山恋風来坊

生業は植木屋。趣味は山歩き、無農薬有機栽培。この頃は古道を探求し、その道、峠、山を古人に思いをはせながら歩いている。

西方浄土

2018-11-18 19:44:10 | Weblog
   家から西の山々・・・滝山連峰

   ここはまさに西方浄土がある方向だ。

   一度は歩いて浄土を見てみようとの念願がかなった。

   山仲間と縦走してきた。ウエストンが上田の駅舎から人力車で浦野に入り

   ここから歩いて保福寺峠にいたり日本アルプス(後立山連峰)を眺めて感嘆した



   峠が出発点、二ツ石峰、入山、御鷹山、滝山、三ツ頭、十観山と歩いて西の山々の縦走。

   葉はきれいに落ちて裸木の尾根が続いたり、カラマツと雑木の尾根が続いたりと、変化に富んでいた。



    入山手前には3人で手をつなぐほどのブナ、霧と光のブロッケンも現れた。

    途中のピークには小さな祠がいくつもあった。





    そして浄土の向こうには後立山連峰が・・・




    西のまた西も山また山、信濃の国ではどこまでも山の神の領分が続く。

    阿弥陀様も山の神の中にいるのかも。
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清内路花火

2018-10-20 20:02:41 | Weblog
      阿智村清内路の恒例秋の花火。



      江戸時代に三河にタバコ、櫛を届け、帰りに火薬技術を持ち帰ったと伝えられる

      清内路の花火、一般公開の下清内路の花火を見てきた。

      煙火有志会38名の手で執り行われ、花火は諏訪神社、建神社の二つの神様に捧げられる。

      両神社に花火の入った箱が奉納された後、境内で点火される。

      普通の花火のイメージとは違い、手筒、綱火、花傘、巴車、大三国等

      火の粉が走ったり、輪のように廻ったり、雨のように上から降ってきたりと、

      迫力満点。その上に、この火の粉の下で有志会の会員が掛け声とともに踊る。




      昨年も見に行ったのだが、この花火は思うに、

      落ちてくる火の粉は精虫で、神に豊穣、繁栄を祈るのだろう。

      とにかく、縄文の昔から神に豊穣と繁栄を祈り、感謝のしるしをささげてきた。

      こんな古からの伝統が小さな小さな山村に残っているのだ。



      感謝と祈り、すばらしい時間を共有できた一日だった。
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神坂山

2018-10-14 20:15:47 | Weblog
     阿智村の神坂神社から、古東山道を歩いて神坂山に登って来た。



     山頂は磐座信仰を示すものか、大きな岩と三角点。

     古東山道は発掘が行われて、神坂峠跡が史跡になっている。

     神社からの道はやがてブナ、コナラ、モミジ、モミなどの間を縫うようになり



     笹原を通って山頂へ向かう。

     紅葉の盛りは今一歩といった所だが、きれいだ。



     峠の山はなだらかな稜線上が笹に覆われ笹原に。

 

     空の雲をバックにきれいな緑の絨毯が続く。



     古人もこんな景色を見ながら峠を超えていったのだろうか。     

     
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秋は黄葉・・・

2018-10-09 20:14:50 | Weblog
     自宅の植木鉢も秋の彩りになって来た。



     少し前なら10月初旬といえば紅葉のアルプスが合言葉だったが、近頃では諸事情から

     紅葉見物プラス高原歩きに落ち着くようになった。

     今回の連休は高山村の山田牧場から志賀高原あたりを歩いて来た。



      高山では雷滝のあたりはこれから、牧場あたりは盛り、志賀高原は

      木戸池辺りが見ごろだった。森の中を歩くには暑すぎるほどの陽気。

      カメラを構えた大勢の人のいる場所はおおむね黄色に赤色が点在する景色。

      黄葉がほとんどで、紅葉の赤色は点在する景色がインパクトがあるようだ。

      調べてみると、

      「赤く色づくのを紅葉、やや改まった会話や文章に使われる。

        黄色に色づく場合も含めてこの語を用いる場合もある。

      黄色く色づくのを黄葉(コウヨウ)やや専門的な感じの漢語。」

      志賀高原あたりは、黄葉の森だ。



      飛行機で黄葉を堪能している人もいた。

      お金持ちは日本にも侵出して来ていると実感。!

      
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命か、美味か?

