知床エクスペディション

これは知床の海をカヤックで漕ぐ「知床エクスペディション」の日程など詳細を載せるブログです。ガイドは新谷暁生です。

知床日誌㉕

2020-08-19 08:28:47 | 日記


北海道新聞編集委員の小坂洋右さんから新著「アイヌ、日本人、その世界」が送られてきた。縄文狩猟採集文化の流れをくむアイヌ民族と弥生農耕文化の日本人とを対比させることで、今日も続く差別や偏見を解消する手だてを探ろうとした労作だ。また氏はこれまでも千島アイヌについての著作「流亡」などを出版するなど、北方史に造詣が深い。小坂さんは去年の知床エクスペディションにも参加してくれた。メディアの人も知床にたまに参加する。しかしうっかり発言が身を滅ぼすこともよくある。世界遺産指定前後は特にそれが多かった。安全操業への地元の思いを考えず、衆議院議員鈴木宗男に票を入れる人々を馬鹿呼ばわりした記者もいた。彼はその発言で墓穴を掘った。あれから15年、メディアが変わったとは思えないが小坂さんはその中でも異色の人だ。小坂さんがこれからも滅び去った人々の文化を伝える仕事を続けてくれることを願っている。

知床半島東側から対岸30キロ先には長く国後島が横たわる。晴れた日には海岸の崖まで良く見える。これほど近くに外国が見えるところは他にはない。尖閣や竹島は日本からは見えない。しかしここは眼の前だ。それを多くの日本人は知らない。かってここは日本領だった。しかし今はロシア人の島だ。その海で漁師たちは漁を続ける。安全操業は漁師の願いだ。鈴木宗男は安全操業に尽力した人だ。鈴木議員は島のロシア国境警備隊の隊長と、言い方は悪いが話をつけて漁業者を守ろうとした。その結果、それまで繰り返されていた銃撃が止まった。だから漁師は誰もが鈴木宗男を親しみを込めて「ムネオちゃん」と呼ぶ。しかし鈴木宗男は失脚した。そしてその後の国と政治家の無策が領土問題を膠着化させ、今に至っている。メディアもそれに加担し迎合したのではないだろうか。

ロシアによる拿捕や銃撃は繰り返された。対岸の材木岩に無謀にも渡ってジンギスカン鍋をしていた若者が見つかって撃たれ、銃創がわからないようフナ虫に食わせて棺におさめられて事故として日本側に送り返されたこともあった。ロシアも体裁が悪かったのだろう。日本政府外務省も事を荒立てることを嫌った。今も漁師たちは拿捕や銃撃に怯えながら漁を続けている。この地域に関心を持つ政治家は当然ながらもういない。票につながらないからだ。

昔、北海道はエゾと呼ばれたアイヌの国だった。しかしそこは17世紀以降、和人の進出によって徐々に日本化されてゆく。アイヌ民族は17世紀のシャクシャインの蜂起や18世紀のクナシリ・メナシの戦いを経てその存続が脅かされて行く。そして明治期の同化政策で言語や文化までもが否定されてしまう。当時のアイヌには日本人に従う以外の道がなかった。彼らは望んで日本人になったのではない。他の選択肢を閉ざされたのだ。私たちは歴史を知らなければならない。しかし知っても長い時を経て刷り込まれた差別意識は消えない。私も子供のころ登別で偶然出会った萱野茂さんに失礼な態度を取ったことがある。萱野さんにやさしく話しかけられた私は、思わず飛びのいてそれを無視した。私はそれをよく思い出す。人は刷り込まれた差別や偏見を簡単には無くせない。その克服にはおそらく長い時間と努力がいる。

白老に民俗共生象徴空間「ウポポイ」が出来た。国の肝いりで作られたこの施設は、今後のアイヌ文化復興の中心的存在になるだろう。しかし文化の復興とは歌や踊りの復活だけを指すのではない。生活とその技術伝統が甦ってはじめて、民族の文化も甦ったと言える。その最初の一歩として、先ず過去に明治政府と北海道庁がアイヌから奪った川の鮭漁の権利を返すべきだ。国が世界的流れに倣って先住民の権利回復を言うなら、箱ものを作って満足して終わらせるべきではない。過去を正しく伝えて抑圧の歴史を認め、そしてあらためて先人の非道を詫びてアイヌ民族に謝罪しその権利回復に努力すべきだ。その最初の一歩が、川での伝統的漁業を認めることではないだろうか。しかし国も道も法律を盾にこの問題を曖昧に放置して済まそうとしている。かって学者が学問的興味から正当化した遺骨の盗掘もそうだ。墓暴きはどんな理由があっても死者への敬意を欠く。それを個人が特定できないとして遺族に帰そうとしない。子供の頃私は高い塀に囲まれた北大医学部裏の、うっそうと草が生い茂る中に整然と並ぶコンクリートの棺を見たのを思い出す。中に横たわる人たちはいったい誰だったのだろうか。

