神佛の加護をいただく

神佛の
ご加護をいただくには・・・
密教修行を通じて体験したことを書き続けたいと思います。

心の安らぎ 心の豊かさを得る

2014年12月04日 09時03分47秒 | 秘密の教え・密教とは

大恩ある偉大なる釈迦牟尼佛に帰命し奉る。

 

もろもろの悪業を為さず もろもろの善い行いを奉り

その心を 自らの心を 浄くする。 これ諸佛の 教えなり。

これはこれ 佛さまの 教えであり 佛さまに成る 教えでもあります。

 

佛とは 決して 単なる死者

死んだ人間のことを 言うのでは ありません。

あと 死んだら誰もが 佛に成れるのでは ありません。

 

生きている間に 好き勝手放題な生き方をして

ろくに信心もせずに 神佛をないがしろにした

自らの罪は 死後 その報いを受けるのです。

 

あるいは 今 その自らの報いを受けながら

生きているのかもしれません。

 

佛教の勉強をしていると 必ず 地獄の存在と

その世界のあり様が 克明に記されていることに突き当ります。

とは 逆に 極楽世界のことも 教え残されています。

 

阿弥陀さまの 極楽国に 往生する教えです。

生きているうちに 南無阿弥陀佛と唱えれば

死の間際に 阿弥陀さまが 眷属を連れて お迎えに来てくださるという。

そして 阿弥陀さまの浄土 極楽世界に 生まれさせてくださる。

そこで 教えを聞き 修行して 佛陀(ぶっだ)に成らせてくれるという。

 

南無大恩教主釈迦牟尼佛陀

なむ だいおん きょうしゅ しゃかむに ぶっだ

とは 釈迦族に お生まれになり ご修行なされて 悟りを開かれた

聖なる 真理に目覚めたる 大恩ある 佛教の教主であらせられる。

その  み教えは こころの救いを 説かれました。

 

地獄 極楽の み教えは 悪いことをすれば 地獄に堕ちる。

善いことをすれば その果報により 極楽に生ずることができる。

 

悩み・苦しんでいる 今の 自分のあり様は 地獄の苦しみなのかもしれません。

 

あるいは このブログ 今まで書き記された 以前のブログの内容を信じて

南無大日遍照金剛と唱えることによって

心の安らぎを 得られた お方もあろうかと思います。

 

心の安らぎ 安心(あんじん) 安楽を得る。

心の豊かさ 豊浄(ほうじょう)を得る。

涅槃寂静(ねはん じゃくじょう)

煩悩の炎の吹き消された心の世界は

静寂なる心の世界なのです。無我の精神世界なのです。

 

俺我(おれが) 俺我 私我(わたしが) 私我ということではなく

おかげ おかげの 心です。

 

悩み・苦しみに 心を引かられずに 絶ち切る。

いつまでも そのことを引きずらずに 絶ち切って

安らぎの境地に 進まなければなりません。

 

佛さまの み教えを信じて 佛さまを信じて

その信じる 功徳(くどく)によって

迷いから解放されるという この安心感を得る。

そして 心を豊かにすることによって 自らの心を浄める。

 

すべての悩みや束縛から解放されて 円満なる安楽の世界に安住する。

そうです 心が救われることによって あなたの 今現在の環境が

変わって見えてくるのです。 要は 心のもちよう 心がけ 心構えなのです。

 

南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛

 

あなたが 祈ることにより 拝むことにより

大日遍照金剛さまである 釈迦牟尼佛陀さまから

祈られ 拝まれているのです。思い出してください。

 

あなたが 南無大日遍照金剛と 唱え続けることによって

あなたの 心に安らぎの 想いが生まれれば

自らの 心の豊かさを 感じとれればと

常に その縁を 大慈大悲として 与えられているのです。

 

信じ続ける この心が やがて 大日遍照金剛さまと 一体であるという

一心同体であるという 安らぎと 豊かさに 気づかされるのです。

今 この 生かされて 生きているうちに 信心し続けることが 何よりも大事です。

 

このブログを読んでいただいた あなたに 心から 感謝いたします。

それは 何故かというと あなたが いるから

あなたが 私の 心の糧となってくれているからです。

ありがとう ございます。

ありがとう ございました。

 

合掌

 

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佛力 法力 加持力

2014年11月10日 15時03分49秒 | 秘密の教え・密教とは

あなたは大日遍照金剛さまから 拝まれているのです

 

妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)

如来寿量品(にょらいじゅりょうほん) 第十六に

(つね)に自ら この念(ねん)を作(な)さく

何を以ってか 衆生(しゅじょう)をして

無上道(むじょうどう)に入り (すみ)やかに佛身(ぶっしん)

成就(じょうじゅ)することを 得せしめんと

 

法華経(ほけきょう)の教主 釈迦牟尼佛陀(しゃかむにぶっだ)さまが

衆生が 信心する者 信心しない者があるのを

よくご存じであり 救うべきところに随って

いろいろの法を説かれました。

 

