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乳がんが見つかって再建 忘備録☆

2009年に乳がんが見つかってから再建に至る私ですが、どんどんと忘れていってしまうので、忘備録としての記録です。

仕事再開 花展活け込み

2013年05月05日 | 乳がん
2009年9月11日(金)
仕事を再開しました。

退院をしてから1度、胸に貯まったお水を抜きにいき、仕事を再開しました。

出来なくなっていることが多くてびっくりでした。
右乳房全摘なので腕が上がらないから、
上のものが取れない。
上のものを左右にずらすこともできない。
荷物は持てない。
パソコンを打つのも、腕から胸に筋肉は繋がっているのでつらい。
文字を書くのも力を入れると胸の筋肉まで伝わってつらい。
ってな感じでした。


この日花展の活け込みの予定も入れてしまっておりバタバタだったのですが
翌日の朝活け込みに変更にしました。

このときのテーマはいかに軽くつくるかでした(笑)
木の枝を細かく繋ぎ合わせたものを層にして試験管を止めてそこにお花を挿したので
とっても軽く出来上がりました。
そうじゃないと持てないし、
乳がん手術のことをお花の先生には言っていなかったので・・・

なんかね。悲しいわけでもないけど、話しをすると涙目になってくる自分がいるから話せないのです。


術後入院

2013年05月05日 | 乳がん
2009年9月2日(水)-5日(土)
手術が終わってからの入院生活は、寝たり、本を読んだり、リハビリしたりとのんびりしていました。
ご飯の時間だけが楽しみで・・・
4人部屋だったので気を使うこともあったけど、
それもそんなに気にならず。

なんと言っても、
外気に当たらず、規則正しく、栄養のバランスの良い食事をとっていたせいか肌の調子がとってもよくなりました!

木曜日にドレーンが抜けて金曜日には退院してもいいよと言われましたが、迎えに来てもらう関係で土曜日の退院にしました。

ドレーンを抜いてから胸に水が貯まって気持ち悪いので2回ぐらい注射器で抜いて頂きました。

研修医が2名いて診察には付いてきていて、いやだったら断ってもいいよと言われたけれど、まっいいかと思いそのまま見せてあげました。

縫った糸はそのまま溶けていくタイプのもので、抜糸はなくテープ止めでした。


退院の日、術後の身体がどうなるかあまり考えていなかった私は着るものがなく
手術室に着て行ったチェニックとパンツでノーブラで帰っていきました。

入院したときの上から被る服は着られず、ブラも痛いし胸ないしで付けられず
えっ!って感じでした。

帰りに讃岐うどんを食べにいったけど、下界に出ると身体がしんどいことに気がつきました。
病院ってらくだったな~

実家から近い病院ということもあり、毎日母は来てくれたり、姉や友人やが来てくれました。
皆さんありがとう!!


入院中に職場でお世話になっていた恩人が入院していることがわかり、
毎日のように病室へ顔を見に行っていました。
辛い闘病生活で、食事ものどを通らないとおっしゃっておりましたが、
よくお話しをしてくださって、いろんな方への感謝の気持ちをお話しされていました。
私が泣いてはいけないと思いつつ泣けてきてしまい・・・
その半年後に亡くなってしまわれました。
私にとっては、毎日お顔を見にいけたこの時間はとても貴重なものとなりました。


乳がん手術です。

2013年05月05日 | 乳がん
2009年9月1日(火)

いよいよ乳がんの手術日になりました!
 右乳房全摘その後2年たって再発のリスクが減ったところで再建です。
 (ここの病院は形成外科がないので他の病院で)

手術用のタイツを履いて準備です。
よくTVで見るような手術着でもなく、ストレッチャーでもなく、
パジャマみたいな前開きのチェニックとパンツで看護師さんに連れられて歩いて、
朝8時半に手術室へ向かいました。

わくわくと不安・・・

手術室では、朝一の順番待ちで順番に名前を呼ばれて中に入っていきます。(歩いて!(笑))
私もいよいよ名前を呼ばれ、15㎝程の段差をまたいだところで、手術室の看護師さんに引渡されました。
メガネは取ると見えなくなるけど手術室まで取っていったような・・・

