今年、このブログの筆者は、支援者とともに、再度、農作物栽培を手がけている。
佐々木健人先生の創始された「有氣農業」で、2反ほどの耕作をしている(なお、「有氣農業」については、前回、前々回を参照のこと)。
ところで、なぜ、農作物栽培にかかわっているのだろうか。 さきに結論をいえば、「イノチ根性」が汚いからである。食物を自らの手で確保して、不測の食糧危機が来ても、安全・安心な状況にわが身をおきたいからである。
わが国民の過半数は、「輸入食糧に頼って生きている」。
つまり、「おのれの命」を食糧輸出国に握られているということだ。「おのれの命」を外国に預けることは、「すべて」を外国の意のままに操られるということに他ならない。
個人だけでなく、国もそうである。
食糧輸入大国・日本は、その政治も経済も文化も、あらゆることが「食糧輸出国の意向」に従わざるを得ない国に成り果ててしまった。国として、これ以上の不名誉はなく、まさしく奴隷に等しい。
◆わが国政府の無能
食糧自給ができないということは、わが国政府が、その「納税者の生命」を守ることを怠っていることに他ならない。
政治の定義を、「福武国語辞典」(福武書店)にみてみよう。「国を治めること。主権者が立法・司法・行政などの諸機関を通じて、領土や国民の生活を守ること」
この「生活を守ること」には、当然のことながら、「生命を守ること」が含まれるはずである。生命を守れない政治は、もはや、政治の名に値しない。
政府は、納税者の税金でまかなわれている。
その政府が、納税者を守らないとは言語道断である.
「納税者を裏切る政府」で運営される日本は、じつに「危うい国」といわなければなるまい。
もっとも、そのような無能な政府を選んでいるのも、納税者であり選挙民でもあるのだが。
納税者の多くには、おそらく、このブログの筆者のいう「危うい日本」という認識がないのであろう。
もしも、「食糧自給こそ生命の綱」という認識が、納税者にあれば、わが国は、食糧自給100%となっているはずだからである。そうした認識に欠けることが、食糧自給率40%という異常事態を招いているともいえよう。
納税者(選挙民)が、「真剣に食糧自給」を求めるならば、国政選挙はもちろんのこと、地方議会選挙においても、「食糧自給」が最大の争点になるに違いない。この「食糧自給」という問題は、これまで選挙での争点になったためしがない。
「食糧自給」を求める声が、国民的規模で起きてないということは、選挙民(=納税者)の多くが、「食糧自給を真剣に考えてない」ことを表しているといってよい。
「食糧自給を真剣に考えてない」ということは、「生命維持を真剣に考えていない」ということに他ならない。
これは、いいかえると、食糧危機に見舞われたとき、飢餓で死んでも構わないということである。こうした生き方も、ひとつの選択肢であるから、別に非難されることはないが。
だが、こうした覚悟の持ち主は、例外的少数であろう。
餓死したくない。これが、大部分であろう。これが、生物としては当然ではある。生き抜くというのが、生物の掟であるのだから。
食糧危機にあっても確実に生きたいのであれば、食糧自給に最大の関心を寄せなければならないはずだ。その関心がないとは、ウカツというしかない。
もっとも、このような「ウカツさ」を導いた政府の責任は、いうまでもない。
◆作家・小桧山博氏の農政批判
札幌市在住の作家、小桧山博氏は、北海道新聞のコラム「本」 (98・1・18)に、「農業の大切さを知らない怖さ」と題して、わが国の農政を批判している。
「農地があり作る人も技術もあるのに輸入をつづけるのは、輸出入で巨大な利益を手にする人間がいるからだ」「中央官庁の農業をしたこともない、食べ物の何たるかを知らない役人や政治家が机の上で考えた農政の結果がこれだ」
さらに、同氏の批判は、国民にも及ぶ。
「いま地球上の五分の一の人が食糧難に苦しみ、今後さらに地球の環境悪化と砂漠化で農地が減り、人口増で食糧難になる。それでもなお、わが国の一億二千万人は百年後、二百年後になっても、まだカネさえあれば世界中から食べ物を買いあさることができると思っているのだ。これは想像力がないというより、ほとんど狂喜に近い鈍感さといえる」
そして、同氏は、日本国民のウカツさをも指摘する。
「われわれ国民に、人間の命を維持するのは食べ物で、それを作っているのが農民だという認識がないことが恐ろしい。人間の命を支える食べ物を作る以上に重要な仕事が、ほかにあるか?と思うのだ」
小桧山氏の憤りと嘆きは、もっともである。
「農なくして民の栄え」はありえない。
先の敗戦で、日本は政治的・経済的・文化的に滅んだ。敗戦後しばらく、わが国の農業は滅ばずに健在であった。農業が健在であるかぎり、わが国民が「生理的・生物的に滅びる」危機はなかった。
しかし、敗戦後、わが国の農業は、一時期を除けば、衰退の一途をたどってきた。そして、いまや食糧自給率39%ともなれば、日本農業は「事実上」崩壊したといってよい。
こうした惨状にあって、日本の民の多くは、輸入農産物という「身土不二の原則」に反する食物によって、「生理的・生物的」に淘汰される危機にさらされている。