知床エクスペディション

これは知床の海をカヤックで漕ぐ「知床エクスペディション」の日程など詳細を載せるブログです。ガイドは新谷暁生です。

知床日誌㊶

2022-11-30 16:03:07 | 日記


観光立国のおろかさ
 
人獣共通感染症といわれるコロナウィルスが地球上にひろく蔓延し、終息はいまだに見えない。これらの伝染病には地域性とともに季節性要因があるといわれ、日本でも再び冬に感染のピークが来ると専門家は言う。私たちの自衛策は人との接触を減らしマスクや手洗いうがいを徹底すること、室内の換気などだ。しかしウィルスの変異によるものか医療体制が充実したためか重症者は減り、発症者は多いが年寄りを除き死亡率は下がっている。識者によればそれは集団免疫が獲得されつつあるためだそうだ。一方で最近は免疫のない子供の感染が問題になっているという。しかしいずれにせよ人が亡くなることに変わりはない。国はこの病気に巨額の予算を振り向けているが最近その方向が変わり始めたという。確かに以前は素人が扱うのを制限していた抗原検査キットが薬局で手に入るようになり、陽性確認後の隔離日数も減った。また旅行の自粛もあまりやかましく言われなくなった。それどころか旅行を奨励しているようにさえ見える。私たちは右往左往する。本当に国民のためを思うなら無料で検査キットを配り、どこでも治療を受けられるなど、国民が安心できる施策に積極的に取り組んでほしいと思う。コロナ下で開かれた東京オリンピックもそうだが、何のため誰のためかわからないようなことをしているように思う。相変わらず発症しても住民票のある保健所に届け出なければ治療が受けられない。旅先で発症しても解熱剤を買い額にヒエピタを張って熱を下げ、ごまかして飛行機に乗って家に帰るしかないのだ。私たちの命は運を天に任せているようなものだ。マスク着用の同調圧力は相変わらず強い。
私はこの2年、知床エクスペディション参加者にガイドの責任として抗原検査を行ってきた。理由は外来の私たちから行く先に感染が広まるのを防ぐためだ。現地の不安を取り除くためにはそれしかない。参加前に発熱して参加を取りやめた人もいたが、参加者の日頃の用心のためか検査で陽性者は出ず、その後も発症者はなかった。おかげで知床の人たちは安心して私たちを迎えてくれた。ガイドは自分を守るためにも抗原検査などの積極的な対策をするべきと思う。しかしこのような素人の検査を疑問視する意見もある。一部の医者や識者はそれを真顔で言う。ツアーを否定する意見もある。だから自粛して保障金で生活するガイドもいる。しかしあの煩雑な手続きは私には無理だしその知恵もない。私たちは生きねばならない。広く私たち庶民を救済する対策を国が考えてくれることを強く願っている。今年は観光船事故の捜索を続けながら7回知床を回った。海は厳しく時に危険だった。ヒグマの活動は活発だった。事故は知床の観光に大きな傷跡を残した。海上保安庁や警察は引き続き遺体捜索を続けている。これから海は流氷が来るまで大しけが続く。現場を知る者として、くれぐれも無理をしないことを願っている。保安庁や警察は十分に責任を果たしたと思う。
東京オリンピックの不明朗な支出が問題になっている。逮捕者も出た。オリンピックは一大疑獄事件へと発展しようとしている。コロナ下のオリンピックは基本的に無観客で行われるということだった。その一方で子供の大量動員が計画されたという。何のためなのか。これは子供を危険に晒すだけではない。このオリンピックの性格をより鮮明に表すものだ。無観客ならそれに徹底すべきだし、それ以上にこのオリンピックは開かれるべきではなかった。招致から大会終了までの費用は4兆円と言われる。私たちには想像も出来ない数字だ。なぜこんな金がかかったのだろうか。
1972年の冬季札幌オリンピックを思い出す。この大会に公式記録映画の人夫として雇われたことが、私がニセコに住むきっかけになった。仕事はカメラマンをザイルで確保することだった。記憶にあるのはオーストリアのカール・シュランツがアマチュア規定違反で失格となり追放されたことだ。ミスター・アマチュアリズムと呼ばれたIOC会長のブランデージがシュランツのアマチュア資格を問題視したためだ。私は恵庭岳のダウンヒル会場のゴンドラでシュランツと一緒になったことがある。チロルの選手はヨーデルが上手かった。カール・シュランツは当時世界最速のダウンヒラーでありオーストリアの国民的英雄だった。公式練習のあとで追放されたシュランツは怒って帰って行った。