手術室はTVのものより、ひろくて、主治医の山下医師、術後に主治医となる杉浦医師、入院中にお世話になる遠藤医師、麻酔科の医師、看護師さんなど、リラックスした状態で待ち受けてみえました。
「大丈夫ですよ」って声を掛けていただいたような・・・

幅の狭い手術台に自分で上って、
上着を脱いで、グリーンのシートを掛けられたところで、
ズボンを引っ張られ脱がして頂くところをパジャマでなかったのでホックを取らないと脱げなくてちょっとまってもらって、ホックを外し、下着とズボン一気に脱がされました。

えっ胸の手術だけど、はだかなんだと思っている間もなく、麻酔を掛けられ
数字を数える工程もなく、眠りについていました。


目が覚めた時には手術が終わっていて、手術室で声を掛けられて目が覚めました。
そのまま、もうろうとしていると、今度は手術前室にいて、部屋に戻る用のストレッチャーに移されました。
それが凄くて金属の板が身体の下に入込み持上げらえて移動だったのです。
凄い!!

部屋に戻ってストレッチャーから看護師さん4人で下に引いたバスタオルを持ってベッドに移して頂きました。

でネグリジェを着せてもらい、下着を着せてもらいました。


そこに心配そうな顔をした母と姉、朝から来てくれて手術中ずっと待っててくれました。
手術は無事終わりましたって医師が説明に来てくれたって、
切った現物は見ていないらしい。

手術は約2時間なので11時ぐらいには終わっていて、
お腹がすいていた私はお昼ごはん多分半分位はしっかり食べました。

尿管はすぐに抜かれてお昼過ぎには歩いてトイレに行きました。

直ぐ動いた方がいいらしい。


先生方は多分この後3名の手術をされたのだと思います。

ありがとうございました。

入院

2013年05月05日 | 乳がん
2009年8月28日(金)

乳がん手術にために入院しました。
人生初の入院手術で、不安もありつつも、これからいったい何が起こるのだろう、見てやろうとの思いもあったりです。

実際経験がないので何が起こるのかその時(時期)が来なければ判らないのです。

入院した日は、入院説明、看護師さんからの聴き取り、麻酔科の医師からの麻酔の説明、などなどいろいろあり、病室に基本居なければいけない状態でした。

午後からは友人が早速お見舞いに来てくれて、来なくていいよと言っていた私でしたが、何だか嬉しかったのです。

土日はやることがないし、帰っていいのか、伺ったところいいよとのことでしたので、
土曜の朝から外泊で日曜のPM8時までに戻ることにしました。

持ち物は何がいるのかいまいち判っていなかった為に
要らないものをものを準備していたり、必要なものがなかったりで
外泊したときに買に行ってきました。

手術後に着る前開きのネグリジェ
これがなかなか見つからなかった!
下までボタンで開くものがなかなかなくて・・・
しかも変にかわいいものは嫌だったので・・・
で、無印良品のシンプルネグリジェをみつけて買いました。

要らなかったのはタンクトップ
買って持っていったけれど、術後は被ることができないし、診察があるので前開きじゃないといけないし、
結局その後数年着ることが出来ない不要なものとなりました。
(ブラトッップで過ごすことになるので・・・)


パジャマを家では最近着ていなかったので、
パジャマっぽいものと昔着ていたパジャマを探して持っていきました。

あと水
乳がんと判ってから飲んでいる水を大量に持っていきました。


外泊中は入院中に付ける札を腕に巻いたまま、友人とあったり、姉家族と会ったりしていました。


8月31日(月)
肺気量に検査とかなんとかとして、3食のご飯を食堂で食べて同病の方とお近付きになることができました。

いよいよ明日手術です。

術前検査

2012年09月21日 | 乳がん
2009年8月19日(水)
術前の検査です。
診察もあるので診察の1時間前に行って検査です。

☆血液検査
  検体検査と輸血検査

☆肺機能検査
  吐いて吐いて限界以上に吐いてもっともっとと言われ
  は~苦しかった!

