知床エクスペディション

これは知床の海をカヤックで漕ぐ「知床エクスペディション」の日程など詳細を載せるブログです。ガイドは新谷暁生です。

知床日誌⑲

2020-07-02 18:15:39 | 日記

知床日誌⑲

関野吉晴さんは今、地球永住計画という、火星移住計画の対局のようなことを考えているという。昨日朝、私を訪ねてくれた松永さんという人がそれを教えてくれた。地球が住めなくなった時、火星に移住することは現代科学で不可能ではない。しかし人類すべてが住めるわけではない。そもそも人が住む環境を作る費用は膨大すぎて計算できない。もし可能でもそこにはノアの方舟以上の選択が伴う。方舟の選択は神が行った。しかし火星への移住はそうではない。一握りの人々、つまり0.0001パーセント以下の富裕層とそれに結託する人々が考える。それはおかしい、それよりも運命共同体として今ある地球に住み続ける知恵を出し合おう、というのが関野さんの考えのようだ。松永さんの電話で久しぶりに関野さんと話をした。

関野吉晴は探検家として人類の拡散の旅、グレート・ジャーニーを自らの体で検証した人だ。1993年、南米最南の南極海への出口、ビーグル水道のナバリノ島のヤーガンの墓地から漕ぎ出した関野さんは、足かけ10年をかけてアフリカ、タンザニアのラエトリまで人力で旅した。ラエトリは7万年前に人類が生まれた土地だ。ナバリノ島はその後数万年かけて地球に拡散した人類の終着地だ。私はダーウィン山脈を越えてマゼラン海峡に至る旅の最初を手伝った。それまで関野さんと面識はなく、初めて会ったのは成田出発の時だ。それから約2か月、関野さんと旅を共にした。出発して間もなく吹き始めたビーグル水道の風、腰まで浸かる湿地帯で馬の飼葉を担いだこと、氷河伝いのダーウィン山脈越え、南極ブナに寄生するキッタリアの実、獲物を狙い旋回するコンドル、人力にこだわる関野さんの気持ちに気づいて急流に吸い込まれそうになりながら2人で必死にゴムボートを漕いだこと、サポート船の沈没、そんな様々な光景が突然浮かんでくる。旅の中で私は関野吉晴を玄奘三蔵のような人だと思うようになった。あれから20年、関野さんは変わらずに未知を求め、私は目の前の仕事に追われる日々が続いている。

関野さんの地球永住計画を夢に終わらせないためにはどうすれば良いだろうか。私は関野吉晴のように人類の行く末を考える人間ではない。しかし関野さんの新たな課題を真面目に考えるなら、ある時期まで時間を遡ることが出来るならそれは可能と思う。文明の発展で急激に数を増やした人間は、便利さや快楽を得た代わりに自らの精神や数多くの貴重な資質を知らぬ間に滅ぼしてきた。今更、春秋戦国時代や大航海時代以前に戻れというのではない。産業革命がすべての元凶だと言うつもりもない。この気の遠くなるような課題を克服するためには、関野さんの地球永住計画の具体化以外にないような気がしてきた。しかしそれには今ある人類の叡智の結集が必要だ。人類史の初期、黄河文明は数多くの発明を成し遂げ、破壊と快楽を求め続けた、その過程でチベット人やウイグル人を滅ぼしてきた。それは他の文明も同じだ。先住民と呼ばれる多くの民族、無数の民族も同様にこれらの覇権国家に滅ぼされてきた。中国大陸の覇権国家の凄いところは、僅か数千人の人たちによって16億人が支配されていることだ。この方法なら地球の全人口も支配できる。そして火星に行くこともできる。しかしそれが人類の行き着く未来なのだろうか。

私はインターネットに疎い。便利と思ったスマホは電話するのもままならないほど不便で捨てたいくらいだ。しかしそんなものはなくても良いことに今更ながら気づいた。必要なものがあれば良い。そしてそれは大して多くない。自ら汗をかいて得た知識や情報は量は少なくてもそれに勝るものはない。地球永住計画は具体的にはネットが普及し始めポケベルが仕事の道具だった30年か40年前まで時代を巻き戻せば、たったそれくらいの時間なら、そしてその気になりさえすれば、更に関野さんの思想から学んで今を危機と捉える人が増えれば、その可能性はゼロではない。しかしそれすらも不可能に近い。関野吉晴が存在する意義はそこにあると思う。しかし関野さんのように人を全て水平な目線で見ることは簡単なことではない。刷り込まれた無意識の差別意識をなくすことは出来ない。ヒグマがそのDNAに人への恐怖を刷り込む以上に、人間は長い時間をかけて差別意識を刷り込んできた。そしてそれは簡単に消せない。さて知床に行かねばならない。それが私の目の前の仕事だ。中途半端な内容で大変申し訳ない。

新谷暁生


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