岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

5 コードネーム殺し屋

2019年07月19日 13時17分00秒 | コードネーム殺し屋/初めて書かされたホラー小説

 

 

4 コードネーム殺し屋 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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 いつの間にか寝ていたようだ。時計を見るととっくに昼を過ぎていた。いつもなら母が怒鳴り込んでくるはずだが……。
 規則正しい生活を母は求めた。毎日カレーとはいえ、ちゃんと私に食事を用意してくれる。それに関してだけは感謝を忘れてはいけない。昼飯の時間は過ぎているが、今からでも食べに行こう。
 部屋を出て階段を降りる。母は出掛けているのか気配を感じない。いつもなら今でテレビをボーっと見ているのにな。
 一階の構造を簡単に説明すると、玄関の右手に階段があり、左手に居間。奥へ行き正面にトイレ。左側がキッチン、右側は母の寝室となっていた。二階には私の部屋と、物置、風呂トイレがある。
 玄関前に行くと母の靴は置いてあった。別に出掛けた訳じゃないのか。そっと居間に入る。「いつまであんたは寝てんだい!」と私の姿を見た母が怒鳴ってくるのを覚悟で……。
「あれ?」
 食卓にはカレーライスがいつものように置いてあるが、母の姿が見えない。どこへ行ったんだろう?
「母さん」
 呼んでみるが返事はない。風呂かな?いやこんな昼間から入らないだろう。ドアを開けキッチンへ向かうと母の姿が見えた。
「ごめんよ、遅くまで寝ちゃってて」
 私が声を掛けても、母は下をうつむいたまま返事をしてくれない。
「あれ、どうかした?」
 母の様子が変だ。壁にもたれ掛ったまま微塵も動こうとしない。
「母さん、どうしたの?う……」
 近くまで行く。私は言葉を失った。

 壁にもたれるようにしている母の足元は、宙に浮いていた。首には紐が巻いてある。母は私の目の前で首を吊って死んでいたのだ……。
《今はとりあえず寝て下さい。それだけで真の自由が手に入りますから。》
 昨夜の奇妙な文章の一部を思い出す。
 事あるごとに嫌味や小言を私にぶつけてきた母。確かに疎ましいと感じていた。死んでしまえと念じた事だってある。だけど自殺しろだなんて私は一度も思った事がない……。
 私はしばらく母をジッと眺めていた。憎く思った事もある。しかし幼き頃から私を育ててきてくれた人なのだ。自然と涙が頬を伝う。兄弟のいない私はこれで天外孤独になった。職がないなどと言いながら、家に甘えていられる状況ではなくなったのだ。
 これは自殺じゃないのでは……。
 最近おかしくなった母だが、首を吊ってこんな場所で死ぬという事が不自然に感じた。
 私は二階の自分の部屋へ向かい、パソコンを起動する。
『絶望』をダブルクリックして開いた。またあの奇妙な文章が新しく何か書いてあるような気がしたのだ。
《あなたは真の自由を手に入れたようですね。》
 思った通りだ。続きが書いてある。
《これからがあなたの本当の人生の始まりです。まずあなたの母親の死体は、そのまま放置して下さい。何も問題ありません。それから一階の居間にあるタンスの上から二番目の引き出しを開け、千円札一枚を取って下さい。その千円で駅前の本屋の横にある宝くじ売場でスクラッチくじを五枚買って下さい。時間は三時ピッタリにです。》
 三時…。今が二時半だから、そろそろ家を出ないと間に合わない。待てよ、私は首を吊った母をあのままにして、スクラッチくじを買いに行こうとしているのか?この文章の通り動けば、多分くじも当たるだろう。しかしこれで本当にいいのか……。
 ここまで先を見透かす文章に逆らうのが怖くなってきた。もう考える時間がない。私は急いで二番目のタンスを開ける。千円札がそのまま五枚入っていた。私はすべての札を掴むが慌てて四枚の札を戻す。あの文章には千円札一枚と書いてあった。忠実に守らなければいけない気がする。私はすぐ家を出た。

