
大日如来・遍照金剛さまと共に有る、我れである。
宇宙一切と共に有る、我れである。
姿勢を正し、手を合わせ
呼吸を調え、口に真言を唱え
心に大日如来を想う。
おん あ び ら うん けん
( ばさら だと ばん )
南無大日如来・遍照金剛
想いをめぐらせながら
真言を唱えていると
だんだんと
真言、そのものの声だけ
に成りはじめだし
ただ、ただ
真言を唱えるだけの
我れが有るような気がする。
頭の中は、スッキリとしている。
身体も安らぎを、感じているようだ。
これは、単なる自己満足なのだろうか。
宇宙大我・・・
最後まで読んで頂きまして
ありがとうございます。
ありがとうございました。
皆さまが、無事息災でありますように・・・
合掌
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