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[ 東大一直線] =2010-5-30
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表・話・編・歴
『東大一直線』(とうだいいっちょくせん)、は小林よしのりによる日本のギャグ漫画作品。『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて1976年28号から1979年45号まで連載された。1970年代を代表するギャグ漫画作品。
本項では本作品の続編である『東大快進撃』(とうだいかいしんげき)についても記述する。
目次 [非表示]
1 概要
2 登場人物
3 東大一直線
3.1 投稿から連載開始まで
3.2 中学編あらすじ
3.3 連載初期
3.4 高校編あらすじ
3.5 連載終了
3.6 単行本
4 東大快進撃
4.1 あらすじ
4.2 執筆の背景
4.3 単行本
5 番外編・関連作品
5.1 無知との遭遇
5.2 こちら葛飾区亀有公園前派出所&東大一直線
5.3 帰ってきた東大通
5.4 愛社一丸はかく働き
5.5 東大必勝法 すすめ一直線
5.6 ディスコ一直線
5.7 新・東大一直線 受験戦線学園ドラマ
6 ギャグ
7 本作の影響
概要 [編集]
本作は、小林の初連載作品であり出世作でもある。後に連載される『おぼっちゃまくん』『ゴーマニズム宣言』と並ぶ、小林の三大ヒット作でもある。本作は受験競争が叫ばれた当時の世相が反映されている。後にJICC出版社(宝島社の前身)「いきなり最終回」用のアンケートにとられた「印象に残っている最終回」のベスト10にも入っている。
小林のデビュー作は赤塚賞に応募された『ああ勉強一直線』(1976年掲載号不明)である。2作目は「めざせ東大!」で同年増刊号に掲載、『東大一直線』はその後に連載された作品で、同年28号から1979年46号まで行われた。単行本では前者の読切2本も順番に収録、3本目から連載分が収録されている。続編として『東大快進撃』(『ヤングジャンプ』1980年7号 - 1981年25号連載)が存在するほか、いくつか読切の番外編や続編作品も存在する。これらはおおむね連続した物語の作品であり、当記事ではこれらすべての作品を扱う。
なお、小林のデビュー直前から「快進撃」までの経緯ついてもここに記述する。以下、主人公の名前は「東大通」、作品名は「一直線」、学校名は「東京大学」と表記する。
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注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。
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登場人物 [編集]
東大一直線と東大快進撃の登場人物を参照。
東大一直線 [編集]
投稿から連載開始まで [編集]
大学在学中の1975年、『ああ勉強一直線』が『週刊少年ジャンプ』第3回赤塚賞に最終選考で残り、結局落選したが、編集部から載せたいという電話がありデビューを果たす。しかし中学時代から漫画家一直線だったとはいえ、ペンの勉強を全くしていなかったので、恐らくプロとしては日本一絵の下手な漫画家としてデビューを飾った。後述の秋本治は「絶対左手で描いていると思った」と語っている。ちなみに小林を見つけたのはジャンプ編集部の中野和雄で、『一直線』にも脇役で時々登場している。
続いて1976年、第11回手塚賞佳作(『獣村より』)および第4回赤塚賞佳作(『男のトラ子 女の虎造』)の同時受賞。これを見て、『ジャンプ』を400万部に押し上げた功労者の西村繁男編集長(当時)が福岡までやって来て、連載の話を持ちかけた。実は西村は簡単に10週打ち切りになると思っていたが、個性・才能・将来性があれば、どんなヘタウマでも採用するのが、当時から続くジャンプの方針だった。そして『一直線』を連載開始する。
中学編あらすじ [編集]
