korou's Column

2024.5.1 音楽ブログとして再スタート。

牧村憲一氏の仕事

2019-08-15 | J-POP

「渋谷音楽図鑑」(太田出版)という本を読んだ。

3名の共著ということになっているが

実質、牧村憲一氏の仕事を総括する本でもある。

 

牧村氏は1970年代から1990年代まで活躍された

知る人ぞ知る音楽プロデューサーなのだが

私自身は

この本を読むまでは

全くその仕事について知るところがなかった。

読んでみて

あれも牧村さんの仕事か、これも牧村さん?と驚くほど

いろいろなアーティストの企画に携わっていた方だと分かった。

 

牧村さんの最初の大きな仕事といえば

このあたりか。

(牧村さんは六文銭のマネージャーをしていた時期があった)

上條恒彦&六文銭 出発の歌.m4v

その後、ユイ企画に移り、かぐや姫の「神田川」をヒットさせる。

かぐや姫 - 神田川

しかし、そこからフォーク畑の仕事から離れ

CM業界に転身。

大滝詠一を起用して成功を収める。

サイダー73CM 大滝詠一

 

大滝のバックでコーラスを担当していたのが

山下達郎、大貫妙子らがいたシュガー・ベイブだった。

牧村さんは、すぐにその才能に気づいて

山下、大貫を売り出すために会社を設立。

この時には大ヒットを出せなかったが

その後の活躍の出発点となる仕事を残した。

(また、大貫のアルバム制作の際には坂本龍一が参加したが

 坂本にとって、これは広く世に出るきっかけとなった)

SUGAR BABE — Down Town

 

その後

杉真理のバックコーラスをやっていた竹内まりやを発掘し

デビューさせた後、強力にプッシュ。

竹内は期待に応えてシングルヒットを連発し

苦境に陥っていた牧村さんの会社の救世主となる。

竹内まりや September

 

この頃、牧村さんは

当時、新進気鋭のアーティストが偶然にも集団で居住していた

「原宿セントラルアパート」に事務所を構え

糸井重里、加藤和彦、小池一子、林真理子、浅田彰など

当時注目され始めていた人たちとも交流する。

なかでも、YMOの人たちの交流を深め

結局、細野晴臣が始めたノン・スタンダードに参加し

ピチカート・ファイヴなどを売り出す。

 

1989年1月

牧村さんは、知人から「聴いてみて」と言われ

あるカセットテープを受け取った。

聴いてみると何か閃くものを感じたので

すぐに、その演奏メンバーを呼び寄せ

その直感が間違いないことを確信。

ただ、全体として

まだアマチュアっぽさもあったので

信頼できるプロ・ミュージシャンをつけて

富士五湖付近のスタジオで特訓を行い

レベルを上げてからデビューとなった。

そのバンド、ロリポップ・ソニックは

デビューの際、フリッパーズ・ギターと改名し

たちまち熱烈なファンを獲得する。

彼らの最大のヒット作は

人気ドラマの主題曲となったこの曲だが

今聴いても全く色褪せた感じでないのには驚かされる。

Flipper's Guitar - 恋とマシンガン (Young, Alive, In love)

 

 

個人的には

山下達郎、大瀧詠一、竹内まりやといった人たちを

広く世に出して頂けたことで

牧村さんには強く感謝する他ない。

どれだけ、その人たちの音楽で愉しませてもらっていることか。

(牧村さんの仕事は他にもたくさんあるが

 いくら書いても書き尽くせないので

 このあたりで終わることにする)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 山口百恵の歌唱力 | トップ | 村田和人の名曲 See You Aga... »

コメントを投稿

J-POP」カテゴリの最新記事