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定年後の人生に花咲かせよう!

明日を生きるために きょう1日を大切にする 青春を忘れない

悲惨な戦争が教えるもの

2025年03月11日 | 日記

 昨日、3月10日は「東京大空襲の日」でした。昭和18年、アッツ島玉砕(全滅)、この頃、お寺の鐘など金属を供出(半強制的に政府へ出すこと)があり、学童の疎開が行われ、昭和19年サイパン島陥落した後、アメリカ軍のB29が日本本土への空襲が始まり、1945年(昭和20年)の東京大空襲でした。

 ひとたび空襲となれば、住民はなすすべもなく、爆弾が異様な音で落下し、本能的に生き残る道を求め、炎と崩れる家屋の間を右往左往しながら逃げるしかなく、炎の中で直撃弾に遭い、痛ましくも焼死する人が続出、家族を求めて泣き叫ぶ姿は言語に絶する地獄絵巻です。

 B29爆撃機136機が豊橋上空に飛来、三時間余にわたる空襲でわが家を失い、私は戦禍の中を生き延びました。これが戦争の姿なのです。現在の私があることすら偶然なのかもしれません。

                                                   

 4月 沖縄戦、6月 豊橋、福岡、静岡が空襲され、8月6日 広島へ原爆、8月7日「豊川軍需工場」、8月9日 長崎へ原爆、8月15日、日本は敗戦国となりました。

 戦後の食生活は想像を絶するほどで、コメの値段が高騰し不足を補うため政府の備蓄米を出すという、現在の「コメ 不足」とは比べものになりませんでした。

 衣食住と、あらゆる物資が不足し、治安は悪化、農家の倉庫にある収穫したばかりのコメが何者かによって盗まれるなど各地で起きていました。

 戦争は、人の道に反する行為を難なく生み出す異常な状態をつくります。二度と行ってはならないし、はっきり人類史上に刻んでおかねばなりません。応分の反省を忘れないことです。


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