お話

日々思いついた「お話」を思いついたまま書く

聖ジョルジュアンナ高等学園 1年J組 岡園恵一郎  第1部 恵一郎卒業す 9

2021年08月01日 | 岡園恵一郎(第1部全44話完結)
「君……」理事長は恵一郎を見て言った。「お名前は?」
「え? 僕は…… 岡園恵一郎と言います……」
「岡園恵一郎君ですか……」理事長は優しく微笑む。「良い名前ですね」
「はあ、どうも……」恵一郎は答える。名前を誉められたのは初めてだった。「……すみません……」
「ほほほ、面白いお子様ですわね」理事長は両親を交互に見て微笑んだ。「親御さんの育て方がよろしかったようですわね」
「いえ、そんな……」父親が答える。でれでれな顔をしている。「まあ、明るく正直にってのが、方針ですかねぇ……」
「そうなのですか」理事長は相変わらず微笑んだままで、恵一郎を見た。「その様に育てられた君が、どうして我が校のレリーフを叩いたりしたのです?」
「え……?」いきなりの展開に、恵一郎は言葉が出ない。「それは…… その…… ごめんなさい……」
「わたくしは謝罪ではなくて、理由を聞いているのですよ」
 恵一郎は一瞬顔を上げ、理事長を見た。理事長は笑顔のままだ。咎めているようには見えなかった。本当に理由が聞きたいようだった。
「あの…… 実は……」
「おい、恵一郎! ちゃんと答えろ!」父親がいらいらしたように言う。それから、理事長に笑顔を向ける。「……すみませんねぇ。何とも情けない話で……」
「君、恵一郎君」理事長の声は穏やかだ。「言いたい事があるのなら、おっしゃい」
「ほら、恵一郎!」父親が理事長の尻馬に乗る。「ちゃんとお答えしろ!」
「お父様……」理事長が父親を見る。父親も理事長を見る。理事長の顔から笑みが消えた。「わたくしは、恵一郎君が自ら答えてくれるのを待っているのですよ。急かしてはいけません」
「え、はあ……」
 父親はそう答えると黙ってしまった。理事長は優しい笑みを浮かべて恵一郎を見て、恵一郎が答えるのを待っている。
「あの……」恵一郎は顔を上げ、大きく深呼吸をしてから、理事長を見た。「実は、僕、高校受験に失敗したんです……」
「あら……」理事長は一瞬驚いた顔をした。しかし、すぐに優しい笑みの顔に戻る。「……それで?」
「……それで、がっかりして歩いていると、偶然、聖ジョルジュアンナの前に出たんです。単純に、羨ましいなぁって思って。それで、あんな事をしちゃいました……」
「そうですか。良く正直に話してくれましたね」
「理事長さん……」父親が言う。「今回の件でご迷惑をお掛けした分、弁済をさせてください」
「あら……」理事長はまた驚いた顔をした。「先にも申しましたが、わたくしは理由が聞きたかったのです。咎めるつもりはありません。そもそも、叩いたくらいで壊れるものでもございませんわ」
「そうですか……」父親はほっとしたようだ。隣に座っている母親も大きく溜め息をつく。「それは、有り難い事です……」
「ところで、恵一郎君」理事長は恵一郎を見る。「受験に失敗したとの話ですが、原因は何ですか?」
「え…… それは……」
「息子のヤツ、分不相応な学校を受けましてね。それも一本で行くと言って聞かなくて……」父親が恵一郎を見ながら言う。「まったく、恥晒しな事で……」
「お父様……」理事長の口調が変わった。父親がはっとした顔を理事長に向けた。「わたくしは、恵一郎君に聞いているのですよ。お父様ではございませんわ」
 黙っていろと言われたも同然の父親は、すっかり押し黙って、下を向いてしまった。
 理事長は恵一郎の答えを待っている。壁掛け時計の秒針を刻む音が大きい。
「……あの……」恵一郎は言う。両手でズボンの腿の部分を強く握りしめた。涙が溢れてきた。そんな姿を両親が驚いた顔で見る。「……ずっと苛められてきました。僕なんかよりも数段出来の良いヤツとその取り巻きとに…… そいつが受ける高校を僕にも受けろと言い、他は受けるなと……」
 そこまで言うと、恵一郎は泣き出した。悲しい涙ではなかった。悔し涙だった。肩を震わせて声は殺している。
「そうでしたか……」理事長は泣く恵一郎から両親に目を移した。「ご両親はご存じだったのですか?」
「いえ、初めて知りました……」父親が答える。「……そんな事があったなんて……」
「恵一郎君の様子から、分からなかったのですか?」
「何度言っても志望校を変えないので、最後には勝手にしろと突っぱねてしまいました……」
「ご自身のお子様の将来に関わる事なのですよ?」
「ええ、まあ、そうなのですが……」
「これから、どうなさるおつもりなのですか? まだ未成年ですよ? 親としてどうなさるんです?」
「どうって…… 今はまだ…… 落ちたのも、さっき聞いたばかりですし……」
「分不相応な学校だとおっしゃっていましたね? でしたら、こうなる事は予想が付いていたのではありませんか?」
「理事長さん!」母親が立ち上がった。「いきなりやって来て、我が家に事情に立ち入らないでください! 息子が叩いた理由は分かったのでしょう? だったら、それで良いじゃありませんか!」
「そうですか……」理事等も立ち上がった。すっと木村がその横に立つ。理事長の顔に笑みは無かった。むしろ険しいものとなっていた。「失礼致しました」
 理事長と木村は居間を出て行った。


つづく


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