お灘中学校に転校して来た東大通は「前の学校では800点で一番だった」等とガリ勉ぶりをチラつかせ、半田(現役)は受験勉強のライバルと警戒。だが東大通は放課後ゆう子の家について行くが、その態度はどう見てもアホで変態にしか見えない。そして試験の結果発表時、実は東大通は「総得点1点で成績800位」だと言う事に、半田とゆう子は気づく。東大通はそれを800点で一番と勘違していたのだ…!(ここまで『ああ勉強一直線』のあらすじ全て)
連載初期 [編集]
ある時「連載が予定の10回で終了したら、どげんするとです?」と聞いた所、担当編集の堀内丸恵(彼も小林の初期の漫画に時々登場する)はバツが悪そうに「そりゃあ…同じくらい面白い漫画、また作るしかないんじゃないかな」と答えた。世間知らずの小林は、漫画家が終身雇用制だと思っていたのだが、「連載が打ち切られたら失業」という事実を知った親戚が連日かわるがわる押しかけ「漫画家なんて馬鹿な事やめっとよ!」と大合唱されることとなり、背水の陣でムキになって熱筆。結局『東大一直線』は大ヒットし、流行漫画家となった。難のあった画力も週刊連載開始から2ヶ月ほどで当時のギャグ漫画家としては標準レベルとなった。
デビュー当時はカラーページを描く際に使用する、耐水インクの存在を知らなかった。『一直線』連載当時、カラーページを描く時はまず墨汁でペン入れをし、その後ペン入れした線が滲まないよう、神経を研ぎ澄まして絵の具で着色していた(小林曰く「前衛的な手法」)そのためカラーページを描くのを嫌がり、同時期他の連載作家がカラーページで掲載していたのを見て「どうやってインクをにじませずに描いているのだろう?」としきりに思っていた。スクリーントーンも、他の作家がトーンを貼る前の、指定を記したものしか見た事が無かったので、指定だけ書けば印刷されると思っており、ある時編集者から「先生!ちゃんと貼って下さいよ~」と泣きつかれた事で、初めて知ったと言う。
近年の小林はオールバックに丸眼鏡だが、当時は髪がセミロング、サングラスの入った大き目の眼鏡をかけ、キャッチフレーズ?は「漫画界のさだまさし」。しかしギャグ漫画の死線の中、ただでさえやせていた頬がもっとやせ、井上ひさしみたいと言われたのは、たまらなかったと語っている。
高校編あらすじ [編集]
オサール高入試で当然不合格になった東大通は、中学卒業後、魂の抜けた隠居生活を送っていた。何とか高校まで通わせてやりたいと案ずる母は、チョンマゲ先生と一計を企む。東京大学そっくりに改装した貧乏高校、優秀館高校(修猷館高校の真似だと思われる)の前までおびき出し、ライバル視していた多分と共に、二次募集を受けさせてやろうと言うのだ。東大通と多分は学内で激しく争った?末、30分であっさり合格。実は経営不振で潰れそうなので、逃げない内に校長と教頭が合格させたのだ。本人が頑張っているからと優秀館に通わせる事にしたが、そんな内情だから入学生は(一部を除き)ボンクラばかり。そんな様子に見かねた東大通は、東京大学進学を目指す団体「いちょう会」設立を宣言。何だかよくわからないが、いちょう会に恐れをなした不良達も入会。皆で早速宴会に入るなど、進学団体でなく代議士の後援会みたいな振る舞いになってしまう。
連載終了 [編集]
だが『一直線』の人気は後に、急激ではないがじわじわ下降。起死回生の上京シリーズでもアンケートの結果は変わらず、とうとう連載終了を宣告された。そして西村が久しぶりに福岡に現れると、飲み屋で小林に「今はもうあんたみたいに、がむしゃら描く時代じゃないんだ」「その程度の実力で、連載何本も持っちゃいけないよ」などと嫌味を言った。小林は当てこすりとして『一直線』の最終回近くに、「成績の悪い奴は切るべき」と語る西村そっくりの進学顧問、切人破門を登場させた。以後『週刊少年ジャンプ』には読切の『光太郎・光太郎』が載っただけで、西村とも絶縁状態となった。しかし小林よしのりの語る所では、小学館漫画賞受賞時には西村から、バツが悪そうながらも褒めてくれたとも言う(西村自身はストーリー漫画に偏重し、ギャグ漫画は苦手であった事を、後に告白している)。
単行本 [編集]
集英社:ジャンプ・コミックス 全13巻
集英社漫画文庫:全1巻(傑作選)
徳間書店:トクマコミックス 全9巻
小学館コロコロ文庫:全13巻
イースト・プレス(幻冬舎文庫):小林よしのりの異常天才図鑑(高校編「エリートの爆発の巻」を収録)
イースト・プレス(幻冬舎文庫):小林よしのりのゴーマンガ大辞典(中学編「ああ!参観日の巻」を収録)