☆心電図
  
☆CT検査
  造影剤が腕から入るとあっという間に全身が熱くなって変な感じ
  血液って一瞬で身体を巡るんだと実感した瞬間でした!


診察は検査結果から問題なく手術できるよというようなことを言われたような。
術前に心配なこととかを伺って、次は入院の日です。

入院の説明は別のところで伺って
準備しなきゃいけないことがいろいろある事にが具体的に判ってきて
ばたばたとこれから準備に入ることになります。

手術を決めた日

2012年09月21日 | 乳がん
2007年7月27日(月)
午後2時半の遅めの時間に予約を入れてゆっくりとお話しが出来るようにして頂きました。

前の告知から2週間、迷って迷って
でも上司が定年退職をしたところで、なれない新規得意先もあったり、
夏のこの時期は日曜日もフェアで仕事であったりで、なかなか思うように情報を集めることができず、
最大はPCの調子が悪くすぐに止まって落ちてしまったこと

先ず、主治医が医師として信用できるかどうか
(とっても失礼なことですが、大事なことかと)

そこで、医療系の仕事をしている友人に聞いたら調べてくれ
N市大は、乳がん患者会もあり、Y女医さんは患者会を積極的にされていらっしゃるとのことで、評判も良いとのことでした。
QOL(生活の質)を第一に説明をされることも信用ができるのではないか。それは凄いね!とも言われたました。

主治医は信用出来るなと◎
診察も丁寧で的確で判り易くて◎


別の友人が心配をして、PCでいろいろ調べた資料をくれました。
でも実は頭にあまり入ってこなくて・・・・
(ごめんなさい)

セカンドオピニヨンしたらと頂いた資料が東京で待ちも長いところだったので
時間もないし、現実として考えることが出来なかったのも・・・

だって5月に診察に来たときには乳がんだったとしても、直ぐに悪化するタイプでもないので2・3ヶ月大丈夫と言われ、
乳がんが1cmになるまでに10年掛かるからねとも言われたけれど、
2月に検診をしたときから5ヶ月が経ち、
5月に診察をしてからも既に2ヶ月半が経ってしまっていたので
時間が経っているのでもしここで進行したらどうしようと
気持ちはちょっと焦っていました。

そんなこんなで
27日が来てしまい。
もし決まらなかったら診察予約を電話で変更が出来るからと連絡先に赤丸印を付けて頂きましたが、もうこれ以上先延ばしは止めようと決心をして主治医と面談しました。

「全摘して後で再建します。」
ってことにしました。
多分仕事を続けていくのに一番楽な方法を選んだということでしょうか。
温存とちがって放射線に通わなくていいしね。

占いもしてもらって手術は8月がいいねと言われたので9月はあんまり向かないといわれたので
8月を希望してみたのですが空いていなくて
一番近いところで9月1日(火)になりました。
入院が8月29日(金)だったので8月ってことにしようと決めました。
実は仕事の関係で10月にならないのとも言われていたので10月はどうですか?とも一応伺ってみたのですが、
「そこまで遅らせる必要はないでしょう。」と言われたので、基本心配なので一番近い日に決めました。


手術日の予約と 術前検査の予約をして 帰りました。

まだ親兄弟には何も言っていませんでしたが
助けてもらわないといけないし言わないとね。










大学病院の乳腺外科へ

2012年09月18日 | 乳がん
2009年7月13日MRIの検査結果を聞きに行きました!

