誰も知らない、ものがたり。

巡りの星 02

 アスファルトの道路、横断歩道、雑居ビル。カフェの看板に通りを行き交う人々。私はしばし目の前に広がる街の光景を呆然と眺めていた。不意に背中から女の声が聞こえる。
 「ちょっと!ねぇ大丈夫?」
 振り返ると、そこに短い黒髪の女性が立っていて、少しあきれ顔でこちらを見ていた。
 「何だかまだ戻りきってないようね。」
 瞬間、私の頭の中にあるこの女性の記憶が蘇る。

 「・・・アサダさん」
 私がそう呼んだのを聞いて、少し安堵の表情を浮かべたその女性は、私の瞳孔をのぞき込むようにして、私の様子を間近でうかがっている。私はその瞬間、夢から覚めたように自分を取り戻した。
 目の前にいる女性は、アサダさん。自分の会社の上司だ。厳しいけれど面倒見の良い、男勝りの女性管理職。30代半ばにして、将来の幹部候補と噂される人物だ。

 「あ、そうだ。私は・・・」
 焦点が定まった私の瞳を確認したその女性は姿勢を戻して、小さく頷いた。
 
 「はい、お帰りなさい。ほんとはこっちに来てからもうだいぶ経っているんだけど・・・量子テレポーテーションの一時的な後遺症かもね。大丈夫?」
  「あ、は、はい。多分大丈夫です…。」
頷き返すと、アサダさんはゆっくりと歩き始め、私もそれにならって歩き出した。私たちは街の大きな車道沿いの通りを横に並んで歩く。

 そう、私はとある大手電機メーカーの子会社である広告代理店に勤めているイナダ トモヤ、32歳、独身。この春に行われる親会社の海外向けの新商品の発表会の仕事で、会場を視察しにヨーロッパへ出張していた。
 まだ視察途中だった今日の午前中、上司の命令で…そう、今隣を歩いているアサダさんの命令で、東京オフィスへと至急戻るように言われ、最新の量子物理学がもたらした最新の瞬間移動サービス、いわゆる瞬間テレポーテーションを利用して、遠く離れた東京へと一瞬で戻ってきたのだった。

そのテレポーテーションの原理というのが素人の一般市民からしたらめちゃくちゃで、何でも一度自分の身体が物質の最小単位である素粒子としてバラバラに分解され、その素粒子一つひとつの結びつきを示す情報が瞬間的に遠地伝えられると、その場で素粒子が再構成し、自分の身体が何事も無かったかのように現れるという、眉唾にガマの油を塗り重ねたようなとんでもない話だった。すでに普及して数年経つが、これまでにトラブルが起きたことはなく、世界のセレブは大方が経験済みだとか。

それでも、初めて利用する自分としては、清水の舞台から飛び降りるどころか、スカイツリーのてっぺんからビニール傘広げて飛び降りるくらいの心持ちでテレポーテーションの転送カプセルに入った事を思い出し、思わず身震いした。でも、こうして自分は東京に一瞬で戻ってきたのだ。無事でいる事に心から感謝したい。

しかし、何故、今気がついたこの場所が、東京のテレポートステーションではなくて、少し移動した先の街中で、となりにアサダさんが居るのかが、未だ判然としなかった。そのことをアサダさんに、恐る恐る聞いてみる。

「え?何?あんた覚えてないの?普通に私と話してしっかり歩いてたじゃん。まあ、さっきは急に心ここにあらずって感じで、どうしちゃったのかなって思ったけど。」

「そ、そうなんですか?自分には、テレポーテーションしてから今までの記憶が無いんです。そのかわり…」
アサダは顔をしかめながら首をかしげる。
「…私は知らない道を歩く夢を見てました。」
アサダさんは、ふうん、と相槌をうちながらも怪訝そうな表情を深め、何か考えている。

 「それは、恐らく君の身体が一度バラバラになって東京で再構成された時に、心だけが上手く身体に戻れなくて、一時的にさまよっちゃったのよ。」

 「え、な、なんです?それ」
 「ごくまれにあるらしいよ。簡単に言うと、幽体離脱的な?」
 アサダさんはいたずらっぽく目を細めている。
 「ゆ、幽体離脱?」
 「そう。ヨーロッパのテレポートステーションで説明受けなかった?」
 「え?あ、ああ、ひょっとしたら言われたかも。難しいことを色々と。」
 「これは人間による量子テレポーテーションの実験が始まったすぐから確認された現象らしいけど…」

 二人で街を歩き出しながら、話を続ける。我々はこのまま恐らく会社に戻ろうとしているのだ。
 「それまでは、身体が瞬間的に別の場所に移送されると、人の意識も同時に移送されると考えられていた。だって、脳みそだって移送されるわけで。」
 「はい、ですよね・・・」
 「ところが、意識が戻るには一時的なタイムラグが生じたの。これって、どういうことだか判る?」
 私は首を振る。
 「つまりね、人は身体とは別のものとして心が存在するって、話。タマシイともいうわね。」
 「・・・じゃ、、俺のタマシイが一時的に抜けちゃってたって事ですか!?」

 「あはは!まあ、とりあえず無事で良かったじゃない。なんかの記事で見たけど、そのまま戻って来れない人もいるんじゃないかって。」
 「それは大問題です!量子テレポーテーションって、やっぱりヤバいじゃないですか!・・・っていうか、そんな危険なテレポートサービス自体が禁止にならないんですか!?」
 「それがね、普通にこの世界から消えちゃうって事は、やっぱり質量保存の法則からするとあり得ないから、別の時空間にいくことになるらしいの。そうすると、その人の存在自体がこの世界から無かったことになって、帳尻が合わされるとか、なんとか。だから、消えたってこと自体、この世界の人は誰も認識できない・・・」
 しゃべりながらアサダさんは私の顔を真顔で見つめる。私はその視線が、冗談にはとれずに思わず背筋が凍る。
 「そ、そんな危険なことだなんて、俺なんにも知らなかったですよ!」
 「あはは、そうね、あくまで都市伝説?まあ、気にしないこと!今の時代、テレポーテーション無しでビジネスマンはつとまりませんわ。」

 気がつくと、私とアサダさんは自分たちの会社のビルの前まで着いていた。
 その時、ふと思い出して気になったことを、アサダさんに聞いてみた。

 「じゃあ、俺が変な世界の道を歩いていたときに、呼んでくれたのは誰、なんでしょう・・・?」
 「・・・?なにそれ」
 「あ、いえ、な、何でも無いです。」

・・・
 


 
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