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怪談 黒の森 12

2020年03月31日 | 怪談 黒の森(全30話完結)
 昼を過ぎている。一時ほど掛けて小屋の裏で仕込んだ串に刺した肉を両手に持って小屋に戻って来た坊様は、囲炉裏の灰に串を突き立てて焼き始めてた。脂が焼ける音と香ばしい香りが立つ。坊様は黙々と焼いている。
「お坊様、相変わらず、呑気な事で……」おくみは呆れたように頭を振る。「こんな状況じゃ、いくら焼いて下さっても食べる気にはなりませんよ……」
「ふむ……」坊様は肉を刺した串をくるりと裏返しながら鼻を鳴らす。「でもな、食っておかねばならんよ。腹が減っては戦さが出来んからのう……」
「戦さって……」おくみはさらに呆れた顔になる。「わたしやお千加さんにも戦わせようっておつもりなんですか?」
「いやいや、二人にはそんな事はさせんよ」坊様はおくみを見る。「もし、逃げることになったら、腹が減っていては走れまい。そのためにも力を付けておかねばならんだろうて……」
「まあ、そうですけど……」
 すっとおくみの脇から手が伸びた。おくみがはっとして振り返ると、そこに藤島がいた。串を数本抜き取り、脂の滴る肉に齧り付く。
「ほう、藤島さん、戦さをする気になってくれたかね」坊様が藤島を見て、にやりと笑う。「これは、心強いのう」
「……オレもここに居続けるのに飽きたのでな」藤島はぼそっと言う。ちらとお千加を見やる。「皆もそろそろ行く所へ行かねばなるまい」
「あら、随分と頼もしいことで……」おくみは言う。「藤島様がいらっしゃれば、百人、いや、千人力ですよ。ねぇ、お坊様」
「そうじゃのう……」坊様も頷く。「まあ、今は食べて力を蓄えておくことじゃ…… これ、お千加さんも食べなさい」
「そうよ、お千加さんも一緒に食べましょうよ」
 しばらく前から隅の方で伏せっているお千加は返事をしない。皆に背を向けたまま動かなかった。
「寝ちまったのかい? お千加さん……」おくみは坊様に顔を向ける。不安そうな表情だ。「どうしたんでしょうねぇ……」
 坊様は立ち上がった。すると、突然お千加は起き上がった。まだ背を向けている。
「むっ……」
 坊様は唸ると、壁に立てかけている錫杖を引っ掴んだ。おくみもただならぬ気配に身を硬くする。藤島は肉の串を囲炉裏に投げ捨て、刀の柄に手をかける。
「何者ぞ……」背を向けたままのお千加が言う。しかし、その声はお千加のものとは程遠く、くぐもった低い男の声だった。「……我が地を荒らす者は何者ぞ……」
 おくみは腰を抜かしてしまった。何かがお千加に憑いているようだ。冷や汗を流しながら、顔だけを坊様に向ける。坊様はじっとお千加を見つめている。
「答えい!」
 お千加に憑いた者が一喝する。背を向けたままだったが、その声の衝撃に小屋全体がびりびりと震えた。
「名乗らせる前に、そちらが名乗るべきであろう」坊様が平然と言う。「お前さん、この森の主かい?」
「我が地を荒らす者ども…… 許さぬぞ……」
「うむ……」坊様は錫杖の先端をお千加に向けて振った。鐶がぶつかり合って音が鳴る。「わしらは何もしやせん。新吉を返してくれれば、大人しくここから出て行くよ」
「……謀りは通じぬ……」
「謀ってはおらん。それよりも、お前さんこそ、人のからだに憑いて姿を見せぬ卑怯者ではないかのう」
「お坊様!」おくみが肝をつぶしながら叫ぶ。「そんな、煽ってどうするんですか!」
「おお、これは済まん」坊様は申し訳なさそうに頭を掻く。「ついつい腹が立ってなぁ……」
「許さぬ…… 許さぬ……」お千加に憑いた者が恨みの籠った声で繰り返した。「許さぬ……」
 不意に声が途絶え、ぱたりとお千加が倒れた。藤島が素早くお千加に寄った。お千加はごろりと仰向けになった。穏やかな表情で安らかな寝息を立てている。
「御坊……」
 藤島は戸惑った表情で坊様を見た。坊様は厳しい眼差しをお千加に向けている。
「あれが森の主だよ……」坊様は悔しそうに呟く。「怨敵となるだろうな……」


つづく


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