これ以上ない 素晴らしい 最高の教えの道に入って

速やかに 佛の身を成就するようにと

あなたに向けて 祈り念じ続けられておられるのです。

 

大日遍照金剛さまから 祈られている。

あなたが成佛するように・・・と

現実の中で 悩み苦しみから 解放され

現世利益(げんぜりやく)が与えられ

やがて 悟りを得ることができる。

悟らせてくださるのです。

 

宇宙 法界は そのもの自体が 絶対にして

無限 永遠に生き続けている 真実の存在にして

私たちの眼には見えなく 五官の感覚では

決して うかがい知ることができない 世界ですが

大日遍照金剛さまの大慈大悲の み心 み命

大慈悲の救済力が 遍満している世界

大いなる智慧の さとりの世界なのです。

 

大日遍照金剛さまの 釈迦牟尼佛陀さまの

大悲加持力(だいひかじりき)により

加持(かじ)のにより 成佛できるのです。

あなたが 一心(いっしん)に祈りを奉げている その時

普段の自分ではない 自分が存在しているのです。

 

加とは 佛さまの方から お力が 加わる 与えられていること

持とは あなたが その力を信じ続けて 持続して いただくこと

 

自らの身体と 言葉と 心を ひとつにして

一心に 南無大日遍照金剛と 唱えるのです。

一心とは あなたの心と 大日遍照金剛さまの み心とを

ひとつにすることです。

 

正座をして 腹式呼吸をして 心を落ち着け 念佛を唱え続け

心は 大悲加持力をいただいていることを 自覚し続けるのです。

 

佛陀とは 人間の理想像 であります。

お釈迦さまが この世に生を享けて

悩み苦しみから逃れるために 修行なされ

悟りを開かれて 佛陀と成られました。

 

大日遍照金剛さまとは

佛教の説く 真理 法 そのもの 法身佛であります。

 

南無大日遍照金剛

南無大悲成佛神変加持力

南無大恩教主釈迦牟尼佛陀

 

このブログに書かれたことを 忘れないでください。

このブログを読んでいただいた

あなたに 心から感謝いたします。

ありがとうございました。

 

合掌

 

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本当の自分を知るには

2014年11月03日 12時06分48秒 | 秘密の教え・密教とは

セルフ・イメージ・・・自分が思う 自分に対しての 自分への思い。

自らの隠れた才能を見出し 開花させるには・・・

まず 自分自身を 知ることから始まります。

 

密教占星術という本には あなたの生年月日から

運勢 性格 適職 才能 相性など 詳しく説明されています。

 

自分の個性や運命については もちろんのこと 相手の生年月日がわかれば

相手の個性や運命についても 知ることができます。

 

人間関係の相性も分かります。自分にとって相手は どのような存在なのか。

あるいは 相手にとって自分は どのような存在なのか。

 

このことは 知っていても損はないと 思います。

 

己を知り 他人を知るには・・・

 

 『 決定版 ! 宿曜占星術 』 

サブタイトルは 「 27宿が教える あなたの運命・性格・相性 」

著者 小峰有美子先生 主婦と生活社

という本があります。

 

残念ながら Amazonでは 中古品でしか売っていないようです。

他にも 密教宿曜占星術の本はありますが

この本が 一番分かりやすいようです。

 

中古品ですが ぜひ 購入されて 読まれることを おすすめします。

 

自分の性格を知り セルフ・イメージをハッキリと 思い描くことにより

セルフ・イメージに合わせるようになる。

そのように 振舞えるようになるのです。

自分の行動 考え方 発言 習慣というものを変えていけるのです。

 

そして 身体と 言葉と 心を ひとつにして 祈り・拝むのです。

 

南無大日遍照金剛

 

自らの人間像を理解する。 もちろん 善い面も 悪い面も

指摘もありますし アドバイスもあります。

 

いきなり あなたは 大日遍照金剛なのです といわれても

面喰ってしまうでしょう。あるいは 素直に信じられないでしょう。

 

まずは 書かれてある 運命・性格を読み 自分と照らし合わせみるのです。

 

納得できる部分もあれば 腑に落ちない個所もあるでしょう。

ちょっと違うかなぁ とか。 本当かなぁ とか。あると思いますが。

読んでみて そのことを思う。考える。ということをしてみてください。

 

冷静になってみれば 案外 そうなのかなぁと 思われることでしょう。

 

悩み・苦しみを 神佛のご加護をいただいて 解消してもらう。

救ってもらえることを信じて 自らのスキルを高めてゆき 教え通りに

やがては 自らが 大日遍照金剛であるとの自覚が得られるのです。

 

このセルフ・イメージをもって 人生を生きていく

人生をまっとうするのです。

 

まずは 身近な教えとして 密教占星術の内容を 信じてください。

 

信じ続け 行ずるならば 必ず 善い方向に導かれます。

善い行いは 善い結果を招くものです。

善因善果ということを 思い出してみてください。

 

読んでいただきまして ありがとうこざいました。

 

合掌

 

