知床エクスペディション

これは知床の海をカヤックで漕ぐ「知床エクスペディション」の日程など詳細を載せるブログです。ガイドは新谷暁生です。

2019年の知床エクスペディション

2019-10-04 19:38:10 | 日記

今年の知床エクスペディションも無事終了しました。5月から9月までの6度の回に参加してくれた皆さん、スタッフに感謝します。
知床を取り巻く環境は変わり始めています。この変化は地球規模のものなのでしょうか。風や海況が予測しづらいのはいつものことですが、以前に比べて穏やかな日が少なくなっているように思いました。
しかし日数を増やして予備日を多く取ることで、毎回なんとか回ることができました。
 
魚の回遊時期が変化したこと、沿岸部の表面水温が高かったことにより、遡上するカラフトマスが激減しました。例年7月には川を上るマスが、今年は9月後半になってようやく見られるようになりました。
そのため定置網漁も早めに切り上げられました。サケマスは沖の水温の低い深海を、知床半島沿岸を避けて回遊していたようです。しかしそれだけでなく魚種も変わりました。
最近ではブリやシイラ、マグロやマンボウが普通に獲れています。しかしこれらの魚は川には遡上しません。だからヒグマにとっては大問題です。
 
少ない魚は強いオスが獲るため、弱い個体や子供は充分な魚を食べることができません。クジラでも寄れば助かるのですが今年は打ちあがりませんでした。
この傾向は5-6年前から始まりました。そのためクマ人口の減少が急速に進んでいます。川を上る魚を食べることで栄養を蓄えて冬眠することができたクマですが、今は食べるものがないのです。ブリが獲れてもブリは遡上しません。
サンマもイカも前浜にはいません。それで先日無理をして遥か600キロも遠くまで漁に出た19トンの小型船が嵐に遭って遭難し8名が亡くなりました。気の毒なことです。海は本当に厳しいところです。
私たちはそんな海でカヤックを漕いでいます。いや漕がしてもらっています。感謝するとともに、ついいい加減になりがちな環境への配慮を再度考え、改めて胸に刻み込まなければならないと考えるシーズンでした。
 
羅臼から対岸のクナシリ島までは30キロもありません。晴れると島の崖や、最近では古釜布の飛行場の建物まではっきりと見えます。ラウスもフルカマップも昔は同じメナシアイヌの村で、明治以降の行政区分の中で松浦武四郎により目梨郡として
定められました。しかし今この海は国境の海であり、漁師が拿捕され銃撃される海です。
 
島は還らないと人々は言います。そうでしょうか。尖閣や竹島は日本からは見えません。しかしクナシリ島はあまりにも近くに、すぐ眼の前に見えるのです。多くの日本人はそれを知りません。
これは大きなことだと思います。「他はいいからここだけはなんとかなりませんか、」という交渉はできないものでしょうか。
政治家がファーストネームで呼び合うことより地元の目線に立つ政治、外交は不可能なことでしょうか。私はクナシリ一島返還でも良いと思います。あまりにも目の前にあるのですから。
識者は言います。「日米安保があるから無理だ」と。それなら返還後の島にロシア軍の駐留を認めれば良いのです。それが取引というものではないでしょうか。発想の転換はできないものでしょうか。
 
知床の海を漕ぐと色々なことを考えます。来年もまた漕ぎたいものです。いつまで続けられるかはわかりません。しかし漕ぎ続けたいものです。
 
 
ガイド 新谷暁生