山恋風来坊

生業は植木屋。趣味は山歩き、無農薬有機栽培。この頃は古道を探求し、その道、峠、山を古人に思いをはせながら歩いている。

境界

2022-02-26 19:33:27 | Weblog

 いよいよ春到来。急に暖かな日和になった。

 山の会の定例山行で近くの太郎山へ

 天気は暖かく、雲は無し、360度の大展望。

 昨年歩いた八峰キレットもはっきりと見える。

     

 この冬初めて見る北アルプスの全貌に心が躍る。

 なぜ歩いたことがある所ははっきりと思い出せるのだろうかと

 いつもながら不思議に思う。

 朝登りだした所の一の鳥居、たまたま郷土史家の方がいて説明を聞いた。

    

 表参道にいるのだが、この右側は昔の山口村、左側は上田村。

 この境界が入会権の境で、隣村の住人が別の村の中の木などを切ったりすると、大変な騒ぎになったのだという。

 今日のロシアとウクライナの縮小版だ。なぜ隣人同士が殺しあわねばならぬのか。

 梅原猛が死ぬときに言ったように、「人間とは戦争をする動物だ。人以外の動物は戦争はしないのに・・・」

 人は恥を知らないといけないのかも、地球に生かしてもらっているのだから。

      

 南も遠く,仙丈岳までもがはっきりと見えた。春到来である。

 

 


つげ義春

2022-02-23 17:13:48 | Weblog

 日本芸術院が新たに何人かの新会員を選出したとの新聞記事に漫画家の

 つげ義春の名が出ていた。70年代に青春を過ごした来た世代には忘れえぬ漫画家だ。

 ベトナム戦争、公害、学園紛争、安保改定、やたらと政治的時代だった。

 古稀を過ぎて思い出しても、よくあの時代を生きて来たと不思議な感じがする。

 「紅い花」の優しさ。「ねじ式」の不可解さ。「沼」の虚無感。どれをとっても

 彼の漫画は超一流の哲学書だった。ククチサヨコこそあこがれの女性だった。

   

 そのつげ義春論を、正津勉という単独山行を続ける詩人が上梓した。

    作品社、つげ義春「ガロの時代」

 運命のままに生きる姿、そこに漂う悲しみの作品を綴る詩人のつげ義春論である。

 この中で、この詩人はつげ本人とも旅をしていたと明かす。

 あの時代に青春を送ったすべての方にお薦めしたい本である。 


寒い正月

2022-01-04 19:08:34 | Weblog

 今年はなんだか大寒のような寒さが続く

 二日には山の会の定例初登山で近くの市民の山太郎山に登って来た

 下では天気は良かったので、北アルプスの展望を期待していたがダメ。

 正月から運がない。

 寒い日が続くので、暮れに買っておいた本を読んでいる。

 寺島実郎の人間と宗教ーあるいは日本人の心の基軸 岩波書店

    

 日本人の心の基軸とは何なのか?

 西洋的なロゴスの認識から東洋的な全体知的認識まで

 現代の知性のすべてを駆使し、日本人とは何者か?の答えを出した

 私にもわかる日本人論だった。

 コロナの流行中今こそのお薦めしたい本だ。

 信じるとはこういうことだったのだ。

 


良いお年を

2021-12-31 19:49:53 | Weblog

  

 生きるとは命をつなぐこと

 楢の木もヤドリギも生きている

 命をつなぐとは

 多様性を感じること

 多様性とはすべての命を感じること

 コロナも命

 閉じ込めるのではなく共生すること

 共生とはゆるすこと

 ゆるすとは感謝すること

 感謝!

 


なぜ?