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拝むことによって教えられる力

2014年11月01日 18時09分48秒 | 秘密の教え・密教とは

私は 常日頃 大日遍照金剛さまの存在を

どのようにしたら 分かってもらえるのか 考えていました。

私の眼には見えないからといって

存在しないのではないのです。

 

私の眼に映る世界にも 存在価値があり

私の眼に映らない世界にも 存在価値があります。

真実在とは このことなのです。

私の眼には映らない世界の方が

遥かに大きい存在ではないでしょうか。

 

大宇宙の中の 銀河系の中の 太陽系の中の 地球

地球の上の日本という国土があり 四十七の都道府県があり

私や あなたの住んでいる場所 環境があります。

 

大日遍照金剛さまの お姿を見るということは

現実を直視することだと 気づかされました。

 

地・水・火・風・空・識という 構成要素により

この世界 あなたや私の生きている世界は

成り立っていると 密教では 教えています。

これを 六大(ろくだい)といいます。

 

夕方 拝んでいる時に このことが 腑に落ちました。

 

六大とは・・・

(ち)とは 大地 土のこと。


(すい)とは 文字どうり水であり

雪 雨 雲 霧 露 氷など。


(か)とは 火であり 熱を帯びており

炎 光 明るさ 温かさ 太陽の光など。


(ふう)とは 風 空気 動くということ。


(くう)とは 空(そら)でも 空(から)でもない

私たちの眼では 見ることの出来ない世界ではあるが

働きとして 在る世界です。


(しき)とは 心であり 生命であり 魂とでもいいましょうか。

あるいは 心臓を動かしめている力 人間 五体の

呼吸できる 見る 聞く 話す 味わう 動ける 感じる

これらの作用を もたらすものの力 とでもいいますか。

 

つまり この現実の世界 そのものが 日常生活そのものが

この現象の世界 そのものが 大日遍照金剛さまということを・・・

 

空気は 眼には映りませんが 在るということは 分かりますね。

呼吸している自分がいるということ。

空気という 文字 言葉には 実体がある。

空気という 存在があるということ。

 

では 何故 南無大日遍照金剛と 唱えるのか。

なむだいにちへんじょうこんごう と唱えます。

 

地・水・火・風・空・識 これらの働きに 感謝することであり

六大 そのものの働きと 自分が一体に成ることでもあります。

 

そもそも その世界で生かされて 生きているのだから

一緒ではないのかと思われますが

現実では 自分と他人 わたしと家 車等の物と自分 衣食住

自然 山 川 海 森 林 太陽 月 星 雲 etc

区別があります。つまり 対立しているということ。

私は私 物は物 他人は他人という考え方をしないということ。

 

南無大日遍照金剛と拝んでいる時は

私の 身の周りにあるもの すべてと一体であると

もとひとつの同体であると 念じ 唱えること・・・

 

南無大日遍照金剛

 

このことが あなたが 大日遍照金剛さまと同じ存在であるということ。

まずは このことを理解する。理解することが大切です。

そのために 拝み 祈るのです。

 

神佛の加護をいただくには そうする他ないのです。

神佛の加護の力が在る ということを 信じ続ける。

 

このことを 新たに 教わった のでした。

 

読んでいただき ありがとうございます。

このブログを読まれた方に 少しでも 善いことがありますように・・・

ありがとうございました。

 

南無大日遍照金剛

 

合掌

 

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セルフ・イメージ

2014年10月28日 16時19分01秒 | 秘密の教え・密教とは

祈り・拝み 信じ 続けること・・・

 

何故に 毎日 欠かさず 祈り・拝み続けなければ ならないのでしょうか ?

 

人間は この世に生を享けてから 寿命が尽きるまで

生き続けなければ なりません。

いかに 生きていくことが 苦しくとも 辛くとも

自らの命を 自らの手で 絶ってはなりません。

 

私は お不動さまを ご本尊さまとして お祀りしております。

南無大聖大悲不動明王 と祈らせていただいております。

 

不動明王さまを信じて 道場の中央の上段に 安置しております。

ご本尊さまに向かって右には 胎蔵生(たいぞうしょう)マンダラを

ご本尊さまに向かって左には 金剛界(こんごうかい)マンダラを

中段には ご本尊さまの ご寶前に

不動明王さまと その眷属であらせられる八大童子さまの絵像を

その左右には ローソク立て さらに その左右に 常華(じょうか)を

一番下の段には 中央に 香炉 その左右の 供物台には果物やお菓子を供え

さらに その左右には 生花を生けた花瓶を 安置しております。

 

南無大聖大悲不動明王

 

薄暗くした道場の中にある ローソクに火を点すと やわらかい灯りが

不動明王さまを やさしく照らしてくださいます。

線香に火を点け 香炉の中央に真直ぐ立てると 

香の煙が上へ上へと 立ちのぼっていきます。

そして 雲のように ご本尊さまの 頭上あたりに香煙が漂います。

実に 神秘的な雰囲気の中での 祈りが 始まります。

 

