
桜島の見える街に出張に行った。2度めになるだろうか。
前の訪問では、三島村(竹島、黒島、硫黄島)を訪問する際、フェリー乗り継ぎのために滞在した。その際、桜島が街の背景にあって、噴煙をあげている様に、勇壮な気分にさせられた。
今回も桜島は噴煙をあげていた。噴火が毎日のようにあって、地元の人も毎日怖いと思っているという。怖さを共存する日常を持つということは、どのようなことだろうか。
また、少しの時間でふるさと維新館をたずねた。西郷隆盛という明治維新の豪傑は、なぜ西南戦争で自決をすることになったのか。薩長同盟をいう大局的な判断ができたのに、征韓論に敗れたとはいえ、なぜ政府に不平をもった若者の乱に巻き込まれたのか。
維新を英雄たちを輩出した街は、動乱のさなかに多くの血を流した街でもある。こうした歴史が感じられる街で、住民は日本や世界をどのように捉えているのだろうか。
土地の持つ記憶、ふるさとにある歴史の地層、その重みある特徴を鹿児島に感じる。