11世紀、内地日本の戦乱を逃れあるいは流罪されて蝦夷地に渡った人たちがいる。彼らは過酷なエゾの自然の中で和人としてではなく、アイヌと同化して生きた。そうしなければ生きられなかった。それが渡り党アイヌと呼ばれた人たちだ。彼らはやがて13世紀の骨嵬の戦いを経て松前藩として蝦夷地に足がかりを固める。アイヌ民族をただ単に縄文の狩猟採集民とする見方は誤解を招く。それが差別の基になっている。しかし長くそれを続けてきた我々日本人はその意識を変えられない。特に明治以来官僚天国が続く北海道で、それは永遠の課題に思える。知床の漁師も戦後苦労し、今も海に依存して生きている。同様に和人に働く場所を奪われ家を失い、搾取され奴隷化されて文化まで滅ぼされた人たちの子孫が今も生きていることを私は考える。少なくとも私たちは歴史を知る努力をすべきだ。それがなければ結局は私たちも、文化の墓場のような博物館に満足する程度の人間で終わる。差別は誰にとっても他人事ではないのだ。

新谷暁生


知床日誌24

2020-08-08 16:21:00 | 日記
ニセコ雪崩情報も役割を終えようとしている。私自身はそう危機感を持っていないが関係者は私の年齢から情報の存続を危惧する。北海道新聞にも「高齢の」と書かれた。確かにそうだが失礼な話だ。私はまだ生きている。そもそもこの情報は事故の多発でニセコ町とともにやむを得ず始めたものだ。雪崩事故は吹雪の中で起こる。そんな日にはスキー場から外へ出なければ良い。アメリカ、ユタ州の雪崩センターが1970年代に出版した「雪崩」という本には「雪崩事故の8割以上が吹雪やその直後に起きている」と書かれている。また黒部の雪崩災害も吉村昭の「高熱隧道」にあるように猛吹雪の中で起きた。雪崩は吹雪の中で起こる。これは昔からの常識なのだ。私はこれをもとに事故防止に取り組んだ。そして成果を上げた。しかしそれが議論を呼んだ。理由は科学的エビデンスの無さだという。つまり科学者でもない私がこのような問題に取り組んだことが、批判の主な理由だった。私が修めたのは台湾の李登輝総統と同じく農業経済学だ。エビデンスが根拠という意味であることさえ最近まで知らなかった。

この国は権威主義への抵抗力に乏しい。特に役所とメディアにそれが顕著だ。知識人は学者の言うこと以外はその成果に関わらず尊重しない。人々は漠然とニセコ雪崩情報は属人的(?つまり私の)経験則によるもので科学的根拠に乏しく、だから検証して科学的に普遍化しなければならない。そう考えているようだ。私のしていることは占いや八卦の類と言うことなのだろう。しかし私は勘や経験で雪崩予測をしているわけではない。そもそも経験は役に立たないことを知っているだろうか。専門の学者でもない私の仕事は科学的ではなく信用できないというのは、それこそ非科学的な態度ではないだろうか。私は素人だが常に科学的態度でこの問題に臨んできた。

ヘルメットはともかく、ビーコンを常識にしようという流れは雪崩学の普及とともに広まった。学問的権威を後ろ盾とする講習会では変な話だがビーコンの使用法を雪氷学の講義と同じ比重で教える。そこではビーコン、プローブ、ショベルの三つが事故防止の三種の神器とされる。しかしこれらは道具に過ぎない。私は長くビーコンの義務化に反対してきた。特にこれを山スキーだけでなく登山の常識とする考えには反対した。理由は個人の意思の封殺につながるからだ。アルピニズムは本来、自由意思の究極の表現だ。そしてそこには厳しい修練が要る。山岳スキーも同じだ。

現在の雪崩学の誤りは知識を教えれば事故を無くせると考えたことだ。しかし知識が間違っていればどうなるだろう。また正しくても誤解されたらどうなるだろうか。何はともあれ知識を持つ人は増えた。しかし事故は減らない。それどころか講習会受講者が事故を起こしている。彼らは何を学んだのだろう。講習を三度受ければ講師の資格を得られるというのも凄い話だ。初めは耳を疑った。だが実際に講師になった若者と話して気の毒になった。こんなことで前途ある若者の将来を奪って良いのだろうか。知識は知識でしかない。経験には置き換えられない。何事にも地道な修練の積み重ねが要るのだ。

しかし時間が環境を変えた。人々は議論し経験を積む中で謙虚さを知り始めた。今では吹雪に用心する人が確実に増えている。しかし事故は相変わらず起こる。理由は商業的アウトドア文化が世相を煽る中で、登山やスキー愛好者が急増したためだ。分母が大きくなれば事故も増える。それはヨーロッパも同じだ。知識を過信する人は相変わらず多い。それ以上に厄介なのは人種的偏見や差別意識だ。一部の白人は日本人のルールなど守ることはないと広言する。中国人や韓国人の中にもそんな人はいる。そんな中でニセコルールは続けられてきた。ニセコではルールが人種や国籍を問わず誰に対しても公平、平等なものだということを訴え続けている。