南無大聖大悲不動明王

 

お不動さまを 思い 念じ 唱える・・・

 

不動明王さまの お姿 佛像 そのものは

不動明王さまの の あらわれであり  み心の あらわれであり

誓願(せいがん)の あらわれでもあります。

 

南無大聖大悲不動明王

 

密教の修行は 不動明王さまと 自らが一体に成るために 祈り・拝むのです。

あるいは 大日遍照金剛さまと 自らが一体に成るために 祈り・拝むのです。

 

私の 身体・言葉・を ひとつにして祈り・拝むのです。

身体は 背筋を伸ばし正しく坐り 姿勢を調え 合掌します。

言葉は お不動さまの真言を お唱えします。

心は お不動さまを信じ 念じ続けるのです。

 

南無大聖大悲不動明王

 

では どうして このようなことを しなければならないのか。

現代風に言えば セルフ・イメージを 高めるためにです。

自らの精神面を 向上させるためにです。

あるいは 自らの スキル・アップを させるためにです。

 

それは 最終的に 私が 不動明王さまと 同じ境地に成るためにです。

即身成佛と言うと とっつきにくく 小難しい イメージですが

要は 私の 悩み・苦しみを お不動さまは 救ってくださることを

大日遍照金剛さまは 救ってくださることを

そして お蔭をくださる 加護してくださる ことを 信じ続ける

自らの このモチベーションを 正しく 保ち続けるためにです。

 

そうすることによって お不動さまに 大日遍照金剛さまに 感化されて

悩み・苦しみから解放され 心の安らぎ・安心(あんじん)が得られるのです。

 

南無大日遍照金剛と お唱えするのもまったく 同じことが言えます。

 

南無大聖大悲不動明王

 

あなたには 無限の可能性が 秘められています

それは あなたが 大日遍照金剛さまと

無関係な存在ではない と言うこと。

それは あなたが 大聖大悲不動明王と

無関係の存在ではない と言うこと。

 

今までの セルフ・イメージを変えることで

考え方が 行動が 習慣が 発言の仕方が

結果が変わってくるのです。

イメージは変えることができるのです。

 

そして あなたの 隠れた才能を見出し 開花させるには・・・

 

最後まで読んでいただき ありがとうございます。

少しでも あなたの お役にたてればと思います・・・

 

南無大聖大悲不動明王 大日遍照金剛

南無大聖大悲不動明王 大日遍照金剛

南無大聖大悲不動明王 大日遍照金剛

 

ちなみに 毎月二十八日は お不動さまの縁日です。

ありがとうございました。

 

合掌

 

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私たちは大日遍照金剛なり

2014年10月18日 12時29分27秒 | 秘密の教え・密教とは

 名は 体を あらわす

 実体は 真実在なのです。

 そして すべては 元ひとつの 同体であると・・・

 

 私たちは 太陽の存在を知っております。

 太陽の働きも知っております。

 太陽という実体 存在があり 太陽という文字があり

 太陽という言葉があり 太陽とに出して言うことができます。

 太陽というが を 姿を を あらわしているのです。

 太陽の働きに関しては 太陽というものを 理解すればよいのです。

 例えば この世に太陽という存在がなければ

 太陽という言葉も 文字も 声に出して言うこともできないし

 太陽の働きも 存在価値も 知ることができないのです。

 

 南無大日遍照金剛と 念佛を唱えることは

 大日遍照金剛という文字があるから 言葉があるから

 声に出して唱えることができるのです。

 私たちの眼では 大日遍照金剛さまの実体を

 お姿を ありのままに 見ることは できません。

 それでは 実体がないということになりますし

 大日遍照金剛という 存在自体ないことになります。

 が、私たちが 南無大日遍照金剛と 唱え続けることによって

 念佛の行を 続けることによって

 私たち自身が 大日遍照金剛と 成るのです。

 私たち自身が 大日遍照金剛という実体に 他ならないのです。

 これが 密教の教えであり 即身成佛の 教えなのです。

 

 密教の教えに関する言葉のなかに

 如実知自心(にょじつちじしん)という教えがあります。

 実の如く 自らの心を知る 本来あるべき自らの心を 知ることなのです。

 自らの本性 本質を見極めることを 意味しています。

 私たちは 大日遍照金剛さまの 『み心』 と 同一の心を

 私たちは有しているのです。

 私たちは 大日遍照金剛さまと 同じ生命が宿っているのです。

 大日遍照金剛さまの 『命』 と 等しい命を 私たちは頂いているのです。

 

 遍照金剛という無限の ひとつの生命を 等しく分け与えられているのです。

 私たちは 大日遍照金剛さまと 無関係な存在ではありません。

 このことを 悟れば 大日遍照金剛という 実体と成るのです。

 この世の すべての ものごとは すべてに 行き渡り

 すべてのものには 繋がりがあります。

 本来 元ひとつの 同体なのです。

 自分も 他人も 佛さまも 区別も 差別もないのが

 区別も 差別もない世界が 真実在なのです。

 

