goo blog サービス終了のお知らせ 

シア式ドロップス

方向性の無い超マイペースブログ。 缶ドロップみたいに色々なフレーバーをお楽しみくださいませ。

ボーダーを超えて

2012-06-30 20:35:43 | 2011.3.11 M9.0

昨日、一昨日と家に帰ってました。
滞在中は掃除とか、家事をするだけで時間が過ぎるのですが、
今回は、警戒区域だった小高区を訪ねたりしました。

海岸沿いは言うまでもなく、津波でなにもかも流されていました。
ただ、警戒区域だったというわけで、
流された車がそのままで、
そしてそこから草が生えていたりと、
取り残された場所だったと実感。

駅まで波が来ていたと聞いていたので、
駅前の倒壊していた家は、津波でなのか、地震でなのか見当つかない程の風化を感じます。

電気などのインフラを急ピッチで回復しているんですが、
人影がほとんどない廃墟に近い駅前で、
有線放送が流れていたのは、少し不気味だったな…。

始まるのは、これからなんだ。

2012-03-11 14:46:00 | 2011.3.11 M9.0
東日本大震災から、一年です。

一年前の出来事が、
何かの「終わり」ならば、
一年経った今、
まだ何も「始まって」はいない。

と、思うのは、
一被災者としての実感です。


「始まり」は、これからなんだと。


だからこれからも、
東北が、
東日本が、
歩んで行くその姿を、
見ていてください。

どうか、
忘れないで。
風化しないで。

それが、
私の今一番の願いです。

情報化社会の情報不足

2011-10-08 22:39:09 | 2011.3.11 M9.0
デジタル社会と云えど、
自分、基本はアナログなので、
今でも主な情報源は新聞である。

で、新聞を読んでいて、ここのところ気になるのは、
ここ数日の南相馬の放射線量が上がっていること。
緊急時避難区域が解除になってから、上がっている感が否めないんですが…。
数字の上では、いったい何が起こっているのか見当がつかない。

全国紙では情報不足だ。

画像は9月30日、緊急時避難区域解除前の南相馬市原町区。
どこの学校も除染作業していた。

中途半端なら、口も手も出すな。

2011-09-19 20:07:34 | 2011.3.11 M9.0
最近は悲観する暇も無い。
と思っていたが、
血気盛んな感じなのは変わらん気がする。

「放射能付けた」っつう(前)大臣の発言には、
発言を誘導した、無知な記者もいたわけだから、
理不尽すぎて、政治家どころか、メディアも信じられなんだよ。

こんな感じで、ムキーって半年も怒っている感。

(カルシウム不足なのか)あぁ、牛乳が美味い。


某県某市で、福島で作った花火の打ち上げ取り消しとなった。
理由はやっぱり「放射能をばらまくのか」。

生鮮食品が拒まれるのは、やむ得ないと思うのだが
放射線を大して浴びてもいない花火にまでクレームつけるか…。
…花火は屋内で、湿度の低い冬季(震災前)に加工されていると思うのだがね。


それにしても、被災地応援を掲げていながら、
結局は開催しないケースが多すぎ。

正直、中途半端な志なら、始めっから企画しないでほしい。
こういったニュースを見る度に、辛い。
そして頭にくる。



自分自身が傷つくのは構わない。
だけど、中途半端に被災者を傷つけるのは腹が立つ。

常に理性を保ちたくとも、保てられないよ。

震災から半年。

2011-09-11 20:10:53 | 2011.3.11 M9.0
東日本大震災から、半年経ちました。

ちょうど10年前の9.11テロは、現実の出来事であっても、
少しばかり、映画みたいなフィクションのようだと思っていた自分がいた。
でも、とてつもない災害(及び人災)を体験してみると、
10年前の出来事は確かな事実で、フィクションは現実を超えることなどありえない。
そう思った。

しかし、現実を目の当たりにしても、
「放射能移してやった」と愚の極みな発言をする大臣を(蔑む目で)見れば、
所詮、政治家達には、災害や原発事故は映画上の出来事と感じているのだろう、と思わずにはいられない。
(辞めるんならば、原発で土下座会見しやがれよ)

まぁ、政府どころか、政治家そのものに端から期待していないがな。



先日、震災前以来ぶりに弟にあった。
奴は震災当日、シャレにならない場所にいたそうな。
しかも、数日は陸の孤島だったらしい。
奴の職業柄、 PTSDが現れるんじゃないかと懸念したけれど、
案外、大丈夫みたいので安心した。


私の方はというと、働き始めました。
毎日、わたわたしていて、悲観に陥る暇がない。


画像は、こないだ来た、
「県民健康管理調査 基本調査問診票」。

半年前の事なんか、覚えてないがな!と思っていたら、
事故後から避難するまで、あんまりっつうか、殆ど外に出ていなかったんだよね。自分。
(しかし、自分のブログがこんな形で役に立とうとは…)
でも、記入する事多くて面倒。

ホールボディカウンター、受けたいわ。

土壇場にて

2011-08-01 23:08:43 | 2011.3.11 M9.0
先月末をもって職業訓練の全課程を修了し、
なんとか資格を取得した。
講座は楽しかったけれど、現場実習をバックレようかと思ったりしてたからなぁ…。
ホント、我慢したよ自分。