乳がん確定宣告でした。
どこかで大丈夫なんじゃないかとの思いがあったのですが・・・

よくドラマでがん宣告を受けるときに
「ご家族と一緒に来てください。」とっかって言われていますが
どちらでもいいみたいだったので
ひとりで行ってきました。
だって家族と行って心配されたら面倒だし、
もし、泣けてきたら見られたくないし。


そこで、提案をして頂いたのが再建でした。

全摘+2年後に再建 
全摘+同時再建   


☆全摘+2年後に再建
これが一番のお奨めで、全摘をしてから再発の危険がある程度減る2年後、リュープリンが終わってからと言うことです。
再建をしてから再発をするとせっかくつくったお胸を取ることになり身体の負担が大きいからとの説明を受けました。


☆全摘+同時再建
当院では形成外科がなく同時再建が出来なかったので希望ならN市大を紹介しますとのことでした。
でも、10時間位手術が掛かり身体に負担が掛かるし、再発の危険が過ぎてからがいいといわれました。


 多分、乳がんを取り巻く状況とか再建の状況とかが今と違うこともあるし、
 N市立大が形成外科持っていないこともあるだろうし、
 今の私なら、同時再建をY病院でT先生にしてもらっていたと思うし

 安全をみたら2年待つのもありだけど半年でいいとも言われていますしね。


で、もうひとつ
☆温存
これは私の場合お奨めできないと言われました。
センター側の乳輪に近い側にあり、しこりは1cmほどですがそれ以上に切る必要があり
乳房が小さめな私の場合かなり変形をしてしまい満足できないだろうとのこと。
そして、温存の場合放射線が必修のため、皮膚が硬くなり、エキスパンダーで皮膚を伸ばすことが難しく再建が難しくなるとのことでした。

それと乳管内に広がるタイプのがんであったので乳頭まで取った方が安全とのお話しもありました。


今後の長い人生において生活の質(QOL)を考えるのであれば全摘後再建をするのが、いいですよとのことでした。
女医さんであったこともあり、寄り添って頂いている感もあり
以外と穏やかでしたが、なぜか涙が出てきてしまい・・・

その場で返答も出来ず
(普通その場でしないか!)
2週間後に再予約を入れました。
2週間の間に考えようと思って

結果的に主治医お奨めの全摘+再建を選ぶのですが・・・





大学病院の乳腺外科へ

2012年09月17日 | 乳がん
2009年5月GW明けにN市立大学病院へ紹介状の持って行ってきました。

女医さんで部長のY先生の診察(術前の主治医となります。)
マンモと超音波をもう一度行うことになりました。
他で撮ったものを見て怪しいと思ったら(?)
やっぱり撮り直しなんですね。

で、やっぱり乳がんが疑われるとのことで、
細胞診を行いました。
術後に主治医となるS先生とY先生と優しい看護師さんに囲まれて処置室へ。
局所麻酔をして針を刺してぐりぐり、
「痛いですか」と聞かれ「痛いです。」って答えたら
麻酔を追加してくださいました。
ぐりぐりされていやな感じなんです。

その間、優しい看護師さんがずっと私の手を握っていてくださいました!
これが安心するんですよね。
手の力ってすごいな!!


細胞診の結果を聞きに6月3日にY先生のもとへ
細胞診断が出来なかったようなことを言われたような・・・
でも、怪しいからと
次のステップ
マンモトーム生検とMRIの予約を入れました。


6月18日
マンモトーム生検とMRIの検査
先ずマンモトーム生検、今回もS先生とY先生と優しい看護師さんに囲まれて処置室へ。
局所麻酔をしてエコーを見ながら太い生検用の針を目指すところに刺していきます。
麻酔をしていますがぐりぐりされて涙がにじみます。
あの優しい看護師さんはやはり、「大丈夫よ」と言いながら手を握ってくださいました。

生検が無事終わり
切った部分の止血をするのですが、
なんと手で20分ぐらい押さえていると止まるらしいのです。
が、なかなか止まらなくて、長い間Y先生が押さえてくださいました。


その後が大変でした。

MRI検査に向かい検査着に着替えて待っていると
再び傷口から大量に出血。
MRI待合室には病院の方がみえなかったので、
MRI受付に行くと看護師さんに言ってくださいと言われ
また待合室に戻ってMRI室からだれか出てみえるのを待っていました。
がみるみる検査着も中に着ていたブラトップも赤くなっていき

通路に出てたまたま通り掛かった脳外科の医師二人に声を掛けて
ようやく助けてもらいました。

すぐにストレッチャーに乗せられ、
騒然とする中
乳線の先生が二人駆けつけてくれ
MRIの通路をカーテンで仕切って止血が始まりました。
手で押さえて止血しテープと包帯をぐるぐる巻いて!