 これらの教えを 実証するために 修行するのです。

 これらの教えを 理解するために 念佛を唱えるのです。

 

 南無大日遍照金剛

 南無大日遍照金剛

 南無大日遍照金剛

 

 どうか このことを よく理解し 体験することが

 神佛のご加護をいただくことになるのです。

 

 ありがとうございます。 ありがとうございました。

 

 合掌

 

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あたりまえを感謝する

2014年07月21日 11時19分41秒 | 秘密の教え・密教とは

あまりにも あたりまえになりすぎて 慣れっこになっている 私たちなのです

あたりまえと思う心に 感謝の気持ちは起りません。

生きていく上での 衣食住は すでに与えられているのです。

生きていく上での 必要品は 皆 用意されているのです。

お金もあります。モノもあります。お金があれば モノを買うことが出来ます。

あるいはリサイクルで モノを売ることも出来ます。

仕事をして給料を頂いて 生活に必要なものを買う。

仕事があれば 職場もあります。お店もあります。

そういう世の中になっています。

便利な世の中になりました。

あたりまえの出来ごとが 有難いのです

あたりまえのことが あたりまえのこととして

あたりまえにあることが 有難いのです。

これは 私たちの住む環境のことです。

社会環境ことであり 家庭環境のことでもあります。

現実の世界のことです。環境も与えられております。

大きな観点からいうと 大宇宙があり 銀河系があり 太陽系があり

地球があり いろいろな国があり 日本国があります。

日本には四十七の都道府県があります。 

市があり 町があり 村があります。

日本には四季があります。大自然の営みがあります。空があり 星があり

海もあり 山もあり 空気もあり 水もあります。電気も ガスも 水道もです。

交通機関も日本全国 津々浦々にまで整備されています。

が、それでも足りない部分はバスがあり タクシーがあり 車もありますし

自転車や バイク オートバイと 移動の手段もあります。

太陽の恩恵もあります。雨 風 雪 大地の恵みも与えられています。

そして 私たち人間ですが この世に生を受けた時に

五体を与えられ 身・口・意(しん・く・い)を与えられているのです。

身体と 口と 心命(しんみょう)が与えられているのです。

からだには 五臓六腑はもちろん

手があり 足があり 頭 顔 眼 耳 鼻

口があり 舌があり 言葉が喋れる。味わうことが出来る。

見ることも 聞くことも 読み書きも 思うことも 考えることも出来る。

心があり 意識があり 生命があるから行動出来るのです。

生かされて 生きて行けるのです。

このことを 心から感謝できる 人間に成ること

あたりまえのことではあるのだけれども

ただ あたりまえとしておくのではなくて

この あたりまえのことに関して あたりまえでなく

ああ 有難いと 感謝の心で 心の中を満たすのです。

密教的観点からいえば すべて与えられている 用意されている。

人間は生かされて 生きることが許されて 生きている存在なのです。

が、反面 あたりまえのことを あたりまえに出来ないこともあります。

これは 私たちの行い 行為 行動のことです。

性格 人格 容姿 性別と 個人差はありますが・・・。

では あたりまえの 行為行動とは どのようなことなのでしょうか。

あたりまえの人間になる。 正しい生き方をすることです。

正しい行動 正しい言葉使い 正しい心がけ・心構えです。

自分も他人も 共に 幸せになるための生き方です。

決して 自分だけの幸せだけを求めてもいけません。

自分が得をすれば 他人が損をしょうとも 関係がない。

自分さえ善ければ 他人など どうでもいいなんてことはありません。

利己的 排他的 独善的では 悪業を増すだけです。

悪業の報いは 肉体的 精神的な苦しみであり

死後 地獄に堕ちるのです。地獄の苦しみを味わうのです。

これは 決して脅しではありません。

不運不幸の原因は すべて 自分にあります。自己責任です。

こうならないようにするには 信心することです。

大日遍照金剛さまを信じることです。

佛さまの み教えを信じて 行ずることです。

真言宗の密教の教えも 天台宗の密教の教えも

ともに 即身成佛(そくしんじょうぶつ)するための教えです。

即身成佛するということは 生きながら成佛すること。

生き佛となることです。佛として生きることです。

あるいは 佛さまらしく生きる 生き方です。

自らの悩み・苦しみをキッカケとして

南無大日遍照金剛と念佛を唱えるのです。

大日遍照金剛さまの絶大なる 大慈大悲の み心 佛心を信じて

大日遍照金剛さまの大慈大悲の お力を 偉大なる 生きた 佛力を信じて

南無大日遍照金剛と念佛を唱えるのです。

念佛とは 佛さまを念ずることで 大日遍照金剛さまを念じながら

南無大日遍照金剛と唱えるのです。

そして 大日遍照金剛さまの大慈大悲によって成佛させていただくのです。

この念佛行を あたりまえのこととして 行うのです。

そうすることによって

すべての ものごとに対して 心から感謝の念が 生じてくるのです。

心から感謝できる 人間に成れるのです。

私たちの苦悩を救って下さるのです。

南無大日遍照金剛

南無大日遍照金剛

南無大日遍照金剛

合掌

 

