サードウェイ(第三の道) ~白井信雄のサスティナブル・スタイル

地域の足もとから、持続可能な自立共生社会を目指して

1992年の「エコビレッジ基本構想」を振り返り、世界のエコビレッジに学ぶ

2015年03月15日 | 環境と教育・人づくり

1990年代前半に、環境庁(当時)が主催した「エコビレッジ研究会」に参加し、報告書のとりまとめをさせていただいたことがあった。

 

1980年代後半に、環境問題を、(単体技術ではなく)地域構造等も含めたトータルシステムとして解決しようと「エコポリス」が提案されたが、その計画づくりを支援する環境省事業が短期間で終了した。それに参加したかったができなかった私が出会ったのが、都市ではなく、農山村を舞台とする「エコビレッジ」であった。

 

「エコビレッジ研究会」でとりまとめた報告書は、1992年に季刊環境研究に「エコビレッジ基本構想」として、掲載された。書棚の奥から引っ張りだして、見直してみた。この構想では、エコビレッジの基本的考え方として、その定義と背景を整理したうえで、エコビレッジの基本構成として、基本コンセプト、基本的整備方向、実現の考え方、構成要素(空間構成と活用システム)を示している。さらに、エコビレッジの具体的な実現イメージを描きだすために、T村を舞台にして、施設整備構想やゾーニング、実現シナリオを示した。

 

少し引用をして、内容を紹介する。

 

「本構想は、「むら」の持つ潜在的な価値ー森、川、海などの自然資源、自然資源に依存する農、林、漁、自然との交流により形成された文化・社会ーをベースに、都市との交流の中での新しいむらづくりのコンセプトを打ち出すことを狙いとしたものである。大型のリゾート開発に見られるような都市の価値観に基づく開発が、各地の自然を、伝統の文化を、そして何よりも地域の誇りを傷つけていることを直視し、地域のための、また地球規模の環境とも共生した地域づくり姿を描こうと試みた。言い換えると、「エコビレッジ」という造語をキーワードにして、「むらの持続可能な開発とは何か」を考えようとしたものである。」

 

「・・環境政策の側から世界の、そして日本の経済・社会の再構築まで検討する必要に迫られている。・・・以上のような環境政策の流れの中で、・・・「エコビレッジ」は環境政策の重点として前述した3つの視点に立脚し、①精神的に豊かな環境保全型の生活スタイルの実現として、②環境保全型の理想的な地域モデルの形成として、さらには③自然と共生する新たな地域振興策のモデル」として、環境政策の中に位置づけられるものである。」

 

さて、最近になって、この「エコビレッジ」基本構想を見直したいと思った。それは、地域再生という言葉で、急激にする縮小する地方の活性化へのテコ入れがされているが、地方(=大都市に近接しない農山村及びそれをバックグランドにする地方都市)としての代替的な発展方向が十分に示されずに、大都市での商業主義との連結や、グローバリゼーション迎合型の生き残り戦略になってしまうのではないかと危惧するからである。また、UJIターンによる地方への移住が増えつつあるように思うが、移住者は個人主義的な自然愛好家が多く、地方の代替的な発展を担う力になりにくくなっているのではないかという懸念もある。地方にただ人が住むようになり、地方の延命化がなされればいうものでもない。課題解決や危機回避も必要であるが、もっとポジティブに戦略的に地方の地域づくりを構想し、日本のフロンティアとしての地方の実現を正当化できないだろうか。

 

ドイツの研究者・コンサルタントであるジョナサン・ドーソンという方の「世界のエコビレッジ」という本を買っていたので、読み直してみた。この本は、世界各地のエコビレッジ(日本の事例は出てこない)について、系譜や事例、課題や新たな展開について、体系的に記述をしている。

 

同著では、エコビレッジを「民間人による新たな取組であり、そこでは、共同体主義者による推進力が何よりも重要である。それは共同体の資源の支配権をある程度取り戻すことを目指し、(しばしば「精神性」と呼ばれる)強固に共有された価値基盤をもち、研究やデモンストレーションそして、多くの場合、トレーニングのセンターとして機能している。」と定義している。

 

また、エコビレッジとして、BC525年のピタゴラスのホマコエイン(目的共同体の最初)以来の目的共同体の栄枯盛衰を示している。それが、宗教的な共同体による自立と精神的な探求として、修道院やインドのオーロビルや先進国のニューエイジ運動等を紹介し、1960年代から1970年代の大地への回帰運動やヒッピー運動(主流派である物質主義的な価値観に対する若者達の拒絶、人間同士の相互理解と信頼関係への切望)、女性解放運動(生態学的原則に基づき、男性も女性も対等に共存、異性間の一夫一婦制という社会的に承認された抑圧的な規範を乗り越える実験)、ドイツの平和運動によるエコドルフ(核兵器排除を超えて先を見越した環境保護への過程、共同体を基盤とした人間を重視した社会の足掛かりとして中間技術の開発を提案)、代替的な教育運動(若者を労働者及び消費者として育成する先進工業国の公的教育機関への不満)といった多様な社会的視点が入口となった変遷の積み重ねを示している。

 

また、人間が直面している生態系への問題が深刻であることへの認識の高まり、開発途上国におけるエコビレッジ(先進工業国が定めた漫然とした成長方針に従う開発ではなく、有限の地球の制約下での平等と多様性、農家や職人が持つ知識と技術の活用)等も、人々をエコビレッジに目を向かわせた。さらに、1996年には、国連人間居住計画会議において、グローバル・エコビレッジ・ネットワークの設立されている。

 

こうした世界各地で建設されてきたエコビレッジは多様なもので、一括りにしてはならないと思われるが、私有財産を放棄する共同体主義、精神的(スピリチャル)な基盤の共有の側面はある程度、共通する特性であり、この点で、行政が関与し、主導しやすいような地域づくりとは一線を画する。この特性が阻害要因となって世界各地のエコビレッジの多くが継続できているわけでないが、地域で閉鎖的にならずに、大都市やグローバル経済の中で、技術開発や普及、人材育成・教育、ネットワーク型有機農業等の現実解を見出すことで、継続してきた地域もあるようである。

 

さて、世界各地で実験されてきた革新的なエコビレッジの試みから、今日の日本の地方における地方再生への示唆を得ることができるのではないか。全面的な共同は難しいとしても、モノや住宅、施設等の部分的な共同(シェアリング)は、十分に現実的かつ重要な方向性である。環境配慮や公平性に配慮する中間技術(適正技術)の開発と実証・普及、人材トレーニング等のセンターとなることも、代替的かつ現実的な地域発展の方向となりえるだろう。

 

1992年に、環境政策からの期待論として、ノンポリ的に描いた「エコポリス基本構想」を、1990年代以降の世界のエコビレッジの実験結果を踏まえて、再構築することができればと思う。

 

参考文献:

エコビレッジ研究会(1992)「エコビレッジ基本構想ー地球にやさしいふるさとづくり」、環境研究No.87、51-66.

ジョナサン・ドーソン(2010)「世界のエコビレッジ 持続可能性の新しいフロンティア」日本経済評論社

 

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