その日、内出血もありMRIは中止になりました。

6月24日の診察を経て、内出血が落着くころの
7月3日に再びMRIを行いました。


内出血はかなり凄く乳房がお岩さんのようになっていました。
綺麗に直るのかなと心配になりましたが、
結果的に全摘だったので、関係なくなりました。


痛かったのだけど、いろいろ有り過ぎて痛み止めを近所の薬局にもらいに行くころにはかなり収まっていました。
仕事に戻るつもりだったのだけど、そんなこんなでそのまま帰りました。

翌日朝一番でS先生が診察をするからと時間を取ってくださったので行ってきました。
もう大丈夫!って言われて一安心です!


















検診

2012年09月16日 | 乳がん
乳がん検診は35歳から毎年受けています。
2009年44歳のときの検診で怪しいと引っかかりました。


会社の検診で超音波かマンモかどちらかの選択性でした。
私は、マンモで全ての乳がんが判るのだと思っていましたので、迷わずマンモを選んでいました。
世間でも「マンモ検診しましょう!」って言っていましたよね。

乳房の小さめの友人が一緒に検診に行ったときに
マンモに向かないと言われ超音波にしていたのでそう言うものかと思っておましたが私はマンモねと・・・

42歳のときに検診病院でたまたま同僚と一緒になり、話しをしていたら彼女は超音波を受けるとのこと、
なぜかと言えば脇の端のほうにしこりがあったことがあり、超音波でなくては写らないらしいのです。


そこでそっか超音波もありなんだと思った私は翌年43歳のときは初めて超音波を選んでみました。
しこりが少し気になっていたのですが、その年は「右線維腺腫疑いで経過観察してください。」でした。
そこでちゃんと病院に行けばよかったのですが。
でもどこに行ったらいいのか何科かも判らず、
経過観察だから1年後にまた検診するからいいかと思ってしまったのです。
子宮頸がんでも42歳43歳と引っかかっており3ヶ月に1回婦人科に経過観察をしに行っていたので、そちらに気をとられていたのもあります。


翌年2月15日44歳のとき昨年超音波だったのでマンモにしようかなと迷ったのですが、
「右線維腺腫疑いで経過観察(判定C)」と言われたのでこの年も超音波にしてみました。

この選択がよかった!

今度は「右線維腺腫疑い右のう胞で精密検査を受診してください。(判定E)」とはっきり精密検査が出てしまったので、病院行かなきゃと思うことができました。

がしかし、仕事が激いそがしくちょっと置いてしまいまして
3月下旬に検診をしたKセントラルクリニックに予約の電話を入れたところ、乳腺の医師が週1回にのみの診察で4月下旬にしか予約を入れることができませんでした。

予約時に1ヶ月後になってしまうので他の病院に行かれるのであれば紹介状と画像は用意しますと言って頂いたのですが、自分は大丈夫と思っている私は、1ヶ月待ち診察を受けることにしました。


4月下旬診察は触診、超音波、マンモを行いました。
このとき、マンモには何も写らず、超音波で写ったもので
「乳がんの疑いが強いので、紹介状を書きますが何処がいいですか」と言われました。
 (軽く動揺!でもまだ大丈夫と思っている私)
この医師の病院は家から遠いので近くがいいですよねとのことで、どこがいいのか聞いて下さいました。
自分は大丈夫と思っていた私は、しっかりと病院を調べていなかったので、
万が一手術をすることになった場合に実家から近い方がサポートをしてもらえるからと、父が入院していていいイメージがあったのとでN市立大学病院に紹介状を書いていただきました。


そして5月GW明けにN市立大学病院へ行くことになるのです。


私の乳がんマンモでは写らない超音波でしか判らなかったものだったので
44歳超音波検診を選んで発見できて本当によかったのです!