
2024/12/04 wed
前回の章
池袋の出会い系詐欺サイトのオタク社長の自殺。
影原美優はこれから古木を取るか、子供を産むかの選択を強いられる。
暗いニュースばかりが俺の周りを取り囲む。
久しぶりに岩上整体時代の患者だった小川京子こときょうちんから連絡があった。
そういえば俺が整体を辞めても、やってもらうとミクシィで豪語していたっけな。
「お久しぶりです。首と腰ですか?」
「先生ってエスパーですか!」
「だってそれ以外俺に用なんてないでしょう」
もう整体は無い。
本当は家で元従業員用の住み込み部屋として使っていた建物を新築した際、岩上整体として使いたかったが、今では一番下の弟の貴彦がイタリアンだかカフェを運営する為に使われた。
結局きょうちんの家に、俺が出向いて施術するという流れになる。
「浮気かってまた旦那さんに文句言われないですか?」
意地悪そうに言うと、きょうちんはサバサバしたものだ。
「前に整体へうちの旦那一度連れてってるじゃないですか。あれから先生とはそういうんじゃないって信用もらってますからね」
「行ってきょうちんさんの身体を施術するのは構わないんですけど、さすがに高周波は持っていけませんよ」
「もう腰がバキバキなんですよ。先生しか私の身体を治せる人が地球上でいないんですから」
「また大袈裟な…。まあ今度休みを言いますので、調整しましょう」
思えば彼女がいたから俺の処女作『新宿クレッシェンド』が本という形になったと思う。
度重なる校正作業に嫌気を差し、原稿をぶん投げた時タイミングよく整体へ現れた彼女。
俺は当時すっかり投げやりで、もう本になんてならなくてもいいと放棄し掛けていた。
「先生が本を出さないと、私が困ります! 私、みんなに…、友達に旦那にだって…、本当色々な人に自慢しちゃってるんです! だから嫌なのは分かります。でも、頑張って本を出して下さいよ!」
あの言葉で俺は本当に救われたのだ。
きょうちんの身体がバキバキ?
そんなの時間さえ合えば、いつだって治してやるよ。
うん、暗い話だけじゃないじゃん。
周りを見渡せば、いくらだって明るい材料は転がっている。
物事をネガティブに取り過ぎていたから、変な奴ばかり寄ってくるんじゃないのか?
俺自身がもっとしっかりしないといけない。
俺は同級生の飯野君やおぎゃんへ連絡し、時間が合う時は食事へ行き、価値観の合う人同士との会話を楽しむように心掛ける。
休みの時は先輩の岡部さんの店『とよき』で飲んだっていい。
葛西に引っ越しちゃったけど、坊主さんところ顔出したっていい。
俺が笑顔でいられる環境へ。
牧田順子と会って一週間ほど過ぎた日の夜だった。
古木から何度も着信が入る。
俺はあえて電話に出なかった。
面倒臭い用件なのは百も承知している。
関わってはいけない。
残る問題は影原美優の妊娠問題だけ。
しかしそこはもう俺が関知すべき話ではないのだ。
メールが届く。
『岩上さんのおかげで私は酷い目に遭っています。このまま外に放り出されたまま、餓死してお腹の子と共に朽ち果てていくのでしょうね。 影原美優』
「はあ?」
何、この不穏なメールの内容は?
俺のせいで酷い目に遭う?
言っている事おかしくないか?
また古木からの着信。
面倒だけど、状況だけでも聞いておくか……。
仕方なく電話を取る。
「あ、岩上さん、何度もすみません」
「今さ、影原さんから恨みつらみのメール来たけど? 一体君ら何なの? 本当に迷惑なんだけど? いい加減にしてくれないかな」
「前に岩上さんが二択だと言ったじゃないですか。子供か俺かと」
「だから…、そうやって俺を前面に出して話をするのは本当に止めて! 自分たちがやった事でしょ? 何で俺が言ったからになるの?」
「ええ、そうなんですが、美優にタイムリミットもあるので、おろせと迫ったんです」
「それで断ったから追い出したと?」
「え、何故分かるんです?」
「さっき影原さんから直接メール来たからだよ」
「これからどうすればいいのか…。今もドアをバンバン外から何度も叩いています」
「だっておろすか一緒に住むかの二択をさせたんでしょ? 彼女には悪いけど、ハッキリどうするのかだけしたら?」
「ええ、おろすと約束しない限り、絶対部屋の中へ入れません。チェーンもしていますんで」
何でこの男は正念場なのに、どこか他人事なのだろう?
