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怪談 黒の森 25

2020年05月05日 | 怪談 黒の森(全30話完結)
「御坊」
 坊様は声の方を見た。藤島が横に立っている。
「藤島さん……」
「御坊、手助け致す。おくみが言っておった化け物とは?」藤島は刀の束に手を掛け、祠の中を見る。そこには干乾びた骸があるだけだった。「……これが、化け物か……?」
「藤島さん、相手が見えないあなたじゃ危ない」坊様は言う。黒い霧は相変わらず老人の骸を覆い、骸は眼窩に青い鬼火を灯している。「……下手をすると憑かれてしまう」
「心配致すな。御坊のくれた護符がここにある」藤島は袂から護符を取り出して見せた。「これがあれば百人力であろう?」
 不意に、骸を覆っていた黒い霧が祠の朽ちた屋根から噴き上がると急に向きを変え、坊様の脇をかわして藤島の手にしている護符を襲った。
 藤島にしてみれば、いきなり護符を剥ぎ取るほどの尋常ではない強い力を感じたわけだから、一溜りも無かった。護符はその手を離れ、まるで風に翻弄される蝶の如く何処かへと失せてしまった。
「むっ、いかん!」
 坊様は念仏を唱えながら錫杖と数珠を振り回す。しかし、黒い霧は坊様をあざ笑うかのようにそれらをかわし、再び祠の上に緩々と立ち上った。
「藤島さん、ここから離れなされ!」坊様は祠の上に佇む黒い霧を見ながら叫ぶ。「さあ、早く!」
「……分かった」
 何も見えてはいない藤島だったが、坊様の様子から只事では無いと知り、踵を返した。
 と、祠の黒い霧が龍の如く天に勢いよく立ち上った。そして、その勢いのまま、藤島目がけて下って来た。坊様は咄嗟に首に数珠をかけると藤島の前に立ち、大手を広げた。さっと一陣の風が吹き抜けた。風に舞った小枝が坊様の顔を打った。目の辺りを打たれた坊様は低く呻くと広げていた両手で顔を覆った。その一瞬を突いて、黒い霧は藤島を包んだ。
「おのれえ!」坊様は幾度か目を瞬かせて視力を戻すと、藤島に振り返った。そして、険しい表情のままで数歩下がってしまった。「何とした事……」
 藤島を包んだ黒い霧が、藤島のからだに浸み込むようにして消えて行く。
「藤島さん! しっかりせい!」坊様が叫ぶ。「堪えるのじゃ! なんとしても堪えるのじゃぞ!」
 坊様は錫杖の鐶を藤島に向け、念仏を唱え始めた。藤島は苦しそうに呻きはじめた。その場に両膝と両手を突いた。ぜいぜいと荒い息を繰り返す。
「藤島さん! 辛抱じゃ! 今少し、辛抱せい!」
 念仏の合間に坊様が激励する。藤島の全身が震え出す。口から黒い霧が立ち上ってくる。
「今少し、今少しじゃ!」坊様は立ち上る黒い霧を見ながら言う。「しっかりするのじゃ! 堪えるのじゃ!」
 突然、藤島が咆哮した。人のものとは思われない声だった。樹々に居た鳥たちが一斉に羽ばたき去って行った。藤島は力尽きたのか、そのまま地に伏してしまった。坊様は錫杖を地に突き立てると念仏を止め、一歩、伏している藤島に歩み寄る。
「うむ……」坊様は藤島の様子を窺う。黒い霧は失せていた。「はて、どうなったか……」
「ううう……」藤島が苦しそうな声を出した。「……御坊……」
「おお、藤島さん!」坊様が駈け寄り、伏している藤島を抱き起した。ぐったりとはしているが呼吸の乱れはない。目は力なく閉ざされている。「よう堪えなさった! よう辛抱なさった!」
 仰向けで介抱されている藤島の右手が伸び、坊様の左腕を掴む。坊様の腕を掴む藤島の手に力が加わる。
「藤島さん!」坊様が苦痛に顔を歪める。「どうしたのじゃ?」
 藤島は目を開けた。白濁の双眼が坊様に向けられた。うっすらと開いた口から、黒い霧が仄かに立ち上って来た。
「おのれい!」
 坊様は憤怒の声を上げると、空いている右手で首に掛けている数珠を取り、藤島のからだに打ち付けた。
 藤島は激痛に悲鳴を上げると、坊様から転がり離れた。しばらくそのままでいたが、やがてゆらりと立ち上がった。
 白濁の双眼の目尻と口角の両端が吊り上がっている。口の端からゆらゆらと黒い霧が上っている。獣のような唸り声が続いている。
「憑かれてしもうたか……」坊様はその姿を見て呟いた。「やれやれ、これは拙僧の負けの様だわい……」
 坊様は諦めたように、ぽりぽりと頭を掻いた。それから、手にした数珠を首に掛け直し、地に突き立てた錫杖を抜き取り、鐶を藤島に向けて槍の様にして構え、対峙した。
「拙僧は討たれても構わんが、藤島さんを何とか助けんとな……」
 坊様は呟くと、念仏を唱え始めた。念の籠った一撃が藤島に当たれば、自分が倒されても憑き物は滅することができるかもしれない…… 坊様は錫杖を握り直した。
 憑かれた藤島が腰の刀を抜いた。陽に鈍く光る切っ先からも黒い霧が立ち上った。
「ははは、ここまでかのう…… 観念するのは拙僧の方であったか……」
 坊様の口元に自嘲の笑みが浮かぶ。


つづく


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