月・火曜は学校教育話。今回は、教育現場の抱える問題について私なりの意見を述べるシリーズ…から派生した、若手教師を育成する方法について書きます。
前回の記事では、育てる側の心構えを書きました。今回は、育てられる側に求めたい心構えを書きます。
前回の記事では、育てる側の心構えを書きました。今回は、育てられる側に求めたい心構えを書きます。
令和7年度に組んでる若手の素晴らしい点
令和7年度に入ってから何度も書いていますが、令和7年度の私は若手2人と学年を組んでいます。3月に大学を卒業したばかりの臨時採用教員のAさんと、新卒新採用4年目のBさんです。
この2人、とても素晴らしいです。私が教えた事を素直に受け入れ、実行しようと努力し、実際に出来る様になってきています。また、AさんとBさんで頻繁に情報交換し、分からない事があると一緒に考えています。更にAさんは、自分から様々な教員に質問しに行き、空き時間があれば、他の学年学級の授業を積極的に参観しに行っていました。この様なAさんに対しては、職員室で「学ぶ事に貪欲だよねぇ」と話題になる事もしばしば。
こう言った努力の甲斐あって、何回か記事にも書きましたが、1学期末の段階で2人とも、ほとんど心配な事はなくなりました。
noteで親しくしている方の記事を読むと、これは最近だと珍しい事の様です。基礎的な技術などを身に付けようとしなかったり、周囲からアドバイスされても受け入れようとしなかったり…そんな若手が多いと言う記事を幾つも読みました。また妻からも、妻の勤務校に来た若手は、アドバイスしても改善しようとしない為に学級の雰囲気がヤバくなっている…と聞きました。
ちょっと話がズレますが、こう言った話を読んだり聞いたりして私は、「こんな素晴らしい若手と学年を組めている私は、かなり幸せなんだなぁ」と感じました。そしてまた、「この若手をしっかり育てる事は、私の大きな責務だ」と感じてもいます。
話を戻しますと、育てられる若手が伸びる為に必要な要素を、AさんやBさんの姿からまとめると、次の様になると考えられます。
1.アドバイスを受け入れる姿勢
2.改善しようと努力する姿勢
3.疑問があれば質問する姿勢
4.積極的に学ぼうとする姿勢
では、どうすれば、この様な姿勢で仕事へ取り組む様になるのでしょうか。
仕事に対する「おそれ」が必要
学年を組んでいるAさんは、ある言葉を頻繁に口にしています。それは、「不安です」とか「心配です」と言う言葉です。つまりAさんは、仕事に対して頻繁に「おそれ」を感じている訳です。
因みに、ここで「おそれ」と平仮名書きにしたのは、「恐れ・畏れ・虞と言う3種類の漢字の、どれも有り得るなぁ」と考えたからです。
「恐れ」は「こわがる事」で、これはAさんの普段の言動から、何となく恐さを感じているのが伝わってきますから、該当すると言って間違いではないでしょう。「畏れ」は「敬い、かしこまる事」で、これは少々離れるかもしれませんが、仕事に対して真摯に取り組むAさんの姿勢を見ていると、全然違うとも言えなさそうです。そして「虞」は「よくない事が起こりそうな心配」です。「授業で失敗するんじゃないか」とか、「授業を参観した人から叱られるんじゃないか」など、Aさんは日常的に失敗イメージを口にしているから、これも当てはまると言えそうです。そう考えていくと、Aさんの「おそれ」は3種類全部に関わっています。
そんな訳で、この記事では「おそれ」と平仮名書きにさせてもらう事にしました。
話を戻しましょう。
仕事に対して頻繁に「おそれ」を感じている人は、傲慢さが生まれにくくなり、謙虚さが強くなると考えられます。だから、他の人からのアドバイスを受け入れたり、改善の努力をしたり、質問したり、学ぼうとしたりする…私は、そう考えます。逆に言えば、仕事に対して「おそれ」を感じていないと、前の章で書いた4つの姿勢は生まれないと考えられます。
そう言い切れる理由…それは、私に「おそれ」がなかった事が原因となる、大きな失敗経験があるからです。
「おそれ」を感じた者は学ぼうとする!