で、まだ向こうでの就職先が決まらないので、
南相馬の自宅に戻り、少しずつ自室の整理を始めている。
整理というよりは、断捨離再び。

当面は修行を兼ねての就職を、向こうでする!と心に決めたので、
生活感にも変化が訪れる。
ならば今までのものに固執する必要も無い。

案外、断とうと思えば、バッサリ断てるものである。

…こんなふうに、新たなステージに向かう準備を始めておきながら、
地元の職安で求人チェックしてるんだよなぁ…。
(資格を活かす希望職、求人は無に等しい…。緊急時避難区域が無くなれば、出てくるとは思うのだが)

ここまできて、女々しいな、自分。
いや、元々女だから、未練がましいか…。


蒼氓

2011-07-18 00:14:42 | 2011.3.11 M9.0
震災から4ヶ月が過ぎ、思うことは、
津波や原発事故は、現場を見ていない人には、
結局は対岸の火事なんだなー…って。

それを実感することが先日ありまして、
馬鹿で迂闊で無力な自分にも腹がたつけれど、
(良かれと思ってだったのだろうけれど)デリカシーの無い相手の言動に、
頭から一気に血の気が引き、直ぐにガッと頭に血がのぼった。

嘘をつくより、素直に話す方が良いが、
時と場合によっては、嘘をついてほしい。
オブラートに包んだような、やさしい嘘をついてもかまわない時がある。

まー……、当事者にしか解らない問題だから、
それを相手に求めるのも無理な話なのかな……。





南相馬の自宅に帰省し、3ヶ月ぶりに海のある方面へ行きました。


(原町区萱浜)

どこから来たんだろう…。
原町で漁業を営んでいる方、稀少だからな。


(原町区萱浜)

自衛隊、警察、消防(団)、ボランティアの方々に感謝のメッセージが書かれたのぼり。
「ありがとう」という言葉じゃ収まらないくらい、彼らには感謝の気持ちは尽きない。

散乱していた瓦礫がある程度纏められて、本当に何もかにもさらわれていった感。
秋咲きのヒマワリが植えられていた所 はここの近くでした…。


(原町区北泉)

原町シーサイドパークはサーフィンの国際大会が行われるほど。
良い波が来る浜として、サーファーには有名な場所だった。
今は設備の殆どが津波に流され、波打ち際が近くなった気がする…。

東北電力原町火力発電所の設備のダメージも痛々しい。




(原町区北泉)

生活の場があった証明。


(原町区金沢)

哀しみのシグナルは空へと放つ。


(鹿島区烏崎)

…どんな事態であっても、自分らしく生きていたいと思うのはエゴなのだろうか…。


(鹿島区烏崎)

何もかも流されてしまったこの場所に帰りたいと強く願う人がいる。


(原町区北泉)

受け継がれる、命と想いと記憶。

4ヶ月1日

2011-07-12 20:15:01 | 2011.3.11 M9.0
今日ほど、
自分自身と、
生まれ育った場所を、
恨んだことはない。


東京電力本店の奴ら、
本当に、本当に、許せない。

いつまでそこにいるんだよ。
お前らの居場所は、東京じゃねぇよ。
第一原発だろうが。

今と、これからの考察。

2011-06-25 21:59:23 | 2011.3.11 M9.0
お久しぶりの更新です。

『今の考察』
震災・津波被害、原発事故という名の、
大きな瓦礫の中の果てない闇の日々が100日を超えた。

復興と云う名の光には、
多くの人たちは、近づきたくとも近づけてはいない。

私もその中の一人だ。

今、勉強している事は楽しいと思うし、
サッカーとか趣味もそれなりに愉しんでいる。
人から見れば大丈夫そうな感はありそうだし、
「前向きに生きている」と、常に自分に言い聞かせている。

だけど、どうも現在の生活に乗れていない部分がある。

脳…頭の中に何かが覆っている感が続いている。
(頭痛も多いが、それとは別に)
震災後から、自分の言葉が作り出せないでいる。
文章がなかなか思い浮かばない。

勉強していることの考察などを毎回書いて提出しなくてはいけないのだが、
あたりさわりない、使い回しな文章を毎回提出している。

2~3行のメールを打つにも、時間をかけたわりに大したことは記していない。

喋るのもそうで、(元々、喋り好きではないけれど)
深い話をしようとすると、言葉が続かない。

伝えたいことはたくさんあるはずなのに、
どんな言葉にのせて良いのか解らない状況が続いている。
これらを発することが出来るならば、どれだけ楽だろうか…。


『これからの考察』
原発避難直後から考えていることがある。
「当面…数年は、他所で仕事をし、生活をしていく」ということ。
(栃木に限らず、他都道府県も視野に入れている)

即、地元復興に参加したいと強く思っていても、
生計面を考えると、今の原町の状況下では難しい。

仕事はある。
だがそれらの殆どはパートかアルバイトだ。
独身三十路女の今後を見据えると、それは大変に厳しい。

ならば、知らない土地で、色々学び、働いていこうかと。

復興は現在進行形だけではない。
これから数年も続いてゆく。
今は参加出来なくとも、この先(数年後)に参加するのもアリだろう。

と、今、不安と自責に駆られている自分に言い聞かせ、
『原町で再び生活をする』をモチベーションに、
これから私は生きていく。

壮大なる

2011-05-31 23:21:48 | 2011.3.11 M9.0
日曜、栃木に向かう前に、
線路に取り残された車両の様子を見に行ったら、
まだ残されていた。

震災以来、この車両は雨風と放射能に曝されいる。
何も知らずに。

放射能に曝されているのは我々も同様で、
計り知れない不安と動揺は福島県境を越え、
広域に広がっている。


これは東京電力による、壮大な人体実験である。

そういった自覚を、東電本店は持っているのだろうか…。