知床エクスペディション

これは知床の海をカヤックで漕ぐ「知床エクスペディション」の日程など詳細を載せるブログです。ガイドは新谷暁生です。

季刊ふらっと夏号

2017-08-02 19:35:28 | 日記
読書雑感

本は何のために読むのだろうか。教養を高めるためか。私も昔はマルクスやキェルケゴール、吉本隆明、更には森鴎外や川端康成、三島由紀夫を読んだものだ。だが中身はほとんど覚えていない。これらの思想家や文豪には大変悪いことをした。しかしそれは当時の若者の流行だったのだ。その後私は流行りで本を読まないことにしている。
本には偶然出会う。本は繰り返し読まれ、ボロボロになっても更に読まれる。私は海で仕事をしているが、ある本はフナ虫に食われて円くなった。えさになったのだ。私は焚火のそばや雨のテントでいつも本を読む。
現代は経験を軽んじる時代だ。人の価値は知識で量られ、人々はそれを経験にすり替えてあたかも自分のもののごとく使う。知識は容易に手に入る。しかしあたりまえだが経験は教えることも習うこともできない。昔は人の褌で相撲をとることが恥とされた。しかし今はそうではないらしい。
経験から導き出されたものを否定するのは学者や知識人に多い。知識だけで生きているから当然だ。世の中はそのような人たちに動かされている。彼らは経験則が科学的に証明できないこと、経験を積んだ人々の頑迷さ、それを普遍化できないことなどを理由に経験主義を嫌う。経験は役に立たない。経験はごく狭い範囲でしか使えない。その通りだ。しかしそれは経験を積んでこそ言えることなのだ。
最近知床の海岸にクジラがあがった。ヒグマは喜んでそれを食べる。強いオスが満腹してはじめて他のクマたちが肉にありつく。オスは獲物を独占するが、必要な量を食べれば満足する。10才を超えるオス熊は人目を避けて長く生きる。経験を積んで用心深くなるからだ。私は知床奥地でそんな幻の巨大ヒグマにときどき出会う。ヒグマは猛獣だが賢く臆病な動物だ。
知識は経験を積むための助けだ。本はそのためにある。ところで私は宮崎駿のアニメを子どもに見せない。もちろんそんな暴言は誰からもすぐに否定される。それでも私は『紅の豚』以外は見るなと言う。『火垂るの墓』は野坂昭如のすぐれた小説だ。しかしそれを宮崎駿が書いたと信じる人がいる。指摘すると真顔で怒り否定される。私は唖然とする。そしてこれらのアニメや劇画が人々に与える影響に得体の知れないものを感じる。なによりもユーモアがない。ナンセンスであっても私には亀有派出所の両さんの低俗さが良い。宮崎作品は子どもだけでなく大人にも幻想と錯覚を与えている。
私は本に恵まれた。昭和22年生まれなので残された時間はわずかだが、まだ良い本に巡り合うことを願っている。自分のフィールドは山や海だ。そこで読むのは海保嶺夫の『エゾの歴史』やアプスレー・チェリーガラードの『世界最悪の旅』などだ。文庫本なのでどこでも持って行ける。
『エゾの歴史』はアイヌ民族の成立とその運命、そして日本との関わりを綴った本だ。1863年、松浦武四郎はエゾ地を北加伊道と改めることを提案し、明治政府はここを北海道とした。命名の理由はアイヌ民族への敬意からだった。13世紀、当時カイと自称したアイヌと北方の諸部族は、交易圏の拡大のためサハリンを経てアムール川へと進み、40年以上にわたって元軍と戦った。元はカイをクイと呼んで恐れ、それに骨嵬の文字をあてた。あえて骨の鬼という字を充てたところに、カイを畏怖する当時の元朝モンゴルのいらだちが表れているように思う。エゾ地の歴史は私たちが学んだものとは違うようだ。私たちはもっと北海道の歴史に関心を持つべきだ。人類史の特徴ともいえる差別の構図が、何故出来たのかを考えるきっかけになる。
『世界最悪の旅』は1912年のロバート・スコットによる英国南極探検隊の隊員だった著者が、第一次大戦後の1922年に著した本だ。ウィルソンとボアーズ、チェリーガラードの3人は闇とマイナス50度のブリザードが吹き荒れる極寒の中、冬の南極大陸に皇帝ペンギンの卵を求めて旅する。この旅は人類が自らの意思で行ったもっとも困難な旅として、本のタイトルでもある「世界最悪の旅」と呼ばれている。ウィルソンとボアーズはその後、南極点からの帰途、スコットとともに餓死する。
スコットは科学的探検を目指して新開発のガソリン雪上車とシベリア馬を輸送に使い、極北の伝統的移動手段である犬ゾリを使うノルウェーのアムンセンの方法を否定した。彼らは重いソリを馬と雪上車に曳かせるが、すぐに雪上車が使えなくなる。機械も馬も過酷な南極の気候には耐えられなかったのだ。その後イギリス人たちは馬を食べながら人力で重いソリを曳いた。たどり着いた南極点にはノルウェーの旗が翻っていた。彼らは落胆して帰路につくがやがて食糧も燃料も尽きる。そして息絶えた。1年後、発見された彼らの遺体のそばには、彼らの科学の象徴ともいえる貴重な岩石標本が残されていた。
アムンセンは南極点初到達のために周到な準備をした。彼は氷の海に閉じ込められても船が壊れないよう、フリチョフ・ナンセンが作ったお椀型の船フラム号で南極大陸に向かった。そして極北の伝統的移動手段である犬ゾリで極点を目指した。極地探検に経験の深いロアール・アムンセンは、ほとんど歩かずソリに乗って南極点に達し無事に生還した。
チェリーガラードは「探検とは知的情熱の肉体的発露である」という言葉を残している。しかしこの言葉には自らも属するイギリスの権威主義への批判と痛烈な皮肉が込められているように思う。
チベット仏教の精神的指導者ダライラマ14世は、「智慧と慈悲の心を持ち人がそれぞれの場所で責任を果たせば、世の中が少しはましになるだろう」とユーモアを交えて語る。しかしダライラマはそれがすでに手遅れだということを知っている。
70年前、人々とともにヒマラヤを越えて逃げなければならなかったダライラマは、中国によるチベットの破壊を目の当たりにした。その後ダライラマは弱者を滅ぼしても恥じず、それを当然とする大国の横暴とその愚かさを訴え続けてきた。
人類の智慧と慈悲の心は過去のものになりつつある。私たちはそんな時代を生きている。自由に本が読めるのはありがたいことだ。また良い本に出会いたいものだ。

新谷暁生

コメントを投稿