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「怒る富士」を読んで

2013-04-07 12:40:33 | 歴史
「怒る富士」を読んで

「怒る富士」の作者は新田次郎という。「強力伝」小説でデビュー、その後「山」を扱った小説を数多く書く。「怒る富士」もその一つだが、少し異質。世間的には「武田信玄」の小説で有名かも。書評は僕など及ばないものが数種あるので書かない。数学者の息子も有名だが、僕の中では奥さんの方が強烈な印象を持ち続けている、あるいは新田次郎以上に。・・藤原てい。
再びなので、演劇の前進座「「怒る富士」の方と思ったがかなわず、脚本も図書館で調べたが見つからず、全集の方で読む。
内容は、関東郡代7代目の伊奈忠順が、富士山の大噴火の降り積もった降灰で、生産不能となった富士山麓の農民を励ましながら、命を繋げるように援助し復興に奔走する生き様を書いた小説。そこには地元に残る史料を発掘精査しながら、何があったのかを手探りで探していく歴史の証人のような「語り部」としての姿勢が際立つ。そこが彼の他の小説との異質に見える。
「3.11」があり、悲惨さに多くの義援金など援助や復興予算が他に流用されている現実をこの小説にも見ると、何とも情けない気分になる。伊奈忠次を初めとする伊奈家の「こころ」は、もとよりこのブログのモチーフでもある。
この小説を通して、当時の老中や勘定奉行のやり方を見て、農民に対する姿勢を見てみると、徳川幕藩体制の一貫した農民への租税に対する姿勢を垣間見ることが出来る。いわゆる「生かさず殺さず」という姿勢で、この様な大惨事に対しても、自分たちは彼岸にいて、最低限にも及ばない救民援助しかしない、そして集めた義援金を体裁やその他に流用する官僚主義を、この小説に見る。

ついでだが、「生かさず殺さず」は家康の参謀の本多正信の言葉として知られる。が、調べてみると本多正信の書物では『百姓は財の余らぬように、不足になきように治むる事道也』とあり(本佐録)、「生かさず殺さず」とは意味が違うように思える

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