 駅へ向かう最中、母の首を吊った姿を思い出し、何故自殺などをしたのか考えていた。あの妙な文章を主。ひょっとしてその主が母を……。
 いや、どうやって母をあのように殺せたと言うのだ?ギリシア神話の本も、パソコンの『絶望』に書かれた文章も、どんな方法であれをやった?すべて先まで見透かすかのような得たいの知れない気味悪さ。
 冷静に分析しよう。
 あの文章に書いてある事は、今まですべて当たっている。しかし何かが起きるにつれて、事前に条件を出していた。
 一回目はハサミを外に向かって投げるというもの。タバコが手に入った。
 二回目は今すぐ寝ろというもの。自由が手に入ると書いてあり、母が死んでいた。
 三回目は宝くじを買いに行けというもの。場所や時間、買う枚数までご丁寧に指摘している。結果が出るのはこれから。今までの結果を元に考えれば、大金が当たる。それ以外考えられない。
 もし私が指示通り動かなかったら?
「……」
 先ほどの母のようになる可能性もある……。
 思わず体が震えた。矛盾している。自殺願望は常にあるくせに、私は死というものに怖がっていた。今までの自殺願望は、単なるその時の落ち込みの深さによって、そう思いたがっただけなのかもしれない。本当に死ぬ気なら私は今、こうして生きていないだろう。しょせん一種の現実逃避なのだ。嫌な現実から目を背けたかっただけ……。
 自殺には勇気がいる。私は母のように首を吊って自殺する事など、絶対にできない。いくらでも死に方を選べる状況でありながら、難癖をつけ、まだ生にしがみついている。
 自己分析をして今、初めて分かった。私はまだ生きていたい……。
 この先いい事が起きるかどうかの可能性なんて分からない。それでも生きていれば何かしらの活路を見出せるのではないかと思っている。何の能力もない私。唯一の武器だった継続して働くという事さえ、会社がつぶれ、駄目になってしまった。無駄に年だけ重ね、四十七年経つ。それなのにまだ希望を持とうと言うのか。
 いや違う。希望とかそんなんじゃない。あの奇妙の文章がこれからも書かれていくのなら、素晴らしい未来が待っているかもしれないのだ。
 私は書いてある通りに従い、それに対するご褒美をもらうだけ。現に今、宝くじを買いに向かっている。百万円ぐらい当たれば嬉しい。そうすれば、しばらく生活に困らない。
 待てよ。どこに当たるなんて保障がある?それにまだ、ここ二日間だけの事なのだ。あの文章がずっと続くなんて、私の都合のいい考えなだけである。
 じゃあどうすればいい?
 考えるのはやめよう。ずっとこうして考えてきたが、それでこの現実だ。脳みそのない人間が色々考えても無駄である。
 駅前の宝くじ売場が見えてきた。
 二時五十七分……。
 今は三時ピッタリにスクラッチくじを五枚だけ買う。それだけを考えよう。

