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誰も知らない、ものがたり。

読み切り・短編小説「リヴァイアサン」

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


 

 

『リヴァイアサン』

 

 

ーまた聴こえた。

 

 両親が営む街の花屋で働くルーラは、いつもと変わらない平日の客入りの少ない店の中で、お昼休憩を終えて比較的早く訪れた最初の客にあつらえた花を渡した時、それを聴いた。

 

 得体の知れぬ地鳴りのような、低い、くぐもった音。何かの叫び声にも聴こえる音。

 思い切ってルーラは眼の前の客に聴いてみる。

 

「あの、今、何か聴こえませんでしたか?」

 

 会計を済ませ、あつらえてもらった花束を受け取りながら中年の恰幅の良い客の女性はその言葉にまるでピンと来ておらず「ん?何かしら?」と声を出す。そして、綺麗な出来栄えの花束に目を移し満足そうに「まあ綺麗!お世話様!」と言って足早に店を出ていった。

 

 ルーラはカウンターから出て「ありがとうございました」と客の背中に向かって声を掛け、見送ったその足で外に出る。

 暖かな日差しが、店先の可愛らしい春の花々と、今朝の通り雨で少し濡れた石畳の道を照らしている。パラパラと行き交う人は皆何事もなかったようにそれぞれの歩幅で歩いている。

 自分にはかなり大きな音とて聴こえるため、誰も何も気に留めていないのが不思議だった。

 何気なく上を見ると、建物と建物の間から覗く空を覆うような巨獣が姿を現した。

 

「やっぱり、まだ誰にも見えないし、声も聴こえないんだ、リヴァイアサン・・・」

 

 ルーラは誰にも聴こえないような小さな声でポツリとつぶやいた。

 リヴァイアサンとは旧約聖書に登場し、堅いうろこと恐ろしい歯をもち,目は光り口からは火花を発し,鼻からは煙を出し息は炎のようだとされる巨大なワニかヘビのように想像されて恐れられている、海の幻獣のことだった。

 ルーラは勝手にその姿と重ね合わせ、眼の前の巨獣をそう呼んでいた。

 

 ルーラが最初にリヴァイアサンの声を聴いたのは、まだ7つか8つの小さな少女での時。学校でクラスが一緒だったいじめっこに靴を奪われ、自分の眼の前でゴミを焼く焼却炉の中に放り込まれて泣いていた時だった。

 はじめてみたリヴァイアサンはもっと姿が薄くて空に解けるような感じだったのを覚えている。

 それよりも靴を焼かれ、轟々と燃える焼却炉から出る黒い煙が自分の靴の成れの果てかと思うとショックで、それ以上の事は何も考えることが出来なかった。

 肝心の靴は戻ってこないし、そのいじめっ子は広大な土地を持つ地元でも有名な盟主の息子で、学校にもその親から多額の寄付金が渡っており学校の校長やその他教師たちも歯切れが悪く、おまけに実家で花屋を営む両親もその地主との関係を憂慮して当のいじめっ子や学校に強く出ることはなかった。全部の大人たちが結局ウヤムヤにしたがっていることを小さいながらに感じて、とても傷ついたのを覚えている。

 

 その後から、1、2年ほどの間隔を空けて、リヴァイアサンの声を聴き、姿を見ることになった。少しずつそのサイクルは早まっているように思える。

 大人になってから判った事だが、このリヴァイアサンを見る時というのは、決まって人間が権力を利用して他者を貶める、辱める事を自ら味わったり、あるいは人から聞いて知ったりした時だった。

 

 大学生の時の講義で、とある中世の政治哲学者がリヴァイアサンの名前を引用して絶対王政を合理化する理論を構築していることを知った。その理論の根底にある人間の自然状態というのが『自己利益の追求』と『他者との競争心理』というのだからたまったものではない。

 そして人々による絶対的な統治機構の”力”を表現するために、多くの人間が集合して生まれた一体の巨人をリヴァイアサンと称し、その巨人が王冠を抱き、片手に剣、片手に魔法の杖を持っている挿絵が描かれている。

 論述の内容が正しいか否かというのは、結局は今もよくわかっていない。

 とにかく、ルーラはこの絵が、絵の通り大きく膨れ上がった人の高慢さを見るようで、悪寒が走るほど嫌いだと思った。

 

 ー私の知っているリヴァイアサンはこんな禍々しいものではない。

 ルーラにとっては、恐ろしい牙と硬い鱗を持つ神話の龍のようなリヴァイアサンの姿の方が、この巨大な人間の姿よりよっぽど美しいものに思えた。人の力では抗いようのない畏怖すべき存在。まるで大きな地震や火山、大津波を起こす大自然の力のような。その事が頭から抜け落ちた、尊大な人間の論理世界にどこか卑しさを覚えるのだった。

