1980年代頃から、都市生活型公害がクローズアップされてきた。一般に、産業公害では汚染物質の発生源は特定の産業であり、エンドオブパイプの対策で成果をあげることができたが、都市生活型公害では不特定多数の生活者を規制するわけにもいかず、解決が難しい。
生活雑排水による水質汚濁、自動車由来の大気汚染、あるいは生活ごみの問題等が都市生活型公害の典型である。都市生活型公害の延長上に、地球温暖化問題がある。特に民生家庭部門の二酸化炭素排出は、都市生活型公害と根っこを同じくする。
こうした都市生活型公害の解決のためには、「大量生産・大量消費・大量廃棄」を改める必要があると、お題目のように繰り返されてきた。
しかし、今日における省エネ家電やエコカーへの買い替え促進等は、あきらかに大量生産・大量消費・大量廃棄であり、お題目が耳に染みついた身には違和感がある。買い替えによる省エネ効果は、生産・廃棄・リサイクルのよるエネルギー消費増大を上まわり、トータルでは環境負荷を削減するという計算結果もあるようだか、本当にそれでいいのか。
この違和感を一度、すっきりさせようと、「大量生産・大量消費・大量廃棄」のことをまとめてみようと思った。まず、AMAZONで検索し、宮嶋信夫さんの「大量浪費社会~大量生産・大量販売・大量廃棄の仕組み」という本を購入した。1990年代に出された本である。
この本では、1970年代のオイルショックを乗り越えた1980年代の動きをとりあげている。石油を原料とするプラスチックの袋や包装容器、アルミ缶、自動車の普及と全国高速道路整備、家電製品の普及、そして東京湾横断道路やリゾート開発等の大規模プロジェクト。。。
この本の最後は次のように結ばれている。
「現代資本主義は過剰な社会のなかであまりに肥大化した生産力を稼働しとうとする結果、電力エネルギーを浪費し、自然環境を損なってきた。肥大化した生産力を稼働しつづけるために人間の欲望を刺激して価値観をかえ、あり余る商品を際限なく買い続ける消費者に仕立てるのである。自然環境と両立できず、人間そのものを異常な存在に変えなければ保てないほどの生産力をもってしまった資本主義のもとで、人間が人間として存在しつづけるためには資本主義が変革されなければならない。」
筆者の指摘にあるよう、大量生産・大量消費・大量廃棄型の社会は、生活者がそれを求めたのではなく、産業側がそれをつくったのである。産業中心の経済、それが問題の根本にある。
産業はどうかわれるか。そして、宣伝による浪費を刷り込まれた消費者はどうかわれるか。そこに踏み込まずに、環境対策と目先の景気対策を両立させるばかりでは何も解決できないのではないだろうか。