 じっと腕時計を見つめる。時間が経つのが遅い。一秒一秒がとても長く感じた。
 あと二分……。
 三時ピッタリに買わなければいけない。それまでに何名かの客が、くじを買うのだろう。一人の客が売場に来る。スクラッチくじを二袋買った。
 あと一分半……。
 カップルが幸せそうな表情を浮かべながら、ナンバーズの用紙に記入をしている。スクラッチは買いそうもない。
 残り三十秒……。
 そろそろ行くか。その時五人組の男が売場に並び出した。ひょっとしてこいつら、全員買うつもりなのか?
 残り二十五秒、二十秒、十五秒……。
 これじゃ私が三時ピッタリに買えないじゃないか。慌てて私は五人組をどかし、「すみません!おばさん、スクラッチくじ五枚下さい」と千円札を出していた。
「ちょっと、ちゃんと並んでおくれよ」
 売場のおばさんが面倒臭そうに言う。いや、今買えなければ何の意味もない。
「お願いします。五枚だけでいいんです!早く!」
 私の迫力に根負けしたのか、おばさんはブツブツ言いながらもスクラッチくじを出してくれた。すぐポケットにしまいその場を離れようとすると、背後から肩を掴まれる。
「おい、おっさん。何横入りしてんだよ」
「キモイおっさんだな」
 五人組が私を囲み睨んでいた。まだ二十歳ぐらいの若い集団だ。
「す、すみません……」
「ふざけんじゃねえよ、おっさん」
 面倒は避けたかった。喧嘩もまともにした事ない私。謝る事で避けられるのならいくらでも謝ればいい。
「本当にすみませんでした」
「ごめんで済んだら警察いらねえって」
「そうだ。このおっさんの買ったスクラッチ、もらっちゃおうぜ」
「五枚買ってたから、ちょうど俺たち一枚ずつに分けられるしな」
 まずい。このくじだけは死守しないと……。
「か、勘弁して下さいよ」
「おまえが横入りするから、こういう目に遭うんだろ?」
 目上に対する口の利き方も知らない若者たち。きっと一人では何もできないクズ連中だ。
「ちょっと俺らに付き合ってもらうぜ、おっさん」
 私は彼らに囲まれたまま、ひと気のない場所へと移動させられた。四十七歳になって、ふた周り以上年下の連中に絡まれるなんて、私はついてない男だ。
「おい、さっきのくじ出せよ?」
「お願いします。勘弁して下さい」
「勘弁できねえって。安心しなよ。この場でくじを削って外れだったら、くじはちゃんと返すからよ」
「そ、そんなムチャクチャな……」
「先に無茶してきたのは、あんただろうが?違うかよ、おっさん」
「グッ……」
 メガネを掛けた一見真面目そうな男が、私の腹にパンチをしてくる。働いている時は猫をかぶり、プライベートで仲間と集まった時だけはやりたい放題。きっとこの腐った世の中で、うまく世渡りをしている腐った人間なんだろう。
 私は走って逃げた。しかし若さには勝てない。すぐに捕まった。
「やめなさい、あなたたち!」
 その時女性の声が聞こえた。一斉に声の主を振り返ると、もの凄い美人な女性が立ち、こちらを睨みつけている。
「姉ちゃんには関係ねえよ。向こう行ってな」
「多勢に無勢で男として恥ずかしいと思わないの?その人から手を放しなさい。じゃないと大声をあげて人を呼ぶわ」
「け、うっせえ女だな」
「どっちらけじゃん。こんなおっさん放っておいて行こうぜ」
「そうだな」
 五人組はふて腐れたように去っていく。
「大丈夫?」
 私の目の前に差し出された白い奇麗な手。自然とその手に捕まり立ち上がった。目の前の女性を見る。こんな美人が世の中にいるのだろうか。パッチリと開いた大きな目。端正に整った鼻。魅力的な赤い唇。スタイルも抜群だ。しばらく見とれてしまう。
「ねえ、お礼ぐらい言ってよ」
「あ、ありがとうございます」
「ちょっとは私に感謝してる?」
「ええ、もちろん」
「じゃあお礼に、そこでアイスコーヒー奢ってちょうだいよ」
 こんな美人と私が喫茶店に?これも何かの縁だ。願ってもない。
「ぜひ、奢らせて下さい」
 私はお礼も兼ね、彼女の希望通り近くの喫茶店へと向かった。