ニセコの取り組みは他のモデルとなり得る。過度な商業主義に呑み込まれなければ将来はそう暗くはない。私は少しずつ他の方法に移行する道を探っている。具体的には現場のパトロールとの作業の共有だ。しかし国がニセコのコース外滑走を公けに認めていないことが障害になる。国の指導者が「いいね」といっても地方官庁は慣行に従う。スキー場企業の今以上の情報やコース外滑走への関与は、従来黙認されてきた問題を白日に晒す。そして新たな火種を生む。ニセコルールを批判する人たちの根拠はまさにここにある。ルールの立ち位置は相変わらず脆弱なままだ。林野庁はスキー場からのコース外滑走を未だ公けには認めていない。

ビーコンとヘルメットの装着は来シーズンから義務化される。国の機関である防災科研がニセコに協力するのだから、従来ルールを批判しその「エビデンス」を問題視してきた人たちの批判も少しは弱まるだろう。昨シーズンのビーコン装着率はモイワ6番ゲートで50パーセントを越えている。私たちはこれからもこれらの道具が飾りでないこと、自身と仲間の命を守る道具であることを訴えなければならない。また同時にコース外は管理されていないこと、そこは自然の山岳地帯であること、自分の身は自分で守らなければならないことを利用者に伝え続けなければならない。利用者に寄り添って彼らの安全に配慮し、雪崩情報やゲート開閉、パトロールの仕組みを維持することが、結局は地域の健全な豊かさを持続させる唯一の道だ。未明から調査に協力してくれたモイワスキー場圧雪車オペレーターの大場、大道、渡邉と、休まず英語翻訳をつづけてくれたジョンとドミに感謝する。

ニセコ雪崩調査所 新谷暁生


知床日誌㉓

2020-08-03 18:44:25 | 日記



考えるところがありジョージ・ダイソンの「バイダルカ」を読み返した。ダイソンの「バイダルカ」は、19世紀から20世紀はじめにかけてのアリュートカヤックの変遷を知る上で優れた本だ。再読することで以前は見落としていた点に気付いた。それはダイソン自身の原稿からではなく、帝政ロシア時代の毛皮ハンターの行動の記録やその変遷の歴史、後に聖者に列せられたロシア正教のヴェニヤミノフ大司教など何人かの神父、ジェームス・クックや当時の航海者の記録、記録作成者の写真や絵などからだ。この本にはアリュートカヤックを考える上での重要な示唆が詰まっている。

「バイダルカ」に書かれた土地や入り江、ウナラスカやカシェガ、マクシン、アクーン、アクタンなどの土地をかって私は訪れた。だから具体的な想像ができる。「バイダルカ」にはロシア人による侵略の歴史の記述が多いが18世紀以前のアリュート文化の記述はないに等しい。しかし彼はラフリンや少数の考古学者以外取り組まなかった文献や記録の発掘を行った。ダイソンの業績はそこにある。アリュート民族の歴史を正しく後世に伝えたとは言えないが埋もれていた過去に光を当てたことは評価できる。この本の序文でケネス・ブラウワーが言うように、これはダイソンの心の変遷の記録なのだろう。

10年を経てダイソンの理想は振り出しに戻る。彼の最後のアリュート・バイダルカがそれまでの非現実、理想的コンミューン、つまりヒッピー文化を具現化した船ではなく、文化の滅亡が始まる18世紀中庸の狩猟用カヤック、つまり伝統的なアリュートカヤック、イクャックを再現したものであることは興味深い。「バイダルカ」は出版時のままで一人歩きしているがダイソンの思考の変遷は続く。今日のジョージ・ダイソンはインターネット社会のカリスマだ。

私はパタゴニアの迷路のような水路で滅んだヤーガン族と同じように日々の安楽を求めて知床の地面に寝る。ヤーガンの土地には土がない。彼らはムール貝を食べ尽くすと貝塚を残して次の浜に移動する。そして狭い砂利浜に毛皮のテントを張り獣脂を塗って海に潜り貝を採る。1954年、この土地で数千年生きた最後のヤーガンを英国の登山家エリック・シプトンが見ている。場所はマゼラン海峡だ。彼らは風雨の中、粗末な樹皮製のカヌーで安全な水路を目指して必死に漕いでいたという。

人類は無数の民族を滅ぼして拡大した。滅ぼされた人々に幸せという言葉はない。平地に寝られて食べ物があり雨露をしのげればそれが幸せだった。人間は多くを求めすぎた。だが求めることで文化を培った。ゆとりがなければ文化は生まれない。きっとアリュート文化もそうだったろう。しかしそれが優れていたがために彼らは滅んだ。

こんなことを書くつもりはなかった。私は今、危険な感染症が蔓延する中、知床でカヤックを漕いでいる。そして行く先の人々に感染を広げないために無い知恵を絞る。国はなぜPCR検査をもっと広く速やかに普及させないのだろうか。そのもっともらしい説明を聞くたびにあきれる。きっと命は他人事と思っているのだろう。しかし地元はそうではない。何故地方に寄り添わないのだろう。一般人を「あいつら」と呼んで区別する人々に期待するほうが間違っている。人は弱者を作って優越感を持つ。なにはともあれ命と仕事は自分で守らなければならない。用心深く生きねばならない。手洗いうがいの励行とマスクの着用を。そして検査を。

新谷暁生