オリンピックは世界のトップアスリートが競い合う舞台だ。この点でプロもアマも関係ない。私は本番でのカール・シュランツの滑りを見たかった。優勝したのはスイスのベルンハルト・ルッシだ。ルッシは今、国際スキー連盟の理事としてアルペン競技のコース選定の責任者をしている。また2030年に計画されている冬季札幌オリンピックにも深く関わっている。札幌市は2030年冬季オリンピックの開催を強く希望しているが反対意見も多い。
1972年の開催で札幌は大都会となった。それはまた私がニセコに移住するきっかけにもなった。しかし私の気持ちは揺れている。私は雪崩事故防止のためのニセコルールの運用側としてコース選定に意見を述べてきた。予定コースがルール上の立ち入り禁止区域に入っているからだ。私には72年当時の思い出がある。だから協力してきた。しかし金にまつわる黒い噂を聞き、またこの世界の体質を見るにつけ、これ以上の協力はすべきではないと考えるようになっている。真のアスリートのためなら喜んで協力する。だが取り巻く環境が変わらない中での協力はこれ以上出来ない。ただでさえ短い余命がさらに縮まる。
それにしても2020東京大会の4兆円という費用は莫大だ。私には想像もできない。猪瀬都知事時代の当初予算は1兆円を超えていなかったという。それでも十分に多いが、いざ蓋を開けると役員の日当が30万円とか80万円だという。それなら金もかかる。驚く以上におかしいし、あきれてものが言えない。一方で多数募ったボランティアは無償だという。結局のところオリンピックはスポーツとは無縁な人たちの荒稼ぎのイベントに過ぎないのだろう。これでは競技者はコロッセオで戦うローマの奴隷戦士と変わらない。選手やボランティアが気の毒だ。だれがこのような仕組みを考えたのだろうか。IOCの体質だけが諸悪の根源なのだろうか。巷でささやかれているのは電通やパソナなどの大企業がオリンピックから巨万の富を得て政治家の懐も同時に肥やし、その不正を隠すために開催されたイベントだというものだ。そして大手メディアもそれに対してみて見ぬふりをした。もしそれが本当ならオリンピックの未来はない。
トップアスリートは2030札幌冬季オリンピック招致に対する小平奈緒の意見から学ぶべきだ。引退した小平奈緒さんは自分の言葉で意見を述べた。余談だが2020年、私たちは「僕たちのオリンピック2020」と称して50日間のアリューシャン遠征を計画していた。アリューシャン列島は知床半島とともに私の野外活動のフィールドであり冒険の世界だ。当然自費だ。しかしコロナ禍で延期せざるを得なかった。私は見るオリンピックに興味はない。スポーツは自ら汗をかき、自分のためにするものだからだ。
ネパールヒマラヤのソルクンブーというところにルクラという飛行場がある。世界でもっとも危険な飛行場と言われているところだ。今日ルクラはエベレストをはじめとするヒマラヤの高峰の出発地として、またトレッキングの基地として大きな賑わいを見せている。ネパールはヒマラヤというすぐれた資源を活用することで国を成り立たせている。私は1969年頃にこのあたりで暮らしたことがある。その後も何度か訪れたが、その変わりようには驚く。世界中から人が集まり、登山者だけではなくトレッキングをする人も爆発的に増え、それとともにヒマラヤの人々の暮らしぶりも変わった。チベット仏教を信仰するシェルパ族はそれに合わせて自らの道を切り開いている。ネパールは見るべきものが多い国だ。しかし一方で国の中心であるカトマンズはユネスコの世界危機遺産に指定されている。カトマンズは混沌の都会だ。
ネパールはインドと同じくヒンズー教の国だ。国の運営はブラーマンやチエットリーなどヒンズーの高位カーストによって行われている。しかし国の大きな財源である観光収入を支えているのはシェルパなどヒマラヤ山麓に住む人たちだ。だが彼らは政権には加われない。仏教徒のシェルパ族はネパールのカースト制度、つまりジャートの外にいる人たちだからだ。しかし彼らは生きるためにそれを受け入れている。そこには古来チベットとインドとの交易を仲立ちしてきた交易民族としてのしたたかさと賢い民族性が表れている。ネパールは自然だけで観光立国を推し進めたのではない。それはシェルパ族やライ族、タマン族などの山岳部族がいたからこそ可能だった。エベレスト登頂をはじめとするヒマラヤ登山の歴史と、それを支えて多くの犠牲を払ったシェルパや他の部族の努力がルクラやナムチェバザールの繁栄を築き、今日のネパールの観光立国政策を支えているのだ。