俺はこの件に無関係だと何度言っても頼ってくる。
一人だけじゃない。
三角関係の三人共、全員がそれぞれ依存してくる。
「あっ! 何だ、コイツ…。隙間から手を伸ばしてチェーンを外して入ってきやがった!」
ここで電話が不意に切れた。
ドアの隙間から手を伸ばし、チェーンを外す?
一体どんな状況だよ。
下手なホラー映画より怖いじゃん。
まあいい。
彼らには彼らの道がある。
俺とは違った道が。
放っておけ。
風呂でも入ろう。
服を脱ぎ、風呂場へ行く。
当たり前のように今日も、湯船の風呂栓は隠されていた。
翌日古木から電話が何回あっても、出ないでやり過ごす。
牧田順子からも着信があった。
あの女、俺を軽蔑しますなんて言っといて、どんな了見で掛けてきたのだ?
もちろん無視。
影原美優からはメールがあった。
『古木と岩上さんの説得により、子供をおろす事が決定しました。 影原美優』
古木は分かるよ、当事者だし。
何故そこに俺の名前が入っているの?
俺、もう関係無いじゃん……。
あえて返信せず無視する。
しかし影原からは翌日もメールはあった。
『手術日が決定しました。あと一週間後です。 影原美優』
だからそれは俺にじゃなく、本来の父親になる予定だった古木に言えばいいじゃん。
わざわざ何故俺に伝える必要性があるのだ?
今日はこれからきょうちんの施術をしに行く予定。
あまり変な気をもらわないようにしないと……。
指定された住所へ向かう。
小川と表札の家のインターホンを鳴らす。
マンションでなく一軒家だったんだな、きょうちんの家は。
「わー、先生お久しぶりです! さ、入って入って」
中へ招かれると、もう一人女性がいた。
きょうちんが紹介したママ友の女性患者まぐモグだ。
苗字何だったっけな……。
「きょうちんから先生が今日来るって聞いて、じゃあ私もって来ちゃいました!」
「分かりましたよ。順番にちゃんと施術しますから」
高周波無しの俺の手技による施術を開始。
やる事はそう変わらない。
「あー、痛い痛い! でもこれが後々効くんですよね」
「よく覚えているじゃないですか。もうちょこっと痛くしますよ」
「えー、先生それ以上は駄目! あー、痛っ!」
「きょうちんさん、あと一分このまま我慢」
最後に骨盤調整などをして、骨の位置を治す。
まぐモグも同様に施術した。
「先生、今日は本当にありがとうございました」
「うーん、ほんとスッキリしたー」
俺は施術代三千円ずつもらい、きょうちん宅をあとにした。
KDDIでの日常。
淡々とこなしつつ時間だけが過ぎていく。
『子供をおろすまであと三日です。 影原美優』
彼女からはカウントダウンのようなメールが毎日来る。
だから俺は、君の彼氏でも父親でも何でも無いんだって。
家に帰れば帰ったで、何かしらの問題は変わらずある。
毎日のように隠される湯船の風呂栓。
一階に叔母さんのピーちゃんがいて、俺の存在に気が付くと何かしらの小言は言ってくる。
もうすべて気にしない事にしていた。
気にするからこそ、苛立ちもする。
何か背後で言っているなあで、済ませればいい。
あ、今日も風呂栓隠しているのね、毎日毎日ご苦労様。
思い方一つで、人間はどうとでも生きられる。
楽しい事を考えながら日々を過ごせばいいのだ。
次の休みは岡部さんのところへ顔を出しに行こう。
竹花さん相変わらずいるのかな?
あ、そういえば望の離婚問題以来、小説を全然書かなくなったなあ。
望が喜んで読んだ『パパンとママン』。
あれも結局九章を書き終えて止まったままだ。
いや、小説なんてもんは書きたくなったら書けばいい。
あれだけ毎日執筆していたのに、いつの間にかしなくなったという事は、おそらく自分にとって時期じゃないのだろう。
たまには群馬の先生のところ行ってみようかな。
あの先生の言葉は時たま鋭いが、意味を把握するのが難しい。
流れを大事にと言われたが、どう大事にすればいいのか未だよく分かっていない。
愛に苦しむは、確かに苦しんでいるよな……。
百合子と別れたあと言われたが、品川春美とは再会しまたその気になって告白したが、彼女は結婚してしまった。
適度に女は不特定に抱いたが、彼女的な存在は特にできていない。
望も離婚問題から連絡取れていないままだしな……。
お互いの近況を語り合い、癒し合えるような彼女が欲しいなあ。
究極の絶望は真の優しさを得るって、俺のどこが優しいのだ?