 こんな奇麗な女性と私は今、一緒に向かい合って話をしている。これって夢じゃないよな?現実だよな?
 彼女の名前は、本庄千夏。年は二十五歳。千夏は一方的に自分の事を色々と話してくれた。話を聞いている内に、どんどん彼女へ惹かれる私がいる。不釣合いなのは承知していた。しかしどうにもこの気持ちがとまらない。
 無邪気に話す千夏。私は黙って笑顔のまま話を聞いた。
 こんな女性とセックスができるなら、死んでも構わない……。
 いや私がこんな事を考えても、無駄なのは分かっている。あくまでも正義感から私を助けてくれただけなのだ。私に好意を持っている訳ではない。
 それにしても何故彼女は、こんな私に自分の事を色々と話してくれるのだろう。お礼でアイスコーヒーを奢ったが、もうここに一時間以上もいる。
「あ……」
 自分の愚かさに気付く。今、私は一円も持っていないのだ。タバコを買う銭もなく、あの文章の通り、引き出しから千円しか持ち出さなかった。その千円はスクラッチを買ってしまった。それなのに喫茶店に入り、ここへ座っている。どうしよう……。
 とりあえずこのスクラッチを削ってみよう。千円でも当たれば、ここのコーヒー代ぐらい何とかなる。
「あら、スクラッチくじ買ったの?北斗七星スクラッチだって。面白そうね」
「え、ええ。滅多に買わないんですけど、何か今日は買わなきゃいけないなあって気がしましてね」
 チクショウ。そういえば、くじを削るコインすら持っていない。彼女の目の前なのに、指で擦る訳にもいかないだろう。
「ねえ、ちょっとした取引しない?」
 千夏が意地悪そうな表情で口を開く。そんな仕草を見るだけで、私は非常に興奮していた。
「取引?」
「うん、取引。あなた、私の事どう思う?」
「え、どうって……」
「女としての魅力なんてまるで感じない?」
「い、いや、そんな事はないです…。こんな奇麗な女性が、私とこんな風に話してくれるなんて思ってもみなかったぐらいですから」
 舌先をちょっとだけ出し、上唇を軽く舐める千夏。もしかしてこの女、私を誘っているとでも言うのか?さすがにそれはないだろう……。
「じゃあ私を抱いてみたい?」
「え……」
 心臓の音が聞こえるぐらい大きく高鳴っていた。この女、どういうつもりで私にこんな台詞を言っているのだ?
「あなたさえ良ければ抱いてもいいのよ?」
「ほ、本当にですか!」
「その代わり、そのスクラッチくじ。全部私にちょうだい」
「え、このくじを?」
「うん」
 ニッコリ微笑む千夏を見て、私は迷わずくじを渡した。この女をこの手で抱ける……。
「取引成立だと思っていいのね?」
「は、はい!」
 本当にこれでこの女を抱けるのか?私の頭は性欲でいっぱいになっていた。

