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探 三州街道 歴史

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雑談記 赤石山脈・木曽山脈

2012-11-20 18:14:30 | 歴史
赤石山脈・木曽山脈

天竜川と三州街道

諏訪湖を水源とした天竜川は太平洋へと流れ出す。諏訪湖釜口水門から浜松市までの213KMの長さだ。天竜川を下流に向かって、左に赤石山脈、右に木曽山脈と、日本でも有数の山岳の間に伊那谷があり、川治沿いに三州街道は走っている。昔は、この三州街道は、東山道の脇往還であり、信濃からの京の都への道であった。また、この道は、平安時代から、物流の産業道路として存在し、最初は細々と、やがて室町時代頃から大量の物流の道として栄え、山国の農産物や工芸品と三河湾の海産物の運搬に使われる道となる。この状況は、東海道線・飯田線の鉄道が敷設される明治時代まで続き、産業道路としての役割を終焉する。

赤石山脈と木曽山脈と飛騨山脈の三つを総称して日本アルプスと呼び、赤石山脈を南アルプス、木曽山脈を中央アルプス、飛騨山脈を北アルプスと呼ぶ別称もあるが、個人的にはこの別称は好きでない。

赤石山脈

赤石山脈は、深田久弥さんの選んだ日本百名山の約1割の名山を持ち、3000Mを超す七つの高峰を誇る。その主峰は日本第二の高峰の北岳だが、地元では盟主はあくまで赤石岳でる。赤石岳の名前の由来はラジオリヤチャード岩盤が赤かったためと言われる。ラジオリヤチャードとは放散虫、赤い虫(ラジオラリヤ?)のことです。赤石山脈は、かなり地味で、富士山に次ぐ第二の高山を持ちながら、なぜか登山家の人気でも飛騨山脈に後れをとっています。
昔登山好きな友人(誰かは記憶が薄れて)が聖岳(?)に登ったとき、急峻ではないが、行けども行けども木立のなかを歩き、歩き疲れてへとへとになり、やがて視界が開けたら辺り一面お花畑で、それは見事で絶景であった、雷鳥もいた、と話してくれたのを覚えています。
飛騨山脈が火山の山脈で、溶岩を積み上げた構造を持ち、急峻になり、ある高度から視界を遮るものがなくなるのに対し、赤石山脈は地盤隆起型の山脈で、山懐がやたらと深い、更にかなりの高度まで、山林を持っているのが特徴のようです。これでは素人受けはしないし、人気も出ないことも頷けます。登山を趣味としない、山に登らない僕が、登山家にひんしゅくを買うことを覚悟で言えば、赤石山脈の山林をショートカットする登山方法を開発すれば、絶景のお花畑や雷鳥は苦労せず是非見たい風景で、一挙に人気化するのでは、と思っています。
飛騨山脈と赤石山脈との違いは、山頂付近の浸食された形状は似ているとしても、下部に行くにしたがい、浸食の歴史にかなりの差があります。赤石山脈が高山植物の宝庫で、お花畑の広大さや、雷鳥や鹿や熊などの今では珍しくなった動物たちの楽園を数多く残しています。逆に言えば人を近づけない条件がいくつもあるからだと思います。その分野で有名な動物写真家の宮崎学さんのホームグランドは赤石山脈・山系です。

前述で、花崗岩で出来た山岳の特徴を、かなりの独断で木曽山脈を題材に書いたが、同じ視座で赤石山脈を眺めると、北部の甲斐駒ヶ岳や鳳凰三山(地蔵岳・観音岳・薬師岳)が花崗岩を主の地質とした山岳であり、北岳(日本2位の高峰)や間ノ岳以南は頁岩・砂岩・石灰岩などの地質となっている。この為か、古くから、北部赤石山脈を源流とする三峰川や藤沢川、山室川は土石流災害が頻繁に発生したと言われている。また北岳あたり以南の山岳を源流とした谷川に大きな扇状地を見ないのは、やはり地質の関係があるのだろうと想像している。ただし、天竜川の支流の谷川の地形を見ている限りでの話で、山の反対側の太平洋に流れ込む川の地形は確認していない。富士川や大井川、阿部川など、どの山岳を水源にしていて、どのような地形なのか、大変興味深い。

今ひとつの特徴は、赤石山脈と天竜川の間の山岳地帯に、中央構造線(糸魚川静岡構造線)が走っている。いわゆるプレートとプレートがぶつかり合う所の境界線で、赤石山脈の地盤隆起型にも関係が深く関わっているのだろう。中央構造線は、長い谷を作ったり、所々に太古の地層を露頭したりして、地質学者や太古の歴史に興味を持つものの、垂涎の場所にもなっている。地盤隆起は今も続いており、2,3年で約1cmぐらいの隆起があるそうだ。この太古の地層は新第三紀の地層で、海の地層とも呼ばれ、海に関する物が発見されています。赤石の名の由来となった「ラジオリアリチャード(放散虫=赤い虫)」や大鹿村の「塩泉」(塩分を含んだ泉が湧き出し、煮詰めて塩も作っている、岩塩は探したが見つからなかったそうだ、鹿塩温泉)などが、太古このあたりが海であったことを示している。貝などの化石も探せばあるのかもしれないが、秩父地方で発見される化石は、第四紀地層のようである。