誰も知らない、ものがたり。

巡りの星 01


 気がつくと、私は知らない道を歩いていた。ここは何処で、そして、私は何処に向かっているのか。普通ならばまず湧き起こるであろう、己の現状把握に努めようとするそのような考えは、この時の私の興味を捉える事が全くといっていいほど無かった。
 私は、歩いている。そして、何処かに向かっている。その確信だけが心地よく私の心を満たしていて、ただてくてくと、歩みを続けていた。足の裏から膝、腰へと繰り返し伝わってくる、地面からの反動と、ときおり身体を撫でて過ぎていく生暖かい風が、今の私というものを形づくる全てだった。疲れるという概念も無く、そこでは、恐らく時間という感覚が完全に抜け落ちていたに違いない。

 いつまでそうしていただろう。一時間は経っていたかもしれないし、実はほんの5分程だったのかもしれない。とにかく自意識というものをほとんど感じないまま歩いていた私に、その声は突然語り掛けてきた。

 「その道から右に逸れなさい。」
 女の人の声だった。特に慌てたふうでもない、淡々とした口調だった。
 不思議と耳に聞こえてきたという感覚は無く、頭の中に直接語りかけてきた感じがした。それだけに、私はその声に素直に従わなければいけない気がした。
 一方で、それは今の私にはとても億劫な事に思えた。何の躊躇も、迷いも無く、この道に沿ってひたすらに歩きつづけている自分が心地よかった。何の選択もする必要がなく、先を考えることも必要ないと思っていた。その道の先に何があるかなんてことさえ考えもしない自分が、とにかく楽に思えた。この道を逸れるということは、この調和して安心した自分が壊れてしまうかもしれないと。
 そんな私の思いを察するかのように、その声は再び語りかけてきた。

 「さあ、右へ逸れなさい。」
 さっきと同じ、淡々とした口調だ。私はその平静な声に、逆に観念する気持ちになり、歩みの速度を緩めながら徐々に道の右端に寄っていった。
 そして、いよいよ道の外へ出ようとしたその時、不意に恐れの感情が私の心をよぎった。

 『—早く、早くこの道から出なければ!』
道の外へと踏み出す次の一歩が、とても待ち遠しく思えるような、焦りに似た感情が沸き上がった。
その感情に呑み込まれても行けない。でも、淡々と、冷静に、この道からは外れなければならない。そんな思いに囚われながら、息を潜めるように、道の外へ出る一歩を踏みしめた。

その瞬間、今まで歩いていた道も景色も消え、全く知らない街のただ中に、私は居た。

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