かなりの黒歴史なので紹介したくないのですが、前の章の意見を補強する為に紹介します。
大学を卒業した私は、「学校の教員なんて楽勝、楽勝! 誰でも簡単に出来る」と思い込んでいました。仕事に対する「おそれ」なんて「0」です。だから、教員採用試験に落ちて臨時採用された時も、メッチャ甘く考えて仕事を始めました。
臨時採用で担任したのは、前の担任が丁寧に育てていた2年生の子供たち。最初は落ち着いた雰囲気で授業が出来たので、「うん、やっぱり教員なんて楽勝、楽勝」って思っていました…が、その内に学級内がガタガタしてきました。当たり前です。教師としての技術をほとんどもたず、適当な授業ばかりしているのですから。
結果、まだ、その言葉が生まれてない時代にも関わらず、見事な「学級崩壊」状態となってしまいました。
今、思い出すと「有り難いなぁ」と感じるのは、当時の教頭先生が放課後にガッチリ指導してくれた事です。もちろん、指導は厳しかったですよ。「前の担任が作り上げた学級を滅茶苦茶にしたのは君だ。だから君は反省して、本気で立て直さなきゃ駄目なんだ」とか、「君のやり方で教えたら、こう言う結果になったんだ。だから君のやり方を捨てて、より良いやり方を学ばなくてはならない」とか…まぁ、今から思えば当たり前の言葉ばかりですが、毎日、泣きそうになりながら指導され続けました。
この、私の経験談の素晴らしいところは、そうやって努力した結果、私の学級が立ち直った…と言う美談(ハッピーエンド)ではなないところです。
厳しい指導を受け、改善の兆しが見えた頃、私は校長室に呼ばれました。そして、「君との契約は打ち切らせてもらう」と言われてクビになってしまったのです。まぁ、これは妥当な判断です。学級崩壊させた臨時採用教員を継続雇用するより、もっとマシな実績のある臨時採用教員を雇う方が、改善の可能性が高いですから。
でも、当時の私にとっては大きなショックでした。
そして、思い知った訳です。「小学校教員の仕事は甘くない」と。心に刻まれた訳です…仕事への「おそれ」が。
それからの私は、小学校教員と言う仕事に対し、「おそれ」を感じながら取り組んできました。今では、かなり自信もついてきましたが、まだまだ「おそれ」を感じていますし、それが「学び続ける教員であろう」と言う意欲に繋がっています。
手遅れにならない事を願う
結論です。
若手の方々には、ぜひ「仕事に対する『おそれ』」を感じてほしいです。それが、
1.アドバイスを受け入れる姿勢
2.改善しようと努力する姿勢
3.疑問があれば質問する姿勢
4.積極的に学ぼうとする姿勢
…などの、自分を向上させようという姿勢に繋がるからです。これらの姿勢があれば、時間がかかっても成長出来ます。私みたいなドン亀でも成長出来たのですから、若い方々なら間違いなく成長出来るでしょう。
私の場合、大失敗をして「おそれ」を感じる事になりました。これは辛い。
この記事を読んだ若い方々が、そんな失敗をする前に「おそれ」を感じられたらイイなぁ…と願っています。
…と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
学年を組んでいるAさんは、ある言葉を頻繁に口にしています。それは、「不安です」とか「心配です」と言う言葉です。つまりAさんは、仕事に対して頻繁に「おそれ」を感じている訳です。
因みに、ここで「おそれ」と平仮名書きにしたのは、「恐れ・畏れ・虞と言う3種類の漢字の、どれも有り得るなぁ」と考えたからです。
「恐れ」は「こわがる事」で、これはAさんの普段の言動から、何となく恐さを感じているのが伝わってきますから、該当すると言って間違いではないでしょう。「畏れ」は「敬い、かしこまる事」で、これは少々離れるかもしれませんが、仕事に対して真摯に取り組むAさんの姿勢を見ていると、全然違うとも言えなさそうです。そして「虞」は「よくない事が起こりそうな心配」です。「授業で失敗するんじゃないか」とか、「授業を参観した人から叱られるんじゃないか」など、Aさんは日常的に失敗イメージを口にしているから、これも当てはまると言えそうです。そう考えていくと、Aさんの「おそれ」は3種類全部に関わっています。
そんな訳で、この記事では「おそれ」と平仮名書きにさせてもらう事にしました。
話を戻しましょう。
仕事に対して頻繁に「おそれ」を感じている人は、傲慢さが生まれにくくなり、謙虚さが強くなると考えられます。だから、他の人からのアドバイスを受け入れたり、改善の努力をしたり、質問したり、学ぼうとしたりする…私は、そう考えます。逆に言えば、仕事に対して「おそれ」を感じていないと、前の章で書いた4つの姿勢は生まれないと考えられます。
そう言い切れる理由…それは、私に「おそれ」がなかった事が原因となる、大きな失敗経験があるからです。
「おそれ」を感じた者は学ぼうとする!