東大快進撃 [編集]
あらすじ [編集]
優秀館高校を退学になった後、どこをどうしたのか、東京大学を探して東京までやって来た東大通。その前に多分が現れる。多分の母が亡くなった後、愛人を作って家出していた父が戻って来たのだ。多分の父が校長を務める知識ヶ丘学園は、エリートに満ちた空気で溢れている。その生徒達に活を入れる為彼のスピリッツが必要だと、東大通を入学させる。東大通達は高校3年生。つまりいよいよ、東京大学の入学試験が近づく…。
執筆の背景 [編集]
『一直線』連載後期に、日本初のヤング漫画誌『ヤングジャンプ』が創刊され、角南攻(詳細はリンク先を参照)は『週刊少年ジャンプ』の人気作家大勢に声をかけた(以後集英社の青年誌の作家は『ビジネスジャンプ』等ヤングジャンプ系と、『スーパージャンプ』等少年ジャンプ系に分化した)。小林もヤンジャン創刊時から『世紀末研究所』を毎号8ページ(月産16ページ)連載、『月刊少年ジャンプ』の『救世主ラッキョウ』と併せ3本の連載を抱え、この時点で「やっと漫画家として自らを認めた」と語っている。
角南は東大合格前に終了した『一直線』の存在を惜しみ、『世紀末研究所』を終了させてまで続編『東大快進撃』を掲載させる(角南自体、角南塾頭という名で『東大快進撃』に登場した)。普通のギャグ漫画と違う事はデビュー時から皆気づいていたが、東大通の東京大学受験がいよいよ近づくにつれ、アンケート結果がぐんぐん上昇、当時流行だった少年ラブコメ漫画である、野部利雄『わたしの沖田くん』を抜いて1位になってしまった。角南は東大受験後も連載を続けさせたかったが、直接言わずにほのめかしただけなので、小林は真意を理解せず、合格直後に1位のままという珍しい状態で連載は終了した。しかし次の連載『(誅)天罰研究会』は人気投票でダントツのビリを記録、『おぼっちゃまくん』のヒットまで、いまいち売れず苦しい時代が続いた。この後は「小林よしのり」を参照。
単行本 [編集]
集英社:ヤングジャンプ・コミックス 全3巻
徳間書店:トクマコミックス 全2巻
小学館コロコロ文庫:全3巻
番外編・関連作品 [編集]
無知との遭遇 [編集]
ある日地球の各地で、宇宙人との接触を予期させる事件が多発した。そしていよいよ、力道山(プロレスラーでなく、架空の山)に宇宙人が降りて来る!だがその宇宙人は東大通そっくりで、やる事なす事アホばかり。疑問を感じた現役と漫画が調べに行くと…
映画「未知との遭遇」のパロディ。番外編といってもパラレルワールドでなく、世界観そのものは「一直線」本編と繋がっている。
掲載誌:不詳だが、絵は中学編卒業頃であり、この頃小林は『ジャンプ増刊号』に読み切りを多数執筆(この内「竜人寺野サウルス」は「小林よしのりの異常天才図鑑」に収録)。
単行本収録:「東大一直線」13巻
こちら葛飾区亀有公園前派出所&東大一直線 [編集]
あちこちの漫画雑誌で稀に行われるコラボレーション企画が、当時『週刊ジャンプ』もギャグ漫画中心に比較的よく行われていた。小林は作品執筆の為に一時上京までしている。
掲載誌、単行本収録:前述の『週刊ジャンプ』編集長との確執の為か『こち亀』側のみに収録。1977年年の1作目は「こちら葛飾区亀有公園前派出所-下町奮戦記-」、1978年の2作目は「Kamedas」1巻に収録。23年ぶりの2001年に発表された3作目は「Kamedas」2巻のために描き下ろされたものであるが、「Kamedas」2巻は他の作家との合作も多く、僅か4ページの再会を描いただけで、小林の絵柄も話もかなり変わっている。
帰ってきた東大通 [編集]
主人公は、福岡の高校から東京大学を現役受験したが不合格、東京で一浪生活をしている。しかし東京の下宿では隣の部屋に、東京大学に合格するぞと気張ってはいるものの、どう見てもアホにしか見えない浪人生がいる。そいつの名は8年前に東京大学を受験した、東大通と言うのだ!そしていよいよ、今年も東京大学受験の日がやって来た。正史とも言える続編。小林は「ただひたすらサービス精神で描いた事だけを、かすかに覚えている」と語っている。
掲載誌:『ヤングジャンプ』1983年3月10日増刊号に「受験生応援漫画シリーズ第一弾」として掲載
