クヌギの木の根元にかぶと虫が
沢山いたので、子供の僕は大喜
びで捕って帰りました。当時は
飼育箱を自分で作るという発想
もなく逃げると困るので机の引
き出しに入れました。数日後思
い出し引き出しを開けたら全部
死んでいました。この時餌を与
えなければ死ぬると初めて気が
つきました。そして生あるもの
は必ず死ぬるし、育てられない
生き物はむやみに飼育してはい
けないと自分なりに理解しまし
た。六歳ころの夏の思い出です。
「失敗を重ね大人に脱皮する」
「悔いばかり増え年輪の積み重ね」
「思い出が波寄せてくる走馬灯」
「自然界ガラリと変わる半世紀」
本日の歩数12,823歩
ものの死に関して・・ホント ショックで
衝撃でした・・・ところが今の若者子供達
ゲーム中で相手の兵士や仮想の敵人を
いともかんたんに殺してしまいます。
そして自分が殺されると、リセットして・・
最初から・・・何の衝撃も感じない。
その人達に 命の意味を理解してもら
うのには・・時間がかかる。
私らはいい時代に 生きてきた・・・
私事ですが、55歳になって、別の業種から転職してきた人が会社に入ってきました。
でも、毎日毎日、同じ仕事を四か月続けていますが、覚えられません。
そして、仕事を誤魔化して、それを見つけて注意しても知らないふりです。
そのことを、社長に言いましたが、人手不足で使い続けるみたいです。
周りが大変になるだけですね。
定年まであと五年、気持ちが持つか心配です。
しかしながら生きていくために、他の動植物の
命を頂かなければなりません。
放っておけばまだまだ生きられる、鶏なども
何度も潰してうどんの汁のダシにしました。
自分で捌かなくても、他人がしたものを買うという
行為も同罪だとは思います。
食品ロスを何とかしなければという意見も
多いこの頃ですが、必要最低限を頂くという
ことは大切だと思います。
能力のある人やそうでない人、財産の多い人や
少ない人、障がいのある人やない人、皆で助け合ってこそ
共助共援の社会が成り立つと思います。
仰せの件はマンパワーを開拓する役職に任せ
他者は淡々と日々の仕事をこなしていけば
どちらからも文句を言われる筋も無いと思います。
人は人、自分は自分でいいと思います。
言葉ではなく、感覚で、自分のむごさを思い知った気がします。
招いたわけです。
一般庶民の捕まえる生き物は高が知れています。
生物を根こそぎ危機に追いやる、薬品や自然開発に
厳しい目を今まで以上に注ぐべき時が来たわけです。