2021-12-14 19:54:51 | Weblog

好天気の中、北アルプスの展望台、松本市の戸谷峰に行って来た。

  

山の会の定例山行、この時期この山を選ぶのは今回だけではない。

一ノ瀬から登り野間沢橋に下山した。山頂に雪が少し残っていたが

他は無し、凍っている所もあたが、おおむね安全に歩いて来た。

なぜこの時期の登るのか、なぜ雪の北アルプスを見納めにしたいのか。

   

 やはりこの後立山連峰は山を歩いている人には特別な思いがあるのだろう

 あそこはもう歩いたという人から、今度こそあのピークに登りたい人まで

 とにかく思い出にしたいのだ。皆さん大喜びで歓声を上げた。

   


城巡り

2021-12-08 18:58:13 | Weblog

  会の定例山行は丸子地区の城跡を巡った。

  

 上田の真田丸がNHKで放映される頃から、城跡が方々で、見つかり保存されるようになった。

 正確には村おこしで見直され、案内板が建つようになった。

 丸子公園に続く尾根にも武田信玄と戦をした山城があり、そこを歩いた。

 会員の中で、お城に興味のある人がいて説明もついた。

 昔の戦の結果を示すための首塚の話などもあり、いつもと違った山行になった。

 古稀を過ぎた私のような者も参加して年を忘れて歩いてしまった。

 古の人達に思いを馳せて歩くのもいいものだ。

 途中で、今ディスプレイで人気のヤドリギの最上級品を見つけた、あーー。

      

                   ーーミズナラに寄生中ーー

  


横谷渓谷

2021-11-02 21:53:17 | Weblog

 休日は込み合うだろうと今日横谷渓谷に紅葉狩りに出かけた

       

  天気も良くて、そこそこの込み具合、ゆっくりと楽しんできた。

        

  水の音、モミジ、静寂。いい一日を過ごした。


2021-10-20 20:42:20 | Weblog

 東は朝焼け、西には虹

     

 なんともきれいな朝になった。浅間山も雪で白い

 初冠雪だそうだ。コロナも収まり明るい希望の虹か?

 先日から星野道夫のワタリガラスの本を読んでいる。

         

 インデアンのボブからワタリガラスの話を聞きながら、「目に見えるものに価値を置く社会と

 見えないものに価値を置くことができる社会の違いを僕は思った。そしてたまらなく後者の思

 想に魅かれるのだった。」彼にとっては、すべての存在には魂が宿っていると信じているのだ。

 目に見えないものの中に真理はあるという。

 


ポストコロナの哲学

2021-10-17 20:43:44 | Weblog

 当地上田でも、感染者が0人になった。

 気持ちが楽になった感じだ。

 コロナの対策も議論百出だったが、科学のエビデンスを用いた対策をと

 世界が盛り上がったが、なぜ急に減ったのかはなかなかわからないようだ。

 ワクチンがと言っても、また増えている国もある。なかなか難しい。

 こんな中、福岡、伊藤、藤原という分野が違う専門家が、

「ポストコロナの生命哲学」(集英社新書)という本を出した。

        

 生物学者 福岡伸一、美学者 伊藤亜紗、歴史学者 藤原辰史。

 彼らが言っているのは、我々が住んでいる地球は科学のアプローチ(ロゴスのアプローチ)

 だけではまだ未確認の、まだまだ未理解の存在だ。それを打ち勝つ、倒すという考え方は

 いかがなものか?ウイルスとも共存関係を続けなければいけないということだと言う。

 私は科学とは差異性と同一性の無限の空転にあると考えている。

 今の認識を持ってアンダーコントロールなど本当におこがましい。

 もっと謙虚にウイルスの声を聴くべきだろう。


変ですね

2021-10-16 21:01:47 | Weblog

  過日、紅葉見物に白駒の池に出かけた。

             

紅葉はいつものようだが、茅野側から登ってゆくと、途中の唐松が黄葉ではなくて、茶色に葉を染めている。

それも一部の谷筋が特に激しくて、少し車を走らせると、黄葉していない葉が見えてくる。

何故だかわからぬが、変だ。麦草峠を越えて、佐久側に降りてみても、この縞模様の異変が見れた。

この頃の陽気のせいなのか、何かおかしい。

 宣言解除で人出が多くて、峠から湖までは人の波。途中の道路は車の波、唐松も人見知りして、黄色になったり、茶色になったり

しているのかも。