 私の目の前で、千夏はスクラッチくじを削り始めた。七つのワクがあり、全部に星が出れば百万円。六つで十万円。五つで一万円。四つで五百円。三つで百円の配当。星が二つ以下なら外れだ。
 一枚目、外れ。星二つ。
 二枚目、外れ。これも星二つ。
 三枚目、外れ。また星二つ。あの文章がいくら先の展開を読むといっても、さすがにスクラッチで百万を当てるなんて無理だろう。私の考え過ぎだったのかもしれない。
 四枚目、一つ目のワクに星が出る。二つ目も星。残り五つ。三つ目も星。とりあえず百円。四つ目もまた星が出た。これで千円。残り三つ。
「ふふふ、あと三つ。何かワクワクしてこない?」
 そんなの当たる訳がない。早く削り終え、私にその体を抱かせろ。
 五つ目、また星。これで一万円か……。
「あと二つ。気合いで全部出しちゃうからね」
 六つ目も星。これで十万…。私はスクラッチくじを彼女へ渡したのを後悔した。
「ラスト、えいっ!」
 目の前の光景が信じられなかった。星が七つ…。百万!
「あ、すっごーい!ほんとに百万当たっちゃった!」
 店内の客が千夏の叫び声に反応し、振り向く。
「……」
 百万円と引き換えに、私はすべてを失ったようなものだ。何故冷静に考えられなかったのだろう。この金があれば、しばらく生活の心配はいらないというのに……。
 私はしばし声を出せなかった。いくらこの女を抱けると言っても、何の保障もないのだ。
 仮に千夏が約束をちゃんと守り、私に抱かれると想定しても、ホテルへ連れて行く金もない。それにここのコーヒー代はどうする?素寒貧で冴えない無職の中年男。向こうから持ち出した取引とはいえ、私に抱かれるという想像すらできない。
「もう、そんな顔しないでよ。何か私が悪者になったみたいじゃない」
 千夏がボーっとしていた私に声を掛けてくる。今さら返してくれと言っても通じないだろう。
「い、いえ……」
「じゃあ、残りの一枚。これはあなたに返してあげる。これを削って気合いで当てて見せてよ、ね?」
 気合いでくじが当たるのなら、誰だって苦労などしない。それにこんないい女の前で、指で削るのもみっともないものだ。こんな私でも、チンケなプライドがある事に驚く。どっちみち喫茶店を出る時、彼女に金がない事を伝えるしかないのに……。
「もうじゃあこうしようよ。この五枚目も私が削るけどさ。四枚目のは半分こにしよう」
「え?」
 この女はせっかく手に入れた百万の内、五十万を私に返すと言うのか?
「あとで私が換金してくるから、とりあえず今五十万渡すわ。それなら文句ないでしょ?」
「でも、本当にこのくじで百万円になるんですかね……」
「よく見てよ。この北斗七星スクラッチは、七つのワクを削って星が全部出れば、百万円って書いてあるでしょ?全部、赤い星が出ているじゃない」
「ま、まあそうですけど……」
 千夏はセカンドバックから十万円の束を五つ取り出し、無造作にテーブルの上へ置く。この女、いつもこんな大金を持ち歩いているのか?
「これ、あなたの取り分ね。早くしまってよ。みんな、こっちを見ているじゃない」
「あ、はあ」
 私は五十万の札束を鷲掴み、ポケットへしまう。あとで返してと言われても絶対に返すものか。
「心配しないで。最初に言った取引はちゃんと守るから」
「え!」
「とりあえずあなたの家へ行きましょ。今、最後のくじを削るから、ちょっとだけ待っててね」
 これからこの女がうちまで来て、私に抱かれる……。
 想像しただけで鳥肌が立つ。どんなポーズをさせてみるか。いや、それよりもこの女の全裸が早く見たい。下半身がギンギンにいきり立っていた。
「あ、信じられな~い。また星七つだよ?」
「え?」
「二回連続で百万円当たったの」
「……」
 もしこれが夢なら醒めないでほしい。