私は1970年にドゥード・コシという川を挟むルクラの対岸の道を歩いたことがある。この道は低地の暑さに弱いヒマラヤの家畜であるヤクとナク、その子のゾップキョやゾム、種牛のゾランをチベット高原からクンブー、そしてソルへと移動させるために古来使われてきた。道はソルのタキシンド・ラ(峠)から4000メートル近くまで上がって氷河のモレーンを縫うように続き、ルムディン・コーラという激流の谷を越えてクンブーのパグディンマに達する。ルクラへ向かう飛行機が頭上をかすめてルクラの滑走路に降りていくことや、無人の高原で原始的な罠をしかけて獲物を待つライ族の猟師に出会ったことなどを思い出す。雨季なのに水がなく、葉についた雨水をすすりながら歩いた。懐かしい思い出だ。
観光立国は言うほど簡単ではない。そこに本当の魅力があるかが問われる。ネパールにはそれがある。自然と人間、そしてその文化のすべてがすぐれた資源だ。だから人が来る。日本では京都、奈良、鎌倉などの歴史的な都市がそれにあたる。日本には神社仏閣などのすぐれた歴史遺産が多い。一方で自然はどうだろうか。日本アルプスや立山、北海道の山岳地帯は魅力的な山岳景観を持つ。知床も琉球もそうだ。問題はそれらが列島全体に広く点在していることだ。また都市や人口密集地に特徴がないのも問題かもしれない。街並みはどこも同じだ。もちろん感じ方は人によって違う。日本の田園風景は美しい。また四季のある日本は季節ごとに様々に変化する。だから時に思いがけない景色に出会う。風景だけではない。日本の武道に興味を持つ人もいる。秋葉原を目指す人もいる。しかし何かが足りない。原始景観だろうか。だから近年は北海道が注目されるのだろう。しかし観光のマーケットとして安易に北海道に目をつけるのは危険だ。北海道の自然は見てくれほど優しくない。それは夏のトムラウシ山の大量遭難や知床の海難事故を見てもわかる。北海道にも歴史がある。それはアイヌ民族の歴史だ。これも観光資源としか見ていないのだろうか。国が作った民族共生空間ウポポイという施設を見て私はそう思う。集客が進まないのには理由がある。言えるのは自己満足では人が来ないということだ。
スイスアルプスやヨーロッパの国々にはその自然景観とともに様々な歴史がある。オーストリアには山だけでなく音楽もある。東ヨーロッパやロシア、そしてドイツには自然とともに負の歴史がある。もちろんそれはどこにでもある。地中海にもある。だから世界中の人々がそれを求めて旅に出る。これらの国では過度な観光政策は取っていない。何もしなくても人は集まる。受け入れの努力をするのは当たり前のことだ。特別なことではない。
観光は無理に煽るものではない。笛を吹き太鼓を叩いても価値がなければ人は来ない。魅力は人工的に作り出せない。
ニセコは国内観光の成功例とされる。しかしそれは単に雪が良かったためではない。大勢が納得し信頼できる仕組みを作ったためだ。北国ならどこでも雪は降る。ニセコはスキーに適した山だが一方で事故も多かった。30年前、ニセコは国内で最も雪崩事故の多い山だった。国内最初のスノーボーダーの事故もここで起こった。私たちはやむを得ず事故防止に取り組んだ。今日のニセコの盛況は国の観光政策のおかげではない。地元が考え、批判されながらも身の丈にあった事故防止の取り組みを続けてきた結果だ。しかしこれから先はどうだろうか。過剰ともいえる投資の先に何が待ち構えているかは誰もわからない。
平和でなければ観光は成り立たない。だからこの時代に観光立国を謳うのはおろかなことだ。国も投資家も学者もニセコの成功を勘違いし誤解している。ニセコの取り組みは必要に迫られて行われたことだ。市場原理で動いたのではない。自分のことしか考えずにマーケットを見誤れば、ここにも廃墟の山が出現する。
ダライラマ14世の講話にある通り、私は目の前の仕事に真面目に取り組んだ。怠け者の私には荷が重かった。貧乏くじを引いた気がしないでもない。いつかまた自由に海を漕ぎ、知床の海岸で焚火をしたいものだ。また冬が来る。凄惨なウクライナの現状に心が痛む。