単行本収録:「突撃!(偏)BOYS」(とつげきへんさちボーイズ)2巻に収録されているが「(偏)BOYS」も「一直線の様な勉強ギャグ漫画を再び」という方向で企画された作品だった。他に「おぼっちゃまくん」がヒットした時『月刊コロコロコミック』でも読切が多数執筆され、同様に「受験ボーイ」「がんば!合格どん」といった勉強ギャグ漫画も登場した。
愛社一丸はかく働き [編集]
タイトルの通りサラリーマンギャグで、「一直線」とは直接関係ない。だが主人公の愛社一丸はブタ鼻に眼鏡とハチマキを着用し、厚顔無恥にも「ずんずん」擬音を立てながら進む。つまり東大通がそのまま社会人になったキャラクターなので、ここに紹介(小林自身『アニメック』における芦田豊雄との対談では「面白い漫画を描きたければ、東大通を社会人にしてどんどん進めさせていけばいい」と語っている)。なお勤務先の社長は『いろはにほう作』の安田君の父によるスターシステム出演である。
掲載誌:『ビッグコミックスピリッツ』1985年4月10日号
単行本収録:「小林よしのりのゴーマンガ大辞典」
東大必勝法 すすめ一直線 [編集]
ヤング向けのちょっとアダルトなギャグを含んだお笑い本、KKベストセラーズ社の有名なワニの豆本として、1979年初夏に発売。文章は全て小林が書いている(はず)だが、受験勉強をモチーフにした下ネタギャグばかりである。また会話コントの殆どは「一直線」に登場したギャグを書き直したもの。
ディスコ一直線 [編集]
1979年春に発売されたタバレス(en:Tavares (band))の楽曲。原題は「Straight From Your Heart」。日本盤シングルのジャケットは小林が描いており、「一直線」のキャラクターたちがディスコで踊っているイラストである。
新・東大一直線 受験戦線学園ドラマ [編集]
1979年頃の小説。挿絵も小林が担当しており、漫画の扉絵に挿絵の下描きが使われた事もある。
ギャグ [編集]
全てを網羅する事は困難な為、最も有名なもののみ紹介する。
すぺぺっ、ぐぴぴっ
主に中学編で多用。ギャグでずっこける時、スライディングする様に飛び出して舌が切れ、血まで出る。『おぼっちゃまくん』がヒットした際、「一直線」時代からのファンからのリクエストで「すぺぺーっ! あんど ぐぴぴーっ!」として復活。
パーペキ
「パーフェクトで完璧」を意味する。これが決まるとパーペキ光線が出る。光線を出す手は当初Vサインだったが、すぐウルトラマンのスペシウム光線と同じポーズになった。光線を受けた相手は痴呆の様な顔になり、よだれを垂らす。ちなみに新世紀エヴァンゲリオンTV版第6話で、葛城ミサトが「パーペキ」と言っているシーンがある。
パープリン
「パーなのでまるで脳がプリン」を意味する。ひらがなで「ぱあぷりん」とも表記。他にバカ・アホを意味する言葉として「激バカ」「ポルノり」等が生み出された。なお柳沢きみおの漫画のドラマ化『翔んだカップル』の次回作は『翔んだパープリン』だったが、柳沢も小林もドラマとは関係ない。
パーペキとパーブリンはよくセットで使われ、「一直線」から生まれた最も有名な単語の一つとなり、「現代用語の基礎知識」の1979年版にも「パーペキに載っている」(左記は劇中での東大通の台詞による)。
本作の影響 [編集]
当時の他のギャグ漫画や、その後のアニメにおいて、受験生集合や試験のシーンがある場合、モブシーンに東大通が描かれている事が稀にあった(漫画『3年奇面組』における、骨組の高校受験シーン等)。
現在も(主に深夜番組における)バラエティ番組で、お笑いタレントに勉強を無理矢理させる企画がある場合、タレントが東大通のコスプレ(日の丸ハチマキに学生服)で出てくる事がある。
2005年7月期にフジテレビ系で放映されたテレビドラマ『電車男』には「明治一直線」という、学生服と眼鏡を着用した浪人のネットワーカーが登場する。
ミュージシャンの小沢健二等、本作を読んだことが東大志望する動機になった学生がいた。
『東大理Ⅲ2006』に登場する社会人合格者の談によると、「『ドラゴン桜』は参考にならず、『東大快進撃』は格段役に立つ」とのこと
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E4%B8%80%E7%9B%B4%E7%B7%9A」より作成
カテゴリ: 出典を必要とする記事/2009年4月 | 漫画作品 と | 受験漫画 | 週刊少年ジャンプの漫画作品 | 小林よしのり | 東京大学 | ギャグ漫画 | 福岡県を舞台とした作品