 家まで徒歩で約二十分。超のつく美人な女、千夏を横に連れながら私は歩いていた。通り過ぎる人々の視線が刺さる。不釣合いなカップルだと言いたいのだろうか。何とでも思うがいい。これから私は、この女とセックスをするのだ。誰もそんな事思わないだろう。
 しかも臨終収入で五十万円もの金が、ポケットに入っているのだ。それにしても千夏の強運とでも言うのか。二回も百万円を当てるなんて信じられない。いや私が元々購入したくじなのだから、運がいいのは自分なのだ。しかも千夏をこれから抱く。今まで生きてきて、こんな運がいい事などなかった。
 家に着くなり玄関先で押し倒してやるか。それとも手足を縛り、身動きさせなくしてから、じっくり弄ぶのもいい。こんなゴージャスな女が抱けるなんて、ありえない事だ。
 母もこんな女を連れて返ったら、ビックリするのでは……。
「……!」
 違う。母は首を吊って死んだままの状態なのだ。千夏との出会い。スクラッチが当たるという非現実的な事で、すっかり忘れていた。あれを彼女に見られたらまずい。セックスどころの騒ぎじゃない。
 どうする?金はたっぷりあるのだ。ホテルへ向かえばいいか……。
「あ、あのですね」
「ん、どうしたの?」
「家、散らかっているので、ホテルかどこかにしません?」
「別にあなたの家でいいわよ。散らかっているのなんて、当たり前じゃない。見た感じ、奥さんがいるって感じでもなさそうだし。独身なんでしょ?」
「え、何でそれを?」
「何となくだけど、そうなんじゃないかなって思っただけ。もうちょっとであなたの家に着くんでしょ?」
「ま、まあそうですけど…。でもせっかくですから、ホテルにしましょうよ」
「嫌。私はあなたの家に行ってみたいの。私が家に行くと嫌?」
 普段ならいつだってOKだ。しかし今だけはまずい。でもこの機会を失うと、絶対にこのクラスの女など生涯抱く事はないだろう。その機会をみすみす逃すのは嫌だった。考えろ。不謹慎かもしれないが、母の死体を何とかするという行為より、今はこの女を猛烈に抱きたかった。
「じゃ、じゃあ家でいいです……」
 とりあえず返事をしとく。母が首を吊っているのがキッチン。玄関からは見える位置ではない。千夏にはすぐ階段を上がらせ私の部屋へ連れ込めばいいだけだ。それなら自然だろう。でもこんな事になるなら万年床でなく、布団ぐらい干しておけばよかった。
 そうこうしている内に、家へ到着する。私は辺りを見回し近所の人間がいないのを確認すると、千夏を中へ招き入れた。
「ん、変な匂いしない?」
 確かに妙な匂いが漂っている。首吊りをすると、すべての汚物が垂れ流し状態になると聞いた事があった。ひょっしたら母が、糞尿などの老廃物を垂れ流しているのかもしれないな。だとすれば、余計ここにいてはいけない。早く二階へ上げないと……。
「近くで下水の工事か何かしているんだと思いますよ。さ、早く上へ行きましょう」
「あなた、家族と同居しているの?」
「え、ええ…。母と二人暮らしなんです」
「ふーん」
「さ、早く靴を脱いで二階へ」
 私は千夏を諭し、階段を上がらせた。

 六畳の自分の部屋へ千夏を入れると、私はドアを閉める。彼女は立ったまま、室内をキョロキョロと見回していた。別段気味悪そうな表情をしている訳ではなさそうだ。
 このまま一気に押し倒し、服を引ん剥きたい。しかし彼女から湧き出ているオーラは、並大抵のものじゃなかった。性欲だけが頭の中でグルグル回っている。
「随分と男臭い部屋ね。私、ここであなたに抱かれちゃう訳だ」
「ほ、本当に僕なんかでいいんですか?」
「だって取引成立したじゃない。この体を好きにしていいのよ」
 足のつま先から頭までじっくり舐め回すように見ながら、私は生唾をゴクリと飲み込む。
「自分で脱いだほうがいい?それともあなたが脱がしてく……」
 言葉など何もいらなかった。千夏の魅惑的な唇を自分の汚らしい口で覆いつくす。後頭部に電気みたいな衝撃が走る。理性など一気に吹っ飛んだ。何てうっとりする感覚なのだろう。キスをしただけで、いってしまいそうだ。
 千夏の小さな手が私の股間を服の上からまさぐる。その瞬間、私は射精していた。
「あら、早いわね。もうこれでいいの?」
 私の下半身は静まるどころか、より一層ギンギンにたぎっていた。
 万年床に千夏を押し倒し、上着を両手で引き裂く。あの五十万円があれば、こんな服ぐらいいつだって弁償できる。ブラウスのボタンとボタンの合間に手を入れ、それも引き裂いた。白い高級そうなブラジャーが見える。この奥に彼女の乳首があるのか……。
 千夏の胸は反則的な大きさだった。ブラジャーをも剥ぎ取り、上半身をあらわにさせる。
 彼女も興奮しているのかピンクの乳首が立っていた。私は固くなった乳首に指を這わせる。「あっ」と千夏が短い声をあげた。その瞬間、再び私は射精していた。パンツの中は、私の精液だらけだ。もうどうなってもいい。この女の体を隅から隅まで見てみたい。
 黒いスカートを巻くりあげる。黒のいやらしい網タイツ。その奥に白のパンティが透けて見えた。網タイツを脱がす余裕もなく、ビリビリに破く。千夏のパンティには染みができている。彼女の愛液がパンティを濡らしているのか?こんな私の乱暴な行為で感じているというのか?
 またそこで三回目の射精をした。若い頃ならいざ知らず、四十七にもなって何度いけば気が済むのだ。それでもまだ私の精力は納まりそうもない。
 私は千夏のパンティに鼻を押し付け、匂いを思う存分嗅ぐ。薄っすらと湿った部分に舌を伸ばし、ゆっくり這わせる。四度目の射精。
 何度も興奮の絶頂が波のように押し寄せ引いていく。
 この辺りから自分がどう動いたか、あまり覚えていない。数日間に渡り、千夏の体をずっと弄んだ。
 いつの間にか一人で、私はこの部屋で泥のようにぐっすりと寝ていた。千夏の姿は見えない。
 今までの事は夢?それとも幻覚だったのか……。
 必死に千夏との性行為を思い出そうとした。私は彼女の中へ挿入したのか?それさえ分からない。すぐ射精し、ドッと疲れを感じ、たわわに実った千夏の胸の上に体ごと倒れ込む。それの繰り返しだった。
 今、彼女はどこに?
 何となく分かったのが、千夏とはもう会えない気がした。
 おとぎの国に迷い込んだような数日間だった。どのくらい私は彼女と一緒にいたのかさえ、おぼろげなのである。
 脱ぎ捨てたポケットに手を入れると、あの五十万円が入ったままだ。この手に未だ残る千夏の体の感触。これは夢じゃない。リアルな出来事だったのだ。
 日にちを確認しようとパソコンを起動させる。まだ起動には時間が掛かる。ボーっとした頭をスッキリさせる為、顔を洗いに向かう。ちょっと体を動かすだけで、体が重く感じた。

