巡りの星　36

　
　そう、あの屋上であった男は、橋爪部長であったことを今となっては確信できた。

　そう気がついたのとほぼ同時に、あの屋上で出会った若かりし頃の橋爪部長との、数ヶ月後の再会シーンを不意に思い出した。

　いや、正確には、今までには無かった新しい記憶が、私の脳に急速にダウンロードされているような不思議な感覚で、一瞬のうちに走馬灯のように脳裏に映像と音声が再生されはじめたのだ。

　私は息を呑み、思わず目を閉じた。

　あの屋上での出来事から数ヶ月後、私は就職活動で訪れたとある広告代理店で、当時まだ課長だった橋爪さんと再会した。そのときの驚きと言ったらなかった。それは、そのときに面接官として私を出迎えてくれた橋爪さんにしても同じだった。そして私たちは、あの屋上での出来事を言葉少なに話してお互いの認識と記憶を確認し、しばらく二人で言葉を失い黙り込んだあと、あまりの驚きでどっちからともなく思わず一緒に笑い出してしまった･･･そんな記憶だった･･･。
　
　「おい、どうした、イナダくん大丈夫か？」

　フェイステレフォン越しに、私の表情が固まっていたのを怪訝に思った橋爪部長は心配そうな声を掛けてくれた。

　「い、いえ、大丈夫です。あまりに大きな地震で驚いてしまいまして･･･」
　私はあわてて、取り繕うように言った。

　「ああ、そうだな、かなり大きな地震だった。私はいま早速社員の安否確認を取っている所なんだ。」
　「部長が、わざわざ、ですか？」
　私は思わず聞き返してしまった。
　
　
　「･･･ああ、じつは、はじめにアサダさんに連絡を取って、部下たちの安否確認をお願いしようとしたんだが、彼女と全然連絡が取れずにいてね･･･」
　「･･･え！そ、そうなんですか」
　私はさきほど見た煙が立ち上る様子を思いだし、人の命に関わるような混乱が今いろんなところで起きているという事実に、大きな不安を覚えた。
　アサダさんは無事だろうか･･･。

　「それで私がアサダさんのチームのメンバーに一人ずつ連絡を取っているところなんだ」
　「そうなんですね･･･、それで、他の皆は無事ですか？」

　「ああ、島田君や守口さん、矢野君はもう連絡がついた。あとはイナダくんだけだったが、こうして無事、連絡をとることができたので、よかった･･･」

　･･･あれ？

　私はにわかに違和感を覚えた。一人、名前が挙がっていない。私と、島田とも同じ部で、しかも同期“だったはず”の人間がもうひとり･･･。

　「あ、あの･･･部長、三芳さん、三芳ひかるは、どうですか･･･？連絡つきましたか？」
　私は恐る恐るその名前を出してみた。　

　「･･･ん？みよし･･･さん？」
　画面の向こうの橋爪部長は、あきらかに意表を突かれた感じの不思議そうな顔をしていた。
　そして、私にはっきりと言った。
　「イナダくん、誰のことだい？うちの会社にミヨシという人間はいないよ･･･」

　「･･･！」
　私は言葉を失った。
　ミヨシ･･･三芳ひかるは会社に存在しない･･･。
　と、いうことは･･･。

　「本当に大丈夫かい？頭を打ったとか、そいういうことはない･･･？」
　今の私の言動に対して、橋爪部長がそう心配するのも無理は無かった。

　「い、いえ、ごめんなさい、完全に寝ぼけてました！夢と現実がごっちゃになってしまいまして･･･はは･･･！」
　なんとか取り繕って、口から出まかせのことをいう。
　でも、それはあながちウソとも言えないかもしれない。

　昨日私の前に現れたヒカルは本当に存在していたのだろうか。
　あるいは、巡りがつながって、言っていたとおり、やはりヒカルは消えてしまったのだろうか。
　正直な所、どこからが夢でどこからが現実なのか、今でもはっきりとした自身が無い。

　「そうか、とにかくまあ無事なら良かった。すまないがイナダくんもアサダさんに連絡を取ってみてくれないか。それと、しばらくは会社の緊急メーリングリストて一斉に今後の災害対応などについて連絡をいれるから、よろしくな」

　「･･･は、はい、わかりました」
　
　それじゃ、と言い残して橋爪部長からは忙しそうにフェイステレフォンの画面から消えた。会社の対応を決める重役との緊急ミーティングかなにかがあるのだろう。