最終更新 2010年5月21日 (金) 22:02
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[ 東大一直線] =2010-5-30
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表・話・編・歴
『東大一直線』(とうだいいっちょくせん)、は小林よしのりによる日本のギャグ漫画作品。『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて1976年28号から1979年45号まで連載された。1970年代を代表するギャグ漫画作品。
本項では本作品の続編である『東大快進撃』(とうだいかいしんげき)についても記述する。
目次 [非表示]
1 概要
2 登場人物
3 東大一直線
3.1 投稿から連載開始まで
3.2 中学編あらすじ
3.3 連載初期
3.4 高校編あらすじ
3.5 連載終了
3.6 単行本
4 東大快進撃
4.1 あらすじ
4.2 執筆の背景
4.3 単行本
5 番外編・関連作品
5.1 無知との遭遇
5.2 こちら葛飾区亀有公園前派出所&東大一直線
5.3 帰ってきた東大通
5.4 愛社一丸はかく働き
5.5 東大必勝法 すすめ一直線
5.6 ディスコ一直線
5.7 新・東大一直線 受験戦線学園ドラマ
6 ギャグ
7 本作の影響
概要 [編集]
本作は、小林の初連載作品であり出世作でもある。後に連載される『おぼっちゃまくん』『ゴーマニズム宣言』と並ぶ、小林の三大ヒット作でもある。本作は受験競争が叫ばれた当時の世相が反映されている。後にJICC出版社(宝島社の前身)「いきなり最終回」用のアンケートにとられた「印象に残っている最終回」のベスト10にも入っている。
小林のデビュー作は赤塚賞に応募された『ああ勉強一直線』(1976年掲載号不明)である。2作目は「めざせ東大!」で同年増刊号に掲載、『東大一直線』はその後に連載された作品で、同年28号から1979年46号まで行われた。単行本では前者の読切2本も順番に収録、3本目から連載分が収録されている。続編として『東大快進撃』(『ヤングジャンプ』1980年7号 - 1981年25号連載)が存在するほか、いくつか読切の番外編や続編作品も存在する。これらはおおむね連続した物語の作品であり、当記事ではこれらすべての作品を扱う。
なお、小林のデビュー直前から「快進撃」までの経緯ついてもここに記述する。以下、主人公の名前は「東大通」、作品名は「一直線」、学校名は「東京大学」と表記する。
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注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。
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登場人物 [編集]
東大一直線と東大快進撃の登場人物を参照。
東大一直線 [編集]
投稿から連載開始まで [編集]
大学在学中の1975年、『ああ勉強一直線』が『週刊少年ジャンプ』第3回赤塚賞に最終選考で残り、結局落選したが、編集部から載せたいという電話がありデビューを果たす。しかし中学時代から漫画家一直線だったとはいえ、ペンの勉強を全くしていなかったので、恐らくプロとしては日本一絵の下手な漫画家としてデビューを飾った。後述の秋本治は「絶対左手で描いていると思った」と語っている。ちなみに小林を見つけたのはジャンプ編集部の中野和雄で、『一直線』にも脇役で時々登場している。
続いて1976年、第11回手塚賞佳作(『獣村より』)および第4回赤塚賞佳作(『男のトラ子 女の虎造』)の同時受賞。これを見て、『ジャンプ』を400万部に押し上げた功労者の西村繁男編集長(当時)が福岡までやって来て、連載の話を持ちかけた。実は西村は簡単に10週打ち切りになると思っていたが、個性・才能・将来性があれば、どんなヘタウマでも採用するのが、当時から続くジャンプの方針だった。そして『一直線』を連載開始する。
中学編あらすじ [編集]