かなりの黒歴史なので紹介したくないのですが、前の章の意見を補強する為に紹介します。
大学を卒業した私は、「学校の教員なんて楽勝、楽勝! 誰でも簡単に出来る」と思い込んでいました。仕事に対する「おそれ」なんて「0」です。だから、教員採用試験に落ちて臨時採用された時も、メッチャ甘く考えて仕事を始めました。
臨時採用で担任したのは、前の担任が丁寧に育てていた2年生の子供たち。最初は落ち着いた雰囲気で授業が出来たので、「うん、やっぱり教員なんて楽勝、楽勝」って思っていました…が、その内に学級内がガタガタしてきました。当たり前です。教師としての技術をほとんどもたず、適当な授業ばかりしているのですから。
結果、まだ、その言葉が生まれてない時代にも関わらず、見事な「学級崩壊」状態となってしまいました。
今、思い出すと「有り難いなぁ」と感じるのは、当時の教頭先生が放課後にガッチリ指導してくれた事です。もちろん、指導は厳しかったですよ。「前の担任が作り上げた学級を滅茶苦茶にしたのは君だ。だから君は反省して、本気で立て直さなきゃ駄目なんだ」とか、「君のやり方で教えたら、こう言う結果になったんだ。だから君のやり方を捨てて、より良いやり方を学ばなくてはならない」とか…まぁ、今から思えば当たり前の言葉ばかりですが、毎日、泣きそうになりながら指導され続けました。
この、私の経験談の素晴らしいところは、そうやって努力した結果、私の学級が立ち直った…と言う美談(ハッピーエンド)ではなないところです。
厳しい指導を受け、改善の兆しが見えた頃、私は校長室に呼ばれました。そして、「君との契約は打ち切らせてもらう」と言われてクビになってしまったのです。まぁ、これは妥当な判断です。学級崩壊させた臨時採用教員を継続雇用するより、もっとマシな実績のある臨時採用教員を雇う方が、改善の可能性が高いですから。
でも、当時の私にとっては大きなショックでした。
そして、思い知った訳です。「小学校教員の仕事は甘くない」と。心に刻まれた訳です…仕事への「おそれ」が。
それからの私は、小学校教員と言う仕事に対し、「おそれ」を感じながら取り組んできました。今では、かなり自信もついてきましたが、まだまだ「おそれ」を感じていますし、それが「学び続ける教員であろう」と言う意欲に繋がっています。
手遅れにならない事を願う
結論です。
若手の方々には、ぜひ「仕事に対する『おそれ』」を感じてほしいです。それが、
1.アドバイスを受け入れる姿勢
2.改善しようと努力する姿勢
3.疑問があれば質問する姿勢
4.積極的に学ぼうとする姿勢
…などの、自分を向上させようという姿勢に繋がるからです。これらの姿勢があれば、時間がかかっても成長出来ます。私みたいなドン亀でも成長出来たのですから、若い方々なら間違いなく成長出来るでしょう。
私の場合、大失敗をして「おそれ」を感じる事になりました。これは辛い。
この記事を読んだ若い方々が、そんな失敗をする前に「おそれ」を感じられたらイイなぁ…と願っています。
…と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。