カーボン・オフセットは、ある活動で排出された二酸化炭素排出量を、別の活動で埋め合わせる、相殺するという意味である。
環境省の関連する指針では、「カーボン・オフセットとは、まず排出削減努力を行った上で、削減困難な排出量について他の場所での排出削減・吸収量でその全部又は一部を埋め合わせること」と説明している。
既に、各方面で議論がなされているところであるが、カーボン・オフセットにおいて重要な点を整理したい。
1つめに重要なことは、排出削減努力をまず優先すべきで、それを行ったあと、削減困難な排出量を埋め合わさせることという優先順位付けである。
例えば、近年では、アフリカ開発会議や洞爺湖サミット、サッカーのワールドカップ、トリノ・オリンピックなどで、カーボン・オフセットが行われた。
こうしたイベントでは、そのイベントにおいて、省エネ型設備の導入や二酸化炭素排出量の少ない移動手段の選択等を行ったうえで、残った排出量埋め合わせるため、植林や海外での二酸化炭素排出削減活動への支出(CDM:クリーン開発メカニズムの活用等)により、ニュートラル(ゼロ)にする試みがなされている。
2つめに重要なことは、オフセット先となる活動の質の確保である。
あるNGOは、FIFAのワールドカップでなされたオフセットが、開発途上国にメタン発酵施設の設置であったが、その施設が上手く稼動していないという指摘をしていた。また、オフセット先として植林活動が行われることも多いが、植林後の維持管理管理が不十分であったり、地域のカウンターパートが森林活用の担い手になりきてれいないという指摘もある。
一般に、オフセットは、ある場所で排出した二酸化炭素排出量を、別の場所で埋め合わせることが多い。このため、”別の場所”でなされていることに、どれだけ責任を持てるのか、その質の確保は本質的に難しい。
3つめに重要なことは、イベントなどの参加者に、二酸化炭素排出を自覚してもらい、オフセットに対しても、認知や主体的な参加を促すことである。
つまり、カーボン・オフセットが地球温暖化問題への意識啓発のツールとなることが望ましい。これにより、カーボン・オフセットは、単にチャラにするという受動的なものではなく、生活や社会を変えていく契機として能動的な意味を持つ。
1日エコライフデーを広げている川口や埼玉県の活動もあるが、カーボン・オフセット・チャンレンジ・デーと称し、1日の二酸化炭素排出量を知り、その埋め合わせにチャンレジするような普及啓発も、面白いと思っている。
4つめ。オフセットを行う活動は、広げすぎずに、限定的に捉えるべきである。環境省においては、イベントや航空機利用などに限定して、オフセットを検討しているが、その慎重さは今後も必要だと思う。
オフセットを行う活動は、人間の文化性や豊かさを維持するうえで必要だと考えられるもであったり、代替手段がない活動であることが条件となろう。
この意味では、カーボン・オフセット組み込み商品といって、製品を作る過程での二酸化炭素排出量を、植林や寄付などで埋め合わせているものもあるが、慎重に扱うべきである。そもそも、その商品が本当に必要なものか、疑問をもつことからはじめる必要があるのではないだろう。
最後に話は、ややそれるが、「いただきます」プロジェクトを紹介したい。あるグループが行っている活動で、洞爺湖サミットで、首脳たちの食事会で「いただいます」の意味を説明し、唱和してもらおうというものである。
「いただきます」には、自分の生命や楽しい食事時間を与えてくれる、自分以外への生命、そしてそれを生産してくれた農家、あるいは調理人、あるいは食事ができる経済環境を与えてくれる家族、社会等へので感謝をこめた言葉だという。
例えば、自分以外の生命を食することで自分の生命を維持することを考えたとき、「いただきます」のもつ意味は重い。
「いただきます」は、気持ちのうえでの「カーボン・オフセット」である。
逆にいえば、「カーボン・オフセット」の手法論に惑わされることなく、「いただきます」という言葉のもつ意味を深く考えて、「カーボン・オフセット」に係る施策や事業を展開することが望ましい。埋め合わせには、誠意?や倫理、哲学が必要だ。
環境省の関連する指針では、「カーボン・オフセットとは、まず排出削減努力を行った上で、削減困難な排出量について他の場所での排出削減・吸収量でその全部又は一部を埋め合わせること」と説明している。