中途半端に物事を引き受け、嫌になって投げ出している。
そういえば小説の印税っていつ入ってくるんだ?
未だ俺の銀行口座一つ聞いてくる訳じゃないし……。
一体あの出版社サイマリンガルは何を考えているのだろう。
今度時間ある時に、出版社へ電話を掛けてみるか。
小説を書いていないけど、頭の中に構想はある。
『新宿クレッシェンド』の続編…、さらに先の話になるものを。
そう…、岩上整体の時のあの体験と感覚を忘れてはいけない。
俺が閉めたせいで、多くのいい人たちが去っていった。
トヨタの主幹中原さん、そして銀行員の渡辺信さん、こしじの岩沢さんは今度お店に行けば会えるか。
未だ俺は患者さんたちに感謝をしている。
ふと何かが舞い降りた。
そんな気がする。
自然と頭の中でイメージが沸く。
俺は久しぶりにフォトショップを起動してみた。
後ろ姿の白衣を着た俺。
真っ黒な空間の中、先に扉が開いていてそこから光が差すような絵。
イメージしながらマウスを動かしていく。
タイトルも自然と浮かぶ。
『先生と呼ばれて』。
一番これがしっくりくる。
先生なんて呼ばれる柄じゃない俺が、そう呼ばれるようになり、何を思い、何を感じたか。
時間をいくら掛けてもいい。
最近未完成の作品が多くなっている。
この作品だけは、どれだけ時間が掛かろうとも、いつか書き切ろう。
背表紙には座右の銘や、自分が大切にしている言葉を。
百見は一実に如かず。
百聞は一見に如かずを俺なりにアレンジした言葉。
人に何度も聞くよりも、自身の目で見た方が分かり易く確実だということわざ。
それを言うなら、百回見るよりも、一回体験したほうがよりいいはずである。
仁義礼智信、厳勇。
儒教の五常からきた仁義礼智信。
仁とは思いやりの心、相手の立場に立って物事を考えられる優しさ。
義とは義侠心、人の歩む正しい道、私欲に捉われず為すべき事を為す、正義、道理、筋。
礼とは礼節の心、親や目上に対し礼儀を尽くし、相手には敬意を持って接する心。
智とは人や物事の善悪を正しく判断し、善悪を真に理解する知恵。
信とは嘘をつかず、心と言葉、行いが一致している、約束を守り、誠実である事。
この五常を守れる者は人間としての強さを得る。
この五常を守る上で必要なのが、厳勇。
厳とは自己を厳しく諫める。
勇とは勇気、勇敢さを持つ。
幼い頃家の目の前の映画館ホームラン劇場で観た『里見八犬伝』。
八つに別れた玉。
仁義礼智忠信孝悌。
これを当時観た時の印象が強かったのだろう。
俺が大切にしている言葉である。
為せば成る、為さねばならる、何事も。
成さぬは人の為さぬなりけり。
おばあちゃんが生前俺によく言った言葉だ。
どんな事でも強い意志を持ってやれば、必ず結果が出る。
やる気を説いた言葉だ。
『先生と呼ばれて』の表紙を描いた事で、俺はある意味初心に返らされた気がする。
偉そうに作品の背表紙にこれらの言葉を使った俺。
一つでも守れているのかな、俺は……。
まず仁義礼智信の礼が駄目じゃん。
親に対しての礼節、礼儀などまったく踏まえていない。
ただ、これらの言葉はいつからか、ずっと俺が座右の銘として大切にしてきたものである。
俺にとっての親とは、あの親父と加藤皐月、そしてうちら三兄弟を捨てて出て行ったお袋を指す。
その三人に対し、どう礼節を取れと言うのだ?
それでもいつかすべてを許し、親に対してさえ礼を尽くせる日が来るのだろうか?
もしこの憎悪の感情ですら礼節に変えられたら、俺はどうなるのだろう?
あの親に対し礼節?