 

「よう、お嬢ちゃん」

 

 不意に横から声をかけられて振り向くと、そこには、今一番会いたくなかった、いかにもガラの悪そうな人相の男共3人が、揃いも揃って黒づくめのスーツに身を固めてニヤニヤとしながら近づいてきていた。

 

「またあなた達ですか、いい加減にしてください」

 ルーラは真ん中の黒いサングラスを掛けた男を睨みながら毅然と言った。

 

「おお、怖いねえ、でもなあ、嬢ちゃん、いい加減にしてほしいのはこっちなんだよ」

 そう言って顔を目の前まで近づけながら、ひらりと一枚の紙を見せる。それは以前、チンピラ共が最初に店にやって来た時にも見せられたものだ。

 花屋の土地を購入する際に、ルーラの両親が多額の金を借りたことを証明するという借用書だという。

 しかし、両親には全く身に覚えのないことだ。こんなものは偽の書類に決まっている。

 

 と、その時、不意にリヴァイアサンが首をもたげてゆっくりとこちらに顔を向けた。

 そんな事はこれまで一度も無かったので、ルーラは驚きのあまり危うく声を出しそうになって口を押さえた。もちろん、男たちにリヴァイアサンは見えていない。

 

「グーの音も出ないってか、わかってるじゃねえか、耳揃えて金を返しな!それが出来ないならこの土地を売ってもらうぜ」 

 そう、この男共はいわゆる地上げ屋だ。何かと難癖をつけて相手を疲弊させ、土地を安く買い叩いて他所に売ることを目的とした輩達だった。その者共を、リバイアサンは身動き一つせずにじっと見下ろしている。

 

「そ、そんな偽の紙切れ知りません!今すぐ帰って、もう二度と来ないでください・・・!」

 ルーラがそう言うと、取り巻きの残りの二人が突然、店先にある売り物の花たちを入れ物ごと勢いよく蹴り倒した。

 乾いた音を立てながら倒れた花束を、更に男たちはその足で踏みつける。 

 

「やめてください!やめて!なんでそんなことするの!」

 花たちを踏みつぶす男たちに掴みかかるルーラ。男の一人がその手を振り払い、乱暴にルーラの身体を突き飛ばす。

 

「きゃ!」と地面に倒れこんだルーラの髪の毛にサングラスの男の手が伸びたその時だった。

 

「お前ら何をしているんだ!」

 通りかかった見るからに高級そうな車から鋭い声が届いたと思うと、すぐさま車から降りてこちらに駆け寄る白いスーツの男の姿が見えた。そして、ものの見事にサングラスの男の腕を取り、ひねり上げてしまった。

 

「ぐわ!な、なにしやがる!」

 サングラスの男は急に現れた見知らぬ男に腕を取られもがいている。「なんだこいつ!お、お前ら!や、やっちまえ!」

 

 状況を察して花を蹴散らしていた男が、サングラスの男の腕を取った白いスーツの男に向かって蹴りを放ったが、すっと交わしされ空を切った。と、思ったと同時にサングラスの男は身体を一回転させ投げられて地面に倒れ、残りの男たちもそれぞれ、みぞおちと下腹に突きをくらい、その場にうずくまった。

 

「まだやるかな?」白いスーツの男はさらっとした金髪の前髪を優雅にかきあげながら言った。

 

「・・・ち、ちくしょう、ふざけやがって・・!お、おい、いくぞ!」サングラスの男はやっとの思いで立ち上がり、取り巻きの男たちと一緒に這々の体で逃げていった。

 

 この間、リヴァイアサンは身動きもせず、じっとこちらの様子を静かに見続けていた。

 

 端正な顔立ちで、整えられた涼し気な眉毛の白いスーツの男は「大丈夫ですか?」と声をかけ、地面に倒れ込んでいたルーラに手を差し伸べた。「あ、ありがとうございます・・・」とルーラがその手を取ろうとした時、微かにその端正な男の口元が、なぜか不敵に歪んで見えて、思わず手を止めた。その瞬間、その男の目にヒヤリとしたものを感じる。

 

ーギャオオオオオオオオオン!