お灘中学校に転校して来た東大通は「前の学校では800点で一番だった」等とガリ勉ぶりをチラつかせ、半田(現役)は受験勉強のライバルと警戒。だが東大通は放課後ゆう子の家について行くが、その態度はどう見てもアホで変態にしか見えない。そして試験の結果発表時、実は東大通は「総得点1点で成績800位」だと言う事に、半田とゆう子は気づく。東大通はそれを800点で一番と勘違していたのだ…!(ここまで『ああ勉強一直線』のあらすじ全て)
連載初期 [編集]
ある時「連載が予定の10回で終了したら、どげんするとです?」と聞いた所、担当編集の堀内丸恵(彼も小林の初期の漫画に時々登場する)はバツが悪そうに「そりゃあ…同じくらい面白い漫画、また作るしかないんじゃないかな」と答えた。世間知らずの小林は、漫画家が終身雇用制だと思っていたのだが、「連載が打ち切られたら失業」という事実を知った親戚が連日かわるがわる押しかけ「漫画家なんて馬鹿な事やめっとよ!」と大合唱されることとなり、背水の陣でムキになって熱筆。結局『東大一直線』は大ヒットし、流行漫画家となった。難のあった画力も週刊連載開始から2ヶ月ほどで当時のギャグ漫画家としては標準レベルとなった。
デビュー当時はカラーページを描く際に使用する、耐水インクの存在を知らなかった。『一直線』連載当時、カラーページを描く時はまず墨汁でペン入れをし、その後ペン入れした線が滲まないよう、神経を研ぎ澄まして絵の具で着色していた(小林曰く「前衛的な手法」)そのためカラーページを描くのを嫌がり、同時期他の連載作家がカラーページで掲載していたのを見て「どうやってインクをにじませずに描いているのだろう?」としきりに思っていた。スクリーントーンも、他の作家がトーンを貼る前の、指定を記したものしか見た事が無かったので、指定だけ書けば印刷されると思っており、ある時編集者から「先生!ちゃんと貼って下さいよ~」と泣きつかれた事で、初めて知ったと言う。
近年の小林はオールバックに丸眼鏡だが、当時は髪がセミロング、サングラスの入った大き目の眼鏡をかけ、キャッチフレーズ?は「漫画界のさだまさし」。しかしギャグ漫画の死線の中、ただでさえやせていた頬がもっとやせ、井上ひさしみたいと言われたのは、たまらなかったと語っている。
高校編あらすじ [編集]
オサール高入試で当然不合格になった東大通は、中学卒業後、魂の抜けた隠居生活を送っていた。何とか高校まで通わせてやりたいと案ずる母は、チョンマゲ先生と一計を企む。東京大学そっくりに改装した貧乏高校、優秀館高校(修猷館高校の真似だと思われる)の前までおびき出し、ライバル視していた多分と共に、二次募集を受けさせてやろうと言うのだ。東大通と多分は学内で激しく争った?末、30分であっさり合格。実は経営不振で潰れそうなので、逃げない内に校長と教頭が合格させたのだ。本人が頑張っているからと優秀館に通わせる事にしたが、そんな内情だから入学生は(一部を除き)ボンクラばかり。そんな様子に見かねた東大通は、東京大学進学を目指す団体「いちょう会」設立を宣言。何だかよくわからないが、いちょう会に恐れをなした不良達も入会。皆で早速宴会に入るなど、進学団体でなく代議士の後援会みたいな振る舞いになってしまう。
連載終了 [編集]
だが『一直線』の人気は後に、急激ではないがじわじわ下降。起死回生の上京シリーズでもアンケートの結果は変わらず、とうとう連載終了を宣告された。そして西村が久しぶりに福岡に現れると、飲み屋で小林に「今はもうあんたみたいに、がむしゃら描く時代じゃないんだ」「その程度の実力で、連載何本も持っちゃいけないよ」などと嫌味を言った。小林は当てこすりとして『一直線』の最終回近くに、「成績の悪い奴は切るべき」と語る西村そっくりの進学顧問、切人破門を登場させた。以後『週刊少年ジャンプ』には読切の『光太郎・光太郎』が載っただけで、西村とも絶縁状態となった。しかし小林よしのりの語る所では、小学館漫画賞受賞時には西村から、バツが悪そうながらも褒めてくれたとも言う(西村自身はストーリー漫画に偏重し、ギャグ漫画は苦手であった事を、後に告白している)。
単行本 [編集]
集英社:ジャンプ・コミックス 全13巻
集英社漫画文庫:全1巻(傑作選)
徳間書店:トクマコミックス 全9巻
小学館コロコロ文庫:全13巻
イースト・プレス(幻冬舎文庫):小林よしのりの異常天才図鑑(高校編「エリートの爆発の巻」を収録)