2018-09-28 20:35:50 | Weblog
     今年は雨が多く、気温もそこそこでキノコの出がいいらしい。

     キノコといえば中毒、

     それでも美味しいキノコの誘惑で命を落とした王様もいたとか。

     それ程、おいしさは魅力的なものらしい。

     昨日知り合いからキノコをいただいた。



     この辺りではコムソウというが、ショウゲンジというきのこ。

     赤松林に多く出る。その上、雑キノコをふんだんに置いていった。

     彼は猟師もしていて、山の幸には精通している。

     早速、夕食は秋の味覚三昧。

     天ぷら、キノコ鍋、栗ごはん、大根葉の塩漬け・・・





     いただいたおいしいお酒(七本鎗、滋賀県)を口にし、鍋をつつく。

     一度は本物をと、毎年松茸にこだわっていた父の顔がふと浮かんだ。

     
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巨樹

2018-09-26 21:35:28 | Weblog
    昨年、清内路村の「小黒川のミズナラ」を紹介した。



    樹齢は500年以上、幹周り9.4m、樹高33m、平成24年6月の風で北側の大枝が折れたが・・・

    この木に較べてこの間紹介した、神坂神社の杉



    日本杉といいもとはにほんあったが、明治25年9月の暴風雨のため一本は折れてしまいました、

    その年輪は2000年以上もあった・・。樹高は書いてないが、



    見た目では上まではよく見えない。

    それにしても南信州のこの地には街道筋にこんな巨木がある。

    旅行く人々を眺めていた巨樹、

    時代とともに変わってゆく人々をどんな思いで眺めていたのだろう。

    こんな霊木に寄り添って、古の話が聞いてみたいものだ。

    
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街道

2018-09-25 17:12:27 | Weblog
   江戸時代の道、中仙道その街並みが残る木曽の妻籠、

   藤村の故郷馬籠を歩いて来た。





   写真は妻籠、江戸の町並みを保存しながら人が暮らしている。

   3連休で多くの人が歩いているが、外国人も多い。3割くらいは外国人の感じ。

   江戸時代にタイムスリップというよりは、きれいに整えすぎている感じがするが

   何も当時のままがいいわけではないのだろう、現代にその遺産をどう生かすかが問題なのだろう。

  馬籠

  意外なほど傾斜がきつい道の周りに家がある。やはり洗練されて整理されていて

  見るからにきれいだ。その上屋根の向こうには恵那山が望め楽しく歩ける。







   妻籠は長野県南木曽、馬籠は岐阜県中津川市行政が違うと同じ町並み保存も個性がでる。

   集客力でいえば、馬籠が藤村の存在も加わり多いようだ。

   ただ、私は江戸の雰囲気が残るのは妻籠だと思う。

   

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神坂峠

2018-09-25 06:27:45 | Weblog
  古墳時代から信濃と美濃を結んでいたという古道信濃坂

  神坂峠(みさかとうげ)とも呼ばれ峠からは須恵器や句玉なども見つかり、

  古道の場所が比定されている。その峠の信濃側に神坂神社がある。



  巨木の杉と、栃の木の中にひっそりとたたずんで社があった。



               この杉は樹齢2000年とか




  神社の横からは峠への道が細々と続く。

  この道が日本書紀や、万葉集に登場する道かと思うと何故か身が引き締まる。

  日本武尊、源義経の通行記事もある。

  暫く時を忘れて、古い時代に身を溶け込ました。

  
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秋 あき?

2018-09-22 20:44:00 | Weblog
   秋霖の中に日が射した。久々のお天道様。

   窓から見ると事務所の木々が紅葉?

   あー紅葉だ。



   一番に色の濃いのがシラキ、その脇がヤマボウシだ。

   この時期にしては早い紅葉だ、やはり夏の旱魃が影響して早くから葉を落とすのかもしれない。

   秋といえばキノコだ、これもどうやら進んでいるらしい。



   近所の方からいただいた、霜降りシメジ。

   霜が降るころに出るから名ずけられたキノコなのに、もう取れている。

   先日もショウゲンジと言うキノコをもらったが、出るのが早い。

   ふーん、この冬は早く来るのかも。

   白樺湖からも紅葉の便りが届いた。秋は食欲と芸術の季節。

   雨をお供に楽しみたい。

    
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2018-09-16 20:44:03 | Weblog
   15日から長野県歴史館の企画展が始まった。

   「最古の信州ブランド、黒曜石、先史社会の石材獲得と流通」



    霧ヶ峰から八ヶ岳にかけての黒曜石原産地は本州最大規模で、その流通は

    なんと、縄文時代以前の旧石器時代から始まっていたという。

    縄文以前の野尻湖の遺跡ナウマン像の解体にも使われたと言う。3万5千年位前のことらしい。

    縄文時代になると、遠くは青森までも流通していたというから驚く。

    その頃にすでに道は青森までも通じていたわけである。

    旧石器時代の道、縄文時代の道、古墳時代の道、東山道、・・・・

    自分のご先祖が歩いた道を何かを思い出しながらたどってみたくなり、

    古代人の足跡は急には無理ならと、

    時代が下るが、筑北村にある善光寺街道の一部を今日歩いてみた。



     江戸時代には芭蕉も歩いた道である。



     麻績との境にある大切通し、1580年に切り開かれ善光寺街道の名所になっていたという。

     その手前には青柳宿が600mほど続き、傾斜があるためそれぞれの宿は石垣の上にあり、
  
     石組み水路が続く。



     この街道は佐渡からの金を運ぶのにも使われたとある。

     自分がいるこの場所に、江戸時代には金を運んだ馬が歩いていたのだ!!

     近くの古刹碩水寺にも立ち寄って古を偲んだ。



     



    

    
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