土崎港☆下酒田町BLOG☆201○

来年は…。「土崎港曳山まつり」下酒田町のex.曳山実行委員会が発信するブログです。

2012年回顧11 第13号車 本山町

2012年08月26日 | 振り返る
第13号車 本山町

外題:翼虎相剋を制す 勢多の猛撃




囃子:若波会(保存会)

見返し:風そよぐ すだれ頭は エコ頭(脱減髪)

委員長:風間隆夫氏

本山町さん。
JR工場手前の公園、通称・金子山から南に入って、
ナイスの裏口、近藤食堂さん、キカワ建築さん。
最近新興住宅も増え(将軍野より)、
町内人口も増加中だそうです。羨ましい!!!

まずは見返し、
「風そよぐ」なんて、
(偶然なのかもしれませんが)
委員長さんの名が入っていたり。
これが狙った遊びなんだとすれば、すごい好き。です。

で、そんな委員長さんはじめ多くの方に日頃よりお世話になっております。
いつもありがとうございます。
と、ここのブログはそんな個人的なお知らせと感謝の場という一面も
含んでおります。ってホント?


さて、場面。
日本古代最大の内乱といわれる「壬申の乱」。
天武天皇元年、西暦672年ですから物凄い古いお話。

天智天皇の太子・
大友皇子(はるか後、1870年に諡号を贈られ39代天皇=弘文と認められた)に対し、
皇弟(天皇の弟)・大海人皇子(後の天武天皇)が反旗をひるがえしたものだそうで、
反逆サイドが勝った珍しい戦いであるそうです。

ただし日本書記によると父の天智天皇は
「大友皇子」に皇位を継がせたかったのだとか。
当初大海人皇子に敬称するって話があったなかで、
天智天皇がわが子可愛さで、大友皇子にっ…てことになったらしく、
大海人皇子からするとなんで今さら話がかわるんだよ!ってことでの反乱。

あ、例によってラブWIKIです。
なるほど。
もちろん諸説あるようですが、ここでは割愛。

ちなみにこの「壬申の乱」ののち、
天智天皇から天武天皇の系統に皇位継承が変わりましたが、
48代の称徳天皇の時代
度重なる政変の粛清などで、天武系統に男系後継が無くなり、
49代の光仁天皇から再び皇位は天智系統に戻り、
後世(現代まで)につながっていくのです。

で、この天智天皇はかの有名な中大兄皇子ですから、
この後次回紹介で登場の清水町三区さんから
場面がリンクしているんですよね。凄い!偶然、必然?
申し合わせ??な、わけないですか。

どちらにしろ、同じ年のこんな場面のリンクたまに起こりますよね。
神のお導き、凄い運命、必然のめぐりあわせなんだと
ぼかぁ、は思いたいです。


さて、次回は…一部の皆様、お待たせしました。
上でも触れました清水町三区さん、写真他比較で多めです。
お楽しみに。
なんて、2週間くらい空いたりして(嘘

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