 

 突如、大地を揺るがすような轟音がルーラの耳を襲った。

 リヴァイアサンの叫び声だ。その口は大きく開けられ牙を剥き出しに、目は燃え盛る炎のように赤くなっている。あまりの轟音と恐ろしい形相に両耳を押さえ、目をつむるルーラ。

 

「どうかしましたか?」

 男はリバイアサンの咆哮にまったく気が付かず、手を差し伸べたままルーラの様子を伺っている。

 

「あんた、聴こえないのかい」

 白いスーツの男のさらに後ろから、今度は少し低めの女性の声が聴こえた。ルーラも目を開けてその声の方を見ると、髪の毛の短い、まるでジプシーのようなマントを身にまとった日に焼けた鋭い眼光の中年の女性が近づいてきていた。姿格好からしてこの土地の人間ではなさそうだ。

 

「あいつら、おまえの手下だろ」

 そう言うと髪の短い女性は、マントの中に隠していた鉄の棒のような武器の先端を、白いスーツの男の眉間の前3センチのところでピタリと止めてみせた。

 

「な、何を言うんだ、私はいまチンピラ共から彼女を守って・・・」

 面を喰らった白スーツの紳士はたじろいだ。

 

 するとまたリヴァイアサンが大きく咆える。

「ほうら、こいつも怒ってるぞ」

 

「?・・な、何を言ってるんだ、分けがわからない」

 

 ルーラはあっけにとられてやり取りを見守るだけだった。

 いま、こいつも怒ってると、確かにそういった。この女性にもリヴァイアサンが見えるし、聴こえるのだ。

「あたしは嘘言ってるやつの目がわかるんだ。早くここから消えろ」

 

 ルーラと謎の女を交互に見ながら、白スーツの紳士は徐々に後退りし、武器を持つ女性の迫力に押されるようにして車へと乗り込み、行ってしまった。

 

「怪我は?」今度はその短い髪の女性が手を差し伸べてくれた。地面に座るルーラを見下ろす目が温かい。迷わず女性の手を取ったルーラ。

 

「あ、ありがとうございます・・私は大丈夫です。でも、お花たちに可哀想なことをしました」

 そうだね、と小さくため息を付いて、ルーラと一緒に蹴り散らかされた花束を戻す女性は、自らリンネルと名乗った。

 

「あんた、見えるんだね?」

 リンネルは花の片付けを手伝いながら行った。

 

「リヴァイアサン・・・」

 ルーラは思わず手を止めて先ほどまでいたリヴァイアサンの姿を探したが、いつの間にかもう見えなくなっていた。

 

「はっ・・!おっどろいた、あたしと同じ名前をつけてんのか、あの龍に。ああ、いまはもう行っちまったようだね」  

 リンネルも上を見上げながら、言葉を続けた。

「昔から見えるの?だったら、あたしと一緒だね」

 

 花を片付け終えたリンネルは、マントについているフードを頭から深く被り、もうすぐにでも行ってしまう様子だった。

 聴きたいことは山ほどあったが、声についてでたのは次の言葉だった。

 

「あ、あの、リヴァイアサンはなぜ、咆えてるんですか?それと・・・」

 

 リンネルはフードの隙間から鋭い目をルーラに向けた。

「あの・・・なぜ、リヴァイアサンは、以前よりもずっと姿が濃く見えるのでしょうか・・・」

 

 何かを逡巡しているような沈黙のあとに、リンネルは口を開いた。

「人間たちの悲しみと怒りが溢れすぎたんだ。それがリヴァイアサンを呼んでいる」

 

 ルーラは何も言えずに頷くしか無かった。

 

「あのチンピラどもはまた来るだろうね、油断するんじゃないよ」

 そう言いながら、マントをひらめかせて背中を見せたリンネルは、最後にもう一言加えた。 

「ただ、その前に、津波が来るかも知れない。あのリヴァイアサンと同じ背丈のとびきり巨大なね、どうする?」

 

 ルーラはハッとした。

 そうか、リヴァイアサンがもっと濃く実体化した時、それがすべての悲しみを呑み込むために海からやってくるのだ。

 大地の底からこみ上げるような怒りの咆哮とともに。

 神話と自然の尊厳を奪うことで人間たちが築き上げた、暴力と権力の虚構をゼロに戻すために。

 

 今は、それを、純粋に恐ろしい事と思うことが出来ない、悲しい自分がいた。

 あるいは、心の何処かでそれを待ちわびている自分が、いるのではないか。 

 人が勝手につくったルールの中で絶対の権利をうたいながら、その中に暴力性を潜ませて欲望のままケモノのように貪る。

 そんな、社会の影で尊大に膨れ上がった愚かな人のサガに、すっかり諦めを感じてしまっている自分。

 リヴァイアサンの叫び声が、本当の自分の心の叫びと重なっていく。

 

「あたしはリヴァイアサンの行く先に何があるか、この目で見たいのさ、じゃあな」

 

 何も答える事ができないまま、ルーラはただただ、走り去ってゆくリンネルの背中を見つめていた。

 

 遠くで、またリヴァイアサンの咆哮が聴こえた。

 

 

・・・fin


オリジナル小説主題歌

リヴァイアサン/ うたのほし【新曲・music video】

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