北海道新聞編集委員の小坂洋右さんから新著「アイヌ、日本人、その世界」が送られてきた。縄文狩猟採集文化の流れをくむアイヌ民族と弥生農耕文化の日本人とを対比させることで、今日も続く差別や偏見を解消する手だてを探ろうとした労作だ。また氏はこれまでも千島アイヌについての著作「流亡」などを出版するなど、北方史に造詣が深い。小坂さんは去年の知床エクスペディションにも参加してくれた。メディアの人も知床にたまに参加する。しかしうっかり発言が身を滅ぼすこともよくある。世界遺産指定前後は特にそれが多かった。安全操業への地元の思いを考えず、衆議院議員鈴木宗男に票を入れる人々を馬鹿呼ばわりした記者もいた。彼はその発言で墓穴を掘った。あれから15年、メディアが変わったとは思えないが小坂さんはその中でも異色の人だ。小坂さんがこれからも滅び去った人々の文化を伝える仕事を続けてくれることを願っている。
知床半島東側から対岸30キロ先には長く国後島が横たわる。晴れた日には海岸の崖まで良く見える。これほど近くに外国が見えるところは他にはない。尖閣や竹島は日本からは見えない。しかしここは眼の前だ。それを多くの日本人は知らない。かってここは日本領だった。しかし今はロシア人の島だ。その海で漁師たちは漁を続ける。安全操業は漁師の願いだ。鈴木宗男は安全操業に尽力した人だ。鈴木議員は島のロシア国境警備隊の隊長と、言い方は悪いが話をつけて漁業者を守ろうとした。その結果、それまで繰り返されていた銃撃が止まった。だから漁師は誰もが鈴木宗男を親しみを込めて「ムネオちゃん」と呼ぶ。しかし鈴木宗男は失脚した。そしてその後の国と政治家の無策が領土問題を膠着化させ、今に至っている。メディアもそれに加担し迎合したのではないだろうか。
ロシアによる拿捕や銃撃は繰り返された。対岸の材木岩に無謀にも渡ってジンギスカン鍋をしていた若者が見つかって撃たれ、銃創がわからないようフナ虫に食わせて棺におさめられて事故として日本側に送り返されたこともあった。ロシアも体裁が悪かったのだろう。日本政府外務省も事を荒立てることを嫌った。今も漁師たちは拿捕や銃撃に怯えながら漁を続けている。この地域に関心を持つ政治家は当然ながらもういない。票につながらないからだ。
昔、北海道はエゾと呼ばれたアイヌの国だった。しかしそこは17世紀以降、和人の進出によって徐々に日本化されてゆく。アイヌ民族は17世紀のシャクシャインの蜂起や18世紀のクナシリ・メナシの戦いを経てその存続が脅かされて行く。そして明治期の同化政策で言語や文化までもが否定されてしまう。当時のアイヌには日本人に従う以外の道がなかった。彼らは望んで日本人になったのではない。他の選択肢を閉ざされたのだ。私たちは歴史を知らなければならない。しかし知っても長い時を経て刷り込まれた差別意識は消えない。私も子供のころ登別で偶然出会った萱野茂さんに失礼な態度を取ったことがある。萱野さんにやさしく話しかけられた私は、思わず飛びのいてそれを無視した。私はそれをよく思い出す。人は刷り込まれた差別や偏見を簡単には無くせない。その克服にはおそらく長い時間と努力がいる。
白老に民俗共生象徴空間「ウポポイ」が出来た。国の肝いりで作られたこの施設は、今後のアイヌ文化復興の中心的存在になるだろう。しかし文化の復興とは歌や踊りの復活だけを指すのではない。生活とその技術伝統が甦ってはじめて、民族の文化も甦ったと言える。その最初の一歩として、先ず過去に明治政府と北海道庁がアイヌから奪った川の鮭漁の権利を返すべきだ。国が世界的流れに倣って先住民の権利回復を言うなら、箱ものを作って満足して終わらせるべきではない。過去を正しく伝えて抑圧の歴史を認め、そしてあらためて先人の非道を詫びてアイヌ民族に謝罪しその権利回復に努力すべきだ。その最初の一歩が、川での伝統的漁業を認めることではないだろうか。しかし国も道も法律を盾にこの問題を曖昧に放置して済まそうとしている。かって学者が学問的興味から正当化した遺骨の盗掘もそうだ。墓暴きはどんな理由があっても死者への敬意を欠く。それを個人が特定できないとして遺族に帰そうとしない。子供の頃私は高い塀に囲まれた北大医学部裏の、うっそうと草が生い茂る中に整然と並ぶコンクリートの棺を見たのを思い出す。中に横たわる人たちはいったい誰だったのだろうか。
11世紀、内地日本の戦乱を逃れあるいは流罪されて蝦夷地に渡った人たちがいる。彼らは過酷なエゾの自然の中で和人としてではなく、アイヌと同化して生きた。そうしなければ生きられなかった。それが渡り党アイヌと呼ばれた人たちだ。彼らはやがて13世紀の骨嵬の戦いを経て松前藩として蝦夷地に足がかりを固める。アイヌ民族をただ単に縄文の狩猟採集民とする見方は誤解を招く。それが差別の基になっている。しかし長くそれを続けてきた我々日本人はその意識を変えられない。特に明治以来官僚天国が続く北海道で、それは永遠の課題に思える。知床の漁師も戦後苦労し、今も海に依存して生きている。同様に和人に働く場所を奪われ家を失い、搾取され奴隷化されて文化まで滅ぼされた人たちの子孫が今も生きていることを私は考える。少なくとも私たちは歴史を知る努力をすべきだ。それがなければ結局は私たちも、文化の墓場のような博物館に満足する程度の人間で終わる。差別は誰にとっても他人事ではないのだ。
新谷暁生