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自他ともに幸せに成るには

2014年06月29日 10時18分56秒 | 秘密の教え・密教とは

私たちは日々の生活の中で

喜怒哀楽という感情に支配されては

その感情に流され生きているのが現状です。

喜び 怒り 哀しみ 楽しみ をは感じているのです。

そして その心の感じるままが

そのまま 自らの表情や態度 言葉使いとなり 行動にもなるのです。

身業(しんごう) 身体で行う行為となり

口業(くごう)  言葉に表れる行為となり

意業(いごう) 心の中で思う行為となるのです。

この身・口(語)・意(心)を三業(さんごう)といいます。

この三業には 三善業(さんぜんごう)と三悪業(さんなくごう)の

善と悪の業。つまり 善い行いと悪い行いこのとです。

善いことをすれば 善いことが返ってくる。

悪いことをすれば 悪いことが返ってくる。

他人に喜びを与えれば 自らに喜びごとが返ってきます。

他人を怒らせれば 自らも何か嫌なことをされて怒るようになります。

他人に哀れみの心をかければ 自らにも哀れみの心をかけられるものです。

他人に楽しみを与えれば 自らにも楽しいことが起ってきます。

佛教の開祖であらせられる釋迦牟尼佛陀(しゃかむにぶっだ)さまは

諸の悪を為さず 諸の善を行い奉り

自らの心を浄めなさい これが諸佛の教えです。と説かれました。

自らの心を浄めることとは 

り ・いかり ・おろかさ の心の三毒を 三毒に害されず

貪らない むやみやたらに 瞋・いかならい 痴・愚かなことをせず

正しい教えを知り 正しい行いをすることです。

正しい教えとは 自分も他人も共に幸せになるための教えです。

自分だけが幸せになるということは

我痴我見我慢我愛煩悩が盛んで 我の強い人です。

この我が強ければ強いほど 悩み苦しむほうの結果を生むのです。

本当は愚かな自分を 愚かだとは思わず

自己中心的な考えに縛られ 強情で

慢心している自分なのに 自分が一番正しいと 自分が一番偉いと

まったくの思い違いをしているのです。

可愛いのは自分だけで 他人などはどうでもいいとしか思えない。

他人のことなど眼中にない。自分さえ善ければいいと。

私たちは生身の人間ですから いろいろと考えては

いろいろと思い悩み いろいろな苦しみを受けることになるです。

では 何故に 私たちは他人の言動に

悩み・苦しまなければならないのでしょうか。

それは 例えば ある人に私がイジメられているとします。

何故に私が その人からイジメられなければならないのか。

それは 私がイジメを受けているのは結果であるのです。悪果なのです。

その原因は 私が誰かをイジメたことがあるからです。悪因があった。

私がイジメられるには イジメられる私に原因があったということです。

相手をイジメたから 相手にイジメられる。

相手にイジメられたから 相手をイジメる。

あるいは逆に 相手が困っているところを助けたとします。

そうしますと 今度は自分が困っているところを

誰かが助けてくれるものです。

結果として 他人の言動に悩み・苦しむということは

その他人を悩ませ・苦しめさせるような行為をしたからです。

喜怒哀楽において すべて自分に原因があったから

その報いを 今 受けていることになるのです。

では 今 受けている その報いには どう対処したらよいのでしょうか。


私の場合ですが 幸いにも佛教に興味があり

佛教書もいろいろと読みましたし 教えを信じて 念じることもしますし

常に何か気になることがあれば 以前に読んだ佛教書を

もう一度読み返してみたりして 新たな発見をして 対処しております。

教えを信じて 念じて 行ずる。このことを心がけて 心構えとして

懺悔(さんげ)する。相手のことを思い 心から懺悔する。

大日遍照金剛(だいにちへんじょうこんごう)さまを信じて 念じて 懺悔をする。

懺悔滅罪(さんげめつざい)して 罪障消滅(ざいしょうしようめつ)するのです。

そうして 今ある自分を変えていくのです。

イジメをしてくる相手に変ってもらうのではなくて

自分が悪かったことを認めて 大日遍照金剛さまに この苦しみから

救ってくださることを信じて 念じて 行ずるのです。

私たちは知ると知らざると 他人に迷惑をかけているものです。

先ずは自分に非があったと認めること。

悪いことをしていた事実を認めること。

それは 今 受けている 悩み・苦しみを思えば やはり認めざるをえません。

火のないところに煙は立たない、のです。

信じて 念じて 行ずれば 大難は中難に 中難は小難に 小難は無難に

病苦があれば 正身端坐して 背筋を伸ばし 合掌して 腹式呼吸をして

身心をリラックスさせるのです。病苦は少しずつではありますが

快復に向かうものです。

そして 感謝の心を育てるのです。

感謝の気持ちで心を満たすのです。

このように成るために

南無大日遍照金剛(なむだいにちへんじょうこんごう)を念ずるのです。

これは信ずれば 何時でも 何処でも 誰でも 念ずることができます。

常に 心に中で 南無大日遍照金剛と念じて下さい。

このことを続けることによって 少しずつではありますが変化がみられます。

これは その人によって様々ですが 現世利益(げんぜりやく)があります。

本当に心から感謝の気持ちで 心を満たすならば

諸天善神さまの ご加護があります。

南無大日遍照金剛

南無大日遍照金剛

南無大日遍照金剛

合掌

 

