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農民を守るために切腹した、江戸時代の公務員

2007-08-08 07:47:27 | Weblog

 

 きょうは、役人と農民に関する話である。

 天草地方の代官、鈴木重成は、農民のために死の抗議をしたことで知られる。   

 代官・鈴木は、納税者である同地の農民の味方となって、江戸幕府に減税を何度も嘆願した。だが、そのつど、その願いは却下された。鈴木代官は、その責任を取って自決したのである。

 この話は、童門冬二氏が雑誌「新世」(2000年11月号)で紹介されている話である。 

 島原の乱、いわゆるキリシタン一揆を鎮圧した幕府が、天草地方をその直轄領とした。その初代代官として送り込まれたのが、鈴木重成である。

 かつて島原の乱の際、鈴木には、その乱を鎮圧するための軍隊に従軍した経験があった。

 鈴木は、その時、島原の乱は、はたして、キリスト教信仰だけで起きたのだろうか、つまり、他に原因があったのではなかろうかという、素朴な疑問を感じていた。 

 島原の乱の平定3年後、鈴木は天草地方の初代代官に任命された。鈴木は、かねてからの疑問を解くために、喜んで同地へ赴任した。

 赴任後、農民の担税能力を精力的に調査した。
 そして、天草地方への課税4万石は過酷であるという結論に達した。税金は、半分の2万石が適当であると判断し、課税を半額にするよう幕府に嘆願した。その嘆願は、幕府から一蹴された。

 屈せずに、鈴木代官は、13年にわたって嘆願を繰り返した。だが、その願いは入れられなかった。嘆願を繰り返すうちに62歳になった鈴木代官は、承応2年(1654)に最後の嘆願をして、それが入れられないとなるや、切腹して果てたのである。

 鈴木代官は、幕府に対して「死の嘆願」というか「死の抗議」をしたのである。

 鈴木代官の行いは、大変なものである。
 公務員というものは、どうあるべきかのカガミである。
 
それに引きかえ、現代の公務員はどうか。
 鈴木代官のツメのアカを煎じて飲まなくてはいけないのが、いまの公務員である。
  
 この数年、収賄など、役人(公務員)にまつわる不祥事は頻発しているようである。綱紀のたるみそして不祥事は、国家公務員に限られず、地方公務員にも広がっている。
 
 中国の毛沢東(故人)は「為人民服務」(民衆のために奉仕せよ)といった。公務員であれば、中国に限らず日本でも、民衆(納税者)に懸命につかえなければならない。文字が示しているように、公務員とは、公衆に奉仕する人である。

 崇高な職業である。だが、世の親の中には、公務員は失業の心配がないからといって、己のダメ息子や娘を公務員にしたがるダメ親がいる。
 
 とんでもないことである。考え違いもはなはだしい。本来、公務員には、最も優秀な人間がなるべきものであろう。
でなければ、破廉恥で無節操な公務員がのさばることになりかねない。 
 
 いまでは、わが国の食糧自給率は、カロリー換算で40%でしかない。

 ということは、わが国民の過半数が、生命を養う食物(食物イコール生命というべきであるが)を外国に支配されて、外国の人質になっているといってよい。

 この亡国的状況を解消するには、わが国農業の行政的責任の一端をになう各級官庁の農政公務員の奮闘が必要とされる。

 鈴木代官のような自決までは求めないが、一身上の不利を顧みずに、場合によっては、辞職を覚悟で農民と納税者のために闘う役人はいるのであろうか。

     

       次回は、8月10日(金曜日)

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