 廊下へ出ると、異臭が漂っている。そうだ。私は母をあのままにしっ放しだったのだ。急いで階段へ向かう。途中でよろけ、壁に手をつく。体の調子が変だ。
 洗面所の前を通り、自然と鏡を見る。
 自分の姿を見てギョッとした。妙に自分の顔がやつれ、老け込んだように見える。白髪も増えていた。
 何度出したか分からない射精。そのせいだろうか?それにしてはおかしい。その場に立っているだけなのに、安定感がない。体がだるいのだ。
 とりあえず顔を洗い、階段へ向かう。フラフラしながら壁に手をついて歩く。
 ここ数日間、千夏とのセックスに溺れ、母をそのままにしていた。不肖の息子。実の母が自殺したというのに、見知らぬ女を家に引っ張り込んでいるのだ。それにしても臭い。この異臭は母の体が腐っていく過程の臭いなのだろうか?
 しかし下に行ったとして、私はどうすればいい?首を吊った母を……。
 どちらにしても、このままの状態はよくない。鼻につく異臭。この臭いが家の中に染み付くのも嫌だった。
 一階へ降り、キッチンへ向かう。臭いはどんどんきつくなる。私は鼻を指でつまみながら歩いた。
「あれ?」
 キッチンの壁に寄り掛かるようにして、首を吊っていた母の姿がない。どこへ行ったのだ?あの時母は、どう見ても死んでいた。
 誰かが家に侵入したとしか思えない……。
 正直途方にくれた。
 こんな事、誰にも言えない。それに友人のいない私は、相談すべき相手さえいないのだ。どうしたらいい?頭の中が非常に混乱している。
 とにかくこの異臭を何とかしよう。私は首を吊っていた場所を見て、母が垂れ流したと思われる老廃物を見た。
「……」
 たった数日間で、糞尿が形としてなくなっている。床に気味悪い染みのようなものがついているだけ。異臭の元は、この床から漂っているのだろうか。
 母の死体はどこに?
 この異臭の元はどこから?
 得たいの知れない何かに私は恐怖を感じ、怯えた。
 勇気を出して、家の中をくまなく探してみる。しかし母の姿は見つからない。
 一旦自分の部屋へ戻る事にした。
 ちょっと整理してみよう。すべてのきっかけは、あの妙な文章から……。
 深夜ドライブに行き、途中で停車して読んだギリシア神話。
 そのあとパソコンのワードファイルである『絶望』。
 文章の言う通りに動き、最初はタバコを手に入れた。
 次にスクラッチくじで二百万が当たる。いや、その前に自由が手に入ると書いてあり、母がキッチンで首を吊って死んでいたのだ。
 千夏との出会い。まだ削ってもいないスクラッチくじ五枚と引き換えに、彼女は自分の体を差し出した。余裕があったのか、彼女は私に五十万円をくれる。そして本当にこの部屋でセックスをしたのだ。
 信じられない事ばかり起きている。あの文章を見て、それに従うようになってから……。
 そうだ。あの文章だ。スクラッチくじを買いに行けという以降、私は文章を見ていない。あのあと何か書き込まれている可能性があるだろう。
 私は『絶望』を開き、一番下までスクロールさせた。