既に、各方面で議論がなされているところであるが、カーボン・オフセットにおいて重要な点を整理したい。
1つめに重要なことは、排出削減努力をまず優先すべきで、それを行ったあと、削減困難な排出量を埋め合わさせることという優先順位付けである。
例えば、近年では、アフリカ開発会議や洞爺湖サミット、サッカーのワールドカップ、トリノ・オリンピックなどで、カーボン・オフセットが行われた。
こうしたイベントでは、そのイベントにおいて、省エネ型設備の導入や二酸化炭素排出量の少ない移動手段の選択等を行ったうえで、残った排出量埋め合わせるため、植林や海外での二酸化炭素排出削減活動への支出(CDM:クリーン開発メカニズムの活用等)により、ニュートラル(ゼロ)にする試みがなされている。
2つめに重要なことは、オフセット先となる活動の質の確保である。
あるNGOは、FIFAのワールドカップでなされたオフセットが、開発途上国にメタン発酵施設の設置であったが、その施設が上手く稼動していないという指摘をしていた。また、オフセット先として植林活動が行われることも多いが、植林後の維持管理管理が不十分であったり、地域のカウンターパートが森林活用の担い手になりきてれいないという指摘もある。
一般に、オフセットは、ある場所で排出した二酸化炭素排出量を、別の場所で埋め合わせることが多い。このため、”別の場所”でなされていることに、どれだけ責任を持てるのか、その質の確保は本質的に難しい。
3つめに重要なことは、イベントなどの参加者に、二酸化炭素排出を自覚してもらい、オフセットに対しても、認知や主体的な参加を促すことである。
つまり、カーボン・オフセットが地球温暖化問題への意識啓発のツールとなることが望ましい。これにより、カーボン・オフセットは、単にチャラにするという受動的なものではなく、生活や社会を変えていく契機として能動的な意味を持つ。
1日エコライフデーを広げている川口や埼玉県の活動もあるが、カーボン・オフセット・チャンレンジ・デーと称し、1日の二酸化炭素排出量を知り、その埋め合わせにチャンレジするような普及啓発も、面白いと思っている。
4つめ。オフセットを行う活動は、広げすぎずに、限定的に捉えるべきである。環境省においては、イベントや航空機利用などに限定して、オフセットを検討しているが、その慎重さは今後も必要だと思う。
オフセットを行う活動は、人間の文化性や豊かさを維持するうえで必要だと考えられるもであったり、代替手段がない活動であることが条件となろう。
この意味では、カーボン・オフセット組み込み商品といって、製品を作る過程での二酸化炭素排出量を、植林や寄付などで埋め合わせているものもあるが、慎重に扱うべきである。そもそも、その商品が本当に必要なものか、疑問をもつことからはじめる必要があるのではないだろう。
最後に話は、ややそれるが、「いただきます」プロジェクトを紹介したい。あるグループが行っている活動で、洞爺湖サミットで、首脳たちの食事会で「いただいます」の意味を説明し、唱和してもらおうというものである。
「いただきます」には、自分の生命や楽しい食事時間を与えてくれる、自分以外への生命、そしてそれを生産してくれた農家、あるいは調理人、あるいは食事ができる経済環境を与えてくれる家族、社会等へので感謝をこめた言葉だという。
例えば、自分以外の生命を食することで自分の生命を維持することを考えたとき、「いただきます」のもつ意味は重い。
「いただきます」は、気持ちのうえでの「カーボン・オフセット」である。
逆にいえば、「カーボン・オフセット」の手法論に惑わされることなく、「いただきます」という言葉のもつ意味を深く考えて、「カーボン・オフセット」に係る施策や事業を展開することが望ましい。埋め合わせには、誠意?や倫理、哲学が必要だ。
「もったいない」と言う言葉とは、少し "想い" が違いますけれど、どちらも 西洋感覚には無い感性でしょう。
欧米の人は「これからは、アジアの時代である」と、時々耳に致します。
これからは、「マザーアース」の時代ではないでしょうか・・・。end
という活動について、下記ご参照ください。
OHANAという環境フリーペーパーの池田さんから
紹介してもらいました。
http://blog.goo.ne.jp/itadaki-mas