一瞬ブルっと身体が震える。
何の為の震えだよ……。
生涯掛かったって無理に決まっている。
何しろ俺の小説は、憎悪から生まれたから……。
群馬の先生は言った。
俺は書く度に自身を浄化していると。
幼少の頃から根底に暗く潜んでいた憎悪。
処女作『新宿クレッシェンド』と共に浄化されていた。
だからそんな作品が賞を取ってしまい、母親の手元へ本が行った時を想定した上で、やり過ぎてしまったという感情があの時湧き出たのだ。
会ったのは、俺が二十代半ばが最後だっただろうか?
親父は俺より二十四年上。
ちょうど二周り違う猪年同士。
お袋はその一つ下だったから、二十三年上。
こうしてお袋の事を少しは考えられるようになったのも、俺が書く事で浄化できたからなのか。
仁義礼智信、厳勇……。
俺はできるだけこの言葉に沿って生きよう。
答えなど、人間誰一人してこの先分からないのだから。
予定だと今日影原美優が、子供をおろす日だ。
百合子の時を思い出す。
あれほどの地獄絵図があるだろうか?
以来俺はずっと十字架を背負って生きている。
間接的にとはいえ、影原美優を同じ目に遭わせてしまうのだ。
何とも言えない気分のまま、タバコに火をつける。
煙をゆっくり吐き出した時、携帯電話のバイブが鳴った。
きっと影原美優だろう。
『岩上さん、大変申し訳ないのですが、本日の病院の付き添いお願いできませんか? 古木と急に連絡つかなくなりまして……。 影原美優』
「……!」
俺が彼女へ付き添う?
古木はこんな日に何をしてんだ?
責任感の欠如。
仮に逃げたのだとしたら、本当に頭がおかしい。
俺は古木へ連絡をしてみた。
出ないものとおもっていたが、反してすぐ電話には出る。
「もしもし、岩上だけど!」
「あ、先生ですか! 牧田です。牧田順子です。今、古木と一緒にいるんですけど……」
何故古木に電話をして、牧田順子が電話口に出るのだ?
しかも一緒にいる?
状況がうまく把握できなかった。
「あれ? 先生!」
「何で古木の携帯に君が出る?」
「え? どうしたんですか?」
「別れたんじゃねえのかよっ!」
気が付けば怒鳴り飛ばしていた。
影原美優が子供をおろす手術をする当日に、コイツら何をしてんだ?
「いや…、あの…、先生……」
「古木に代われ!」
「で、ですから……」
「古木に代われっつんてんだよっ!」
「は、はい……」
身体中の血液が沸騰していた。
何なんだ、コイツら…、それでも人間かよ……。
「お、お電話代わりました…、古木です……」
「おまえ、何を考えてんだよっ! 今日は彼女が子供をおろす日だろうがっ!」
「いや…、てすから…、少し混乱してしまって……、じゅ、順子に……」
「順子にじゃねえよっ! おまえら別れたんじゃねえのかよっ! こんな日に何をしてんだよっ!」
狂ったかのように罵った。
いくら何でもこれじゃ、あの子が可哀想だ。
情けない古木は手術当日影原美優の前から姿を眩ませ、別れたはずの牧田順子の元へ行った。
いや、そもそも俺へのパフォーマンスで別れたと言っていただけで、影でコソコソ会っていたのかもしれない。
よくこんな非道な真似ができたものだ。
「先生、牧田です。今日であの女は……」
「テメーは俺に話し掛けんじゃねえよ、馬鹿野郎!」
電話を切る。
そしてすぐ影原へ電話を掛けた。
「あ、岩上さん……」
「体調は大丈夫? 今から迎えに行くから。今日俺、たまたま休みだったから良かった。ちょっと待っててね」
支度して部屋を飛び出し、車へ飛び乗った。
古木のマンションは覚えている。
車で十五分程度の距離だ。
さすがに影原美優が可哀想だった。
このまま放っておくわけにもいかない。
自分たちが子供をおろしたあの時がフラッシュバックする。
生気を失ったかのように歩いてきた百合子。
男は女性の何万分の一さえ、痛みを感じられない。
せめて寄り添ってあげ、気遣う事しか男にはできないのだ。
仁義礼智信。
智で、物事の善悪を判断する。
仁で、相手を思いやる。
義で、正しい人の歩む正しい道筋へ誘え。
俺は後悔したくないから、思うまま動こう。
元々痩せ型でほっそりしている影原美優は、さらにゲッソリして見えた。
無理もないだろう。
誰一人味方がいないのだ。
あんな古木に依存した時点で大間違いなのは想定つくが、それを考えた上でも酷い扱いだ。
騙された形でこの三角関係に関わされた。
二度と関わり合いになりたくなった。
しかしこの状況下を知りながら、見ないふりはできない。
絶対に俺があとで後悔するだろう。
「ほんとにすみません、岩上さん……」
「いいよ、別に。俺がそうしたいから勝手にしているだけだ。気にすんな」
つい、ぶっきらぼうな言い方になる。
皮肉な事に、俺と百合子の子供をおろした愛和病院に到着した。
「待っているよ、ここで」
「はい……」
俺は当事者でないので、駐車場で待機する事にする。
タバコへ火をつけた。
あ、このあと戻ってくるのか……。
車から出てタバコを吸う。
影原美優は今どんな気持ちでいるのだろう。
信じていた古木に裏切られ、自殺未遂までした。
妊娠するよう促したのは彼女かもしれない。
しかし古木はそれさえも裏切った。
スイートキャデラックやどさん子ラーメンで共に酒を飲んだのが、馬鹿みたいだ。
ここまで屑だったとは……。
顔面を思い切り殴ってやりたかった。
何とも言えない気分のまま、車の中で待機する。
百合子の時よりは当事者でない分、マシなだけ。
そもそも人の生き死になど、関わってはいけなかったのだ。
古木英大と牧田順子のカップル。
あいつらは一体何なのだ?