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心の三毒と四つの悪い心とは

2014年05月27日 10時47分02秒 | 秘密の教え・密教とは

心の中に 三つの毒あり。 

(とん)・(じん)・(ち)の悪い心を 三毒(さんどく)といいます。

我(が)ほど 恐ろしいものはありません。

そして 我痴(がち)・我見(がけん)・我慢(がまん)・我愛(があい)という

自我中心的の心が存在しているのです。

自我とは 他の対象と区別して 意識する自己。

そういう自分がいるのです。


とは 貪慾(とんよく)のこと。 

貪(むさぼ)りの心。 むさぼる心。 執着する心。慾張りな心。

好きなものへの・好きなことへの強く・激しい欲求のこと。


とは 瞋恚(しんに)のこと。

いかりの心。憎しみの心。嫌悪の心。感情的に怒ること。

気に入らないこと・ものに対して切れること。ブチ切れること。

嫌なものへの・嫌なことへの強く・激しい反感を持つ心。

とは 愚痴(ぐち)のこと。

愚かな心。不平不満の心。泣き言をいう。

正しい教えや道理・真理に対する無知のこと。

つまり 佛さまの教えを知らないこと。


我痴(がち)とは ものごとの道理に暗いこと。分らない知らないこと。

自分の本当の姿を知らない。自己の佛性(ぶっしょう)が分らない。

佛さまと ちっとも違わないということが ハッキリ分らない。

自己を疑うということ。


我見(がけん)とは 自分だけに こだわった ものの見方。

それぞれ個人個人が めいめい勝手な意見を持っていること。

独断と偏見を持っているということ。


我慢(がまん)とは 他の人と自分とを比較して 相手を侮る慢心をいう。

自慢する心。 高慢な心。自分を誇らしく思い 自分が一番 偉いんだと。

自分はすごい人間なんだと。勝手な思い込みをしている。


我愛(があい)とは 自分に執着する心。うぬぼれている。

自分をのみ ひたすら愛し続け 自分の愛のみに耽ること。

他人よりも自分が一番可愛いということ。


この三つの毒 と 四つの我に 心が害されることによって

私たちは悪業を犯すことになるのです。

不運・不幸の原因と成るのです。

それは 自業自得であり 悪因悪果となるのです。

そして さらに悩み・苦しむ原因となるのです。

 

これらの行為を根本煩悩(こんぽんぼんのう)といいます。

煩悩(ぼんのう)とは 身体や心を悩ませ かき乱し 煩(わずら)わせ

惑わし 身心を汚れさす 精神作用なのです。


つまり 正しい教えを信じることができないのです。

それ以上に 正しい教えに出合うことができないのです。

自己中心的で 自我中心的な人たちは 救われることが 難しいのです。

俺我(おれガ) 俺我 私我(わたしガ) 私我では

救われることが 難しいのです。


荒神経に 不信心の者には 悪事災難 必ず来る、とあります。

悩み・苦しみの本当の原因を知らずに 単なる自らの知識のみで

解決できるものではありません。

信じる心がない人は 心が三毒に 四つの我に

犯されていることを知らないのです。


では その解決方法はといいますと

悩み・苦しみの原因を知ることです。そして 教えを信じることです。

心の中にある三毒と四つの我の存在を信じて

その三毒が四つの我が

どのような働きをしているのかを ハッキリと知ることです。

そして 自らの心がどのようになっているのか 正面から向き合うのです。

誤魔化すのではなく 常に心の状態を把握しておくことです。

自ら行ってきた行為 悪い行ないを反省すること 自省することです。

 

決して 責任転嫁せずに 自己正当化せずにです。

知らず知らずに 他人に迷惑をかけていたり 嫌な思いをさせたり

辛い目に ひどい目に 遭わせたりしていたのです。

傷つけたり 陥れたり 裏切ったり 騙したり いろいろとあるものです。


悪業による悪因は 知らず知らずのうちに

他人にも悪影響を与えるものです。有縁な人たちや

友達 家族 恋人や 家にも  着るもの 他のものにも影響を与えます。

俗に言う 親の因果が子に報い、です。


自らの悪業を懺悔(さんげ)するのです。

懺悔する心なくして 救われる道はありません

そして すべてのものごとに感謝できる人間に成る

それには 正身端坐して 背筋を伸ばし

深呼吸をして 心を落ち着けます。

先ずは 冷静になることです。

今まで 自分が何をしてきたのか、省みることです。

懺悔することによって 自らの罪を軽くして

三毒に 心が汚されることがないように。三毒を起こさないように。

我痴・我見・我慢・我愛といった心に支配されないように。

そして 善行を積み重ね 功徳を積み

あなたの周りにいる人たちに対して

善き縁の影響を与えるようにして下さい。

善因も他人に善き影響を与えるものです。


神佛の加護の力は 私たちの生きる世界に遍満しています。

それを いただくには・・・

合掌

 