《これからがあなたの本当の人生の始まりです。まずあなたの母親の死体は、そのまま放置して下さい。何も問題ありません。それから一階の居間にあるタンスの上から二番目の引き出しを開け、千円札一枚を取って下さい。その千円で駅前の本屋の横にある宝くじ売場でスクラッチくじを五枚買って下さい。時間は三時ピッタリにです。》
「……」
 何もこのあと書いていないじゃないか……。
「何で何も書いていないんだ!人の人生を弄びやがって!おい、答えろ」
 気付けばパソコンのモニターへ向かって叫んでいた。いくら叫んだところで、相手はコンピューターなのだ。何も返事などしやしない。
「え……」
 急にモニターが真っ暗になった。何だ?スクリーンセーバーが自動で起動するまで、私は待ち時間を二十分後に設定してある。ちょっと起動するには早いだろ。
 マウスを軽く動かしてみた。直らない。キーボードを適当に押してみる。駄目だ。
 不思議なのが、ずっと真っ暗な画面のままという事。購入してから四年半以上経つ。このパソコンも、そろそろ寿命なのだろうか。
「ん?」
 その時、画面右側から赤い何かが、左に向かってゆっくりと動いている。
 何だ何だ?私はモニターをジッと凝視した。赤い何か…。それは画面いっぱいの大きな字だった。
『あ』という文字が、ゆったりした速度で左へ動いている。続いて『な』。
 あまりにも遅い速度なので、じれったさを感じる。例の文章と何か関係でもあるのか?今の私は、この遅い速度の文字を我慢して眺めるしかなかった。
 一字ずつ流れる文字を私は、メモ帳に書いていった。
《あなたは何故言われた事だけをできなかったのでしょうか?》
 一時間ぐらい掛けてようやくこれだけ流れる。でも待った甲斐があった。これはきっと例の文章だ。それにしても言われた事だけをできない?あのあと何も書いてなかったじゃないか。
《非常に残念でなりません。》
 残念なのは私だ。本来なら二百万円が今、ここにあったはずなのに……。
《スクラッチくじは、何があっても手放してはならなかったのです。》
「……」
 千夏と取引した事を指しているのか?それにしてももっと早く文字を流せないのか。ここまでで二時間半は経っているぞ。
《まあいいです。》
「ん?」
 少し文字の速度が速くなったような気がする。
「今度は妙に長いな……」
 文字の速度はどんどん速くなり、ストレスを感じないスピードになっていく。
 私は必死にモニターに流れる文字をメモ帳に書き取っていった。

 

 

6 コードネーム殺し屋 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

オリュンポス十二神の一柱でもあり、ゼウスとヘラの間に生まれた初めての子である鍛冶の神ヘパイストス。彼は生まれながらにして両足の曲がった醜い奇形児でした。自分で産...

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