愛は勝つ?
どこに愛があると言うのだ?
頭に乗り性欲まみれの馬鹿な男。
それに追従する元レスビアンの女。
人として醜過ぎる。
確かに影原にも問題や責任はある。
しかしあいつらは人としての度を超えている。
俺も孤独を経験したからこそ分かる部分があった。
間違いなく影原美優は孤独である。
縋った相手に裏切られ、子供までおろし、そんな状況でも男は別の女と密会しているのだ。
彼女を駄々っ子と評した。
その代償の一つが今である。
何回車の外へ出て、タバコを吸った事だろう。
このような場に俺が立ち合うのも、業の一つなのかもしれない。
これまで自慢できるような生き方などできていない。
せめて自分が自分を軽蔑するような、嫌うような生き方だけはしたくなかった。
コンコン……。
車のドアをノックする音が聞こえる。
見ると影原美優が立っていた。
彼女が病院を出て車に乗せてから、あまり覚えていない。
とにかく俺は影原を気遣い、お腹は減っていないか、帰る場所はどこがいいのか聞いた。
それでも古木のマンションへ戻ると言うので、素直に送っていく。
「俺はこれで帰るけど、本当に大丈夫?」
「大丈夫です。色々ありがとうございました」
当然のように古木は帰っていない。
どこまで屑にできているのだろうか。
遣る瀬無い気持ちのまま家へ戻る。
数日してから古木は帰ってきたと影原から報告があった。
俺には関係無いにしろ、古木と影原の同棲生活が始まる。
俺は古木と牧田順子は相手にしない。
しかし影原美優からの連絡だけは、キチンと対応する事に決めた。
この日から変わった事と言ったら、ミクシィにマイミクとして影原美優が加わった事くらい。
俺はKDDIへ変わらず勤めに行き、影原は古木に養ってもらう形で居候をしている。
子供をおろしたのは不本意だろうが、あとは本人の望む形になった訳だ。
他人の色恋関係など、関わっても良い事など一つもない。
無性に望と会いたかった。
俺自身問題が山積みである。
望の件は向こうからの連絡待ちするしかない。
あとは出版社サイマリンガルの対応である。
未だ印税を払う素振りもなく、担当編集の今井貴子も連絡一つ無い。
働きながら、支障出ないレベルで出版社との話し合い。
岩上整体開業、小説のグランプリ授賞、総合格闘技への復帰。
マスコミまで注目した俺の一連の行動。
どこからこんな風に崩れ落ちてしまったのだろうか?
二千八年末で新宿コマ劇場を閉場する。
コマ劇場内にあるフライキッチン峰。
歌舞伎町へ来てから散々お世話になった店だ。
当然の事ながらこのお店も無くなってしまう。
ゲーム屋『ワールドワン』時代、部下たちを連れ何度通った事だろうか。
俺は『新宿クレッシェンド』を持ち、峰を訪れた。
映像を撮りながら中へ、せめて映像という形としてだけでも残しておきたかったのだ。
クレッシェンドの作中にも、峰モチーフの店が出て来る。
俺はシェフに本をプレゼントした。
もうこんないいお店、出てこないだろうなあ……。