■環境イノベーションに関する2つ定義
アジア太平洋地域の非公式の環境大臣会合である「エコ・アジア」では、アジア太平洋地域における環境協力と持続可能な開発の実現に貢献することを目的とし、「アジア太平洋環境イノベーション戦略プロジェクト(APEIS:The Asia–Pacific Environmental Innovation Strategy Project)」を進めている。このプロジェクトは、実践的な科学的ツールと政策オプションを開発・提供することで、環境イノベーションを強化することを目指している。
また、日本政府は「新成長戦略」(2009年12月30日閣議決定)において、「グリーン・イノベーションによる環境・エネルギー大国戦略」を位置付けた。これを踏まえて、平成24年版環境白書では、「環境と経済の間には密接なかかわり合いがあり、世界が直面する環境制約に対応していくためには、双方を単にトレードオフの関係として捉えるのではなく、持続的な好循環を生み出していく関係として、その実現を目指すことが重要」であり、こうした社会システムを実現させる原動力が、「グリーン・イノベーション、すなわち、エネルギー・環境分野におけるイノベーション」であると記述している。
これらの政策に示されるイノベーションは、単なる技術革新をさしているのではない。平成24年版環境白書でも引用しているように、経済学者J.A.Schumpeter(1912) は、イノベーションという内的要因が経済発展の主要な役割を果たすと述べ、イノベーションの例として、単なる技術革新だけではなく、新製品開発,新生産方法の導入、新マーケットの開拓、新たな資源(の供給源)の獲得、組織の改革等を挙げ、既存の価値を破壊して新しい価値を創造していくこと(創造的破壊)が経済成長をもたらすことを主張している。つまり、イノベーションとは、多面的で統合的な意味を持つ。
一方、イノベーションを論じるとき、主に農業分野でのイノベーション普及の知見をまとめたE.M.Rogers(1983)の定義を抜きにすることはできない。E.M.Rogersは、イノベーションを「個人もしくは,他の採用単位(主体)によって新しいものと知覚されたアイディア、行動様式、物」と定義し、イノベーションの普及曲線や普及速度の規定要因、普及促進機関の役割等を整理している。
J.A.SchumpeterとE.M.Rogersの両者において、イノベーションの定義に違いがある。J.A.Schumpeterは、対象の開発、導入等のように動的に変化する状態としてイノベーションを定義している・E.M.Rogersは、普及する新たな対象そのものとイノベーションと定義している.前者がイノベーションの影響プロセスに着目しているのに対し、後者はイノベーションの普及プロセスに着目しているために、定義の違いが生じている。
■Rogersに基づく筆者の定義
筆者は、環境分野に限定し、イノベーションの普及と社会経済システムの相互作用に着目する。つまり、イノベーションの影響プロセスと普及プロセスの両方に着目し、それらの相互作用を高めることが重要であると考えている。この意味で、本研究におけるイノベーションを捉える視点は、J.A.SchumpeterとE.M.Rogersの視点を合体したものである。このため、イノベーションの定義はどちらに依拠してもかまわないが、J.A.Schumpeterの定義に依拠すると、イノベーションが社会経済システムに与える片方向の動態を重視することになる。イノベーションと社会経済システムの相互作用に着目した研究を行うためには、E.M.Rogersの定義が扱いやすい。イノベーションと社会経済システムの相互作用は、J.A.Schumpeterが注目する動態を包含するものであり、それを否定的に扱うものでない。
筆者は、環境分野でのイノベーションを指す「環境イノベーション」という用語を用いるが、E.M.Rogersによる定義を環境分野に当てはめ、「環境イノベーションとは,環境に配慮した意識や行動,製品・機器等の総称である」と定義する。
■インクリメンタルとラジカル
ここで、イノベーションとは画期的な社会経済、企業経営等の変化をもたらすものだけを指すわけではない。企業経営の分野では、T.Davila ら(2006)のように、イノベーションの種類をインクリメンタル・イノベーション(既存の製品やビジネス・プロセスに小さな改善を加えるイノベーション)と、ラディカル・イノベーション(新しい商品やサービスをまったく新しい方法で提供するイノベーション)に区別する。この両者は、どちらが重要というわけでなく、両者とも企業経営の革新において重要であり、インクリメンタルかラジカルかの特性に応じて、マネジメントの方法が異なることが指摘されている。
「環境イノベーション」においても、インクリメンタル・イノベーションとラディカル・イノベーションの両者の明確な線を引けるわけではないが、どちらの程度が強いかという相対的な比較をすることが可能である。本研究で取り上げる住宅用太陽光発電は、省エネルギー型の家電製品のように、これまでの製品を代替する製品ではなく、これまで無かった製品を新たに導入する新規投資型の製品である。この意味では、住宅用太陽光発電は相対的に個人世帯にとってラディカル・イノベーションの特性が強いといえる。一方、本研究では、日常生活における省エネルギー行動や環境に配慮した買い物行動、環境関連の学習会・社会活動への参加等といった環境配慮行動についても「環境イノベーション」として扱う。これらの環境配慮行動は、これまでの生活行動に環境配慮という改善を加えるもので,インクリメンタルな環境イノベーションと定義することができる。