イースト・プレス(幻冬舎文庫):小林よしのりのゴーマンガ大辞典(中学編「ああ!参観日の巻」を収録)
東大快進撃 [編集]
あらすじ [編集]
優秀館高校を退学になった後、どこをどうしたのか、東京大学を探して東京までやって来た東大通。その前に多分が現れる。多分の母が亡くなった後、愛人を作って家出していた父が戻って来たのだ。多分の父が校長を務める知識ヶ丘学園は、エリートに満ちた空気で溢れている。その生徒達に活を入れる為彼のスピリッツが必要だと、東大通を入学させる。東大通達は高校3年生。つまりいよいよ、東京大学の入学試験が近づく…。
執筆の背景 [編集]
『一直線』連載後期に、日本初のヤング漫画誌『ヤングジャンプ』が創刊され、角南攻(詳細はリンク先を参照)は『週刊少年ジャンプ』の人気作家大勢に声をかけた(以後集英社の青年誌の作家は『ビジネスジャンプ』等ヤングジャンプ系と、『スーパージャンプ』等少年ジャンプ系に分化した)。小林もヤンジャン創刊時から『世紀末研究所』を毎号8ページ(月産16ページ)連載、『月刊少年ジャンプ』の『救世主ラッキョウ』と併せ3本の連載を抱え、この時点で「やっと漫画家として自らを認めた」と語っている。
角南は東大合格前に終了した『一直線』の存在を惜しみ、『世紀末研究所』を終了させてまで続編『東大快進撃』を掲載させる(角南自体、角南塾頭という名で『東大快進撃』に登場した)。普通のギャグ漫画と違う事はデビュー時から皆気づいていたが、東大通の東京大学受験がいよいよ近づくにつれ、アンケート結果がぐんぐん上昇、当時流行だった少年ラブコメ漫画である、野部利雄『わたしの沖田くん』を抜いて1位になってしまった。角南は東大受験後も連載を続けさせたかったが、直接言わずにほのめかしただけなので、小林は真意を理解せず、合格直後に1位のままという珍しい状態で連載は終了した。しかし次の連載『(誅)天罰研究会』は人気投票でダントツのビリを記録、『おぼっちゃまくん』のヒットまで、いまいち売れず苦しい時代が続いた。この後は「小林よしのり」を参照。
単行本 [編集]
集英社:ヤングジャンプ・コミックス 全3巻
徳間書店:トクマコミックス 全2巻
小学館コロコロ文庫:全3巻
番外編・関連作品 [編集]
無知との遭遇 [編集]
ある日地球の各地で、宇宙人との接触を予期させる事件が多発した。そしていよいよ、力道山(プロレスラーでなく、架空の山)に宇宙人が降りて来る!だがその宇宙人は東大通そっくりで、やる事なす事アホばかり。疑問を感じた現役と漫画が調べに行くと…
映画「未知との遭遇」のパロディ。番外編といってもパラレルワールドでなく、世界観そのものは「一直線」本編と繋がっている。
掲載誌:不詳だが、絵は中学編卒業頃であり、この頃小林は『ジャンプ増刊号』に読み切りを多数執筆(この内「竜人寺野サウルス」は「小林よしのりの異常天才図鑑」に収録)。
単行本収録:「東大一直線」13巻
こちら葛飾区亀有公園前派出所&東大一直線 [編集]
あちこちの漫画雑誌で稀に行われるコラボレーション企画が、当時『週刊ジャンプ』もギャグ漫画中心に比較的よく行われていた。小林は作品執筆の為に一時上京までしている。
掲載誌、単行本収録:前述の『週刊ジャンプ』編集長との確執の為か『こち亀』側のみに収録。1977年年の1作目は「こちら葛飾区亀有公園前派出所-下町奮戦記-」、1978年の2作目は「Kamedas」1巻に収録。23年ぶりの2001年に発表された3作目は「Kamedas」2巻のために描き下ろされたものであるが、「Kamedas」2巻は他の作家との合作も多く、僅か4ページの再会を描いただけで、小林の絵柄も話もかなり変わっている。
帰ってきた東大通 [編集]
主人公は、福岡の高校から東京大学を現役受験したが不合格、東京で一浪生活をしている。しかし東京の下宿では隣の部屋に、東京大学に合格するぞと気張ってはいるものの、どう見てもアホにしか見えない浪人生がいる。そいつの名は8年前に東京大学を受験した、東大通と言うのだ!そしていよいよ、今年も東京大学受験の日がやって来た。正史とも言える続編。小林は「ただひたすらサービス精神で描いた事だけを、かすかに覚えている」と語っている。
掲載誌:『ヤングジャンプ』1983年3月10日増刊号に「受験生応援漫画シリーズ第一弾」として掲載
