知床日誌③
ペキンノ鼻は半島羅臼側の先端に近い岬だ。ここには昔から小さな鳥居が立っている。鳥居は伊勢神宮ではなく対岸の国後島を向いて立っている。きっと千島からの引揚者が望郷の念をこめて建てたものなのだろう。
鳥居は風雪に晒されて腐り、土に還ろうとしていた。私は上陸するたびに倒れた鳥居を起こしていたが、ある時一念発起して再建することにした。それで大工道具を持って当時一緒に漕いでいた油小路とアイドマリを漕ぎ出しペキンノ鼻を目指した。10月で海は荒れていた。それから3日間、私たちは海岸の廃屋番屋の柱や流木を担ぎ上げて新しい鳥居を立てた。その時太すぎて使えなかった材料が、今でも岬の乗越し近くに転がっている。
以前の鳥居が倒壊した理由はコンクリートの中に柱を差し込んだためだ。木はコンクリの中で腐る。穴を掘って柱を立て、掘立にしたほうが木の寿命は続く。それで古い鳥居の後に穴を掘って柱を立て、担ぎ上げた木をノミノコゲンノウで細工して鳥居を組み上げた。水平器は水平線、鉛直はそれぞれの下げ振り。鳥居は完成した。そして色を塗った。色は環境省に忖度して目立たぬよう茶色くした。国立公園特別保護区の中だからだ。
しばらく経って漁師の間に噂が広まった。ペキンの鳥居が無くなったと言う話だ。漁師は鳥居を目印に海に出ていたという。そしてせっかくだから目立つ色に塗り替えてくれと言う。環境省は宗教ものは管轄外だから勝手にやってくれというので塗り替えることにした。朱色だ。それから私は毎年ペンキとハケを持って岬に上がり、もともとの氏子に変わって鳥居を守っている。
知床には人の生活がある。そして漁師の理解がなければこの海は漕げない。毎年出会う若い船頭が、「本当は俺たちがしなければならないのにすまない」とある時私に言った。その漁師は春になると気合を入れて短髪を金色に染める。彼らはいつも危なっかしいカヤックで海を行く私たちを心配げに見ている。30年漕いでも彼らにとってカヤッカーは部外者だ。しかし私は彼らに敬意を払いこの海を漕いでいる。知床の海には長い人間の歴史がある。
ガイド新谷暁生