「食べ処・身土不二」(札幌)は、身土不二を日本と世界へ発信する。食堂ならぬ食堂、啓蒙運動の発信地。日本よ、滅びるな!

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世界に冠たる偉大な日本人、食医・石塚左玄(2)

2007-08-13 07:23:16 | Weblog

 

  前回(8月9日)のブログを読まれていない方は、このブログを読まれる前に、前回分を読まれると、今回の一文がいっそう理解しやすいと思います。

  食医・石塚左玄は、食物の正しい取り方として、ミネラルバランスを考えなければならないと説いた。
 この左玄
を徹頭徹尾無視したのが、明治時代の医学者・栄養学者、政府であった。

  日本陸軍薬剤監であった石塚左玄は、ミネラルという微量栄養素の重要性さを、明治時代に欧米に先駆けて世に訴えた先覚者である。今日では、医学者・栄養学者はもちろんだが、一般の庶民でも、ビタミンとミネラルの重要性を知っている。

  だが、明治時代では、当時の(今日でもそうだが)わが国の医学者・栄養学者が崇拝した欧米の医学界と栄養学会では、3大栄養素である炭水化物・タンパク質・脂肪とカロリーが論議の的であった。つまり、当時の栄養学者・医学者は、左玄が唱えたミネラルバランスの重要性を知らなかったのである。

  欧米一辺倒であった日本にあって、ミネラルバランスの重要さに左玄が気づいたのは、たいへん先駆的なことといってよい。今日ならば、石塚は、ノーベル賞を与えられても不思議でないほどの業績を挙げたのである。

  だが、わが国の医学界と政府は、明治以来、左玄を無視し続けたきた。その挙句、いまや、病気の少なかったわが国は、難病・奇病の続発とよる病人・半病人列島と化した。 

 「剣に倒れるものよりも飲食に倒れるものが多い」(西洋の諺)がある。たしかに、私たちを生かすのも殺すのも、食物である。この食物の取り方を、食養で説いたのが、左玄である。

  左玄は、食養の祖である。
 食養とは、食物プラス修養という意味である。「食は病をつくり病を治す」食養の基本のひとつは、ミネラルバランスにある。マグネシュウム、カルシュウム、鉄、亜鉛、マンガンなど、いろいろあるミネラルの中から、ナトリウムとカリウムの二つのミネラルを取り上げて、その均衡(ナトリウム1対カリウム5)の大切さを左玄は説いた。

 前回、述べたことだが、左玄宛の手紙が「東京・市ケ谷、大根先生」でも、まちがいなく届いたというほど、左玄は、食物で病気を治す医師として有名になった。

 食養は、左玄亡きあと故桜沢如一(食養の中興の祖)によって、その欧米名をマクロビオティック(長生術という意味)と名づけられて、同氏とその弟子たちによって、世界に広められてきた。桜沢自身、18十八歳のとき、肺と腸を結核に侵されたが、左玄の食養でもって命拾いした。

 左玄の唱えた食養は、沼田勇著『病は食から』(農山漁村文化協会刊)には、つぎの五つに要約されている。

 ①食物至上論(食物が生命に変わる。したがって健康も      疾病も食物が決める)
 ②人類穀物動物論(人間は、肉食でも草食でもなく穀物
     食である)
 ③身土不二論(その土地でとれるものを旬を守って食べ
    ること)
 ④一物全体論(食物は、皮などもむかずその全体を  
    食べること)
 ⑤陰陽調和論(陰〈カリウム〉と陽〈ナトリウム〉の調和
    がとれるように食物を選択する)。

 左玄の主張をまとめれば、「環境・食物・人間一体論」である。 生理的・生物的・生態的な要素を重要する食養は、カロリーそして食物を栄養素に還元する分析的な現代栄養学とは、そのよってたつ基盤が異なる。

 このブログの筆者がかかわっている、啓蒙運動の拠点「食べ処・身土不二」(札幌)では、左玄の食養に基づく食事をお出ししている。

  このブログを終えるにあたって、桜沢の予言に触れておこう。山口卓三『陰陽でみる食養法』(柏樹社)には、桜沢如一『日本を亡ぼすもの』から、つぎの一文が引用されている。 

 「日本を亡ぼすものは外敵ではない。それは西洋を知らず、また日本そのものをもみずからよく知らず、日本びいきのくせに、内実は西洋文明にあこがれて、ことにその食生活を喜ぶ傾向にあるのは、西洋に身を売って生理的に西洋の植民地化をはかって亡びに至らしめる日本人自身がその元凶であることになる

 日本民族自滅の桜沢予言は、いま、まさに実現されつつあるといってよい。
 
 いい加減にせよ、欧米諸国のサルまねは・・・といわざるを得ない。 

 いつになったら、事大主義という悪癖から、わが民族は抜け出せるのであろうか。