単行本収録:「突撃!(偏)BOYS」(とつげきへんさちボーイズ)2巻に収録されているが「(偏)BOYS」も「一直線の様な勉強ギャグ漫画を再び」という方向で企画された作品だった。他に「おぼっちゃまくん」がヒットした時『月刊コロコロコミック』でも読切が多数執筆され、同様に「受験ボーイ」「がんば!合格どん」といった勉強ギャグ漫画も登場した。
愛社一丸はかく働き [編集]
タイトルの通りサラリーマンギャグで、「一直線」とは直接関係ない。だが主人公の愛社一丸はブタ鼻に眼鏡とハチマキを着用し、厚顔無恥にも「ずんずん」擬音を立てながら進む。つまり東大通がそのまま社会人になったキャラクターなので、ここに紹介(小林自身『アニメック』における芦田豊雄との対談では「面白い漫画を描きたければ、東大通を社会人にしてどんどん進めさせていけばいい」と語っている)。なお勤務先の社長は『いろはにほう作』の安田君の父によるスターシステム出演である。
掲載誌:『ビッグコミックスピリッツ』1985年4月10日号
単行本収録:「小林よしのりのゴーマンガ大辞典」
東大必勝法 すすめ一直線 [編集]
ヤング向けのちょっとアダルトなギャグを含んだお笑い本、KKベストセラーズ社の有名なワニの豆本として、1979年初夏に発売。文章は全て小林が書いている(はず)だが、受験勉強をモチーフにした下ネタギャグばかりである。また会話コントの殆どは「一直線」に登場したギャグを書き直したもの。
ディスコ一直線 [編集]
1979年春に発売されたタバレス(en:Tavares (band))の楽曲。原題は「Straight From Your Heart」。日本盤シングルのジャケットは小林が描いており、「一直線」のキャラクターたちがディスコで踊っているイラストである。
新・東大一直線 受験戦線学園ドラマ [編集]
1979年頃の小説。挿絵も小林が担当しており、漫画の扉絵に挿絵の下描きが使われた事もある。
ギャグ [編集]
全てを網羅する事は困難な為、最も有名なもののみ紹介する。
すぺぺっ、ぐぴぴっ
主に中学編で多用。ギャグでずっこける時、スライディングする様に飛び出して舌が切れ、血まで出る。『おぼっちゃまくん』がヒットした際、「一直線」時代からのファンからのリクエストで「すぺぺーっ! あんど ぐぴぴーっ!」として復活。
パーペキ
「パーフェクトで完璧」を意味する。これが決まるとパーペキ光線が出る。光線を出す手は当初Vサインだったが、すぐウルトラマンのスペシウム光線と同じポーズになった。光線を受けた相手は痴呆の様な顔になり、よだれを垂らす。ちなみに新世紀エヴァンゲリオンTV版第6話で、葛城ミサトが「パーペキ」と言っているシーンがある。
パープリン
「パーなのでまるで脳がプリン」を意味する。ひらがなで「ぱあぷりん」とも表記。他にバカ・アホを意味する言葉として「激バカ」「ポルノり」等が生み出された。なお柳沢きみおの漫画のドラマ化『翔んだカップル』の次回作は『翔んだパープリン』だったが、柳沢も小林もドラマとは関係ない。
パーペキとパーブリンはよくセットで使われ、「一直線」から生まれた最も有名な単語の一つとなり、「現代用語の基礎知識」の1979年版にも「パーペキに載っている」(左記は劇中での東大通の台詞による)。
本作の影響 [編集]
当時の他のギャグ漫画や、その後のアニメにおいて、受験生集合や試験のシーンがある場合、モブシーンに東大通が描かれている事が稀にあった(漫画『3年奇面組』における、骨組の高校受験シーン等)。
現在も(主に深夜番組における)バラエティ番組で、お笑いタレントに勉強を無理矢理させる企画がある場合、タレントが東大通のコスプレ(日の丸ハチマキに学生服)で出てくる事がある。
2005年7月期にフジテレビ系で放映されたテレビドラマ『電車男』には「明治一直線」という、学生服と眼鏡を着用した浪人のネットワーカーが登場する。
ミュージシャンの小沢健二等、本作を読んだことが東大志望する動機になった学生がいた。
『東大理Ⅲ2006』に登場する社会人合格者の談によると、「『ドラゴン桜』は参考にならず、『東大快進撃』は格段役に立つ」とのこと
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最終更新 2010年5月21日 (金) 22:02