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信によって縁を結ぶ

2014年04月05日 11時15分36秒 | 秘密の教え・密教とは

なき 衆生は 度(ど)し 難(がた)し です。

佛さまに 縁のない 人は 救われることが 難しいのです。

佛さまの 存在を知る由もない人は 救われることが 難しいのです。

佛さまの み教えを信じることが出来ない人も 救われることが 難しいのです。

佛教で説かれるところの 三寶(さんぽう)である 

佛寶(ぶっぽう) 法寶(ほうぼう) 僧寶(そうぼう)に帰依する。

先ず このことを 信じることが出来るか

信じることが出来ないかが 運命の分かれ道なのです。

光に向かって赴くことが出来る人間と

闇に向かって赴く人たち つまり 不信心の人たちは

自らの自己責任によって 悩み苦しむようになるのです。

自業自得。善因善果・悪因悪果。つまり その人の業因縁です。

それは 何故かと言うと 自己を中心に生きているからであり

自我中心に生きている限り 苦が苦として 私たちに纏わりつくのです。

ものごとの見方 ものごとの考え方 受けと止め方 行いの

すべてが 自分中心であり 自分と他人を区別しているからです。

自分と佛さまと 対立しているのです。それも 知らず知らずのうちにです。

神さまも 佛さまも 私は信じない。私は信じられない。

自分が一番正しい人間だと 勘違いしているのです。

このような 人たちが 佛縁のない人たちなのです。

佛さまが 寶であり。

佛さまの み教えが 寶であり。

佛さまの み教えを信じて 修行され さとりを開かれた 歴代の お弟子さま方

祖師(そし)先徳(せんとく)の方々が み教えを後世に伝えて下さったことが

寶なのであります。

残念ながら このような尊い み教え 佛教の内容を

義務教育の小学校・中学校 それに 高校などでは

絶対に教えてはくれないのです。

宗門経営されている学校はともかくとしてです。

佛さまの 存在を知らないし その み教えも知らないし

頼りになるのは 自分の知識のみで 本当の 本物の み教え

親も知らない、先生も知らない、となれば 子供も知る由がないのです。

なぜ 私たちは 生きなければ ならないのか。

なぜ 私たちは 悩み苦しまなければ ならないのか。

佛寶であらせられる釈迦牟尼佛陀(しゃかむにぶっだ)さま。

お釈迦さま(佛教の開祖)は 生老病死の苦しみから

逃れられる方法を残されました。

・生きることの苦しみから

・年をとり 老いる苦しみから

・病気になる 病気にかかる苦しみから

・人間は 必ず死ぬという苦しみ 死への恐怖から

解脱(げだつ)する方法を説かれました。

かと言って 信心したからといって 年をとらないということはないのです。

信心したからといって 死なないということはないのです。

形あるものは 必ず 古くなり 壊れる時が来るものです。

生まれた者は 成長して 年をとり やがて 死を迎える。

死を迎えるとは この老体が この世で生きていくことに

支障を来たすからなのです。もう この老体では生きていくことが

出来なくなったからなのです。

死に方も その人の業因縁により さまざまなのです。

すべては 諸行無常(しょぎょう むじょう)なのです。

このことは 勘違いしないで下さい。

生きることが 苦しみであると考えるのは 自己責任です。

病気になる、病気にかかることも 自己責任です。

自らの暴飲暴食が原因であり 自らの不摂生が原因であり

自らストレスをため込んでいて 発散出来ずにいる。

それは 自らが 真理に反した生き方を しているから なのです。

あなたは 信心出来ますか?

あなたは 徳を積めますか?

あなたは しあわせに成れますか?

あなたは 今日一日 何を考え 何を思い 何を行って来ましたか。

先ずは 自分自身を 見つめるように して下さい。

正身端坐して 背筋を伸ばし 合掌して下さい。

息を吐き出し 息を吸い込む 腹式呼吸を続けて下さい。

そして 身も 心も 落ち着きましたら

南無大日遍照金剛と 心の中で 念じて下さい。

ただ これだけのことを 持続して 続けて下さい。

ただ ただ ひたすらに 他のことを考えずに

南無大日遍照金剛と 念じ続けて下さい。

私たちは 一日でも 一分一秒でも早く 佛縁を結んで

救われる人間に ならなければなりません。


終わりまで読んでいただき 誠に有難うございます。

あなたが しあわせ でありますように

あなたの 苦悩が除かれますように



佛さまの存在を 心から 信じることのできる人間に

佛さまの み教えを 心から 信じて 理解して 実行できる人間に

合掌

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