兵藤恵昭の日記 田舎町の歴史談義

博徒史、博徒の墓巡りに興味があります。博徒、アウトローの本を拾い読みした内容を書いています。

アベノミクスの今後

2013年04月19日 | 経済
最近、浜田宏一の「アメリカは日本経済の復活を知っている。」吉川洋の「デフレーション」、岩田規久男の「日本銀行デフレの番人」の3冊の本を読んだ。現在、4冊目の野口悠紀雄の「金融緩和で日本は破綻する。」を読んでいる。

アベノミクスの金融政策に対する評価に対していろいろな見方が出ている。基本的には貨幣数量説に対する考え方の相違にそれぞれの考えの違いが出てきている。リフレ派、反リフレ派と言い、相手の経済理論への批判は激しいが根本はお互いに理解をしているのではないか?それほどそれぞれ大きな違いはないと私は思った、

相手の考えに対して激しく批判するときは、過去金融政策の分析をするときは、それぞれ明確に意見を述べている。しかし、今後の日本経済の将来の在り方になると、みんな急におとなしい意見になる。

日本経済デフレの原因をどこに求めるのか?ここには大きな違いがある。

リフレ派は極めて単純で、且つ分かりやすい考え方だ、すべて日本銀行の金融政策にその原因を求めている。それも一つの考え方であり、なるほどと思った。しかし、それですべてが解決できるほど物事は単純、簡単ではないのも事実だ。納得しながらも、疑問符はつく。

反リフレ派の原因の求め方は、一言でいえば、日本経済の特殊性、多様性などから、原因は簡単ではないと主張する。その理屈をいろいろな過去の歴史、経済数字など事例を挙げて説明している。結局は、原因と結果が混乱して複雑怪奇になり、最終的にはよく理解できない。読み終わっても、混乱が残るだけだ。私の頭の悪さに原因があるのかも知れないが・・・・

ある雑誌のコラム欄に「出来の良い経済学者は、勉強すればするほど物理学者に近づいていく。反対に出来の悪い経済学者は勉強すればするほど、社会学者に近づく。」と書いてあった。自然と社会に対する法則性、原理に対するの考え方の違いだろうだろう。物理学者はすべての減少は理論、原則で説明できるという。社会学者は簡単にはすべての現象は原理、法則性で説明できないという。経済学とは本当に厄介な学問だ。

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