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怪談 黒の森 24

2020年05月02日 | 怪談 黒の森(全30話完結)
 坊様は小声で念仏を唱えながら扉を開け始める。観音開きの扉はめりめりと音を立てた。
「ふん、無駄に逆らいおって!」扉に手を掛けながら、坊様は吐き捨てるように言う。「もうお前の最期じゃ、観念せい」
 そこへおくみが駆け寄ってきた。坊様の背後から祠を覗き込むようにしている。
「どうしたい、おくみさん?」
 坊様は祠から手を離し振り返った。おくみは無言のままでじっと祠を見つめている。その様子に坊様はにやりと笑う。
「おくみさん……」坊様は頷いてみせる。「お前さん、見えているようだね」
「はい……」おくみは短く答える。「怖いんですけどね、どうしても見届けたくなっちまって……」
「そうかい……」坊様は祠に向き直る。「お前さんは度胸があるな。あんなのが見えたり聞こえたりしたら、女でなくても逃げ出そうってもんだがの」
「いえ、お坊様の勝ちが見えたんで、ちょいと野次馬で……」おくみは言う。顔色が蒼白くなる。「でも、怖くて脚がぶるってますよ……」
「ははは、素直だな」
 坊様は背中で笑うと、再び祠の扉に手を掛けた。念仏を唱えながら手に力を込める。開けさせまいとする見えない力が抵抗している。念仏が速くなる。扉が軋りながら開き始める。不意に抵抗する力が無くなり、扉が開いた。
「ふむ……」坊様は祠を覗いた。それから、おくみの方へ振り返った。「見てみるかい? 森の主の大たわけの姿を」
 おくみは言われるままに祠を覗く。
 陽が差し込んだ祠の中に、干乾びた人のようなものがあった。ぼろぼろになった着物を纏っていた。頭にわずかに残っている白髪から、正体は老人と知れた。開いた口の中には歯が残っていなかった。目玉は無くなっていてぽっかりと穴が開いていた。空を掴むように伸ばされた細く萎びた腕、折り曲げられた骨ばった脚、老人は祠の中で力尽きたと思われた。
 おくみはその醜怪さに思わず顔を背けた。背筋にひんやりとしたものが走る。
「……お坊様…… これは……」
「ふむ…… 我らのいる掘っ立て小屋に住んでおった爺ぃが祠に入ったのさ」
「どうしてそんな事を……」
「たわけにはたわけなりの理屈があるのだろうが、拙僧にはわからんな。まあ、軽くふざけたつもりかもしれん」坊様は祠の中のものに侮蔑の眼差し向ける。「ところが、ここの御神体の怒りに触れて、出るに出られず、そのまま息絶えたって所じゃろう。とんだ罰当たりの糞爺ぃだよ」
「お坊様は森の主とおっしゃっていましたけど……」
「自業自得であったにも拘らず、祠の外の連中を恨むようになった。そして恨み抜いて死んじまった。その邪心が御神体の御力の一部を使うまでになったのだろうさ」坊様はうんざりとした顔をする。「……迷惑な奴は死んでからも迷惑じゃの」
「じゃあ、これで一件落着ですね……」おくみはほっとしたように言う。「やれやれだ……」
 しかし、坊様はそれに答えなかった。じっと祠の中を見ている。おくみも坊様の背後から祠を覗いた。
 突然、黒い霧が祠の中に湧き上がり、干乾びた老人のからだを包み込み始めた。穴になっている眼窩に青い鬼火が灯った。それは坊様とおくみを睨み付けているようだった。
 おくみは悲鳴を上げた。
「おくみさん! 藤島さんの所に走れ!」
 坊様はおくみの背を押した。おくみは一目散に走った。藤島に縋り付くと、そのまま座り込んでしまった。
「何だ? どうしたと言うのだ?」
 藤島には状況が分からない。坊様が祠の扉を開け、おくみと坊様が何やら話していると思ったら、いきなりおくみが駈けて来たとしか分からない。
「藤島様には見えなかったようですけど、黒い霧と呻き声がしてたんです」おくみは藤島に顔を向ける。すっかり血の気が引いていた。「お坊様がそれを祓ったんですけど、また出てきちゃったんですよ!」
「森の主とか申す輩の事か?」
「……はい。祠の中の干乾びた爺ぃの亡骸が正体でした。祠に閉じ込められたそいつが恨みを持ったまま死んで、その邪心が御神体の力を使って暴れ出したんです! 今も黒い霧と呻り声が……」
 藤島は目をおくみから祠の方へ目を転じた。見えているのは、扉の開いた祠の前で突き立てた錫杖の鐶に数珠を打ちつけながら念仏を唱えている坊様の姿だけだった。
「オレには見えぬ、聞こえぬ……」
 藤島は口惜しそうに呟く。
「その方が良ござんすよ!」おくみの声が震えている。「あんな怖ろしい化け物! お坊様にお任せしましょう!」
 しかし、藤島は坊様の所へ駈け出した。
「あっ! 藤島様!」
 おくみは声を上げたが、自身には力が入らず、立つ事が出来なかった。


つづく

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